46.捨てられた侯爵夫人
マリアローザは、混乱した頭を静めるように深呼吸をする。……吸って、吐いて、吸って……。
――よし。
一旦、話を整理しよう。
今日はここ、王都近郊にある孤児院へと、寄附を目的とした視察にやって来た。
事前連絡は無し。本来それは不作法な事だが、今回はあえてそうしている。理由は一つ。その施設の、普段の姿が見たかったからだ。
もし馬鹿正直に「寄付をしたいので見学に行きます〜」などと伝えていたら、どうなるか?
いつもは汚れた廊下も、その日だけは、隅々までもがピカピカに磨き上げられる事だろう。毎日ヨレヨレの服しか着られない子供たちも、その時だけは、まともな服が与えられるかもしれない。
そして不自然な笑顔を貼り付けさせ、「ここでの生活は楽しいです!」などと、心にも無い台詞を仕込んだりして……。
それらは一見、貴族を迎えるためのおもてなし――のように思えるが、実際のところは違う。大人たちが自分の利のため、体裁を繕っただけに過ぎない事だ。
『嘘で塗り固められた、虚構の城』。
仮面を準備させる時間を与えては、そこで実際に何が起こっているのかを窺い知る事は出来ない。そんなものを見せられても、価値など無いのだ。
もちろん、そういう不当な施設ばかりだと言っているわけではない。その多くは真っ当に運営されているだろう(と思いたい)。問題の無い施設と分かれば、次からはそんな無礼を働くつもりなど毛頭無かった。
けれど、まだ何一つ信頼関係が無い以上は、慎重に。まず疑って掛かる、というのは当然の事ではないか。
何せこちらは、大金を出そうとしているところなのだから……。
――で。
結果、ここへの寄付は見送りに――と決めた矢先の事。この孤児院内で、見知った間柄で同年代の侯爵夫人、アントネッラと再会したのである。
彼女とは、特に親しい関係にあるわけではなかった。しかし同じ侯爵令嬢として、交流があったのだ。
そんなアントネッラは言った。
「夫に離縁され、侯爵家を追い出されてしまいました!てへっ。」
いや、違う。そこまで軽い答え方はしていなかった。……自分のところの執事じゃあるまいし……。
まだ少し頭が混乱しているのか、記憶に改竄が見られるようだ。確か――…彼女は困ったような笑みを浮かべ、ああいう趣旨の事を言っていた。
『――って……、だから、なんでっ!?』
マリアローザは一人、頭の中でそう叫んだ。
おかしい……どう考えたって、何かおかしな事になっている。
彼女は無言で、さっき自分が座っていたソファの後ろに立つ執事のリノを、横目でギッと睨み付けた。『この状況を知っていて、わざとここを選んだのか?』と……。彼は青ざめながら、ブンブンと横に首を振る。『誤解です!』と――。
それはさておき。
嫌な予感を覚えつつ、マリアローザは次に目の前の人物をちらりと見やった。件のアントネッラは、きょとんとしながらこちらを見ている。まるで、大した事など何も起きていないかのような顔をして……。
……そうだ。この人は、こういう人だった……。と、彼女は思い出す。
「……え……ええと……そうね、アントネッラ様。久方振りの再会ですから、お話ししたい事が山のようにありますわ。」
そう、聞かなければならない事は、山のように……。
とりあえずは座りましょうかと、マリアローザはアントネッラに声を掛ける。そして、応接セットの方へと彼女を導いた。
……なぜ、客である自分が案内役をしているのだろう……。ふとそんな考えが頭をよぎったが、そんな事は今どうでもいい。
主が出掛けてしまった、この院長室。ローテーブルを挟んだ向こう側に、アントネッラが腰を下ろす。そして自分も再び席に着くと、マリアローザは軽く目を閉じ、一つ息を吐いた。
それから、改めて目蓋を開く。
「――お元気でいらっしゃいまして?最後にお会いしたのは、いつの事でしたかしら……」
「ええ、おかげさまで。体の方だけは……。マリアローザ様も、お元気そうで何よりですわ。」
笑顔を張り付けていたマリアローザの耳が、ピクリと動く。……途中、不穏な言い回しが聞こえたような……。
「以前お会いしたのは……そうですわねえ、もう、一年以上も前の事になると思います。」
