50.淑女の嗜み
孤児院の施設裏にある物干し場には、何本ものロープが張られている。そこへ、所狭しと掛けられた服やシーツなどが、ゆらゆらと風に揺れていた。
「マリアローザ様は、お洗濯までお上手だったのですねえ!」
空になった大きな洗濯籠を抱え、アントネッラが朗らかに言う。マリアローザは謙遜した。
「上手というほどでは……。こういう事も、王妃教育の一環として組み込まれていましたのよ。将来何が起こるか分からないから、どこへ慰問に行く事になっても恥を掻かないようにと。まあ、嗜みとしてですわね。」
……本当に。あの王家と来たら、完璧超人王妃でも作り上げようとしたかったのか、ありとあらゆる事を仕込んでくれたものである。その産物が元王太子の廃嫡という結果なのだから、笑い話にもなりやしない。
婚約者の完璧さにプライドを傷付けられた彼は、こちらが頑張れば頑張るほどに道を踏み外して行った……。
おっといけない、とマリアローザは我に返る。昔を回顧していたら、いつの間にか意識が彼方へ飛んでしまっていたようだ。
さて。
山盛りになっていた洗濯物たちも、すっかり片付いた。マリアローザは「ふう」と息を吐くと、額に滲んだ汗を手の甲で拭う。
「それにしても、凄い量ですわね。これを、毎日やっていらっしゃるの?」
「ええ。子供たち……特に小さな子は、すぐに服を汚してしまうみたいなのです。わたくしも知らなくて……。初めはとても戸惑いましたわ。」
ふふふ、と楽しそうにアントネッラは返す。……嫌そうな顔一つせず……。罰として放り込まれた割には、全く辛いと感じてはいないかのようだ。いや、たぶんそうなのだろう。案外、ここでの暮らしを気に入っているのかもしれない。
だからと言って、この状況。放っておいていいという事にはならない。明らかに、一人でこなせる仕事の量を超えている。少なくとも、労働環境の改善は必要だ。
「今日は、お洗濯がこんなに早く終わりましたから、子供たちと遊んであげる時間が取れそうです。マリアローザ様がいらしてくださったおかげですわ。」
「そうおっしゃって頂けたなら、幸いです。ボランティアとして伺った甲斐がありましたわ。キッチンでは、今頃わたくしの侍女が食事の用意をしています。そちらも安心なさって。」
「まあ!嬉しい!!」
他意なく、アントネッラは喜んだ。荒れた手に、着古したお仕着せ……。貴族としては見る影も無くなってしまったが、笑顔だけは昔と変わらない。
――そんな人の好さが、悪意ある者に付け込まれてしまった原因なのだろう。
『……全く。この方には、陰謀渦巻く貴族社会は、元々向いてらっしゃらなかったようね。』
マリアローザは、彼女を不憫そうに見詰めて微笑んだ。
もしくは……そんな純粋なアントネッラを愛し、全ての悪意から守ろうという心意気のある令息と出会っていたのなら、彼女の現在地は違っていたかもしれない。
が。そんなに都合のいい話なんて、そうそうあるものではなかった。
そんな時、アントネッラがふと神妙な顔をする。そして、寂しげに口を開いた。
「侯爵家にいた頃……わたくしも、こうして積極的にボランティアへ伺っていればよかったと、今更になって思うのです。そうすれば――…お洗濯もお料理も、今頃もっと上手に出来ていたのに、って。」
後悔しているという表情だ。他の誰でもなく、自分自身を責めるかのような――…。
少しの間を置き、マリアローザは答えた。
「――…ボランティアへ伺った先で、家事能力を上げようと考える貴族なんて、ほぼ存在しません。必要に駆られなければ、貴女はきっと、貴女のままだったはずですわ。」
その言葉に、彼女はきょとんとする。それから、ふっと笑った。
「……そうですね。わたくしったら、そんな事にも思い至りませんでした。だからきっと、駄目なのでしょうね。」
「貴族なんて皆、そのようなものですわ。――そんな事よりも!次はお掃除をしようかと思います。道具はどこかしら。場所を教えてくださる?」
「はい、もちろん!」
アントネッラは、早速案内を始めた。
