53.夜会にて
――さて。
マリアローザが本日やって来たのは、王太子経由で手にした招待状の、夜会会場。ここに件の侯爵、オスカルが出席するらしい。
主催者は、製造業をやっている下級貴族の家だった。マリアローザとは、特に接点の無い家だ。今日招待されているのも商業の関係者ばかりで、個人でこの夜会へ乗り込もうとしたなら、なかなか難しかったに違いない。
その点は、ここへ送り込む事を勝手に決めて来た現王太子に、感謝である。
「本日はお誘い頂き、ありがとうございます。」
隣に立つパートナーは、そう言ってにこりと微笑んだ。
夜会の同伴者――…。長年王太子の婚約者なんてものをやっていたため、それに相応しい相手というのは国内に存在しない。新しい相手を探す必要も無ければそんな気にもならなかったので、当てなんて無かった。
だから結局、この人しか思い付かなかったのである。
「いいえ。いつも付き合わせてしまって、申し訳なく思っておりますわ。ベルティーニ伯爵様。」
「申し訳ないだなんて!貴女に誘って頂けるのは、この上なく光栄な事ですよ。これからも是非、いつでもお声掛けくださいね。」
一見甘いセリフのようなものを吐いている彼は、隣国の伯爵だ。これまでも、こうして何度か世話になっている。
しかし。どうにも食えない男で、極力頼み事はしたくないのだが……致し方ない。
「そうはおっしゃっても……何度も社交界の集まりに貴方を同伴していたら、そういう仲だと誤解されてしまうかもしれませんわ。」
「私は一向に構いませんよ?マリアローザ様であれば、大歓迎です。」
「ふふ、またまた……。心にも無い事を。」
そう、心にも無い事なのは分かっている。ベルティーニ伯爵ことフィオレンツォからは、自分への恋情のようなものを感じた事が無い。どちらかと言えば――…
彼を慕う令嬢たちをあしらう時の空気感に近い。マリアローザに向けている感情は、その他大勢とほぼ同じなのだ。それはそれで癪だが、まあいい。
「それにしても、伯爵様もこちらの招待を受けていらしたなんて、奇遇ですわ。」
「私の方は必然ですよ?マリアローザ様がこちらに出席されるという事の方が、驚きました。こちらのお家は今、国外へも販路を広げたいそうですからね。今日は他にも、異国の商会関係者を招いているようです。」
「なるほど……。イレギュラーは、わたくしの方でしたのね。」
同伴者を連れて来たつもりが、どうやら自分の方がそれに値するものだったらしい。ならば堂々と、『フィオレンツォのパートナー』として振る舞えばいい。
マリアローザは彼と腕を組み、会場内へと入場した。
……下級貴族の家の夜会というからどんなものかと思っていたが、ずいぶんと賑わっているようだ。
フィオレンツォが言っていたように、確かに異国の招待客もいる。それに……恐らくは貴族ではない、平民の者の姿まで。あれはきっと準貴族のような、財力のある商人たちなのだろう。
なるほど。下級貴族だからこそ、招待者の身分に糸目を付けず、広く声を掛ける事が出来たのかもしれない。
それはそうと、まずは主催者への挨拶を済ませ、マリアローザはフィオレンツォと共に他の参加者にも挨拶をして回った。通常夜会に出席する時と、同じ手順だ。
ただ、それだけでは終わらない。マリアローザには、向こうから声を掛けて来る者が後を絶たなかった。
元王太子の元婚約者という事で、直接面識のない下級貴族たちにも彼女の認知度は高い。しかも現王太子らとは、良好な関係を続けている。これは大物とお近付きになれる、絶好の機会ではないか?――そんなチャンスを、商売人たちが逃すわけがなかったからだ。
「――マリアローザ様。少し、席を外しても?話をしたい相手がいたもので。」
一通り、挨拶などが済んだ頃の事である。そう言って、フィオレンツォが人込みの向こうに見える人の輪を指した。
ふむ。どうやら彼は、商会関係の話をしたいようだ。さすがは商業系の集まった夜会。他にもすでに、そんな輪が複数出来ている。
「どうぞ行ってくださいまし。わたくしも、お話をしたい方がおりますから。」
「ああ、そうでしたね。それではお言葉に甘えさせて頂きます。後ほど、また。」
笑顔で軽く会釈をすると、彼はその人込みの中に消えて行った。