それを聞いたマリアローザはハッとして、『しまった』と思った。この一年といえば……アントネッラには非常に辛い出来事が起き、激動の時間を過ごしていたはずだったからだ。
「……ごめんなさい。わたくし、無神経な事を……。」
「いいえ!あれから時間も経ちましたから、もう立ち直りましたわ。……不幸な事故だったのです。両親は、そういう運命だったのでしょう。」
――…今から一年近く前の事。それこそ、マリアローザがまだ元王太子の婚約者であった頃の事だ。
彼女……アントネッラの両親である、プレスティア侯爵夫妻が事故で亡くなった。
雨が降る日の事だった。馬車で山道を通っていたところ、ぬかるみに車輪を取られたらしく、運悪く崖下へ転落してしまったそうだ。
突然当主を失った、プレスティア侯爵家……。悲しみに暮れている暇もなく、急いで代替わりが行われる。そして一人娘の夫が新たな侯爵となり、次代の侯爵夫妻が誕生したのだった。
それからはまだ一年も経っておらず、今は喪に服している期間。そのためアントネッラは、新しく侯爵夫人となったにも拘わらず、パーティーなど華やかな社交の場への出席を控えていた。
だからマリアローザとも、しばらく会えていなかったのである。
……けれど……。
一連の件に関しては、首を捻るような事がいくつかあったのだ。
「そういえば……。ちょっと、よろしくて?――どうしてご両親の葬儀を、お身内だけで済まされてしまったの⁇侯爵ご夫妻なのだから、大々的になさるべきだったと思うのだけれど……。」
マリアローザは、単刀直入に尋ねた。
そう、おかしな事の一つは、プレスティア侯爵夫妻が亡くなった事を、社交界はしばらく知らなかったという事だ。
その事を知らされたのは、彼らの葬儀が終わった後の事。つまり身内以外、貴族は誰一人、葬儀には参列出来なかったという事である。
本当ならば、そこでアントネッラと会う事になっていただろうに……。
「ああ……それでしたら、簡素にするべきだと、夫が申しまして……。」
「ええっ、現侯爵様が⁇先代の式を、簡素にと??」
目を見開いて、マリアローザは聞き返す。亡くなったのは、『侯爵夫妻』だ。この国の、高位の貴族。場合によっては、国王が参列したっておかしくはないのに。
そんな先代を蔑ろにするだなんて……とてもではないが、信じられない。
「それが、その……。お恥ずかしながら、我が家の家計は、もう長く火の車状態でしたので……。体裁を気にして大枚をはたいた葬儀など、お父様たちも望んではいないだろうと諭されたのです。……確かにそうだな、と……。それで家を潰す事になっては、本末転倒ですものね。」
そうだ……。そうだった、とマリアローザは再び思い出した。
プレスティア侯爵家は、確かに「侯爵家」なのだが……今となってはもう名ばかりで、はっきり言って没落している。
さっき、喪に服しているから社交の場に出るのを控えていると言ったが、実はその前から彼女らはあまり社交界には顔を出していなかった。理由は明白。――金が無いからである。
『……王太子の婚約者時代に、資料を見た事があるけれど……。資産の状況は、惨憺たるものでしたわね……。』
先代侯爵――アントネッラの父は、何というかお人好しで……駆け引きなどが、てんで駄目だったようである。その前から財政状況はあまり芳しくなかったようなのだが、彼の代でかなり傾いてしまったのは間違いない。
『それを打開するべく行ったのが、一人娘の政略結婚――…。』
マリアローザは、アントネッラに目をやる。――彼女の夫、つまり婿に選ばれたのは、事業を次々と成功させ勢いのある伯爵家の、三男坊だった。
その話は伯爵家の方から持ち掛けられたそうなのだが、多額の持参金を提示された侯爵家には断る理由が無い。むしろこちらから頼みたかったくらいの、僥倖だっただろう。
そうして話はとんとん拍子に進み、あっという間に成婚となったのである。
『……その持参金のおかげで、多少はましな状況になったはず……。』
それからも質素な暮らしをしていたようだし、婿が来てからというもの、財政も立て直しつつあったと記憶している。……その婿も、かなりの倹約家という事なのだろうか?