……ここへは、これから何度も通う事になる。機会はいくらでもあるのだ。今、急いで彼女からあれこれと聞き出す必要は無い――…。
『と、いうわけで……』
マリアローザは、院長室へと掃除にやって来た。
「さあ、お掃除お掃除~~!」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、パタパタとはたきを掛けて行く。棚の上の方から始め、徐々に下へと向かって……。
ここに、アントネッラはいない。彼女は今頃、子供たちの相手をしているはずだ。以前その時間が無いと言っていたから、「こんな時くらいは」と促してやったのである。もちろん、感謝しながらそちらへ行っていた。
今自分はこの部屋で一人きり、楽しい楽しい『お掃除』のお時間だ。
「引き出しの中の埃も、払わなくっちゃ~。」
いちいち言葉に節を付けつつ、マリアローザは軽ーい調子で、躊躇なく院長の机の引き出しをガタンと開ける。
「あらあら嫌だ、院長ったら。鍵も掛けないなんて、不用心ですこと!――ま、覗かれても問題はないという事よねえ。」
お掃除なのだから、引き出しの中身もきちんと出して、一つ一つ丁寧に塵を払わなければ。これも、淑女としての嗜みである。
彼女は、しまってあった帳簿やら何やらの「中身」まで、じっくり念入りに調べ…じゃなかった。汚れがないかと、探して行く。
「――…あら、あらあら。まあまあまあ!」
マリアローザは、にやりと笑った。こんなところに、こんな大きな染みが。
「これはいけないわ……。院長先生、お掃除がとても苦手でいらっしゃるみたい。わたくしがしっかりと、綺麗にして差し上げなければねえ。」
穢れた物をこんなに雑にしまっておくなんて、いけない人だ。やるならもっと厳重に、隠しておかないと。
それにしても……。引き出しに施錠もされていないところを見ると、誰にも見付かるわけがないと高を括っていたのだろうか。この部屋にだって、ろくに鍵すら掛かっていなかった。全く、管理が甘くて掃除のし甲斐があるというものだ。
「…ふっふふふふ!このお部屋、はたけばもっと埃が出て来そうですわね?腕が鳴りますわ……!!」
もはや手に持っていたはたきなどは放り捨て、彼女は嬉々としながら院長室のあらゆる引き出しを検め出した。
やがて時間が来て、本日は一先ずここまでとする。また後日、掃除に伺い新たな汚れがないかをチェックしよう。
取り出した物は、ちゃんと元の場所に片付けて、証拠隠――ン゛ン゛。原状回復を図った。
その後は、きちんと他の場所の掃除などをしたり、子供たちとも触れ合ったり。皆で食卓も囲み、なかなか有意義な時を過ごした。
「マリさまー。またあそんでくれる??」
小さな子供には、“マリアローザ”は長過ぎるらしい。
「ええ、もちろん。近い内に、また来ますわね。」
「やったあ!ぜったいだよ!!」
――ボランティア一回目、終了。
その日の夜、屋敷へ帰ったマリアローザは、別行動をしていた執事からの報告を受けた。
「えーと、次の日中の外出予測日はぁ……あ、三日後ですね~。」
ペラペラと手帳をめくりながら、リノは言う。彼が確認しているスケジュールは、マリアローザのものではない。今まさに調査をしている、孤児院院長のものである。
少しの間その行動調査をした結果、早くも彼女のパターンが分かって来たようだ。
「そう。では、次にボランティアへ伺うのは、三日後にします。」
「連絡は、今回もナシで?」
「当然よ!待ち構えていて、寄付金の催促でもされたら堪りませんわ。」
「確かに~!」
けらけらと執事は笑う。
「今日なんて、また例の宝飾店へ行っていたんですけどね?しばらくすると、冴えない顔して出て来たんですよー!気になって後でオーナーに伺ってみたところ、どうも予算オーバーだったらしいです。」
「あら、そうなの。」
「で、仕方なく他の宝飾店へ向かったものの……同じ顔をしていましたから、同じ結果だったんでしょうね~。」
「それはお気の毒に。」
マリアローザはやけにあっさりと、優雅にお茶の香りを楽しんでいる。せっかくの最新情報なのに、あまり興味がないのだろうか?
