43.終わり良ければ総て良し
つい数十分前までは、わいわいと賑やかだったパーティ会場が……
今ではすっかり静かになって、あちらこちらからヒソヒソと小さな声が漏れ聞こえて来る状態だ。
さて、大勢の観衆の前で婚約破棄の公開宣言をされてしまった、勘違い公爵令息・ダミアーノであったが――。
「――…ふ……はは。そうか。そういう事か!」
彼はなぜか笑みを浮かべている。……というか。「そういう事」とは、どういう事だ??
あまりいい予感がしない。
「ルチアナ!君はそうまでして、私の愛を確かめたいんだね!!」
その言葉に会場全体がギョッとして、聴衆の目は飛び出しそうなほど丸くなった。それと同時に、一瞬ザワッとする。――…彼が何を言っているのか、チョット ヨク ワカラナイ……。
「わざわざジョゼフィーヌに接近したのだって、こうして早く私に婚約破棄をして欲しかったからなんだろう⁇そんな事をしなくたって、近い内にちゃんとジョゼフィーヌとは縁を切るつもりでいたさ。もう少しだけ、待っていてくれれば良かったものを……。全く、せっかちな人だな、君は!」
フウ、やれやれ……。とでも言いたげな仕草をしてみせる、ダミアーノ。唖然とする聴衆は、最早ざわつく事すら出来なくなっている。
一方で固まっているルチアナの頭からは、サアーッと血の気が引いて行った。代わりに、全身に鳥肌が立って行く。
……やばい。これは、いよいよやばい。
すると向こうの方から、つかつかと近付いて来る一人の人物がいた。
「ああ、これは兄上、ちょうどいいところに!まあそういうわけで、ジョゼフィーヌもこう言っている事ですし?私たちの婚約は破…グホァッ‼」
話の途中で、ダミアーノの左頬に兄の鉄拳がめり込んだ。彼の体は宙に舞う。あんぐりと口を開けた聴衆たちの目には、その様がスローモーションのように映っていた。のだが――…。
実際それはもう物凄い勢いで、殴り飛ばされたダミアーノは、叩き付けられるようにして床へと落ちる。そしてピカピカに磨かれたそこを、ドシャーーッと音を立てながら滑って行った。
「……は……はうぃぅえ……??」
半分だけ体を起こし、左頬を押さえたダミアーノは目を白黒させている。ちなみに不明瞭な言葉は恐らく、「……あ……あにうえ……??」だったと推測される。歯の一、二本、折れたのかもしれない。
対してその兄であるアルベルトは、拳を握ったままうつむいて、わなわなと震えていた。
「…………お前という奴は……!」
そう言うと、彼はバッと顔を上げる。そしてクワッと目を見開き、叫んだ。
「ここまで愚かだとは、思いもしなかった!!」
床に尻をつけたままのダミアーノは、呆然と兄を見上げている。……何が起こっているのか分からない。誰かにここまで怒鳴られたのは、初めての事だった。
「さっきのジョゼフィーヌ嬢の話を聞いて、した解釈がそれなのか!?頭がおかしいぞ、お前は‼恥を晒すのもいい加減にしろ!!」
何ともストレートな罵倒だ。しかし、これくらい言わなければ、あのポジティブモンスターには伝わらないのかもしれない。
「し……しかし……」
「しかしもお菓子も無いッッ!!」
ブフッと、どこかで誰かの噴き出す声がした。――が、それはさておき。
「――…もういい。もう好きにしろ。だがな!この先、私とお前はもう兄でも弟でもない!!公爵家の名を使う事は、許さんからな!」
アルベルトは激しい剣幕でまくし立てた。それは、事実上の絶縁宣言である。しかもそれを言っているのが、次期公爵であるという事は――…。
今目の前で見せられたものの、説得力と破壊力。それが決定打となったようだ。堪忍袋の緒が切れた。これ以上は庇えないと判断したのだろう。
それから彼はジョゼフィーヌとルチアナの方を向き、二人に深く頭を下げた。
「ジョゼフィーヌ嬢。此度の事は、本当に申し訳なかった。この埋め合わせは必ずさせて頂こう。それと、ルチアナ嬢。こちらに誤解があったようだ。愚弟が迷惑を掛けた事、深くお詫び申し上げる。」
大勢の観衆がいる中で、公爵家の後継者が格下の令嬢たちに頭を下げる――。
これほどの屈辱が、あっただろうか。少なくとも、その威厳に傷を付けた事は間違いない。だが、あのモンスターの製造責任を負うならば、そのくらいの事は受け入れて然るべきである。
そしてその事が分かっているからこそ、アルベルトは台本には無かった行動を取ったのだろう。……彼は元々、単なる見届け人のはずだった。
「――…どうか、お顔をお上げくださいまし。アルベルト様。」
ジョゼフィーヌが、彼に声を掛ける。その言葉で、彼は姿勢を戻した。
「謝罪を受け入れます。埋め合わせとおっしゃるのなら、本来あったであろう我が家との関係を維持して頂ければ、それで結構ですわ。」
彼女の出した要求――それはつまり、『実家の扱いを、予定通り結婚した時と同じにしろ』という事らしい。今なら、どんな無理難題でも呑ませられそうなものなのに……。殊勝な事である。
しかし、これは元々政略結婚だったのだ。「政略」の部分に支障が無ければ、実際に結婚しようがしまいが同じという事なのだろう。ある意味、元の鞘に収まるようなものかもしれない。
ただ、アルベルトの方は戸惑っているようだ。
「……本当に、それだけでいいのか⁇もっとこう……責任を持って新しい輿入れ先を探して欲しい、とか……」
するとジョゼフィーヌは、首を横に振った。
「それについてはお断りいたします。わたくし、今回の件で懲りまして……別の事に邁進しようと考えておりますの。実は、ルチアナさんとお話しした際に、意気投合いたしまして。この度、二人で事業を立ち上げる事になったのです!」
――“事業”?――。令嬢が二人で??
