45.乗っ取りは、計画的に
「まあ……。今日も、いいお天気――」
青い空を見上げ、洗い立ての洗濯物の山を抱えた『彼女』は独り言ちた。
さて、早くこの籠の中の物を干してしまわなければ。その後は……掃除に炊事、子供たちの世話と大忙しだ。今日の仕事は、まだまだ始まったばかり。
「アン!まだ終わらないのかいっ!?」
建物の中から、中年の女の嫌味な怒声が響いた。『彼女』……もとい“アン”は、慌てて返事をする。
「あっ、はぁい!すぐに終わらせますわ。」
「全く……。本当に使えない娘だね!これだから嫌だったんだよ……」
頭を掻きながらぶつくさと呟いて、女は奥の方へと消えて行った。
ああ、また怒られてしまった、とアンは肩を落とす。自分は本当に役立たずなのだな、と……。
しかし、落ち込んでいても仕方がない。彼女は気持ちを切り替えると、湿った洗濯物を一つ、その手に取ったのだった。
「――それで。ここが、そうなのね?」
とある建物の前に、馬車が止まった。中から出て来たのは、一人の優雅な女性。一見して貴族と分かる。
彼女が従者らしき人物に尋ねると、彼は明るく快活に答えた。
「ハイ!何でも、他の貴族とも縁があるー、とかで?まぁ、王都近郊ですしねぇ。治安も悪くないので、手始めとしては適当な施設かな~と。」
……内容が軽い。彼女はハアと溜息を吐き、片手で顔を覆った。
「貴方ねえ……。別の意味で、適当に選んだように聞こえるのだけれど⁇」
「えー?イヤだな~。ちゃーんと調べましたってー。」
「本当に??――あと、大体の“孤児院”は、貴族との交流があるものでしょう。資金援助の関係だとか……色々とね。」
「まーまー、そこは実績があるから大丈夫って意味なので!……というか、まさにそれじゃないですかー。マリアローザ様の目的も!」
――…そんなわけで。
最近再び大金を手にする事となった、傷物令嬢のマリアローザ。彼女はその一部を寄附しようと、本日この孤児院を訪れたのだった。
「リノ。頼みますから、ここから先は執事らしく!真面目に振舞って頂戴ね。」
「えー、それっていつもは執事らしくないって事ですかー??心外だなぁ。私はいつでも真剣なのに。」
「お黙り。――行きますわよ。」
執事を従え、マリアローザは歩き出す。いざ、初めて訪れる孤児院の中へ……。
リノが開けた、背の低い柵状の門。そこから敷地の中へと入ってすぐ、たまたま外に出て来たらしい中年の女を見付けた。
……ふむ。なかなか良い物を身に着けている……という事は、恐らく彼女がここの院長。もしくは、その妻辺りだろうか。余所行きの格好にバッグなんかも持って、どうやらちょうど出掛けるところだったらしい。
「――失礼。」
マリアローザはにこりと笑って声を掛ける。“暫定院長”は、戸惑ったような顔をした。
「ええと……?どちら様で……」
困惑するのも無理はない。何せ、突然訪れたのだから……。
しかし、ぞんざいな扱いをして来ないところをみるに、こちらが貴族である事は悟っているようだ。
「ご連絡もなく参りました事、お詫び申し上げますわ。わたくし、こちらへの寄付を検討している者ですけれど……日を改めた方がよろしいかしら?」
すると暫定院長は、「えっ」と小さく呟いた後、一瞬その目をキョロキョロと動かす。何か、損得勘定でもするかのような……。
それから、すぐに笑顔になった。
「…いいえ、とんでもない!せっかくいらしてくださったお客様ですもの、無下にお帰しするなんていたしませんわ‼」
「けれど……、今からお出掛けだったのでしょう?無理を通しては申し訳ないわ。わたくしでしたら、出直しても構いませんのよ。邪魔をしてしまったようで、ごめんなさいね。」
「そんな、滅相もない!!私めの用事なんて、どうせ大した事はありませんから‼少々遅らせたって問題ないんです!――さあさあ、是非とも中でお話を……。」
急いでドアまで戻った暫定院長は、ニコニコと笑いながらそこを開けてくれている。
突然押し掛けた客に、自分の予定の変更までしてくれるとは。……とても親切だ。
やれやれ。どうも、ただで帰れる雰囲気ではなくなってしまったらしい。
「……それじゃあ……、お言葉に甘えさせて頂こうかしら。」
マリアローザは執事と共に、施設の中へと入って行ったのだった。
――…ほう。さほど新しい建物でもないようだが、内部はそれなりに綺麗だ。少なくとも、この廊下はきちんと補修されている。
目だけで周りをぐるりと眺めながら、マリアローザは暫定院長の案内する先へ付いて行く。
「ああっ、そうでしたわ!私はここの院長をしております、ボナと申します。どうぞ、お見知りおきを。」
歩きながら、彼女は上機嫌で自己紹介をする。おめでとう。君は今、正式な“院長”に格上げされた。――…と、マリアローザは笑顔の裏で思っていた。
「――あら、院長。こちらのお部屋は……」
進む廊下の途中には、いくつかの扉がある。それを素通りしたボナに、彼女は後ろから声を掛けた。
