1-7 全滅への挽歌 《上》
〔英雄〕、〔王〕、〔姫〕、〔拳闘士〕、〔奴隷〕、等々……。
フィーネスとして創生される者たちが、異世界でどのような立場にあり、どのような生き方をしたのか。
『明示録』は、それらを〔属性〕と区別して彼女らに付与し、個々の特性を判別表記として認識しやすいようにしている。
その理由は、異世界の種類を始めとして、〔特性〕や《能力》の数が多岐にわたっている為である。
彼女らの有する〔特性〕や《能力》は、異世界を構成する、壮大な理念や環境から派生したモノだ。そんなモノが次々と異なる世界に現れてしまっては、世界構造が大きく歪んでしまい、最悪、世界そのものを崩壊しかねない。
故に、彼女たちの概念そのものを、明示録の存在するこの世界の構造に沿った枠組の中に組み込む必要があった。
フィーネスに付与された〔属性〕は数多く存在し、それぞれが多種多様の特性を持っている。
その中でも〔英雄〕という属性持ちのフィーネスは、特A級のステータスを有する最上級属性だ。それと正面切って相対出来るだけのフィーネスは、殆ど無いと言えるだろう。
だが。
もしも、〔英雄〕の前に、同じ〔英雄〕が現れた場合……軍配はどちらに上がるのか。
同じ属性、同じステータス、同じ戦闘能力……そこまで、互いの存在意義が同等だと言うのならば、後は己の信念と覚悟、それが相手よりも優れていた方がこの勝負を制する。
今、〔英雄〕トア=ラィド・イザベリングと、〔英雄〕ヨウ=イルアウマーの両者に問われているのは……即ち、“そういうこと”だ。
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「……」
立体駐車場に停められたワゴン車の影に腰を屈めて身を隠し、息を殺して辺りの様子を窺う。
先程までの騒乱ぶりが嘘のように、駐車場内は静寂に包まれ、ヨウの気配は微塵にも感じられなかった。
それにしても……これは、一体何の冗談なのだろうか。
何故この世界に、同じ世界で生きた人物が、ヨウ=イルアウマーが居るのか……ただの偶然とは思えない。
自分の身体が『フィーネス』として、日陰舘雅人の手で召喚されたのは間違いないだろう。
そもそも一つの世界内において、『フィーネス』と呼ばれる者は何人まで認定される物なのか分からないが……自分がフィーネスと成れたのならば、自分と同じ『剪定の英雄』の仲間達は、全員フィーネスと成り得る筈だ。
当然、その中には、あのヨウも含まれる。
明示録を有する人間が、日陰舘雅人しかいないとしたら……まさか、こうしてかつての仲間同士で戦わされているのも、彼の策略の内だとでも言うのだろうか。
「────考え事ばかりしていて良いの?」
「……ッ!!」
何処からか、彼女の声が反響してきた。
同時に微かに風を切るような鋭い音を察し、半ば反射的に後ろへと跳び跳ねる。
直後。
今まで自分が立っていた場所に、一体何処から飛んできたのか分からない程の速度で、何本かのダーツが突き立てられた。
「く……っ!相変わらず、デタラメな精密さを……ッ」
「そう言うトアこそ、相変わらずの身のこなし……だけれど……」
声は、背後から。
唐突に現れ出た気配に反応が出来ず……振り向く間もなく、自分の頬を滑らかなモノが這った。
「べろぉぉ、じゅるっ……まだまだ、『甘い』っしょ」
「う……ッ!」
舌で、まるで味見されるかのように舐め回される。
途端に猛烈な鳥肌が立ち、全身が痙攣するように震えが起こるが……萎えかけた気力を無理矢理奮い立たせ、歯を食い縛った。
ヨウを相手に、遊んでいる暇はない。
全力で挑まねば、やられるだけだ。
「辞めて、下さい……ッ!」
全身全霊の力を込めて────振り向き際に、手にした剣を思い切り水平に振るう。
辺りの砂埃が勢いよく巻き上がり、傍のワゴン車は真っ二つに斬り裂かれた……だが、既にそこにヨウの姿はない。