「……さてと。それではわたくしも、例の方を捜さなくてはね……」
一人になったマリアローザは辺りを見回す。
主な会場となっているこのホールで、視界に入るのは人、人、人……。目当ての人物を捜すだけでも、一苦労しそうである。
『これだけ沢山集まっていれば、プレスティア侯爵様以外にも邪な考えをお持ちの方はわんさかいらっしゃいそうね。……まあ、単なるわたくしの偏見だけれど。』
それに。仮に見付けたところで、今日はそれにかかずらってはいられない。今宵の獲物はオスカル、ただ一人。
確か一度だけ会った事のあるあの顔を思い浮かべ、マリアローザはホールの中を彷徨い歩く。そして……
「―――あ。」
見付けた。はしたなくも人込みの中をキョロキョロとして、ようやく元侯爵令嬢…もとい、元夫人・アントネッラの元夫を捜し当てたのだ。
オスカルの側に、パートナーらしき人物は――…見当たらない。今は誰かと談笑中だが、その相手は中年男性だ。見たところ、彼は今日この場に一人で参加しているらしい。
人の間を縫って、マリアローザはオスカルへと近付いて行く……。
おや、いい具合に音楽が鳴り始めたようだ。これは好都合。
「プレスティア侯爵様!」
彼女は声を掛けた。
会話を止め、オスカルは声の方を振り向く。そこには、笑顔を湛えたマリアローザの姿が。
「あぁ、これはこれは、マリアローザ嬢ではありませんか。大変ご無沙汰しております。」
今や立場は、彼の方が上になったというのに……。意外にも、向こうから謙虚に頭を下げて来る。
「まあ!以前お会いした事を、覚えていてくださったのですね。」
「もちろんですよ。忘れるなどあり得ません。」
確かに。簡単に人の顔を忘れるような人間に、いくつも事業を成功させる事など出来はしないだろう。
「あら、もしかして……お話し中でしたかしら⁇」
そう言って、マリアローザはちらりと彼が会話をしていた相手を見た。それはどうやら、平民の商人らしい。
こちらが少なくとも貴族であると理解したらしく、この場を譲ってくれた。
「オスカル様が侯爵になられてからは、初めてご挨拶いたしますわね。まずは侯爵位の継承、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。何分、バタバタとしていたもので……皆様へのお披露目も、まだ出来ていない状態なのですよ。」
「……前侯爵ご夫妻の事は、本当に残念でなりませんわ……。心よりお悔やみ申し上げます。オスカル様もどうか、お気を落とされないでくださいまし。」
――…これはごく普通の、形式的な会話だ。身内を亡くした者に掛ける、よくある慰めの挨拶……。
だが、彼にとっては違うはず。さあどんな反応を見せてくれるのだろうかと、マリアローザはオスカルの一挙手一投足を観察した。
「これは、ご丁寧に……。お心遣いに感謝いたします。……本当に、不幸な事故でした。義父と義母には、教えて頂きたい事がまだまだ山ほどあったのですが……」
わずかに声を震わせ、うつむいた彼は目頭を押さえる。
「しかし、いつまでもこうしてはいられませんからね!プレスティア侯爵として、早く一人前にならなくてはと励んでいるところなのですよ。」
そう言って、オスカルは気丈にも笑顔を作り、その顔を上げた。おや、まあ……
なんて役者なのだろうか。
言葉こそ、義両親の死を悼む婿然としているが、薄っぺらい。そういう目で見ているからだろうって?いいや、違う。
この場に前侯爵夫妻の娘である妻を伴っていない事で、その話が嘘臭くしか聞こえないのだ。
言いたい事ならば、もっとある。
目頭を押さえたのに、目が潤んでいない。演技をするなら、涙くらい滲ませろ。前侯爵夫妻とのエピソードトークがスカスカどころか、何も無い。鉄板ネタくらい、仕込んで来い!!――とまあ、二、三、会話しただけでもこれだけ出て来る。
「――…あら、ダンスが始まりそうですわね。どうかしら、侯爵様。一曲、お相手願えます?」
「ええ、喜んで!」
何も知らないオスカルは、差し出されたマリアローザの手を取ってダンスフロアへと進んだ。
正面を向き合って組み、準備をする。それまで流れていた音楽が一旦止んで――…
