1-4 積り始める『埃』
果暦216年、華期36週目。
混迷に満ちた大陸樹に改革を起こす時が、翌週にまでやって来た。トア・ラィドを始めとする『英雄』の面々も、その時を心待ちにしている。
平民派、貴族派、果々、過激な活動家の存在を懸念する必要もあるが、反対にここ数年の間で賛同者も極めて多くなってきた。
実のなる刻を現した期に、バラード王家がエルミナノーグに再誕するのは一つの節目となる筈だ。
全ては、翌週の『戴冠式』。
それを迎えられるか否かで────大陸樹の命運は決定付けられるだろう。
《明示録 大陸樹章 最終節より》
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大社入り口にそびえ立つ巨大な鳥居。
全長二十メートルと、境内を呑み込む程の大きさを誇る鳥居の上で……一人の小柄な少女が両足を投げ出して座り、ニヤニヤと笑みを浮かべながら町並みを眺めていた。
「そんで?日陰舘家当主として自分の気持ちを押し殺して、フィーネスを力で捩じ伏せた気持ちはどうだってんだ……っとぉ、もう無くなっちまったかぁ?」
訛りのある口調の少女は、指先で徳利をつまみ上げるようにして持ち、それを頭の上で左右にユラユラと揺らす。
そんな少し残念そうな表情を浮かべる彼女を横目で見ながら、呟くようにして答えた。
「……そういうのは、あんまり口に出さないって決めている」
「にひひっ、そうかいそうかい。まぁ、口は災いの元と言うくらいだしなぁ。下手に心情を口に出すもんじゃ無ぇだろぉさ」
こちらの返答を聞いた彼女は愉悦感に浸ったような表情でケタケタと笑う。
そんな軽々しくも卓越した雰囲気を滲み出す少女の名前は、日野原ゆち。
黒色の生地に白色の花柄の装飾が成された荘厳な着物をだらしなく着飾っており、ウェーブの掛かった緑青色の髪を後ろで束ねている。まるで十代前半辺りで身体の時が止まっているかのような未熟な外見に反して、その不敵かつ妖艶な佇まいは花魁を思わせる雰囲気だ。
だが、彼女の砕けた口調で親しげに寄り添ってくる態度を前にすると、不思議と緊張感は軽減するモノである。
「それは、助言か?」
「応とも。気が利くだろぉ?」
「“身体も心も透け透けな存在”に心情云々言われても、どうも説得力がなぁ……」
「なぁんだい、侮辱するってのかぁ?下手すっと化けて出てやんぜ?これでもオレは────〔幽霊〕って奴なんだからよぉ?」
日野原ゆちの正体、それは────この大社に巣食っている『幽霊』であり、明示録から召喚された『フィーネス』だ。
普通の人間には見ることも触れることも出来ない魂だけの存在であり、そして……日陰舘一族の前当主、日陰舘沙世子の忘れ形見。かつては、彼女の付き人として行動を共にしていたという。
幽霊や精霊等の、人には視認することが出来ない霊的存在は、あくまで伝説上の架空の存在として認知されている。
だが、そもそも彼らの姿が人間の目に見えないのは、人の生きる『物理領域』とは異なるものの表裏一体とも言える、『精神領域』に住み暮らしているからだ。
普通に生きている以上は、彼らの領域に立ち入る機会はないだろう。しかしもし人類が、魔術や錬金術、超能力を開花させ、何らかの形で境界線の扉を開通することが出来れば或いは、誰にでも彼らの姿を捉えることが出来るようになるだろう。
日陰舘一族は、離元空間を支配する力を有している為、その特性により彼女たちの存在を認識することが出来る。話によれば、遥か昔の時代から既に霊的生物の存在を認知していたとされているが……先代の日陰舘沙世子も、その過程で霊界と深く関わる機会があったのかも知れない。
「まぁ、それはともかく。これは先日の礼の品だ。納めておいてくれ」
そう言って端末を操作しながら離元空間の穴から取り出し、ゆちの脇に置いたのは、淡い緑色の風呂敷に包まれた一本のボトルだ。
それを見たゆちは、何処かで聞いたことがある甲高い音色の口笛を吹きながら、ニヤリと笑う。