「ねぇ、どうかしちゃった?トロいよ、トア」
「上……っ!」
慌てて声の聞こえてきた上空へと視線を移すも、そこにあったのは、こちらへ向かって飛来するダーツ群のみ。
それらを手にした剣で一薙ぎにして振り払うと、辺りには再び静寂が蘇っていた。
ヨウの唾液を手の甲で拭い、十二分に警戒しながら、一歩、一歩と後ろに下がっていく。
(トロい、ですか……その観察眼も、健在のようですね……)
確かに、この世界に召喚されてから、未だに身体の重みは解消される気配がない。
フィーネスとしての器には馴染むのに時間が掛かると言うのならば、とっくに馴染んでいてもおかしくはない筈なのに。
反対にヨウリの動きは、明らかに異世界で手合わせした時よりも、格段に向上しているように感じる。
そこまで考えが至ったところで、ようやくハッキリした。
ヨウ=イルアウマーも、『フィーネス』という存在に昇華し、自分と同じ様な召喚方法でこの異世界にやって来たのだと。
「敢えて言うなら、冷静さが欠けすぎっしょ。なに?あたしがあんたの敵として立ち塞がるのが、そんな不思議な話?」
「……そんなことじゃ、ありません……そんなことじゃ、ないのです……ッ」
何か考えがあって行動しているということは、わざわざ考えるまでもなく分かっていたことだ。
ヨウは無意味に相手を傷付けるようなことはしないし、感情のままに相手を嘲るようなこともしない。かといって、誰かに従って動くようなことはしないし、何か弱味を握られた位で屈するような弱い人間でもない。
だからこそ……だからこそ、分からなかった。
「どうして……どうして────莉乃を、私の友を、あんな簡単に殺せたのですかッ!?」
ヨウ=イルアウマーは、誰よりも信頼に足る、誰よりも強い人間なのだ。
何故なら、自分の『英雄』としての生き方は……他でもない、彼女から学んだことなのだから。
『英雄を実行する』……この言葉は、彼女から教わった言葉なのだから。
そんな、自分の何よりも大切な親友であり、自分の人生の師でもある彼女が……どうしてあんな残虐な行為を、アッサリと実行することが出来たのか。
「……どうして?それは愚問っしょ、トア」
「愚、問……?なにを、言って……?」
「あんたともあろう奴が、とっくに死んだような弱っちい奴を気遣うとか……腑抜け過ぎにも程があるんじゃないの?」
「……ッ!!」
言葉を交わせば交わす程、心臓が抉られるような痛みが走る。
動悸はみるみる内に速くなり、呼吸がいつもよりも痛く苦しく感じる。
彼女の彼女らしからぬ言葉に圧され、ジリジリと後退りしていく内に、その先に停まっていた自動車に手を付いて足が止まった。
次に彼女が闇から視界の中に現れた時。
自分は激しく泳いだ瞳で、懸命に彼女の姿を捉えようとしていた。
「そんなゴミ屑の為にあんたが惑わされている場合じゃないっしょ?ねぇ?」
「もう、やめて、ください……それ以上、非道なあなたは、見たくない……もう、もう……ッ」
「こっちはさぁ、トア。最初からあんたを────ぶっ殺してやりたくて仕方がねぇんだからさァッ!!」
何故、ヨウを前にすると恐怖心に苛まれるのか……その原因が、ようやく分かった気がする。
彼女は、再会した時からずっと、自分のことを────殺そうとしていた。
それを、直感的に感じ取っていたのだろう。
彼女がその身から滲み出す殺気が、自分ですら思い出せない記憶の情景を呼び起こす。
それがどんな情景なのかは未だにハッキリとしないが……抽象的に語れば、それはきっと、こういうことだ。
トア=ラィド・イザベリングは────“ヨウの殺意に納得してしまうような記憶を持っている”。
そうか、“そういうこと”か……。
少なくとも、フィーネスとして明示録に記されたその時から、これは定まっていたことなのかも知れない。
もう、彼女らとは……決して、“分かり合うことは出来ない”、と。
(だったら、私は……ヨウを、殺せるの……?)
