44.その後について
あのパーティーからは、少しの時間が経つ。
「――それにしても、凄いではありませんか。巷でも非常に注目されているようですね、例の事業は。どこへ行っても、その話題で持ち切りですよ。」
この日マリアローザの屋敷には、とある客人がふらりと訪れていた。
「ええ、そのようですわね。隣の国からいらした貴方がご存知なくらいですもの。ねえ?ベルティーニ伯爵様。」
応接室でローテーブルを挟み、向かい合った相手に彼女はそう返す。そこに置かれたお茶の湯気が、ゆらりと揺れた。
「ベルティーニ伯爵」ことフィオレンツォは、隣国・テラキアーロ王国の伯爵である。ここ最近、何かと力になってくれている“協力者”だ。
「今日はまた、素っ気ないですね。今回の件でも、ずいぶんと貴女のお役に立てたと思っているのですが。」
「それについては、大変感謝しております。お好きな額をおっしゃって頂ければ、この場でお礼を差し上げますけれど。」
「そんな無粋な真似はしませんよ。こちらの好意でしている事ですから。」
そう言って、彼はにこにこと微笑んでいる。
……『好意でしている事』……。よく言うわ、とマリアローザは思った。タダより高いものは無い――。その言葉が、この男にはよく似合う。
それなのに、頼る先となってしまっている現状が痛い。他の伝手を、新たに開拓するべきか。……いや。このフィオレンツォの顔の広さは、驚異的ですらある。その上、口も堅いようだ。縁を切るには惜しい人物である事もまた、確かなのだった。
「それで?あちらの方は、その後どうなっていますの??」
「修道院の事ですね。今日はその報告でもと思い、お邪魔させて頂きました。」
「テラキアーロに、先触れという文化はございませんのかしら。」
「すみません。どうしても今日、伺いたくて。」
どう突いても、その笑顔の仮面は崩れない。まあいいだろう。これ以上やっていると、日が暮れる。今日はあまり、彼に構ってはいられないのだ。
さっさと本題へ入って貰うとしよう。
「つい先日、様子を見に行って来ましたよ。“ダミアーノ”様は、それはもう生き生きと日々のお勤めに励まれているようです。あれだけ熱心な修道士はなかなかいないと、院長様も喜んでおられました。」
「それは何よりですわ。」
真実の愛を求めた、元公爵令息・ダミアーノ。どうやら彼は、ようやく相思相愛の相手と巡り合えたようだ。思った通り。修道院へ送るのがいいという見立ては、やはり正しかった。
「それで、ですね……」
なぜかフィオレンツォは、声を潜める。ここには気にするような他人などいないというにも拘らず、内緒話をするように身を乗り出し、その口元に手を添えて……
何だろうと思いつつもそれに付き合い、マリアローザは片方の耳を前にした。
「……ご実家のバルベリーニ公爵家からは、多額の寄付金があったみたいで。院長様は、非常に、喜んでおられました。」
「……あら、まあ……。それは、何よりですわ……」
結局、金か。厳格な修道院も、なかなか俗な事である。……まあ、金が無くては何も始まらないのも、この世の真理だが。
「――とはいえ、貴族の場合それなりの寄付金を入れる事は、暗黙の了解ですからね。特別な事ではありません。ダミアーノ様個人への評価は、それとは無関係のようですよ。本当に、いち修道士として素晴らしいと。このまま行けば、いずれは院長も夢ではないでしょうね。」
「それを聞いて安心しましたわ。異国出身の院長……そうなれば、大出世ではありませんか。」
これぞ完璧な、三方良しと言ったところか。そうでなくとも、還俗の可能性は限りなく低そうだから、もう誰も不安に思う事は無くなるだろう。
さて。気掛かりだったダミアーノの近況も分かった事だし、この客人にはそろそろお引き取り願おうか。
「――リノ!馬車の用意をして差し上げて。お客様がお帰りよ。」
パンパンと手を叩き、マリアローザは離れた場所で待機している執事へと声を掛けた。フィオレンツォはそれを聞き、少し慌てる。
「ええっ?私はまだ、帰るとは言っていませんよ??ここへ来てから、さほど時間も経ってはいませんし。」
「もう少しお喋りをとおっしゃるのなら、予めご連絡くださる?こう見えてわたくし、暇ではありませんのよ。」
「そう、つれない事をおっしゃらずに。もう少しだけ、居させてください。……お望み通り、厳格な修道院をご紹介したではありませんか。」
ウッと、マリアローザは言葉に詰まる。それを言われたら、あまり強くは出られない。これだから、タダより高いものは無いのだ。
「〰〰そう、おっしゃられても……。この後、本当に別のお客様がいらっしゃいますのよ。だから事前にご連絡をと…」
「ああ、それなら存じています。実は今日は、その方々にお会いしようと参りましたので。」
彼はけろりと、とんでもない事をのたまった。
「…………はい??」
――…令嬢が二人で新しく始めた、出版事業――。事前の宣伝が功を奏し、各小説の刊行前から、貴婦人を中心にして大きな話題となっていた。
そしていざ、出版が始まると……
とにかく売れた。飛ぶように売れた。びっくりするほど、売れた。
貴族平民に関係なく、目新しい物好きの女性たちは、次々に本を手に取って行く。どれも初めて聞く作家ばかりだったが、それが逆に受けたようだ。世の中に作家の数は少なく、いつも同じ人物の本ばかりが出版されていた。そのため、正直少し飽きが来ていた事もあったのかもしれない。
