56.絶対に逆らってはいけない主人
あーー……。折れたな、今のは。
捻り上げられた賊の腕からした音を聞き、執事はぼんやりとそう思った。
……だって、ほら。その腕が、ヘンな方向に曲がっているし。倒して押さえ付けられたまま、さっきからずっと激痛で悶え続けているし。涙目だし……。
「さあ、おっしゃい!一体誰の差し金かしら??」
「ア゛ァァァ……」
痛みのせいで答えられないのか、守秘義務を果たそうとして答えないのかは知らないが、襲って来た男はうめくばかりで、何も喋らない。
「暗殺に失敗して残念ねえ、お可哀想に。帰れる場所はもう、無くなってしまったのではなくて?あぁ、違いましたわね。警備隊に引き渡せば牢獄へ行くのだから、帰れませんでしたわ!!……けれど、素直に教えてくれたら、刑を軽くするようお願いして差し上げてもよくってよ??」
鬼畜かな?と、執事は思う。賊の耳元で囁くマリアローザは、悪い顔をして楽しそうに笑っているのだ。……正直、どちらが悪役なのか分からない。
「…………くたばれ、クソアマ!」
「まあ!」
さすがは暗殺者。この状況でも、悪態を吐く事は忘れないらしい。しかし、その強がりのせいで、もう片方の腕まで犠牲になってしまうとは……。
男の絶叫が響く。
「――…あー良かったぁ~~!!一時はどうなる事かと……。それじゃあ私、警備隊を呼んで来ますね~!」
「…待って!リノ‼」
安堵した執事が緩んだ表情をした時、マリアローザは鋭い声を返した。そして、険しい顔で周囲を警戒する。
するとどこからか剣を持った男たちが湧いて来て、馬車を背にしたマリアローザたちは、たちまち包囲されてしまったではないか。この状況……恐らくは、今倒した男の仲間という事なのだろう。つまりは――
暗殺者集団に囲まれた!!
「ひ……ヒイイ‼どうするんですか、マリアローザ様ァ!?」
青ざめたリノが叫んだ。
相手は、ザッと数えて十人以上。どいつもこいつも、その全身から『絶対殺す』という空気がダダ洩れている。というか、顔がもう怖い‼
「――!そうだ‼マリアローザ様には、王室の監視が付いているんじゃなかったでした⁉それに助けを求めれば…」
「馬鹿ね!それは、わたくしが国家機密を外へ漏らさないか見張っているだけの、簡単なお仕事の方よ!むしろ、わたくしが亡き者になった方が都合がいいの‼」
「闇が深いぃ!!王太子とその婚約者とは、懇意にしてるのに!」
これぞ正しく絶体絶命。あーもーダメだ、終わった、と執事は覚悟した。
「……あらあら、まあまあ……。女一人を殺すのに、この人数。ずいぶんな念の入れようですこと。」
「ソイツをやっときながら、よく言うぜ‼」
暗殺者の一人が、口を利いた。だが……
殺っては、いない。まだ生きている。
「雇い主は、テメーを確実に始末したいんだとよ!」
「あらまぁ……。それで?その雇い主とは、誰の事?」
「聞いてどうすんだ⁇今から死ぬってのによオ!!」
マリアローザは、「フウ」と息を吐く。そして呟いた。
「……それなら、力尽くで聞き出すしかなさそうですわね。」
彼女はキッと目を吊り上げ、すぐ後ろにあった馬車へ乗り込んだ。
「んなモンに逃げたところで助かるかよ‼」
剣を振りかざした男たちも、一斉に動き出した。そんな中、マリアローザは急いで馬車の座面を持ち上げる。そこには――…
一本の剣が。
「ヒィィ死ぬぅ〰〰〰〰!!」
リノの絶叫と共に、彼女は再び馬車から飛び出して来た。その剣を持って。
「中へ入ってなさい!」
「えっえっ⁇マリアローザ様は??」
「わたくしは――…」
迫り来る暗殺者集団を前に、マリアローザはすらりと剣を抜いた。
「この者たちへ制裁を。」
彼女はギラリと目を光らせ、襲い掛かって来る集団へと果敢に斬り込んで行く。
リノはといえば、言い付け通りに馬車の中へ駆け込み、バタン!と思い切りドアを閉めた。そうして頭を抱え、ガタガタと震えながらうずくまっている。
――…外から聞こえて来るのは、バタバタと激しく入り乱れる複数人の足音。そして、耳に障る不快極まりない金属音。男たちの怒声――。
車内へ逃げ込んだはいいものの、ここだっていつ奴らがドアを蹴破って来るかは分からない。いや、もしかしたら木製の車体ごと、あの鋭い剣で貫かれるかも……