自分の中の疑惑に答えている暇もなかった。
今はただ、目の前の戦いを乗り越える以外に道はない。眼前で臨戦体勢を整えるヨウを前に、再び赤色の歪な剣を構えるのだった。
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時が止まっている……そう疑っても仕方がない程に、周囲は沈黙に包まれていた。
まるで嵐が過ぎ去った後のように、荒れ果てた遊戯スペース。
客も、店員も、残っている者は一人も居らず、この数分足らずで廃墟となってしまったと言っても過言ではない、酷い荒れ模様だった。
そのど真ん中で、予想だにしなかった襲撃者の凶刃に襲われた一人の少年が横たわり、彼の傍らには、一羽の兎が静かに腰を下ろしている。
今この場で起きた悲劇を受け止め切れていないのか、潤いの浮かんだ瞳でジッと己の主を見つめる。
少しの間、微動だにせずに彼のことを見ていたが、不意に彼の顔に鼻を近付けると……。
「……ぷぅ……」
一つの小さく哀愁の漂う鳴き声を漏らしながら、ピクピクと鼻を動かす。
それから、今しばらく彼に寄り添っているかと思いきや、突如として彼へと背中を向けて一目散に駆け出していった。
荒れ果てた広い広い遊戯スペースの中を、小さな小さな兎が駆ける姿は情景と釣り合わず、なんとも滑稽な絵面に見えるが……。
雨音より静かに、突風よりも迅く、広大な地を駆け抜ける兎からは────一筋の稲妻が迸っていたのだった。
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自分等が生きた世界『大陸樹』には『果々』と呼ばれる、大陸樹に実る果実が具現化した者たちが存在する。
彼らは逸話における、大樹の意思『ベリュジード』が遣わした代弁者とも言われているが、真偽の程は明らかではない。
ただ、『果々』は、類い稀なる異能力を他者に授ける力を持っていた。
それを与えられた者は、果々の力が凝縮された果実を喰らうことで『養素』を体内に宿し、自身の身体を活性化させ、初めて異能力を発揮することが出来る。
このように、力を授けられた者のことを『果喰』と呼んでいたが……『フィーネス』として召喚されている以上は、《汎現》から逸脱することは出来ないようだ。
だが。
トアの場合は、それとも大きく異なる。
本来ならば『果喰』として覚醒される超能力だが……トアは、“果実を口にしていない状態”で、果喰状態の人間と互角に渡り合うことが出来るのだ。
つまり、トア=ラィド・イザベリングは、少なくとも大陸樹という世界の枠組みの中で……最も強い人物だった、と言える。
故にこそ、貴族も、平民も、他種族も、そして彼女の仲間たちも、誰一人として────彼女の『勝利』というモノを、信じて疑わなかった……。
「ぎッ、ィ……う、あぁぁぁァ……ッ!!」
ボキャッ、と硬い物がへし折れる音が、四度。
次いで、大気を揺るがすほどの絶叫が、立体駐車場の中に響き渡る。
最早そこは元の駐車場の原型を留めておらず、コンクリートの柱は砕け落ち、整列していた自動車は最早鉄屑となって四方八方に散らばり……たった二人の人間が起こしたとは思えない、とてつもない激戦の跡がハッキリと残されていた。
そんな中、実質的に激戦を制した方の〔英雄〕が、思い出したように短く息を吐き始めた。
「ハッ、ハッ……ヨウ、ヤク……ケホッ、ケホッ……あー、あー……ようやく、捕まえたっしょ────トア」
『赤い果実』を手に、スクラップ同然の鉄塊となった自動車に背中を預け、苦しそうな表情で呼吸を整えるのは、ヨウ=イルアウマー。
彼女の目の前では黒い影が柱のように立ち上ぼっており……その中で全身を拘束されてもがき苦しんでいるのは、トア=ラィド・イザベリングの方だった。
ただ拘束されている訳ではない。
黒い影の中に埋まる四肢の関節は、有り得ない方向に折れ曲がり……身体にまとわりつく影は、容赦なく首や腹を締め付けていた。
まるで、影一本一本がそれぞれで意志を持っているかのように、彼女の身体を、内から外から破壊し続ける。