もちろん、出来や内容だって申し分は無かった。
元々人気のあったジャンルの作品を取り揃えていた上、今までに無かった『社交界の実話を基にした話』というのが、それこそ貴族平民に関係なく人々の興味を引いたのだ。
「――やはり、パーティーでお配りした見本の冊子が、功を奏したようですわ。」
「そうそう!どの話も途中までしか掲載していなかったので、出版前は“早く続きが読みたい‼”“いつ出るんだ!”という声を沢山頂いていて……。貴族の皆さんからの実話も、続々と寄せられているんですよ!」
目の前のソファに座る客人たちは、困ったようにしながらもきゃっきゃと楽しそうに話した。その客人とは、無論――
あの、ジョゼフィーヌとルチアナである。
「各本とも売り切れが相次いでいて、増刷が間に合わない状態なんです!!」
「ええ。今は何とか借りられる印刷所を増やして、対応しているところなのですが……。新しく造る工場は、もう少し規模を大きくした方が良さそうですわね。」
「あっ……それじゃあ、作家の方々には次の原稿を少し遅らせて貰った方がいいですか?既刊だけで手一杯ですもんね……」
「いいえ。そこは、予定通りに進めましょう。新刊を遅らせると、既にお持ちの方が興味を失くしてしまう恐れがありますわ。」
「なるほど……確かに!では、新刊の発売を優先にして――」
……最初はマリアローザに対し、近況報告をしていたはずなのに……。いつの間にか、二人で仕事の話を始めている。
「お忙しそうですわね。落ち着くまでは、こちらへ顔を出してくださらなくても良かったのに。」
すると彼女たちは、急いでマリアローザの方を向き直した。
「!いいえっ。私たち、まだご恩返しをしていませんでしたから!!」
「遅くなりまして、大変申し訳ありません。」
ルチアナとジョゼフィーヌはそう言うと、目の前にあるローテーブルへ、ドドン!と札束の山を置いた。
それを見て、マリアローザは戸惑う……。
「これは……少しばかり、多いのではなくて??」
……事業を始める前に渡した、倍はある……。
「いいえ?マリアローザ様、力をお貸しくださる時におっしゃっていたではありませんか。」
「お支払いする対価は、私たちの気持ち次第でいいって!」
……言った……か?と、マリアローザは記憶を手繰る。対価がいるという話は、確かにしたが……。
『……そう言えば、具体的な金額については、話していなかったわよね。』
彼女らに直接ではないが、以前、「時価」だと宣言した事はある。もしかすると、それを『心付け』と解釈したのかもしれない。うん、正しい理解だ。
あれは本当は、苦しい思いをしている人には重い負担をさせる事は無い、という意味だった。だから……。
札束の山が出て来るのは、想定外だ。
「これは、ほんの一部でして……」
「ほんの一部!?」
「ええ。事業を始める際、出資してくださったではありませんか。あれを正式に、投資として処理したのです。これから定期的に、配当をお支払いして参りますね。――これが、わたくしたちの“気持ち”ですわ。」
マリアローザは思わず無言になった。
彼女たちの事業は、恐らくこの先も順調に伸びて行く事だろう。いや、それどころではない。伸び続け、段々と大きな会社になって行く。そして遠い未来、国を飛び越え大陸屈指の大出版社にまでなるのだが――…。それはまた、別のお話である。
とにかくだ。
これから先、またもや巨額の収入が入って来る事になるらしい。もう十分に、財産を持っているにも拘らず……。
「それは凄い!富豪にますます磨きが掛かりそうですね、マリアローザ様。」
彼女は、バッと隣に座る人物の方を見た。
「ベルティーニ伯爵様!?」
フィオレンツォだ。彼はあれからずっとこの応接室にいて、共にジョゼフィーヌたちの出迎えまでしたのである。
「それは、わたくしががめついとでも、おっしゃりたいのかしら??」
無償で手伝いをしている人間が言うと、そういう意味に聞こえる……。
「いいえ、まさか!巨額との縁がおありで、実に羨ましい限りです。――時にジョゼフィーヌ女史、ルチアナ女史。テラキアーロでの販路について、今から私の商会と契約を結びませんか?もちろん、損はさせません。」
マリアローザへの返事もそこそこに、彼は早速「本題」である商談を開始した。
……そう、フィオレンツォが今日ここへ来た、本当の目的――。
それは、すでに隣国まで噂が届きつつある彼女たちの事業。その販売について、いち早く契約を結ぶためであったのだ。
「無償でお手伝いしたのです。これくらいの交渉の優先権は、得られて然るべきでしょう?」
……全く。一体どこから、ジョゼフィーヌたちが訪問するという情報を得たのだろう。油断ならない人物である。それに、無償と言いながらも、ちゃっかり儲け話に乗っているではないか。はした金を貰うより、よっぽど利益になるのでは??
彼らの商談を横目に、マリアローザは一人、目の前の札束と向き合った。
さて、これをどうするか……。
『やっぱり……慈善活動に使うべきよね。』
以前、思った事がある。平民たちには、もっと知識が必要だと……。それが無いため、詐欺師にもあっさりと騙されていた。
学校を作る?――は、個人ではさすがに無理がある。それに、勝手にそんな事を始めては、さすがの王室も黙ってはいないだろう。
「とりあえずは――…、寄付から始めましょうかしら。」
ならば次は、どこへ寄付をするかだ。
その先について、マリアローザはあれこれと考えを巡らせていた。