そんな想像をして、彼の心臓はヒュッと縮み上がった。
いやいや、それ以前に――…
『マ……マリアローザ様が、殺される……っ!!』
いくら、さっきは一人を倒せたとはいえ。十人前後の屈強な暴漢を相手に、淑女が一人立ち向かうのでは分が悪過ぎる。こんな状況、例え王宮の騎士だったとしても難しいだろう。たった一人で切り抜けるなんて、無理に決まっている。
そもそも、身動きし辛いロングスカートという出で立ちで、満足に戦えるわけがない。……しかし、あのマリアローザの事だ。一応は健闘するのだろう。だが、限界は確実に訪れる。
そして次は、自分がその凶刃の餌食に――…
……そんな事を考えている内に、どのくらいが経ったのだろう。
身を硬くしていたリノは、いつの間にか周りが静かになっている事に気が付いた。
『……⁉、⁉……。ど……どうなったんだ…………??』
彼はビクビクとしながら、馬車の窓にそっと近づく。そこから片目だけを覗かせ、恐る恐る外を確認した。男たちの姿が見えない……。
あ、一人だけ、そこに立っている。否。向こうにももう一人、いるようだ。
近い場所でこちらに背を向けているのは、華奢な体躯に長髪のロングスカート。明らかに男ではない。というか……
「マリアローザ様っ!?」
リノは腰を抜かしそうになった。
よく見てみれば、周りには血を流した男らが倒れている。死んで……は、いないようだ。たぶん。わずかに動いているように見える(と思いたい)ので。
……一体、何をどうしたらこうなった!?
彼は、窓ガラスにべったりとくっ付いて様子を窺った。
「――さあ、残るは貴方一人。素直に吐くと言うなら、これ以上は痛い目を見ずに済みましてよ?」
……あれ⁇悪人はどっちの方だっただろうかと、リノは軽く混乱する。
「う……うるせえっ!!……一体、なんなんだよオマエ……聞ーてねーぞ、こんな話……‼」
青ざめ、酷く汗を掻いている男。剣を構えた腕はブルブルと震え、カタカタと高速で振動する切っ先は、残像で凄い事になっていた。本当に、一体何があったんだ。
「あら、わたくしの事を存じませんの?この、わたくしを??……何とお粗末なのでしょう。標的を調べ上げるのは、基本中の基本!暗殺者たる者、事前の準備は完璧にしておくものでしてよ。」
「うるせーよ!!ほっとけ‼」
返しが、思春期男子のそれのようである。
「それなら、さっきの質問に答えなさい。あなた方は、誰の差し金⁇」
「うおおお……!!」
一人残った男は剣を振りかざし、破れかぶれで突進して来た。言葉は通じているのに、話が出来ない。マリアローザは、やれやれと息を吐く。
それから一瞬の内に、迫る相手の手足を斬り付け、制圧は完了した。
「……わたくしは、まともに剣も握れないあの出来損ないの矛となるよう、代わりに王の剣術も叩き込まれましたのよ。それを本気で殺したかったのなら、騎士団長クラスを連れてらっしゃい!!」
……絶対に、この人に逆らってはいけない……。執事は心にそう刻み付けた。
警備隊の到着を待つ間、十人前後の手負いの暗殺者たちは、縄でしっかりと縛り付けておいた。……何でこんな物まで馬車に用意されていたのかは、聞かないでおこう。リノは内心そう決めた。
「さて。今の内に大人しく喋った方が、身のためですわよ。」
「…………。」
縛り上げた男らを前に、マリアローザは立った状態で見下ろし、尋ねる。しかし彼らはだんまりを決め込み、その口を割ろうとはしない。不機嫌そうにプイと顔を背け、明後日の方を向いていた。
「……ハア。これではどの勢力を警戒していいか、分からないではないの……。」
非常に聞き捨てならない言葉があった気がするが、聞かなかった事にしよう。気にしたら負けだ。知らない方が幸せな事もあるッ!!……。
リノは自分にそう言い聞かせた。
「いいこと?あなた方を、今ここで始末して差し上げてもよろしいのよ。」
「……ハンッ!そんな事したら、テメーが牢屋行きだろうが。」
「ホホホ。それは余計なお世話です。……わたくしのバックにはね、この国で一番怖ーい組織が付いていますの。証拠隠滅も隠蔽も、容易い事ですわ。」
……そう、「王国」という、最もヤバい組織が付いている……。
それを聞いた男たちは、にわかに動揺し始めた。
