57.悪魔と悪魔
外は酷い雨。時折、雷が一瞬だけ夜の空を強く照らすが、遅れて鳴るゴロゴロという音は小さい。本体はまだ遠い所にあるようだ。
「――…ッ、雇った殺し屋が全員捕まっただと……!?」
プレスティア侯爵家の執務室から、押し殺したような声が聞こえて来た。それとは裏腹に、声の主は表情筋を酷く歪めながら目を血走らせている。
「それなりに実績のある連中を選んだはずだったろう⁉なぜそんな事になった‼」
ガンッと強くデスクを殴る音。その席に着いていた彼――オスカルは青筋を立て、ついに大声を出す。詰問されている諜報員は、びくりと身をすくめた。
「わ…分かりません……」
「分からないだと⁉貴様、それでも本当に諜報員か!!」
「すみませんっ‼」
勢いよく頭を下げた諜報員は、直角に腰を折り曲げた。そんな彼に、オスカルは「チッ!」と盛大な舌打ちをする。ザアザアと音を立てる雨にも負けない音量だ。
……これまで何人もの人間に雇われて来たが、今度の主人は中でも大ハズレの部類に入るだろう。諜報員はそう思いながら、深く頭を下げたままで床だけをただじっと見詰めていた。
「貴様の報告では、マリアローザは護衛を連れていないという話だったよなあ⁇執事も軟弱な男だと……。計画では、あの女が人気のない場所まで行った時、そこで確実に仕留める手筈だっただろうが!それが何だ?運よく騎士団が来たとでも言うのか!?」
まくし立てながら、オスカルはいちいちデスクをバンバンと叩き続けている。この威圧して来る感じが、諜報員には堪らなく嫌なのだ。
……今日も、すぐそこにはあの愛人がいるが、よく平気な顔をしていられるものだと感心してしまう。よほど肝の据わった女なのだろう。
本当ならばこんなところ、すぐにでも辞めてやりたかったのだが、あの男は成功報酬しかくれない。その時が来るまで、彼は耐えるしかないのだった。
「……私は、その場にいませんでしたので……。警備隊が彼らをしょっ引いて行った事だけは確かなのですが……どうやら、制圧したのは別の者のようです。何せ人気のない場所でしたから、目撃情報も少なく……」
「じゃあ、何か!?あのマリアローザがやったとでも⁇フンッ馬鹿馬鹿しい!」
不貞腐れるようにしてドカッと椅子に体を預けたオスカルは、鼻を鳴らす。そしてプイと思い切り顔を背けた。――のだが……
今更ながら、彼はとんでもない事に気が付いてしまった。
「……ま、待て待て待て……。殺し屋どもが捕まった?と、いう事は……全てバラされるという事じゃないのか!?」
真っ青な顔をして、オスカルは慌てたように背もたれに預けていた体を起こす。
その時ちょうど「ピシャァン」と耳をつんざく雷鳴がして、背にしている窓からカッと眩しい閃光が差し込んだ。
……殺し屋どもが警備隊に連行されたという事は……王宮へ送られ、王室騎士団からきつい取り調べを受ける事になる。何せ、あのマリアローザを襲ったのだ。慎重に調べる事になってもおかしくはない。それでもし、奴らが簡単に口を割ってしまったら……
何もかもが終わりではないか!!
オスカルの体中から、ザアッと血の気が引いて行く。
「――おいッッどうしてくれるんだ!!!!」
雷に負けじと大きな声を上げ、彼は両手で「バンッ!!」とデスクを叩いた。そしてその勢いでもって、立ち上がる。
死人のようなその顔には、恐怖と焦り、それに殺気が入り混じっていた。
「失敗さえしなければこんな事にはならなかったものを‼︎責任を取れ、この役立たずが!!」
恐ろしい剣幕で、オスカルはがなる。外の激しい雷雨ですらそれよりは穏やかだ。
諜報員は怯みながらも、果敢に言葉を返した。
「わ、私に言われましても……ですが、ご安心ください‼どうやら彼らは、単なる物取りだと自白しているようですから!」
「物取り!?じゃあ、俺の事は――」
「漏らしていませんッ‼」
引いてしまった血が一気に全身へ戻り、冷たくなっていた体が温かくなって行くのを感じる……。激しい感情の収まったオスカルは、静かにストンと腰を下ろし直した。
そして今度は、高笑いをする。
「ハ、ハハハハ!!……やはり俺はツイている!あの女を殺れなかった事はまぁ、残念だが……また新しく手を考えればいい。」
命を取る事には失敗したかもしれないが、潰してやる事ならばいくらでも出来るのだ。……ああ、それとこの際、元妻のアントネッラもどうにかしておいた方がいいだろう。マリアローザとかいう危険分子に近付いたのが運の尽きだ。黙って静かに生きていれば、見逃してやったのに。
オスカルは考えを巡らせた。
そろそろほとぼりも冷めて来た頃か。ならば、今更疑われる事は無いだろう。どうせなら、両親と同じ目に遭わせてやるのがいいかもしれない……。
「……世の中の馬鹿どもは、そういう偶然の一致というものが好きだしな……!」
一時絶望を感じたからか、運が味方している事を知ると、一転して無敵な感覚で満たされた。全能感で一杯だ。
自分は、全てを手に入れる資格を持っている。地位も、名誉も、財産も――…。
いい女も、然り。
「――カリン。もうすぐお前を、正式な侯爵夫人にしてやるからな。」
オスカルは猫撫で声で手招いた。愛人は、笑顔で軽やかに近付いて来る。そして豊満な胸を押し当て、彼にギュッと抱き付いた。
「本当っ??嬉しいわ!」
「当たり前じゃないか。お前が望んだから、俺は侯爵にまでなったんだ。……でなけりゃ今も伯爵家で、うだつの上がらん三男坊をやっていたはずだからな。まあ、金だけはあっただろうが。」
商才を育ててくれた事だけは、実家に感謝している。だが、それだけでは単なる金持ちにしかなれない。それでは駄目なのだ。
“「――…身請けされるなら、地位のある人じゃなきゃ嫌。誰も私を娼婦だなんて、馬鹿に出来ないようなね……!」”
彼女はそう言った。しかし、自分は所詮三男。受け継げる地位など無く、そのままではステータスを求める恋人を満足させる事が出来ない――。
だから、条件にぴったり合う没落侯爵家の存在を知った時は、震えたのだ。――これは天啓である、と!!
