表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シェード・エプリコッド ─召喚者たちの異世界略奪戦争─  作者: 椋之樹
英雄への明示─Execution of ideal─【現世編】
9/41

1-8 全滅への挽歌 《下》


 一瞬、彼の言葉が理解できず、身体が、思考が、呼吸が……文字通り、停止する。

 日陰舘雅人の死は、望んだことだった。

 自分という概念がこの世界で何よりも望み、叶えようとして出来なかったことでもあった。

 泣いて喜ぶべきなのだろう。

 声を挙げて興奮すべきなのだろう。

 だって、それは何度考えてもやはり、望んだことだったのだから。

 だが。

 彼の言葉を聞いた時。自分の中に生まれたのは、そんな太陽のような明るい『幸福感』などではなかった。


 まるで────深海に沈没してしまったかのような、重苦しい『喪失感』だった。


「……………………え……?」

「酷い話だよ。明示録に宿った魂を現世に縛り付けるなんてさ。だけど、もう心配は要らないよ。繋縁エッジの正体は、僕らが見つける。君は絶対に、明示録へと還してあげるから。それこそが、君の望みなんだろう?」


 まるで慰めるように、気遣うように。

 男はこちらの頬に手を這わせ、優しげな手つきで撫で始めた。

 ジンワリと暖かい肌の温かさが浸透し、冷え切った心を溶かしていく。

 硬直した思考に熱が加わり、少しずつ自身の本音が頭角を表していく。

 本来ならば身を委ねるべき、優しさと温もりなのだろう。

 だが、これほど奇妙なことはない。

 この優しさと温もりが────こんなにも、薄気味悪いモノに感じるだなんて。


「……気安く、触れないで……」

「ん?よく、聞こえなかったなぁ……今、何て言ったんだい?」

「……あなたなんかに、優しい言葉を掛けられると……虫酸が走る……そう、言っているのです……」

「……ふぅん」


 男は、あくまでも微笑んでいた。

 こちらの悔し紛れの嫌味も意に介していないかのように、表情を変えないまま、静かに頬から手を離していく。

 それが、彼の眼前にまで動いた……次の瞬間。


 ────目の前の顔は、憤怒と狂気に満ちた面様に激変した。


 あまりの変貌ぶりに声が漏れ出そうになるが、それより前に力任せに首を鷲掴みにされて、意識が吹き飛びかける。


「ぎッ……!!」

「オイ、ナメたことを言ってんじゃねぇぞ、てめぇ。二度と口が利けないように、この喉を握り潰してやろうか?あぁ?」


 いつもならば、振り払うことは簡単だ。

 しかし、この影に囚われている状態では、“身動き一つ取ることが出来ない”。


「……勝、負……まだ、終わって、なぃ……」

「……!」

「聞きたぃ、こと……ある……だか、ら……勝たなくちゃ、ならない、です……あの、人に……ッ」


 だから、今は……ただ、呻くことしか叶わなかった。

 “あの時”から自分の中で芽生えていた、たった一つの感情を。


「チッ、グチグチとうるせぇ〔英雄〕だな。そんなに黙らせて欲しいなら────もう一度、埃に埋もらせてやるよ」

「う、ぐッ……ぅ…………ぅ……っ」


 男のもう片方の手が大きく開かれ、ゆっくりとこちらの顔面を覆っていく。

 少しずつ視界が閉ざされていき、猛烈な眠気が襲い掛かってくると、まるで糸が切れたように全身の力が抜ける。


(……あ、ぁぁ……なん、で……眠、い……駄目、眠っちゃ……だ…………め……っ)