それを聞いた周囲は戸惑い、ざわついた。……貴族令嬢が、結婚もせずに事業をしようだなど……前代未聞と言っても過言ではないからだ。
そしてアルベルトに至っては、愚弟の兄としての罪悪感に苛まれていた。
「い、いや、ジョゼフィーヌ嬢、早まらない方がいい‼事業を立ち上げて軌道に乗せるというのは、並大抵の事ではないんだよ⁉私が責任を持って、良い家を探すから……。大体、その事業というのは、一体何なんだ??」
彼がそう言うと、それまでずっとジョゼフィーヌにしがみ付くようにしていたルチアナが、ひょっと前へ躍り出た。
「――よくぞ聞いてくださいました!!」
さっきまでのしおらしさはどこへやら……。異常なほどに、その顔が生き生きと輝き出した。
そして満を持した彼女は、少々あざとく発表をする。
「実は私たち、新たに出版社を設立したのです!その名も……“LJ出版”っ!!」
その場がどよめいた。
……ルチアナの「L」とジョゼフィーヌの「J」をくっ付けて、『LJ出版』……。
最初にその名を聞いた時、マリアローザもそれは正直どうかと思ったのだが……彼女たちがそれでいいと言うなら、いいのだろう。まあ、何より分かりやすいし。
しかし、それを聞いたアルベルトは余計に戸惑っている。
「しゅ、出版社って……」
作ろうと思って、そう簡単に作れるものだろうか。それに、上手く行くイメージが湧いて来ない……。
するとそれを察したのか、今度はジョゼフィーヌの方が話し出す。
「わたくしたちの出版物は、対象を絞って始める予定です。――女性向けの小説。まずはこれを刊行して参りますわ。」
「女性向けの小説……?」
「ええ。ここ最近、貴族平民の身分に拘わらず非常に流行している事を、ご存知ではありませんか?そうですわね……先日あった聖女騒動も、それにあやかって起こされたものだとか。」
その話に、アルベルトは「ああ」と思い出す。あの事件、物語じみた胡散臭い話だと思っていたが、やっぱり小説からヒントを得ていたのか……と。
「聞けばこちらのルチアナさんは、そういったものに造詣が深いそうなのです。」
――…マリアローザが、初めてルチアナに会った時の印象。それはやはり、思った通りのものだった。
彼女は無類の小説好きである。特に女性向けの作品をこよなく愛し、その趣味関係の友人も多くいるそうだ。
「はいっ‼私、文才は無いんですが……見る目だけは確かです!これはと思った作品に、外れはありません!!」
そう言って、ルチアナは胸を張った。
何か事業を……と考えた時、これ以外には思い付かなかった。自分が面白い!と思った小説を売り出す……。それは趣味と実益を兼ねた、これ以上ない事業である。――ただし一つだけ、問題があった。
今、世に出ている作品のほとんどが、各出版社のお抱え作家によるものであるという事だ。しかも師弟制度があって、新しい作家は自ずと師匠の出版社から本を出す事になっていた。引き抜きはご法度――、いわゆる囲い込みである。
作家がいなければ本は作れない。新興出版社にとって、それは致命的な事だった。
「そこで‼私は小説仲間に目を付けました!――小説好きの中には、自ら書き始める者が出るんです。そして、普段からそれを読ませて貰っていたのですが……なかなか面白いものが多くて!これは行けると確信していますっ!!」
鼻息荒く、彼女は熱く主張する。だが、アルベルトは渋い顔をしていた。
「……しかしな……。それはつまり、無名の作家しかいないという事だろう?」
話題性が無い。そんなものを、一体誰が買うのか?――と、言いたいのだろう。
「ええ、おっしゃる意味は理解しております。ですから――」
ルチアナに代わり、口を開いたジョゼフィーヌが後方を振り向く。するとそこに数人の使用人たちが現れ、車輪の付いた台をガラガラと押してやって来た。この屋敷の、マリアローザの使用人たちである。
その台の上には、布が掛けられていた。
「本日はこちらに、見本をご用意いたしました!」
その言葉と共に、バサッと布が取り払われる。中から出て来たのは、小冊子の山。パーティー会場は、にわかに色めき立った。