「ぎッ……ヨ、ウ……ど、して……」
「はぁ、はぁ……どうして?どうしてって、“何が”?あんたが、あたしに勝てなかったこと?それとも……あたしが、“こんなモノを持っている”こと?」
今にも事切れそうな様子で何とか言葉を紡ごうとするトアを前に、ヨウは肩を竦めて微笑を浮かべる。
少なくとも、今この瞬間におけるヨウ=イルアウマーは、ただの〔英雄〕ではなかった。
それは、〔英雄〕すら呑み込もうとする、異次元の『何か』……いいや、相手が〔英雄〕であるトアだからこそ、その真価を発揮するモノ、と言えば正解だろう。
彼女を拘束する影たちはそこから派生した副産物に過ぎない。
「あなた、は……なに、を……企んで……」
「────君を物語に連れ戻す為さ、フィーネス」
ヨウに代わってトアの問いに答えたのは、この明らかに異常事態が起きたとしか考えられない駐車場に、平然とした佇まいで姿を現した、一人の男。
彼は影に拘束されたトアの傍まで歩いてくると、その苦痛に歪んだ顔をマジマジと見つめながら、余裕綽々とヨウに向かってこんなことを尋ねた。
「それより、ヨウ。凄く反抗的な目付きで睨まれているんだけれど……何故、彼女は自意識を保っているんだい?」
「何故って……」
「駄目だよ、ちゃんと“壊さなくちゃ”。フィーネスの精神と信念は常人のそれを越えている。言うことを聞かせるには、それを忘れる程の痛みと恐怖を与えてあげないと」
「別に、そこまでしなくてもいいっしょ……」
そこへ忽然と。
まるで、口答えをするな、と言わんばかりに。
鋭い動作で動いた男の手刀が────トアの土手っ腹を貫く。
「ぎぐ、ぅ、りゅッ!!?」
トアの顔の筋肉が硬直し、思わず場が凍り付くような悲鳴が漏れ出るが……男は、一向に構う様子は見せない。
むしろ、腹を貫いた腕を捻り、抜き差しを繰り返し、グチャグチャと生肉を咀嚼するような音を立たせながら、不気味な程に穏やかな笑みを浮かべてヨウを叱り付けていた。
「どうせ、借り物の器で構成されたフィーネスは“死なない”。だから、もっと傷付けて、もっとグチャグチャにして、もっとバラバラにして……歯向かうのが無駄だってことを、この身体に教え付けてやらないと駄目だよ?」
「あァッ!!ぎッ、ぎ、ぃぃッ!!い、や、あぁァァあァァぁァあアアぁぁぁァッ!!」
「……」
トアのおぞましいまでの絶叫が響き渡ると、ヨウが一瞬だけ肩を震わせて顔を逸らした。
フィーネスとして召喚された彼女たちは『命』という概念を持たず、例え頭を潰されようが、心臓を止められようが、死ぬことは無い。
精々、一時的に限界を迎えた器が分解されるだけで、時間をおけば自然と元に戻るだろう。
彼女たちの存在は明示録の記述により確定されており、そこから何らかの理由で除外されない限り、フィーネスは現存し続ける。
つまり、それを最初から知る男たちに、最初からトアを殺すつもりはない。
彼の目的は、彼の宣言通り……『トア=ラィド・イザベリング』という概念を、大陸樹という物語に連れ戻し、明示録の記述を元通りにすること……そんな、至って当然とも言えるものだった。
「さぁ、フィーネス。君をこの世界に結び付けている『繋縁』は何だい?それを破壊すれば、君は晴れて明示録の中へと還られる……君も、こんな異世界で、訳の分からない身体で生き続けるよりは、記録の中で眠っていた方がまだマシだろう?」
「ふーッ、ふーッ……そんな、こと……あの人が……日陰舘、雅人が……許す、筈がない……ッ」
かつての仲間にこっぴどく傷付けられても。
腹に穴を開けられながらも。
激しく血を吐き出しながらも。
トアは一切弱気な姿勢は見せず、あくまでも気丈な態度で、目の前に居る狂気の男を睨み下ろす。
その常軌を逸した振る舞いが、〔英雄〕としての特性なのか、元々の彼女が持つ強さなのか、もしくは、『何者か』が奮い立たせてくれたモノなのか……恐らく、彼女自身も理解していないだろう。
だが。
男は即座に他愛もない言葉一つで、彼女の強さを無造作にぶった斬った。
「残念だけれど────彼は、死んだよ?」




