1-8 全滅への挽歌 《下》
一瞬、彼の言葉が理解できず、身体が、思考が、呼吸が……文字通り、停止する。
日陰舘雅人の死は、望んだことだった。
自分という概念がこの世界で何よりも望み、叶えようとして出来なかったことでもあった。
泣いて喜ぶべきなのだろう。
声を挙げて興奮すべきなのだろう。
だって、それは何度考えてもやはり、望んだことだったのだから。
だが。
彼の言葉を聞いた時。自分の中に生まれたのは、そんな太陽のような明るい『幸福感』などではなかった。
まるで────深海に沈没してしまったかのような、重苦しい『喪失感』だった。
「……………………え……?」
「酷い話だよ。明示録に宿った魂を現世に縛り付けるなんてさ。だけど、もう心配は要らないよ。繋縁の正体は、僕らが見つける。君は絶対に、明示録へと還してあげるから。それこそが、君の望みなんだろう?」
まるで慰めるように、気遣うように。
男はこちらの頬に手を這わせ、優しげな手つきで撫で始めた。
ジンワリと暖かい肌の温かさが浸透し、冷え切った心を溶かしていく。
硬直した思考に熱が加わり、少しずつ自身の本音が頭角を表していく。
本来ならば身を委ねるべき、優しさと温もりなのだろう。
だが、これほど奇妙なことはない。
この優しさと温もりが────こんなにも、薄気味悪いモノに感じるだなんて。
「……気安く、触れないで……」
「ん?よく、聞こえなかったなぁ……今、何て言ったんだい?」
「……あなたなんかに、優しい言葉を掛けられると……虫酸が走る……そう、言っているのです……」
「……ふぅん」
男は、あくまでも微笑んでいた。
こちらの悔し紛れの嫌味も意に介していないかのように、表情を変えないまま、静かに頬から手を離していく。
それが、彼の眼前にまで動いた……次の瞬間。
────目の前の顔は、憤怒と狂気に満ちた面様に激変した。
あまりの変貌ぶりに声が漏れ出そうになるが、それより前に力任せに首を鷲掴みにされて、意識が吹き飛びかける。
「ぎッ……!!」
「オイ、ナメたことを言ってんじゃねぇぞ、てめぇ。二度と口が利けないように、この喉を握り潰してやろうか?あぁ?」
いつもならば、振り払うことは簡単だ。
しかし、この影に囚われている状態では、“身動き一つ取ることが出来ない”。
「……勝、負……まだ、終わって、なぃ……」
「……!」
「聞きたぃ、こと……ある……だか、ら……勝たなくちゃ、ならない、です……あの、人に……ッ」
だから、今は……ただ、呻くことしか叶わなかった。
“あの時”から自分の中で芽生えていた、たった一つの感情を。
「チッ、グチグチとうるせぇ〔英雄〕だな。そんなに黙らせて欲しいなら────もう一度、埃に埋もらせてやるよ」
「う、ぐッ……ぅ…………ぅ……っ」
男のもう片方の手が大きく開かれ、ゆっくりとこちらの顔面を覆っていく。
少しずつ視界が閉ざされていき、猛烈な眠気が襲い掛かってくると、まるで糸が切れたように全身の力が抜ける。
(……あ、ぁぁ……なん、で……眠、い……駄目、眠っちゃ……だ…………め……っ)
眠ったら最後、もう二度と戻ることは叶わない。
そんな予感が頭を過るのに、ある意味で心地良ささえ感じてしまう眠気は、自分の身体を眠りに閉ざそうとしていく。
視界から感覚へ、感覚から意識へ、着実に虚無の闇へと叩き落とされようとした。
しかし。
「ぷぅ」
「……ッ!」
何処からか聞こえてきた一つの微かな鳴き声が、唐突に脳神経を覚醒させる。
勢いよく目を見開き、眼球だけ動かして見定めた場所には────『一羽の兎』。
そして、その傍らには……。
相変わらずの何処か冷え切った表情を浮かべる少年が、頭を擦りながら瓦礫の上に堂々と腰掛けていた。
「────今、確かに聞いたぞ。お前、『埃』と言ったな?」
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
次に瞳を開いた時、そこはまだ死後の世界ではなかった。
背中から鋭利な剣で一突きにされ、心臓を貫かれたような感覚は、その時もハッキリと身体に染み付いていたと思う。
しかし、不可解なことに、改めて自分の身体を探っても……。
────刃物で斬り付けられたような跡は無かった上に、そもそも傷痕すら残っていなかった。
あの死すらも実感させられた出来事は、夢だったのだろうか。
だとしたら、あの『ディア』とかいう少女は一体……。
そこで事態の深刻さを思い出し、幾ら考えても答えの出ない疑問は脳の片隅に追ってから、ROSCを使って『展開操作』を発動。
これは、自分の周囲、一定範囲にある空間を離元空間に変化する機能だ。
それをアミューズメント施設とその周辺に展開することで……ノートを使う際に利用する下敷きのように、幾ら破壊活動が行われようとも、元の空間に影響を及ばせないようにさせた。
ただ、離元空間内部で使用する『自動操作』や『手動操作』と比べて、『展開操作』は使用者にかなり大きな負担が掛かる。
(あぁ……くっそぉ、頭が痛ぇ……ッ)
今も重く鋭い頭痛を懸命に堪えながら、無理矢理平然とした表情を浮かべている訳だが……もし、周りに誰も居なければ、頭を抱えてのたうち回っていただろう。
そんな自分の心情を知る由も無い、トアの目の前に立っていた男は、驚愕した顔つきでこちらを睨み付ける。
「君は……何故、生きている?確かに、胸を貫かれて死んだ筈じゃ……ッ」
「さぁ、何故なんだろうな。だが、今はそんなことはどうでも良い。今更尻尾巻いて逃げるなよ────『ヴーズダット』」
「……!?」
どうしてその名前を?