新しい曲と共に、辺り一帯の人々が同じ方向へと一斉に回り始めた。あちこちで、開花するようにドレスのスカートがふわっと広がる。
ダンスタイムの始まりだ。
「……ダンス、お上手ですのね。」
「そうですか?貴女にお褒め頂けるとは、光栄だな。自慢になります。」
「嫌ですわ、侯爵様ったら……。おだてても、何も出なくてよ??」
「それを言うなら、マリアローザ様もではありませんか。」
ははは、ふふふと、和やかに二人は踊る。しかし、一曲の時間はそう長くない。
これが終わってしまえば、今日の……いや、直接接触出来る機会自体がもう二度と無いだろう。だから、これが最初で最後の時間である。なるべく早く、かつ自然に核心を突かなければ――。
マリアローザは早速動く。
「ところで……侯爵様は、今日こちらへは、お一人でいらしたのですか?」
「…えっ?――…ええ、そうです。夜会と言っても、メインは商談ですからね。私だけの方が、身軽でいいんですよ。」
今。一瞬、目が泳いだ。
「それより、マリアローザ様がこちらへいらしているとは驚きました!今日は、一体なぜ??」
ふむ。あからさまに話題を逸らされてしまった。
「わたくしは、ベルティーニ伯爵様のパートナーとして参りましたの。」
「ベルティーニ……??」
「あら、ごめんなさい。隣国テラキアーロの伯爵様ですわ。最近、懇意にしていますのよ。」
「……ぁあ!その方なら存じています。とても素晴らしい商会をお持ちの方ですよね。もしよろしければ、後で紹介して頂けませんか?」
「わたくしは構いませんけれど……まずは、伯爵様にお伺いしないと。」
「おお、そうでしたね。これは失礼。」
実際に会話をしてみた印象は、人当たりも良くなかなかの好青年。侯爵にも拘わらず、いい意味で腰が低くて礼儀正しい。これならば、事業の商談が上手く行くのも頷ける。思ったより、常識的な人間のようだ。
――…表向きは。
何せ娼館通いが趣味で、婚家に堂々と愛人を住まわせるようなイカレた男である。その上、テキト一にでっち上げた罪で、生家から妻を理不尽に追い出した。
更には……義両親を亡き者にした疑いまである、危険人物だ。
面の皮を一枚剥げば、その下にはとんでもない化け物が潜んでいる。
それがこの、オスカルだろう。
しかし、そんな化け物も完璧ではない。粗さが目立つ、不良品のようだ。
「――…そうでしたわ。ねえ、アントネッラ様はお元気?」
それまで笑顔だったオスカルの口元が、強張った。
「ええ。…元気ですよ。」
「それは良かったですわ!ご両親をいっぺんに亡くされたのです、お辛いだろうと胸を痛めておりましたの。」
「そうでしたか、ありがとうございます。そう伝えておきましょう。」
広がらない会話。味気ない返事……。急に社交下手になったかのよう。
よほど早くこの話題を終わらせたいらしい。
時間も無い事だし、これ以上踏み込むのはやめておこうとマリアローザは思った。
アントネッラや前侯爵夫妻の事にはなるべく触れたくない――。その事が分かっただけで、十分だ。
その頃ちょうど曲も終わり、二人は軽くお辞儀をして離れた。
「――お帰りなさいませ、旦那様。」
夜会が終わり、執事の開けたドアからオスカルは馬車へ乗り込んだ。馬車は間もなく走り出す。
外は当然真っ暗だ。そんな車窓を、彼は難しい顔で眺めている。
「……あの女……」
オスカルはぼそりと呟いた。それから、同乗している執事へ声を掛ける。
「おい!“マリアローザ・ディ・フォリエ”を探らせろ!!」
「は、はい??マリアローザとは……あのマリアローザ様の事でしょうか……?」
戸惑いながら、彼は主人に尋ねた。
「当たり前だろう!他に誰がいる!?」
「申し訳ございませんっ……」
執事は小さくなって、頭を下げた。
「……あの女、どうも臭うな。何か良くない予感がする。」
独り言のように、オスカルは言う。
……マリアローザとは、今までこういう集まりで顔を合わせた事が無い。以前会ったのだって、王宮での夜会だった。
最近懇意にしている、ベルティーニ伯爵のパートナーとして……。一見もっともらしいが、どこか引っ掛かる。嫌な胸騒ぎがするのだ。
それは商売人としての勘が、彼に何かを警告しているかのようだった。