「刊行を予定している作品は王道ラブロマンスに、ファンタジー小説!もちろん、どれにも素敵な殿方が山ほど出て来ますよ‼」
ルチアナの説明に、特に若い令嬢たちが興味を示す。流行りものなので、ここにも当然それを好んでいる女性たちが大勢いたのだ。
「それから、これは新しい試みなのですが……。社交界の実話を基にした、愛憎劇なども取り揃えております。」
ジョゼフィーヌの話に、今度は夫人たちが食い付いた。
「…まあ!それって、その……余所のお家の事情、とか……?」
「ええ、もちろん個人が特定されるようなものではありませんわ。あくまでも題材として、創作されたものですから。」
「あ、あら……まあ……!!」
扇子で口元を隠しながらも、夫人たちはその興奮が抑えられない。……実話を基にしている、だなんて……。興味本位の血が騒ぐではないか!!
基本的に、作家は平民である。出版社も、実際に運営しているのは平民。だからこれまでの小説に出て来た社交界は、実際のものとは少し違う事も多かった。――しかしだ。
どうやらこの出版社は、貴族のジョゼフィーヌとルチアナが先頭に立って仕事をしているらしい。……という事は、内容に彼女らの監修が入っているという事は間違いない。それが「実話を基に――」と謳っているという事は、つまり!!
「ね、ねえ、そちらの冊子……見本という事は、頂けるのかしら??」
うずうずとしながら、一人の夫人が尋ねる。
「ええ、もちろんですわ。そのために、本日ご用意いたしました。」
「でも見本ですから、途中までしか掲載していません。一冊には、いくつかの作品を載せています。試し読みをして気に入ったものがありましたら、今後出版される本編をぜひご購入くださいね!」
――出版社設立の表明と、宣伝――。これが、本日のパーティーの一番大きな目的だった。
「それなら、一冊頂こうかしら……」
「わたくしにも!」
「わたくしも欲しいわ‼」
会場内の婦女子たちが、二人のもとにワッと押し寄せる。
「一冊と言わず、二冊三冊どうぞ!」
「今日ここにいらっしゃらない方にも、ぜひお渡ししてくださいまし。」
「殿方の皆さんも!!お知り合いの女性に一冊いかがです??」
ジョゼフィーヌとルチアナの周りに、人々が殺到した。大盛況である。
「――…これで明日には、彼女たちの事業の話が社交界で話題になるでしょうね。」
その光景を見ていたアルベルトの側に、いつの間にかマリアローザが来ていた。
「……なるほど。これは全て、君の策略か。」
「まあ、策略だなんて人聞きの悪い。わたくしは、細かい演出をお手伝いしただけですわ。事業に関しては、全て彼女たちの発案です。」
婚約破棄の台本も、ルチアナの提案をもとにしたものだった。
彼女に文才は無かったが、数々の作品を読み漁って蓄えた着想力がある。そして、人を鼓舞するのが上手かった。その結果、短期間で多数の作家から作品を集める事が出来たのだった。
「そういえば……ジョゼフィーヌの実家は、新聞社を一つ持っていたな。」
「ええ。印刷関係は、そちらの伝手を頼ったそうです。いずれは自前の工場を作る予定だそうですわ。」
「抜かりはないという事か。」
元々流行りの分野だ。貴族たちの間で面白いと流行れば、いずれは平民たちも手に取るようになる。少なくとも、大失敗はしないはず――。
はじめは事業の話に懐疑的だったアルベルトも、納得した。
これでめでたしめでたし――…と行きたいところだが。
何か一つ、忘れてはいないだろうか。
そう、あの男。ダミアーノの事である。
人だかりから離れた場所に一人ポツンと残された彼は、さっきと同じまま、まだ床に座り込んでいる。
「…………なんで……。なんで??……だって、これは……真実の愛……。あ、愛は……全てにおいて、最も尊いものじゃないか…………」
どうやら、未だに現実を受け入れられない様子。茫然自失を絵に描いたような状態で、同じ事を何度もブツブツと呟いていた。
マリアローザは、今度はそこへやって来た。
「そうですわね。――そんなダミアーノ様に、ご紹介したい方がいらっしゃいますのよ。」