そう言いたげな表情で、ヨウ=イルアウマーがこちらを見上げていた。
別に難しい話ではないだろう。
最初からヴーズダットの存在を警戒していた中で、フィーネスの身柄を狙い、『埃』という言葉を使う人物が現れたら……誰でも、その人物の正体を疑う。
こいつこそが、明示録に潜み、異世界とフィーネスの消滅を目論む張本人────『埃』そのものである、と。
「……その名前を、気安く呼ばないで貰いたいものだけれどね」
「一つ、聞かせてもらおうか、埃。何故、異世界とそこで生きる人々の命を、無闇に消し去ろうとする?」
奴らの正体と目的は、何度も明示録を見直しても、最後まで明かされることはなかった。
いいや、むしろ『埃』という文字に触れること自体が皆無だったとも言えるだろう。
だが、奴等は間違いなく、各異世界の中に何らかの形で関わりを持っている筈だ。それは、一度目と二度目のフィーネス召喚時の経験からハッキリしていた。
面と向かって相対するのは初めてである為か、どうにも掴み所がない感覚は拭えないが……この千載一遇の機会を、みすみすと逃す訳にはいかない。
すると、埃は微笑を浮かべながら、小さく首を横に振っていた。
「何をそんな怖い顔をする必要がある?ならば、君に一つ尋ねようか。君は使い物にならなくなったペンを、いつまでも取っておくかい?新しい物に新調して、使えない物は捨てるだろう?」
「……その真意に関しては改めて問い質したい所ではあるが……まさか、今までもそんな簡単な感覚で、人の命を、世界の存在を、捨ててきたんじゃないだろうな?」
「明示録と離元空間を使って、フィーネスを現世に縛り付ける君に言われたくはないよ。それに、何?君が腹を立てたところで、どうなると言うわけ?」
「何だと……?」
まるで心を見透かされたかのような発言に、思わず眉をひそめる。
「気付いていないとでも思った?離元空間を《展開》した状態だと、同時に自分の身を守る壁は生み出すことは出来ない。そもそも、ROSCが無いとロクに戦うことすら出来ないただの人間が、僕らの領域に踏み込んでいること自体……不相応だと思わないのかい?」
「……!」
奴の言葉に、偽りは無い。
確かに、自分には不相応だ。
日陰舘一族の当主としても、明示録の所有者としても、ヴーズダットに相対する者としても……何もかもが不相応。
その真実は、例え自分をどんな人物に変えたとして、一生変えられない現実なのだ。
それを強調するかのように、ヴーズダットは唐突にトアの髪を鷲掴みにして、乱暴に振り始めた。
「あッ、ぐ……ッ!」
「ほら、戦えるもんなら戦ってみろよ、取り戻せるもんなら取り戻してみろよ、ほら、ほぉらぁ。口だけなら何とでも言えるよねぇ?心情なら幾らでも強がれるよねぇ?まっ、君みたいな妄想だけ達者な勘違い野郎が、行動で示せる訳がないだろうけどさぁ!?」
「……」
正直に言えば、返す言葉はない。
正論に次ぐ正論をぶつけられて、反論する余地は微塵にも残っていなかった。
目の前でトアが乱暴されているのに……散々に悪態を吐かれているのに……精々自分に出来ることと言えば、後はただ逆上して暴力に走ること……それだけだったのだから。
情けない。
情けなくて、自分が嫌になる。
そして、自分が嫌になって、自分を騙して、自分を押し殺した果てに────また、偽りで塗り固められた支配者の影が、顔を覗かせるのだ。
「……はぁ」
「……おい、なにさ、その溜め息は?」
「いや、仮にも世界を破壊することが出来るほどの存在が、果たしてどれだけ怪物なのかと構えてはいた。だけども、そんなありきたりの、つまらない言葉しか吐けない小物だとはな……正直呆れ果てたぞ、ヴーズダット」
その言葉が引き金となり、ヴーズダットの表情が一気に強張る。
明らかな不快感と敵対心を剥き出しにした彼は、口角をピクピクと痙攣させながら、無情な決断の火蓋を切った。
「…………だったらお望み通り、後悔させてやるよ……ヨウッ!!」
「……!」