「そ、そんなの、嘘に決まってんだろ‼」
「口から出まかせ言いやがって!!」
「あらそう。真偽を知るのはあの世になるけれど、よろしくて?」
一度鞘に納めた剣を、彼女は再びゆっくりと抜いて行く。そして、躊躇いもなく鋭利な刃を彼らの首元に近付けた。男らはゴクリと空唾を飲む。
……この女なら、やりかねないような気がする……。一部の臆病者は焦り始めた。
「早くなさい。警備隊が来てしまうではないの。ごーぅ、よーん、さー…」
「プッ、プレスティア侯爵だ‼俺らを雇ったのは!!」
命惜しさに、一人が落ちた。
「プレスティア侯爵……?」
「そうだ!!元王太子の婚約者マリアローザを殺れと、命令されたんだよ‼」
……何となくそんな気はしていたが……まさかの当たりだったとは。
紋章の無い馬車を使っていたのにここで襲われたという事は、きっと屋敷を出た時から尾けて来ていたに違いない。恐らくは、ちょうどいい場所へ行く時を見計らっていたのだろう。
少し派手に動き過ぎたのかもしれない、とマリアローザは思った。どうやらプレスティア侯爵ことオスカルは、思っていたより勘が鋭いらしい。こちらの動向を悟られてしまっている。
さすがはやり手の商人と言ったところか。少々甘く見ていたようである。
「――…というか……。あなた方、わたくしの事は知っていたのね?」
「ったりめーだろ⁉馬鹿にすんなよ!!」
暗殺者集団――と言うには少しお粗末な、二流の集団だった。
金をケチったのか、それで十分だと思ったのか……。いずれにしても、オスカルはマリアローザの事をそこまで徹底的に調べ上げてはいないらしい。
「……しかし、こうなった以上、あまり時間は残されていませんわね。」
馬車の窓を流れる景色を見ながら、マリアローザは呟く。……急がなければ、相手は必ず先手を打って来るだろう。
何せ今回、命まで狙って来たのだ。どんな行動に出てもおかしくはない。
アントネッラとの関係は、間違いなく気付かれている。このままでは、彼女の身が危険だ。
「ところで、マリアローザ様ぁ……。どうして最後、あの男たちにあんな事を言ったんです??」
向かいの席に座るリノが、怪訝な顔をして尋ねて来た。
「あんな事、って??」
「だから、脅して口止めした事ですよ!!」
「ああ――…」
……警備隊がやって来る直前の事。マリアローザは、二流の暗殺者集団にこう言ったのだ。
「そうだわ、あなたたち。今回の襲撃がプレスティア侯爵の命令だったとは、言わないでおいて頂戴。」
「ハ?何で??」
男らは、奇怪なものを見るような目で返す。
「教える必要などなくてよ。ただの物取りだったと答えなさい。出来ますわよね?出来ないと言うのなら――…喋る事を、出来なくして差し上げましょうか?」
……だから、本当にやりそうで怖いのだ。男たちはゾッとして、思い切り首を縦に振っていた。
計画的な犯行より、突発的な犯行の方が罪は軽い。彼らにとっては、むしろ願ってもない提案だっただろう。脅す必要もなかったと思うのだが、それ以前に……
「襲撃はプレスティア侯爵の命令だったと証言させれば、すぐに捕まえられたんじゃないですか??」
「だからですわ。あんなちんけな罪で捕まえても、詰まらないではないの。……彼にはもっと、華々しく散って頂かなければね……!」
ちんけな罪……。リノとしては、死を覚悟するような出来事だったのに……。
「そんな事より、急ぎ調べて貰いたい事がありますわ。事故の際に御者をしていた者の、実家を――」
「ああ、それならもう、調べは付いてますよー。」
「本当に!?」
「はい。関係者ですし、侯爵家を探った時に一応~と思いまして。」
「……よくやったわ‼さすが、わたくしの執事!!」
――…余計な邪魔が入ってしまったが、本日の目的は、元使用人たちに話を聞いて回る事だった。
その最後の人物から得た情報、『事故の日に限って若い御者が馬車を操っていた』という話が、どうにも引っ掛かって仕方がない……。
「よし、ならば今からそのお宅へ伺いますわよ!案内なさい‼」
死人に口無し。本人から話を聞く事はもう出来ないが、周りが何かを知っているかもしれない。そこへ行けば、何か手掛かりが見付かるような気がする――。
マリアローザは一路、御者の青年の実家へと向かった。