 眠ったら最後、もう二度と戻ることは叶わない。

 そんな予感が頭を過るのに、ある意味で心地良ささえ感じてしまう眠気は、自分の身体を眠りに閉ざそうとしていく。

 視界から感覚へ、感覚から意識へ、着実に虚無の闇へと叩き落とされようとした。

 しかし。


「ぷぅ」

「……ッ!」


 何処からか聞こえてきた一つの微かな鳴き声が、唐突に脳神経を覚醒させる。

 勢いよく目を見開き、眼球だけ動かして見定めた場所には────『一羽の兎』。


 そして、その傍らには……。


 相変わらずの何処か冷え切った表情を浮かべる少年が、頭を擦りながら瓦礫の上に堂々と腰掛けていた。


「────今、確かに聞いたぞ。お前、『埃』と言ったな?」



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 次に瞳を開いた時、そこはまだ死後の世界ではなかった。

 背中から鋭利な剣で一突きにされ、心臓を貫かれたような感覚は、その時もハッキリと身体に染み付いていたと思う。

 しかし、不可解なことに、改めて自分の身体を探っても……。


 ────刃物で斬り付けられたような跡は無かった上に、そもそも傷痕すら残っていなかった。


 あの死すらも実感させられた出来事は、夢だったのだろうか。

 だとしたら、あの『ディア』とかいう少女は一体……。

 そこで事態の深刻さを思い出し、幾ら考えても答えの出ない疑問は脳の片隅に追ってから、ROSCを使って『展開操作エクスペント』を発動。

 これは、自分の周囲、一定範囲にある空間を離元空間に変化する機能だ。

 それをアミューズメント施設とその周辺に展開することで……ノートを使う際に利用する下敷きのように、幾ら破壊活動が行われようとも、元の空間に影響を及ばせないようにさせた。

 ただ、離元空間内部で使用する『自動操作』や『手動操作』と比べて、『展開操作』は使用者にかなり大きな負担が掛かる。


(あぁ……くっそぉ、頭が痛ぇ……ッ)


 今も重く鋭い頭痛を懸命に堪えながら、無理矢理平然とした表情を浮かべている訳だが……もし、周りに誰も居なければ、頭を抱えてのたうち回っていただろう。

 そんな自分の心情を知る由も無い、トアの目の前に立っていた男は、驚愕した顔つきでこちらを睨み付ける。


「君は……何故、生きている?確かに、胸を貫かれて死んだ筈じゃ……ッ」

「さぁ、何故なんだろうな。だが、今はそんなことはどうでも良い。今更尻尾巻いて逃げるなよ────『ヴーズダット』」

「……!?」


 どうしてその名前を?

 そう言いたげな表情で、ヨウ=イルアウマーがこちらを見上げていた。

 別に難しい話ではないだろう。

 最初からヴーズダットの存在を警戒していた中で、フィーネスの身柄を狙い、『埃』という言葉を使う人物が現れたら……誰でも、その人物の正体を疑う。

 こいつこそが、明示録に潜み、異世界とフィーネスの消滅を目論む張本人────『ヴーズダット』そのものである、と。


「……その名前を、気安く呼ばないで貰いたいものだけれどね」

「一つ、聞かせてもらおうか、ヴーズダット。何故、異世界とそこで生きる人々の命を、無闇に消し去ろうとする?」


 奴らの正体と目的は、何度も明示録を見直しても、最後まで明かされることはなかった。

 いいや、むしろ『埃』という文字に触れること自体が皆無だったとも言えるだろう。

 だが、奴等は間違いなく、各異世界の中に何らかの形で関わりを持っている筈だ。それは、一度目と二度目のフィーネス召喚時の経験からハッキリしていた。

 面と向かって相対するのは初めてである為か、どうにも掴み所がない感覚は拭えないが……この千載一遇の機会を、みすみすと逃す訳にはいかない。

 すると、ヴーズダットは微笑を浮かべながら、小さく首を横に振っていた。


「何をそんな怖い顔をする必要がある?ならば、君に一つ尋ねようか。君は使い物にならなくなったペンを、いつまでも取っておくかい?新しい物に新調して、使えない物は捨てるだろう?」