『……金なんて、俺ならばいくらでも自分で稼ぐ事が出来る。だが、爵位は違う。男爵位程度なら金でも買えるが、そんなものでは全く足りない‼』
金と時間と労力を使い陞爵を狙うより、そこにある侯爵位を狙った方が遥かに効率がいい。それこそが、賢い人間のする事だ。
「……あの、頭の弱い馬鹿な女には、感謝しないとな。」
クククと、悪い顔でオスカルが笑う。
「あの女って……アントネッラの事??」
「もちろんそうさ。侯爵家をくれてありがとう、って。――感謝の印に、両親と会わせてやろうかと思っている。どうだ、良い考えだと思わないか?」
「ええ、とっても!!貴方って、何て優しいのかしら。惚れ直しちゃうわ!」
……自分の存在を忘れたのか、彼らは目の前でイチャイチャとし始めた。諜報員は一つ、溜息を吐く。そして、オスカルたちのいる執務室を後した。
気付けば雷雨も、過ぎて行ったようだ。
雨の降った翌日、孤児院ではてきめんに洗濯物の量が増える。この日ももちろんそうだった。いつにも増して高い山が、マリアローザを出迎えたのだ。……見ただけで、うんざりとするような……。
だが、今日に限っては好都合である。
洗濯の時間が、ここで唯一ゆっくりと話が出来る時間だからだ。
「――ねえ、アントネッラ様。風の噂で聞いたのだけれど、このお話はご存知?」
いつものように、張られたロープへシーツを掛けながら、マリアローザは不意に尋ねた。
「?どのようなお話ですか??」
当然の事ながら、アントネッラは聞き返す。顔こそ一度彼女の方へ向けたが、ロープに服を吊るす作業は休まない。
向こうも、仕事の手を止めずに答えた。
「前侯爵夫妻の事故で御者をしていた者の、実家の事です。」
思わずぴくりと反応し、アントネッラの手が止まる。しかし、彼女はすぐに仕事を再開した。
「……御者の実家の事……。わたくしは、特には存じません。」
それは本当の事だ。事故の後、動揺していた自分に代わり、全ての手配をしてくれたのは元夫のオスカルだった。
……突然両親を亡くした悲しみで、共に犠牲となった御者にまで思いを馳せる余裕が、アントネッラには無かった。言われてみれば、その家族は今、どうしているのだろう。見舞金の一つも渡したのだろうか。はたまた、逆に責め立てたりしてはいないだろうか……。
その事に今更気付き、胸が痛んだ。
「その彼には、目に入れても痛くない歳の離れた弟がいたそうですわ。けれど重い病を患っていて、高額な治療費を必要としていたらしいの。」
「まあ……!」
「それで、いい給金が貰えそうな、貴族の屋敷で働こうとしたそうなのですけれど……ほら。紹介状でもないと、なかなか雇っては貰えないでしょう。」
こくりと、アントネッラは頷く。御者は平民の青年だった。貴族家が、飛び入りでやって来た平民をおいそれと雇う訳が無い事くらい、彼女も知っている。
どれだけの家を回っても、門前払いを食った事は想像に難くない。
「そんな時、一つだけ受け入れてくれたお家があったのですって。――…それはもちろん、“プレスティア侯爵家”。アントネッラ様の、お父様ですわ。」
お人好しの先代プレスティア侯爵は、青年の話を聞いて深く同情し、快く雇い入れてくれたそうだ。財政難により、高い給金を出す事は出来なかったが……市井で働くよりはましな額を提示して。
「それでも、治療費は高額で……とてもではないけれど、届かなかったようです。弟さんの容体は悪化して行くばかりで、彼も気が気ではなかったでしょうね。」
「……そんな事があったなんて、知りませんでしたわ。それから、どうなったのです??」
ついには仕事の手を止め、アントネッラはマリアローザの方を向いた。
「――…ある時、実家に帰った彼は、家族にこう言ったそうです。“もうすぐ大金が手に入る”、と……。」
マリアローザも手を止め、アントネッラの顔を見て言った。アントネッラは、困惑した表情をしている。
「どういう意味かしらね?」
「……さあ……見当も付きません……。」
大金が手に入る方法なんて、そうそうあるわけがない。だからこそ、彼は困っていたのだ。