名前を呼ばれたヨウは、まるで機械染みた迅速な反応速度で、手にした刀弓を引き絞る。
その標的は、拘束されて無防備状態のトアだ。
結論から言えば殺されることはないだろうが、フィーネスの一撃をマトモに受けてしまったら最後、その精神状態に強い損傷を受けるのは避けられまい。
だが、それを止める術は、自分には無い。
ならば、“託そう”────フィーネスと同等の力を発揮することが出来る、もう一人の常人離れへ。
「やれ────“リノリス”」
「────任せてよ、主様」
彼女は、即座に応えた。
瞬間、辺りに無数の紫電が迸り、矢を放とうとしたヨウに襲い掛かる。
それにいち早く反応した影が、ヨウの身体を覆い隠そうとするが……紫電は、その防御をいとも容易く貫き、ヨウの全身に凄まじい電撃を浴びさせた。
「ぐ、ぅっ!?」
影の拘束が緩んで、トアの身体が地面に崩れ落ちそうになるも……紫電は即座に彼女を拾い上げて、こちらの元に届けてくれる。
瞬く間に救出されたトアは、薄らと瞼を開いて“紫電の正体”を視界に捉えると、微かに驚きの声を漏らしていた。
「あな、た、は…………ッ……」
紫電の人物は微笑んでから、小さな声で、ごめんね、と呟く。
一方、途端に形勢逆転させられた埃は、明らかな動揺を浮かべて、〔英雄〕をも退ける力を発揮した紫電を睨み付けていた。
「『リノリス』……?馬鹿な……そんな奴、“知らない”ぞ……!?今の明示録に、そんな名前のフィーネスは載っていなかっただろうが……ッ!?」
当然だろう。
現時点で、彼女は明示録には載っていない。彼女の生きていた異世界は、埃の手で明示録から抹消させられた────自分が起こした、二度目の召喚の時に。
そう、これまで二度に渡って、奴等に苦渋を呑まされてきた。
目には目を、歯には歯を……。
今回は、こちらから奴等へと、今まで溜まるに溜まった『借り』を返す番だ。
「悪いが、これ以上お前の戯れに付き合うつもりはない」
「お、ぉ……ッ!?」
ヴーズダットへ向けて手をかざすと、彼は自身の胸を押さえて呻き声を上げ始めた。
奴の言った通り、『展開操作』と別の機能を併用するのは、ROSCの設定上でロックが掛かっている為、そもそも実行することは出来ない。
万が一、何らかの原因で二つの機能を同時に発動してしまうと、使用者に莫大な負担が掛かってしまい、命に危険が及んでしまうからだ。
しかし、一つだけ例外がある。
それは、使用者の心情や本音といった精神的部分を反映した、《心離》と呼ばれる、ROSCに設定されている唯一の攻撃手段だ。
その形状は使用者によって多種多様であり、『獣』や『植物』といった形を取って、相対する敵に相殺不可能の直接攻撃を加える。
(あぁ……痛い……頭、痛い……)
当然ながら、使用者に対する負担は大きいが、許容範囲をギリギリはみ出すことが無い方法として、使用すること自体にロックは掛かってはいない。
脳を金槌で殴られているような激痛に襲われる為、出来ることならば使用するのは避けたかったのだが……相手が埃だと言うのならば、話は別だ。
例えどんな副作用があったとしても、例え身体が壊れたとしても、例えこの場で命が尽き掛けたとしても……。
────こいつらだけは、絶対に生かしておけない。
「残念だが。不相応で躓くのは、とうの昔に経験している。俺に、そんな言葉で現実を思い知らせるつもりならば……勘違いも甚だしい」
「ちょ、ちょっと待て、辞め……ッ!!」
命乞いの言葉を発するヴーズダットを前に、決心が完全に固まる……辞めて堪るかよ、と。
彼にかざした手をゆっくり閉じてから……再び、素早く、しっかりと、開く。
直後。
ミシミシミシッ、と肉が裂けるようなおぞましい音が立て続けに響き渡ると……。
爆発するように────埃の全身が内側から破裂し、あちらこちらに四肢が無惨に飛び散った。
続けて、数多の埃が宙に舞い上がり、その中心には、透徹した巨大な一輪の『月下美人』が咲き誇る。
「日陰舘の名の元に明示してやる────明示録は、埃(お前)なんぞが胡座をかくような場所ではない」