「……その真意に関しては改めて問い質したい所ではあるが……まさか、今までもそんな簡単な感覚で、人の命を、世界の存在を、捨ててきたんじゃないだろうな?」

「明示録と離元空間を使って、フィーネスを現世に縛り付ける君に言われたくはないよ。それに、何?君が腹を立てたところで、どうなると言うわけ?」

「何だと……?」


 まるで心を見透かされたかのような発言に、思わず眉をひそめる。


「気付いていないとでも思った?離元空間を《展開》した状態だと、同時に自分の身を守る壁は生み出すことは出来ない。そもそも、ROSCが無いとロクに戦うことすら出来ないただの人間が、僕らの領域に踏み込んでいること自体……不相応だと思わないのかい?」

「……!」


 奴の言葉に、偽りは無い。

 確かに、自分には不相応だ。

 日陰舘一族の当主としても、明示録の所有者としても、ヴーズダットに相対する者としても……何もかもが不相応。

 その真実は、例え自分をどんな人物に変えたとして、一生変えられない現実なのだ。

 それを強調するかのように、ヴーズダットは唐突にトアの髪を鷲掴みにして、乱暴に振り始めた。


「あッ、ぐ……ッ!」

「ほら、戦えるもんなら戦ってみろよ、取り戻せるもんなら取り戻してみろよ、ほら、ほぉらぁ。口だけなら何とでも言えるよねぇ?心情なら幾らでも強がれるよねぇ?まっ、君みたいな妄想だけ達者な勘違い野郎が、行動で示せる訳がないだろうけどさぁ!?」

「……」


 正直に言えば、返す言葉はない。

 正論に次ぐ正論をぶつけられて、反論する余地は微塵にも残っていなかった。

 目の前でトアが乱暴されているのに……散々に悪態を吐かれているのに……精々自分に出来ることと言えば、後はただ逆上して暴力に走ること……それだけだったのだから。

 情けない。

 情けなくて、自分が嫌になる。

 そして、自分が嫌になって、自分を騙して、自分を押し殺した果てに────また、偽りで塗り固められた支配者の影が、顔を覗かせるのだ。


「……はぁ」

「……おい、なにさ、その溜め息は?」

「いや、仮にも世界を破壊することが出来るほどの存在が、果たしてどれだけ怪物なのかと構えてはいた。だけども、そんなありきたりの、つまらない言葉しか吐けない小物だとはな……正直呆れ果てたぞ、ヴーズダット」