葬儀だけでなく、新しい侯爵のお披露目もまだ行われていない。ただ、代替わりをしたという事実だけが、社交界に伝えられたのみだった。
喪に服す期間である事も相まって、それは整合性が取れた話なのだが……。どこかちぐはぐに感じるのは、なぜだろう。
「…あっ、ちょっと待って!」
そこでマリアローザはハッとする。
「アントネッラ様……り、離縁されたと、おっしゃいました、わよね……??」
とても言い難い事なので、たどたどしくなってしまう……。
すると、少しポカンとしていたアントネッラは、パチンと手を叩いて言った。
「……あ!そういえば、“夫”ではなくて、“元夫”でしたね‼」
「そこではなくてーー!!」
マリアローザは、間髪を入れずに突っ込みを入れた。
「どうして、離縁されたのかという事ですわ!」
「ああ、その事でしたのね。」
その事以外に何がある。同じ部屋の中にいて、置物のようにずっと黙ったままで聞いていたマリアローザの執事、リノは思った。
「実は……それがよく分からなくて。元夫が言うには、わたくしがカリンを苛めたからだとか、何とか……?」
「カ……“カリン”……とは????」
「元夫の愛人ですわ!」
「ゴフッ」
何も飲んでいないのに、マリアローザはむせた。
「う……わああっ!!マリアローザ様、すぐに何かお飲み物をお持ちいたしますっ!」
リノが慌てて、部屋を出て行こうとする。するとすかさずアントネッラが立ち上がった。
「それでしたら、わたくしが…」
「いいえっ!主人のご友人に、そのような事はさせられません!そこはこの執事に任せ、こちらでお待ちを!!」
やけにキリッと忠誠心を示しながら、彼は急いで扉へと走って行く。
……あの執事……さては、この空気に耐えられなくなって、逃げ出すためのいい口実にしたのだなとマリアローザは睨んだ。そして、それは正しかった。
この、不穏極まりないアントネッラの話に、リノは居たたまれなくなってしまったのである。とにかく一度、外の空気が吸いたい……。その絶好の機会を逃さんと、彼は動いた。
『……まあ、いいわ。二人きりの方が、アントネッラ様もお話ししやすいでしょうし……』
この院長室に残されたのは、二人だけ。
仕切り直しのように、マリアローザは一つ咳払いをした。
「――…離縁については、一万歩譲って、よしとしましょう。ですが――侯爵家を追い出されたというのは、どういう事ですの??」
この話で最もおかしなところへと、切り込んで行く。
アントネッラは答えた。
「彼が、侯爵としてそう命じたからです。“そんな事をする女は、侯爵家に相応しくない”と言って……」
自分で言いながら、彼女はその内容にピンと来ていない様子。……恐らくはだが、「そんな事」が身に覚えの無い事ばかりだったからなのだろう。
「それはおかしいわ!!だって、侯爵家の血を継いでいるのは、貴女の方ですのに!出て行くべきは、彼の方でしょう??」
思わず、マリアローザは声を荒らげた。
「そう、なのですが……。彼は今や、正式な侯爵ですもの。侯爵の決定には、誰も逆らえませんわ。」
……それもまた、確かに真理ではある。
「離縁を言い渡されてから、流れるように色々な事が決まりまして……。元の夫曰わく、“お前にはここで一生奉仕するのが似合いだ”と……。気付くと、この孤児院に来ていましたわ。」
そう言うと、アントネッラは気まずそうに笑った。
……なるほど。他国ならば修道院にでも放り込むところを、この孤児院へ……。それで彼女はこんな所にいたのだ。
薄っすらと見えて来た気がする。マリアローザは、そう思った。
この話、やはりきな臭い。