「そういえば……。オーナーへ届けた手紙には、何て書いてあったんですか??」
ふと思い出し、リノは尋ねた。先日、急ぎで届けた、あの手紙……。内容の方は知らされていない。
「うん?――そうねえ、“院長先生には、出来る限り良い物をご提案して差し上げて頂戴”、と書きましたのよ。」
「……え?“良い物”……⁇」
何で?という顔で、彼は首を捻る。
「ええ、そう。彼女が思わず、喉から手が出そうになってしまうほど魅力的な、宝飾品をとね。」
「……そんな事をして、何の意味があるんですかぁ??」
「あのね、リノ。一度良い物に触れてしまうと、それが頭から離れず妥協出来なくなってしまう人間というのが、この世には一定数いますのよ。最高級の宝飾品を見せられたら、それ以下の物は見劣りし、買う気が失せてしまうような方がね。だから――…」
お茶のカップを置いたマリアローザは、二ッと笑った。
「院長程度には到底手が出せないような代物ばかりを、提案して頂いたの。……思った通り。何も買わずに、すごすごとお帰りになったようね!」
「それって営業妨害じゃないですか⁇よくオーナーが協力してくれましたね!?」
リノは食い気味に返す。
とどのつまり、院長に贅沢品を買わせないようにしよう、という事なのだろう。これ以上、孤児院の金を散財させるわけには行かないから。
横領した金でそういう物を買おうだなんて、確かに言語道断ではあるが……。店の方には、自由に物を売る権利はあるはずなのに。
「追い出せだとか、売るなとは言っていませんわ。」
「買えない物を提案させるなら、同じ事じゃないですかー!!」
すると、マリアローザは真顔で言った。
「……彼女が持っているのは、あまりいいお金ではない。――と聞いたら、オーナーも院長との取り引きには、後ろ向きになったというだけの事。彼のところには、上質な顧客が沢山いますからね。店の名に泥を塗るリスクがあるなら、下げたいものでしょう。」
――…そう、あの院長は穢れている。今日見た資料だけでも、十分に黒かった。
この先、恐らく咎人となるだろう。手を切るなら、早い方がいい。それも、出来るだけ角の立たない方法で――。
その意図を理解したからこそ、宝飾店のオーナーは協力したのだ。
そんな、色々と脇の甘い院長だが……。こと金勘定においては、なかなか几帳面な人物のようである。
見付けた帳簿には、いつ誰がいくら寄付をしたのかが記されていて、その他の収入についても詳しく書かれていた。
何にいくら使ったのかという記録も細かく付けられていて、孤児院用と個人的なものとが一緒くたにされていたので、公私混同していたのは間違いない。
それこそ、賭博で作った赤字の事まで――…。
いつ作ったのか、返したのかがしっかりと書かれていた。もしかすると、あれは一種の日記のようなもの、だったのかもしれない。
そして、どうして少なくない借金を返す事が出来たのかも、それを見て分かった。
返済した日付の、少し前。とある人物から、かなりの大金が寄付されていたのだ。
帳簿の相場よりも、遥かに高い金額。具体的には、桁が一つ、違っていた。
その寄付をした人物。それは――
“オスカル・デ・プレスティア”。
現・プレスティア侯爵。アントネッラの、元夫である。