 その言葉が引き金となり、ヴーズダットの表情が一気に強張る。

 明らかな不快感と敵対心を剥き出しにした彼は、口角をピクピクと痙攣させながら、無情な決断の火蓋を切った。


「…………だったらお望み通り、後悔させてやるよ……ヨウッ!!」

「……!」


 名前を呼ばれたヨウは、まるで機械染みた迅速な反応速度で、手にした刀弓を引き絞る。


 その標的は、拘束されて無防備状態のトアだ。


 結論から言えば殺されることはないだろうが、フィーネスの一撃をマトモに受けてしまったら最後、その精神状態に強い損傷を受けるのは避けられまい。

 だが、それを止める術は、自分には無い。

 ならば、“託そう”────フィーネスと同等の力を発揮することが出来る、もう一人の常人離れへ。


「やれ────“リノリス”」

「────任せてよ、主様」


 彼女は、即座に応えた。

 瞬間、辺りに無数の紫電が迸り、矢を放とうとしたヨウに襲い掛かる。

 それにいち早く反応した影が、ヨウの身体を覆い隠そうとするが……紫電は、その防御をいとも容易く貫き、ヨウの全身に凄まじい電撃を浴びさせた。


「ぐ、ぅっ!?」


 影の拘束が緩んで、トアの身体が地面に崩れ落ちそうになるも……紫電は即座に彼女を拾い上げて、こちらの元に届けてくれる。

 瞬く間に救出されたトアは、薄らと瞼を開いて“紫電の正体”を視界に捉えると、微かに驚きの声を漏らしていた。


「あな、た、は…………ッ……」


 紫電の人物は微笑んでから、小さな声で、ごめんね、と呟く。

 一方、途端に形勢逆転させられたヴーズダットは、明らかな動揺を浮かべて、〔英雄〕をも退ける力を発揮した紫電を睨み付けていた。


「『リノリス』……?馬鹿な……そんな奴、“知らない”ぞ……!?今の明示録に、そんな名前のフィーネスは載っていなかっただろうが……ッ!?」


 当然だろう。

 現時点で、彼女は明示録には載っていない。彼女の生きていた異世界は、ヴーズダットの手で明示録から抹消させられた────自分が起こした、二度目の召喚の時に。

 そう、これまで二度に渡って、奴等に苦渋を呑まされてきた。


 目には目を、歯には歯を……。


 今回は、こちらから奴等へと、今まで溜まるに溜まった『借り』を返す番だ。


「悪いが、これ以上お前の戯れに付き合うつもりはない」

「お、ぉ……ッ!?」


 ヴーズダットへ向けて手をかざすと、彼は自身の胸を押さえて呻き声を上げ始めた。

 奴の言った通り、『展開操作』と別の機能を併用するのは、ROSCの設定上でロックが掛かっている為、そもそも実行することは出来ない。

 万が一、何らかの原因で二つの機能を同時に発動してしまうと、使用者に莫大な負担が掛かってしまい、命に危険が及んでしまうからだ。


 しかし、一つだけ例外がある。


 それは、使用者の心情や本音といった精神的部分を反映した、《心離》と呼ばれる、ROSCに設定されている唯一の攻撃手段だ。

 その形状は使用者によって多種多様であり、『獣』や『植物』といった形を取って、相対する敵に相殺不可能の直接攻撃を加える。


(あぁ……痛い……頭、痛い……)


 当然ながら、使用者に対する負担は大きいが、許容範囲をギリギリはみ出すことが無い方法として、使用すること自体にロックは掛かってはいない。

 脳を金槌で殴られているような激痛に襲われる為、出来ることならば使用するのは避けたかったのだが……相手がヴーズダットだと言うのならば、話は別だ。

 例えどんな副作用があったとしても、例え身体が壊れたとしても、例えこの場で命が尽き掛けたとしても……。


 ────こいつらだけは、絶対に生かしておけない。 


「残念だが。不相応そこで躓くのは、とうの昔に経験している。俺に、そんな言葉で現実を思い知らせるつもりならば……勘違いも甚だしい」

「ちょ、ちょっと待て、辞め……ッ!!」


 命乞いの言葉を発するヴーズダットを前に、決心が完全に固まる……辞めて堪るかよ、と。


 彼にかざした手をゆっくり閉じてから……再び、素早く、しっかりと、開く。


 直後。

 ミシミシミシッ、と肉が裂けるようなおぞましい音が立て続けに響き渡ると……。

 爆発するように────ヴーズダットの全身が内側から破裂し、あちらこちらに四肢が無惨に飛び散った。

 続けて、数多の埃が宙に舞い上がり、その中心には、透徹した巨大な一輪の『月下美人』が咲き誇る。


「日陰舘の名の元に明示してやる────明示録そこは、埃(お前)なんぞが胡座をかくような場所ではない」



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─


 

 当初は殺意と敵対心しかなくて、一時は自らの命を懸けて本気で殺害しようとまでした、正真正銘の敵でしかなかったのに……今は、その彼の腕でしっかりと抱き上げられている。