すると、虚ろな目のダミアーノがこちらを向く。
「……紹介したい人……?」
「ええ。その方は貴方の愛に応え、貴方だけを永遠に愛してくれるお方です。決して、裏切る事はございませんわ。」
ハッとして、彼の目が生き返った。
「な、何!?それは一体、どこにいる??」
ダミアーノは期待に胸を膨らませ、キョロキョロと辺りを見回す。そんな女性がいるのなら、まさに運命の相手ではないか!――そう思った。
そこへ、白い装束を身にまとった人物が現れる。彼の胸は更に高鳴った。
その人は、穏やかな笑みを湛えた――…
中年男性である。
「えっ…エッ!?!」
ダミアーノの目が、点になった。
「おお、こちらが例の??」
「ええそうです。わたくしの知る限り、最も強力な愛をお持ちの方ですわ。」
「それは素晴らしい!」
青くなった彼は、マリアローザと中年男とを交互に見る。ももももももしかして、自分を永遠に愛してくれるというのは、この……
「はじめまして。私は隣国テラキアーロの修道院から参りました、マルコと申します。」
「しゅ、修道院……??」
「左様で。この度は、こちらにとても見所のある若者がいると伺い、馳せ参じました。貴方もぜひ我々と共に、尊き神への愛に生きようではありませんか!」
マルコと名乗る隣国の修道士は、素晴らしい笑顔で勧誘を始めた。……一先ずこの男が自分の運命の相手ではないという事が分かり、ダミアーノはホッとする。
「い、いや、私は信心深くないので、遠慮する!」
「何をおっしゃる!貴方は、真実の愛に生きる方と聞いておりますよ。真実の愛とはすなわち、神の愛の事。神は常に我々の側におられ、見返りの無い愛を与えてくださるのです。」
「しかし、私は……」
この国に国教は無い。だが、隣のテラキアーロ王国にはそれがあった。そこでマリアローザは、彼を隣国随一の厳格な修道院に入れてはどうかと考えたのだ。
僻地にある女人禁制の、男子修道院――。これぞ聖なる檻。バルベリーニ公爵家としても異論は無い、申し分ない送り先であった。
……大方の予想通り、ダミアーノは煙たそうにしている。しかし、マルコは熱心に神の愛について説き続けた。
それから三十分後……
「――…なるほどっ!!ではこれまでの事は全て、神が私を愛するがゆえに与えた試練だったという事だな!?」
ダミアーノは目覚めた。完 全 に、目覚めた。
「ええそうです、その通り!ですから我々は、その愛に応えなければなりません。毎日祈りを捧げ、奉仕して日々を過ごすのです。そうやって、いずれは神の御許に招かれ……」
「永遠の愛が約束されるのだな!!」
「ええ、ええ、そうですとも!」
この短い時間で、彼はすっかり感化された。
思い込みの激しい性格……。ダミアーノの愛を受け入れられるのは、もう『神』しかいないだろう。そしてそれは、完全に嵌まったのだった。
「よし!そうと分かれば、こうしてはいられない‼すぐに屋敷へ帰って、荷造りをしなければ……。父上、母上、兄上!私はテラキアーロの修道院に参ります!真実の愛が、私を待っている〰〰!!」
キラキラと顔を輝かせ、ダミアーノはさっさとパーティー会場を後にした。……余談だが、彼は結局マリアローザを認識する事無く、帰って行ったのだった。全く、不遜な客である。
そうして翌日。ダミアーノはマルコと共に、意気揚々と隣国の修道院へ出発したそうな。それは実に晴れ晴れとした、清々しい旅立ちだったらしい。
――さて。
あれから数日。全てが終わった邸宅内は、元の静かさを取り戻している。パーティーが跡形無く片付けられただけでなく、ここに事務所を間借りしていたLJ出版社も、無事に正式な場所へと移って行った。
「何だか、急に寂しくなっちゃいましたね~。あっ!また、パーティーでも開きますー??」
執事のリノが、軽く言う。するとマリアローザは、だらしなくソファで寝転びながら答えた。
「冗談じゃありませんわ!しばらくこうする事が出来なくて、ソファが寂しがっていたのだもの。わたくしたちの仲を、邪魔しないで頂戴!」
ようやく戻って来た平穏。
心配事も消えた今、彼女は思う存分、愛する惰眠を貪った。