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
当初は殺意と敵対心しかなくて、一時は自らの命を懸けて本気で殺害しようとまでした、正真正銘の敵でしかなかったのに……今は、その彼の腕でしっかりと抱き上げられている。
今直ぐに身体を起こしてから、彼に事の真偽を問い詰めたい所だが……指先一つ動かす事が出来ない今では、言葉を発することすら至難の技だった。
もう、彼のことが分からない。
彼は、敵なのか……味方なのか……そして、どうしてここまで徹底して、その真偽をハッキリとさせてくれないのだろうか……。
『────埃を完全に振り払うことなど、不可能』
「……!」
忽然と、まるで空間全体を揺さぶるような重く震える声が、辺り一面に響き渡った。
何処を見渡しても、声らしき音を発した者の姿は見受けられない。その代わりに、先刻までは然程気にもならなかった埃が、豪雪でも起きているかのように降り積もっていく。
その時、ふと頭の中で一つの情景が蘇る。
あの時、この世界に召喚されるより前のこと……最後に、“胸に強烈な衝撃を受けた”と共に意識を失った瞬間……それと同じ景色を見ているような気がした。
『我ら“埃”が存ずるのは、明示録に刻まれた異世界そのもの。明示録が、そこに遺る多現世界が在る限り……我らに完全消滅は有り得ない』
この不気味な声が響く度に、地面に積もる埃が微妙に振動する。
もし、もしもの話だが……。
『埃』が一個体の身体を持っている訳でなく、文字通り、本当に『埃』そのものとして意志を持っているのだとしたら────今、自分達が足を踏み入れている『物』は、一体何なのか。
途端におぞましい想像が脳裏を過るが……そんな中、日陰舘雅人に至っては敵の渦中に居ることも構わず、小さくもハッキリと吼える。
「この程度でお前を消せるとは思ってはいない。何処へ逃げようとも、徹底的に追い詰めて、最後には……この明示録から、存在ごと完全に抹消させてやる」
『ならば我はここで貴様を抹消しよう。我らの歩む道に、貴様は不要だ』
対して、ヴーズダットと思われる声も、先程までとはまるで雰囲気が違う。
次にそいつが、聞き覚えのない単語を使って『何か』を唱え始めた時……異様な現象が起こった。
『レイ・ンネ、ピィセデト、レイ・ンネ、ワカデト……』
「ん……!?」
ゾゾゾッ、とコンクリートを擦るような音と共に、足元に積もる全ての埃が蠢く。
瞬時に日陰舘雅人の腕に掛かる力が強まり、こちらの身体を抱いたまま、慌てた様子で片膝立ちになった。どうやら、しっかりと地面を踏み締めていないと足が取られてしまうようだ。
そこまで認識してから、ようやく気付いた。
数多の埃はただ闇雲に蠢いている訳ではなく……ある一点を目指して進んでいることを。
『────べセ、レイ・ンネ、ジフゥロー』
何が起きているのか、これから何が起ころうとしているのか……辛うじて行使していた『観察力』や『直感』を持ってしても、全く予測が出来ない。
ただ、きっとこの場にいる誰もが同じことを感じていた。
あの無尽蔵の埃が一つにまとまってしまったら最後……。
────なにか“良くないモノ”が現れるのではないかという、極めて嫌な予感が。
〔英雄〕をも凌いだ『紫電』も、埃側に付いている筈のヨウ=イルアウマーでさえも、恐怖心を滲ませた表情に見せて、その場で硬直していた。
「この感じ……『何か』が、来る……ッ!?」
「今、『そんなもの』を喚ぶ……?ちょっと待つっしょ……まさか、本当にこの世界ごと、全てを滅ぼすつもりか……?」
「『何か』……『そんなもの』………………あ……ッ!!」
それらが、引き金となった。
その言葉が、その反応が、その気配が、頭の奥底に閉じ込められていた『記憶』を……呼び覚ませる。
気付けば自分は、身体の痛みも構わず小刻みに震えながら、今まさに“降臨しようとしている”埃の集合体へと目を向けていた。