 今直ぐに身体を起こしてから、彼に事の真偽を問い詰めたい所だが……指先一つ動かす事が出来ない今では、言葉を発することすら至難の技だった。


 もう、彼のことが分からない。


 彼は、敵なのか……味方なのか……そして、どうしてここまで徹底して、その真偽をハッキリとさせてくれないのだろうか……。


『────埃を完全に振り払うことなど、不可能』

「……!」


 忽然と、まるで空間全体を揺さぶるような重く震える声が、辺り一面に響き渡った。

 何処を見渡しても、声らしき音を発した者の姿は見受けられない。その代わりに、先刻までは然程気にもならなかった埃が、豪雪でも起きているかのように降り積もっていく。


 その時、ふと頭の中で一つの情景が蘇る。


 あの時、この世界に召喚されるより前のこと……最後に、“胸に強烈な衝撃を受けた”と共に意識を失った瞬間……それと同じ景色を見ているような気がした。


『我ら“埃”が存ずるのは、明示録に刻まれた異世界そのもの。明示録が、そこに遺る多現世界が在る限り……我らに完全消滅は有り得ない』


 この不気味な声が響く度に、地面に積もる埃が微妙に振動する。

 もし、もしもの話だが……。

 『埃』が一個体の身体を持っている訳でなく、文字通り、本当に『埃』そのものとして意志を持っているのだとしたら────今、自分達が足を踏み入れている『物』は、一体何なのか。

 途端におぞましい想像が脳裏を過るが……そんな中、日陰舘雅人に至っては敵の渦中に居ることも構わず、小さくもハッキリと吼える。


「この程度でお前を消せるとは思ってはいない。何処へ逃げようとも、徹底的に追い詰めて、最後には……この明示録から、存在ごと完全に抹消させてやる」

『ならば我はここで貴様を抹消しよう。我らの歩む道に、貴様は不要だ』


 対して、ヴーズダットと思われる声も、先程までとはまるで雰囲気が違う。

 次にそいつが、聞き覚えのない単語を使って『何か』を唱え始めた時……異様な現象が起こった。


『レイ・ンネ、ピィセデト、レイ・ンネ、ワカデト……』

「ん……!?」


 ゾゾゾッ、とコンクリートを擦るような音と共に、足元に積もる全ての埃が蠢く。

 瞬時に日陰舘雅人の腕に掛かる力が強まり、こちらの身体を抱いたまま、慌てた様子で片膝立ちになった。どうやら、しっかりと地面を踏み締めていないと足が取られてしまうようだ。

 そこまで認識してから、ようやく気付いた。

 数多の埃はただ闇雲に蠢いている訳ではなく……ある一点を目指して進んでいることを。


『────べセ、レイ・ンネ、ジフゥロー』


 何が起きているのか、これから何が起ころうとしているのか……辛うじて行使していた『観察力』や『直感』を持ってしても、全く予測が出来ない。

 ただ、きっとこの場にいる誰もが同じことを感じていた。

 あの無尽蔵の埃が一つにまとまってしまったら最後……。


 ────なにか“良くないモノ”が現れるのではないかという、極めて嫌な予感が。


 〔英雄〕をも凌いだ『紫電』も、埃側に付いている筈のヨウ=イルアウマーでさえも、恐怖心を滲ませた表情に見せて、その場で硬直していた。


「この感じ……『何か』が、来る……ッ!?」

「今、『そんなもの』を喚ぶ……?ちょっと待つっしょ……まさか、本当にこの世界ごと、全てを滅ぼすつもりか……?」

「『何か』……『そんなもの』………………あ……ッ!!」


 それらが、引き金となった。

 その言葉が、その反応が、その気配が、頭の奥底に閉じ込められていた『記憶トラウマ』を……呼び覚ませる。

 気付けば自分は、身体の痛みも構わず小刻みに震えながら、今まさに“降臨しようとしている”埃の集合体へと目を向けていた。


「知っている……この気配……私は、知っている……そうだ……そう、だった…………『全部』、思い出した……」

「トア……?」

「日陰舘雅人……ヴーズダットを、止めて下さい……『コイツ』だけは、絶対に、駄目ですッ……『コイツ』だけは、何がなんでも呼び出させてはいけませんッ……終わってしまう……この世界も、何もかもが……ッ……だって、私……ワタ、シ、は……ッ……ア、ァ、ァ、ァァァァァァ……ッ!」