一攫千金を狙うなら賭博だが、勝てる見込みがどこにある?それどころか、搾り取られるのが世の常だろう。話せるほど確実な当てがあるなら、何か大きな仕事が決まり、その報酬が入るというのが妥当な線だが……
「事故の直前だったそうですわ。」
「事故、の…………」
みるみる内に、アントネッラの顔色が悪くなって行く。オスカルが『頭の弱い馬鹿な女』と評した彼女だが、何も察せないほど鈍くはない。……というよりぞくりと背筋が凍り付き、思考ではなく直感で、何かを感じ取っていた。
走ったわけでもないのに、心臓がドクドクと激しく脈を打ち始め、息も荒く上がっている……。嫌な汗が噴き出し、頭がくらくらとして、立っていられなくなりそうだ。
「……た、大金……。大金は、手に入ったのですか……?」
やっとの思いで、アントネッラは言葉を吐き出した。
「いいえ。」
「!じゃあ……」
「家族に大金など入らなかったし、見舞金すら送られてはいないそうよ。むしろ、取り返しの付かない事になって申し訳ないと、ご家族はひれ伏して泣いていらしたわ。」
「…………。」
……想像した答えと、違う……??
アントネッラは、何が何だか分からなくなって来た。マリアローザは一体何を示唆しているのだろう。
今の話を聞いて、思ったのはこうだ。
……御者の青年は弟のため、大金を貰う約束をしてわざと事故を起こした。自分の命と引き換えにしても、弟を助けたかったのだ。だから、その大金が手に入っていれば、間違いないだろうと考えたのに……。
「アントネッラ様。わたくしはね、こう考えたのよ。……彼は弱みに付け込まれ、大金をやるからと唆されて事故を起こした。」
恐らくは、「全員が死んだのを確認したら金をやる」とでも言われたのだろう。それを信じた青年は、計画を実行する。
けれど、相手にそれを守る気なんて、さらさら無かった。青年は、もうこの世にいないのだ。馬鹿正直に金をやる必要がどこにある?足が付くかもしれないし、そんな無駄な出費に価値はない。
――死人に口無し。彼にはもう、何も出来ない。約束なんて、はじめから存在しなかったも同然だ。
「――…こうして真実は闇に葬られ、御者は前侯爵夫妻と心中した事になり、己の手を汚さない、完全犯罪が出来上がりましたとさ。」
推論を披露したマリアローザは、パチンと手を打ち一旦話を終える。それから再び口を開いた。
「ここまで来れば、黒幕は誰か、もう見当が付いているでしょう?」
「……」
アントネッラは黙り込む。……今の話が全て真実だとしたら、思い当たるのは一人だけ……。
「……で、でも、証拠は何も無いのですよね……。」
「ええ、そうです。狡猾なあの方は、証拠が消えるよう画策しましたからね。」
「……それなら、推測の域を出ていないのでは……?」
なぜか彼女は、あの男を庇うような素振りを見せる。自分の両親を、能動的間接的に殺した相手なのに……。
「まさかとは思いますけれど、貴女、あの方の事を愛していらしたとか??」
「いいえ‼」
アントネッラは即座に否定した。
「……そうではなく、両親が、ころ……」
殺されただなんて、信じたくなかったのだ。あんな、善良な人たちが――…。
あれは不幸な事故だったから、何とか呑み込めた。運命だったと割り切ればこそ、仕方がないと受け入れられたのだ。なのに……
「父と母は、本当ならば今も生きていたなんて……こんなの、あんまりです!」
彼女はワッと泣き出した。
証拠が無ければ、彼を突き出せない。暴くだけの真相なら、いっそ最期まで知らない方が良かった……!
嘆くアントネッラの肩に、マリアローザは優しく触れた。
「……物的証拠なんて、必要ありませんわ。」
「え……?」
ぼそりと小さく聞こえた声に、アントネッラは涙で濡れた顔を上げる。そこには、美しい天使がいた。
「わたくしが力を貸して差し上げる。さあ、どうしたい?」
天使は囁く。暫し沈黙し、アントネッラは考えた。
そして答えを出す。
「…………オスカル様に、報いを受けさせたいです。」
「よろしくってよ……!」
差し出されたその手を取った瞬間。
美しい天使が悪魔に変わるのを、彼女は確かに見た。