「知っている……この気配……私は、知っている……そうだ……そう、だった…………『全部』、思い出した……」
「トア……?」
「日陰舘雅人……埃を、止めて下さい……『コイツ』だけは、絶対に、駄目ですッ……『コイツ』だけは、何がなんでも呼び出させてはいけませんッ……終わってしまう……この世界も、何もかもが……ッ……だって、私……ワタ、シ、は……ッ……ア、ァ、ァ、ァァァァァァ……ッ!」
今は亡き大陸樹で、『コイツ』に────“殺された”のだから。
突如、トアの身体が痙攣を起こし、大きく仰け反る。
彼女を抱えていた自分がいち早く異変に気付いたが、声を掛けるよりも前に痙攣は収まり、再びその身体は沈黙に包まれた。
「トア……?どうし……」
軽く肩を揺すりながら、声を掛けようとする。
しかし、こちらの問い掛けが終わるよりも先に、トアは顔を動かしたと思ったら────ギョロリと目を剥き、不敵な笑みを浮かべていた。
「────よぉ、死を体感した感覚はどうだった?」
「……!?まさかお前、さっきの……『ディア』って奴か……!?どうして、お前が……一体、どうなっている……!?」
今にも何かを産み出そうと結集する埃、トアの身体を使って声を発するディア……最早、何処から手を付ければ良いのかも分からない程に、事態は混沌を極めていた。
そんな中、まるでこっちを見ろ、と言わんばかりに胸ぐらを掴む彼女は、いきなり吐息が当たる位にまで顔を近付けると……。
「悪ぃが、説明している暇は無ぇ────いいから、黙って受け入れろ」
「んむ……ッ!?」
潤いのある柔らかい唇が、重なる。
ジンワリと仄かな熱が伝わり、生暖かいような不思議な感覚が、唇から全身に浸透していく。
「ん……ふ……っ」
何をされているのか明白なのに、何が起こっているのか直ぐには理解出来ずに、ただただ混乱。
次に『ディア』が顔を離した時……彼女は、気付かぬ内にぶん取っていたROSCを見せびらかせながら、ニヤリと笑っていた。
「ぷはっ────やってみな、やれるもんなら」
「お、おいっ、なにをッ……?」
気恥ずかしさを無理矢理押し殺しながら、慌ててROSCを取り返そうとするものの……既に、遅かった。
ディアはどこか分かりきった動作で、画面をタッチ。
直後、こちらの頭の中で、“何かが作動した”ような感覚が走り……世界は、暗転した。
────『再現操作』、発動。
……。
…………。
………………。
誰かが呼んでいるような声がして、何となくそちらを振り返る。
そこには見覚えがある少女が、穏やかな笑顔を浮かべながら立っていた。
何者なのかは、思い出せなくて……だけどきっと、切り離してはいけない人物だとは分かったから……ソッと手を伸ばす。
しかし、その手は届かなくて……少女の姿は埃となって少しずつ崩れていって……顔の輪郭が分からなくなる寸前で、こう呟くのだ。
────さようなら、ゴメンね、と。
「……ッ!」
「あ、目を覚ましましたね。大丈夫ですか?立てますか?」
目を覚ました時、自分は石畳の上に仰向けで横たわっていた。
目の前にはその場に両膝を着き、覗き込むようにしてこちらの顔を見下ろす、トア=ラィド・イザベリングの姿がある。
「トア……?お前、身体は大丈夫なのか……?」
この口振りと落ち着き……恐らくは、『ディア』ではない。
少しだけ安心して、身体を起こしながらそう問い掛けると……彼女は唐突に、不可解なことを口にし始めた。
「……あの、何故、私の名前を?あなたは、誰ですか?」
「は?」
まるで初対面のような口振りだが……これまで散々自分のことを目の敵にしてきたのに、今更忘れるなんてことがあるだろうか。
彼女の発言に思わず首を傾げるものの、続けて、辺りの見慣れない景色を目の当たりにしてしまい、若干動揺の声を漏らしてしまう。
「何を言って……ていうか……ここ、何処だ……?」
「何処かで頭でも打ったんじゃ……あなた、本当に大丈夫です?ここは、『大陸樹』の最大中枢都市として栄える────『エルミナノーグ』じゃないですか」