 今は亡き大陸樹で、『コイツ』に────“殺された”のだから。




 突如、トアの身体が痙攣を起こし、大きく仰け反る。

 彼女を抱えていた自分がいち早く異変に気付いたが、声を掛けるよりも前に痙攣は収まり、再びその身体は沈黙に包まれた。


「トア……?どうし……」


 軽く肩を揺すりながら、声を掛けようとする。

 しかし、こちらの問い掛けが終わるよりも先に、トアは顔を動かしたと思ったら────ギョロリと目を剥き、不敵な笑みを浮かべていた。


「────よぉ、死を体感した感覚はどうだった?」

「……!?まさかお前、さっきの……『ディア』って奴か……!?どうして、お前が……一体、どうなっている……!?」


 今にも何かを産み出そうと結集する埃、トアの身体を使って声を発するディア……最早、何処から手を付ければ良いのかも分からない程に、事態は混沌を極めていた。

 そんな中、まるでこっちを見ろ、と言わんばかりに胸ぐらを掴む彼女は、いきなり吐息が当たる位にまで顔を近付けると……。


「悪ぃが、説明している暇は無ぇ────いいから、黙って受け入れろ」

「んむ……ッ!?」


 潤いのある柔らかい唇が、重なる。

 ジンワリと仄かな熱が伝わり、生暖かいような不思議な感覚が、唇から全身に浸透していく。


「ん……ふ……っ」


 何をされているのか明白なのに、何が起こっているのか直ぐには理解出来ずに、ただただ混乱。

 次に『ディア』が顔を離した時……彼女は、気付かぬ内にぶん取っていたROSCを見せびらかせながら、ニヤリと笑っていた。


「ぷはっ────やってみな、やれるもんなら」

「お、おいっ、なにをッ……?」

 

 気恥ずかしさを無理矢理押し殺しながら、慌ててROSCを取り返そうとするものの……既に、遅かった。

 ディアはどこか分かりきった動作で、画面をタッチ。

 直後、こちらの頭の中で、“何かが作動した”ような感覚が走り……世界は、暗転した。




 ────『再現操作リプレ』、発動。




 ……。

 …………。

 ………………。


 誰かが呼んでいるような声がして、何となくそちらを振り返る。

 そこには見覚えがある少女が、穏やかな笑顔を浮かべながら立っていた。

 何者なのかは、思い出せなくて……だけどきっと、切り離してはいけない人物だとは分かったから……ソッと手を伸ばす。

 しかし、その手は届かなくて……少女の姿は埃となって少しずつ崩れていって……顔の輪郭が分からなくなる寸前で、こう呟くのだ。


 ────さようなら、ゴメンね、と。


「……ッ!」

「あ、目を覚ましましたね。大丈夫ですか?立てますか?」


 目を覚ました時、自分は石畳の上に仰向けで横たわっていた。

 目の前にはその場に両膝を着き、覗き込むようにしてこちらの顔を見下ろす、トア=ラィド・イザベリングの姿がある。


「トア……?お前、身体は大丈夫なのか……?」


 この口振りと落ち着き……恐らくは、『ディア』ではない。

 少しだけ安心して、身体を起こしながらそう問い掛けると……彼女は唐突に、不可解なことを口にし始めた。


「……あの、何故、私の名前を?あなたは、誰ですか?」

「は?」


 まるで初対面のような口振りだが……これまで散々自分のことを目の敵にしてきたのに、今更忘れるなんてことがあるだろうか。

 彼女の発言に思わず首を傾げるものの、続けて、辺りの見慣れない景色を目の当たりにしてしまい、若干動揺の声を漏らしてしまう。


「何を言って……ていうか……ここ、何処だ……?」

「何処かで頭でも打ったんじゃ……あなた、本当に大丈夫です?ここは、『大陸樹』の最大中枢都市として栄える────『エルミナノーグ』じゃないですか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