「ああ、そこは別の部屋です。院長室はこの先ですわ。……何分、入り口からは遠いもので。申し訳ない気持ちで一杯なんです!お客様方には、いつもご不便をお掛けしてしまって……」
「……お気になさらないで。」
妙にずれた答え。マリアローザは、妙な間を置いて笑顔で返す。だが向こうは、それを特に気にしてはいないようだった。
……そうか、彼女はすぐさま院長室に連れて行くつもりだったのか……。こちらとしては、内部を色々と案内して貰うつもりだったのだが。まあ、いい。
その後も、いくつもの部屋を素通りして先へと進んだ。
そんな時である。
「キャハハ!!」
不意に、子供のはしゃぐ声が聞こえて来た。その後すぐ、扉の開いていた部屋から何かが突進して来る。そしてドン!と、マリアローザの下半身辺りにぶつかった。
「っ‼」
「マリアローザ様!!」
突然の事で、彼女はぐらりと体勢を崩す。倒れそうになったところを、後ろにいたリノが受け止めた。それと同時に、ドシンと別の音がする。
見ると、マリアローザの腰くらいの身長しかない子供が、尻餅をついていたのだった。
「いてて……」
「――〰〰!?」
青ざめたのは、院長であるボナだ。彼女は金切り声を上げた。
「お前…ッ、高貴なお客様になんて事を!!ほら謝りな‼すぐに立つんだよ!!」
まだ年端も行かぬ幼子なのに、容赦なく責め立てる。その上、乱暴に腕まで掴もうとするものだから、さすがにマリアローザはその間へ割って入った。
「院長!もうやめて頂戴。」
「ですが……」
「いいの、結構よ。ぼんやりとしていたわたくしも、悪かったのだから。」
それから、その子供と目線を合わせる。
「怪我は?」
ふるふると、首を振る子供。どこか泣きそうな、神妙な面持ちだ。
「そう、良かった。けれど、前を見ずに飛び出しては危ないわ。これからは気を付けなさいね。」
「……はい。」
その子はこくりと頷くと、マリアローザたちを避けるようにして、パタパタと駆けて行った。
「本当に、どうお詫びしていいものか……。こちらが至らなかったばかりに、誠に申し訳ございません‼後でもう一度、躾けをし直しておきますわ!」
「それは必要ではあるけれど、ほどほどになさって。まだ幼い子供ですもの。あのくらい元気のある方が、健全でしてよ。」
「……まあ、なんて寛大な……!素晴らしいお心遣いに、感謝いたします。」
そんな風に、途中少々のアクシデントがあったものの、それから間もなく一行は院長室へと着いた。
そしてそこで、ボナからたっぷりと寄付についての説明を受けたのだった。
「――といったところでしょうか!」
「え……ええ、とてもよく分かりましたわ。ありがとう。」
鼻息荒く、頬を紅潮させて意気込む院長を前に、マリアローザはぐったりとしながら返事をする。……しまった。適当に切り上げようと思っていたのに、意外と押しが強い。おかげで疲れた。
「一度持ち帰って、検討しますわね。本日は、ここを実際に見てみたくて伺ったものですから。」
「……そう、ですよねえ!ですが、寄附を頂ければ子供たちも喜びます。ぜひお待ちしておりますわ‼」
応接セットのテーブル越しに、彼女はマリアローザの両手を取って、短く上下にブンブンと振った。……社交界では、滅多にお目に掛かれない所作である。
それから院長は、時計を見てハッとした。
「あらまあ、こんな時間!……すみません、この後少々予定がありまして……」
「ああ、そうでしたわよね。こちらこそ長居して、申し訳なかったわ。」
「いいえ、そんな事!――あっ!よろしければ、どうぞ中を見て行ってくださいな。すぐに代わりの者を寄こしますから!」
そう言って立ち上がると、彼女は院長室の扉を開ける。
「えっ⁉いえ、わたくしもお暇させて――」
「遠慮なさらずに!こちらでお待ちください、すぐに呼んで参りますわ。それでは、私はここで失礼を……。」
マリアローザの話も聞かず、院長はいそいそと行ってしまった。
その部屋の中には、マリアローザとリノだけが残された。
「――…リノ。不合格。やり直し。」
「エッ!?何ですか、急に……」
執事が慌てて主を見ると、笑った彼女は怖い顔をしている。それからハアと溜息を吐いた。
「なんでも何もないでしょう。ここは駄目ね。」
「駄目って……あの、子供にきつく当たっていた事ですか⁇……正直、貴族を相手にすれば、あの反応も無くはないと思いますけど……」
「それだけではないわ。彼女の格好と言動……そのどちらからも、孤児院の院長としての資質を感じなかった。」
子供と接するには、華美過ぎる服。余所行きである事を差し引いても、この施設にはそぐわない。端的に言えば、彼女自身に金を掛け過ぎていたのだ。
「――それと対称的だったのが、さっきの子供の服。普段着にしても、着古されていたわね。」
良い服は、貴族のところへ金策に行くため……という可能性も無くはないが、ならば急な来客に構っている場合ではなかっただろう。もしくは、目の前に転がり込んで来た金脈を逃さんと、もっと必死になってもよかったではないか。……なのになぜ、彼女は道半ばで出掛ける事を選んだ??
予定も自由に変更出来る……。何か約束があったなら、そうは行かない。それが子供たちのためであるなら尚更だ。
「……つまり……あれは個人的な外出、って……事ですか??」
「恐らくそうでしょうね。」
そしてそれは、ろくな用事ではないのだろう。格好を見れば分かる。
「貴族との繋がりがあって、寄附金集めには意欲的……。施設に多少金を使っているようなのは、そのためかしら。良い印象を与えるには、まず見栄えが良くなくてはね。」
子供たちのため、と思えないのは、やはりあの時の子供への態度だ。あれは愛とは言えなかった。
「結論を言うと……あの院長、ここの資金を着服しているのではないかしら。そのために出してやる金なんて、わたくし持ち合わせていませんわ。」
……何たる偏見……と言いたいところだが、どうにも信憑性が高いように感じてしまう。いや、実際それが真実なのだろう、とリノは思った。
「……でもでも!ここに寄附されないというのは、いいとして……。子供たちの事はどうするんです⁇それが本当なら、見捨てちゃ不味いんじゃ……」
「それは分かっているわ。だから今度、王宮へ相談にでも…」
そこで、この部屋の扉が「コンコンコン」と叩かれた。マリアローザとリノは、思わず口をつぐむ。
「――失礼いたします。」
院長が戻って来たのでは⁉と、二人は一瞬身構えたのだが……聞こえたのは、とても品の良い女性の声だった。しかも、若い。
そういえば、代わりの者を呼ぶと言っていたから、その人物が来たのだろう。「どうぞ」と返事をするとすぐに扉は開き、声と同じく品の良い、若く美しい女が入って来た。
……そう、品の良い……
「――…まあ!アントネッラ様ではありませんの!?」
マリアローザは驚いて、応接セットのソファから立ち上がった。
「あら……!貴女はもしかして、マリアローザ様??お久し振りですわ。」
……どうやら、二人は知り合い……??
リノには何が何だか分からず、彼女らを交互に見た。その間に、主人は「アントネッラ」の側へ行っている。
「こんな所でお会いするなんて、何て偶然!もしやアントネッラ様は、こちらで奉仕活動を⁇お仕着せまでお召しになって、本格的ですわね‼」
「あ、いえ、これは、その……」
マリアローザは珍しくキャッキャとはしゃいでいるが、それとは反対に、アントネッラは何だか口籠もっている……。
「あ……あの~う……?」
遠慮がちに、リノは口を挟んだ。
「マリアローザ様、ところでこちらの方は……??」
彼はおずおずと尋ねる。すると主人の顔が強張った。
「貴方……わたくしの執事ともあろう者が、頭に入れていなかったの⁇呆れた……。」
彼女は頭を押さえ、やれやれと溜め息を吐く。それから再度、口を開いた。
「こちらはプレスティア侯爵家の一人娘、アントネッラ様よ。現在はご結婚されて、侯爵夫人でいらっしゃいますわ。」
ババーン!とマリアローザは紹介したが、なぜかアントネッラは気まずそうにする。そして、苦笑いをしながら言った。
「あー……、それが、そのう……。もう違うのです。」
マリアローザは、目をパチクリと瞬かせる。
「…………う、うん??」
もう違う……とは??
マリアローザは、何か嫌な予感がした。
「あのう……わたくし、お恥ずかしながら……侯爵家を、追い出されてしまいましてぇ……」
…………ン??と、マリアローザは思う。
ちょっと、何を言ってるのか分からないのだが……。
「実は、夫に離縁されまして。今はこちらで、ご厄介になっているのです。」
てへ、と笑ってアントネッラは言った。……いや、「てへ」じゃない。
「…え、ちょ、離え…エ⁇――どういう事ですのっ!?」
マリアローザは動転した。
今日は単に、寄附をしようとしている孤児院を視察に来ただけだったのに……。院長には運営資金の着服疑惑があったし、何でこうなった??
あまりにも急激な展開に、彼女の頭ですら追い付いていないようだった。