「ピュー。良いね良いねぇ、まぁ、あのくれぇはお安いご用よ。霊ぇの醍醐味は《憑依術》。たかが不良を操る程ぇ度、造作も無ぇことだからなぁ、にひひっ」
あの時、不良たちに鈴木莉乃を襲うように仕向けたのは……ゆちが扱う《汎現》の力だ。
詳細はハッキリしないが……ゆち曰く、数による際限はなく、人間でも動物でも種族を問わず、まるで操り人形のように他者を操ることが出来る、のだとか。
当初は、他者の脳内に暗示をかけるマインドコントロールのようなモノだと思っていたが、ゆちが幽霊であることを知ってからは、『憑依術』という非科学的な力が信憑性を増して感じるようになっていた。もしかすると本当に、彼女自身が他者の身体に乗り移り、身体の中からその者を操作しているのかも知れない。
「それじゃあ、俺はこれで失礼するぞ。あと、その成りで酒盛りは程々にしとけ?俺が誤解するから」
「えーーーー、あ、じゃあ一緒に呑もうや?」
「未成年を酒に誘うな。悪霊か、お前は」
「悪霊は無ぇだろっ!せめて地縛霊で留めて欲しいねぇっ!こちとらかれこれ三百年以上は幽霊やってんだからよぉっ!」
「悪霊は駄目で地縛霊は良いって……最早こだわりが分からないんだけど、それ……」
このように、一般とは異なる感性を持っている為、戸惑わされることもしばしば。
だが、先代との関わりから親近感を持ってくれているのか、親しみを持って接してくれる為、日陰舘一族当主としてはリノリスに次いで話しやすい友人だったりする。
「ちぇっ、つれねぇなぁ。サヨの奴ぁ、結構ぉイケる口だったんだけどもなぁ」
「……変な希望を持つなよ?俺は先代のような完璧人間にはなれないし、なるつもりもない。だから、お前の期待には応えられないぞ」
『そんなこと気にする必要はないよ、雅人くん?』
「……ッ!」
心を鷲掴みにするような聞き覚えのある甲高い声に、肩を震わせて『ゆち』へと視線を戻す。
そこに居たのは……ゆちではなく、日陰舘一族の黒い羽織を身に付け、それに付属する頭巾を深被りした人物。
個人的に、対面するのに最も勇気を必要とする人物だ。
思わず目を指で擦ってから、恐る恐る視界を開くと……そこには、からかうように笑いを堪えるゆちの姿だけがあった。
「にひひっ。世にも珍しぃ幽霊奇術、ってな?」
「……心臓に悪い……それじゃ、失礼する」
ゆちの楽しそうな横顔を見ながら立ち上がると、少し胸に引っ掛かる想いを抱きつつも、その面影に背を向けて離元空間の穴へ飛び込む。
一方、鳥居の上に一人残ったゆちは足をぶらつかせながら、隣に置かれた包まれた一升瓶を指先で撫で、まるで遥か遠い過去を見つけるように空を見上げて小さく呟いていた。
「先代のようにはなれねぇ、か……」
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本来ならば監禁されてもおかしくない行為を起こした筈だ。
それなのに、部屋を訪れた使用人の月影マヒナはにこやかな表情で、「シャワーでも浴びて来ては如何ですか?」等という提案を口にする。寝起きのせいか、死闘の反動のせいか、頭が回らなかった自分は、彼女の促すままに案内された浴室へと足を運んでいた。
程よい温度のシャワーを頭から被りながら、檜で作られた壁に手をつけて短く息を吐く。
「…………はぁっ……」
思えば、この世界にフィーネスとして召喚された当初から、若干の違和感はあった。
だが、どうやら勘違いなどではなかったようだ。
鏡で自分の姿を写しても、おかしい部位があるわけではない。
顔の形、腕や脚の長さ、体格……元の世界に居た時の記憶と、何一つ相違はなかった。それなのに、まるで、関節すらマトモに動かせない厚みのある着ぐるみを身に付けているかのような……そんな異様な不快感を感じていた。
そして昨日、遂にその正体が露見された。
器の分解現象……それはここに在る、『体の構造を模した物質』と、日陰舘が明示録を介して呼び出した『フィーネスの魂』……その二つがROSCの機能により無理矢理剥離されてしまった状態を指すのだろう。
つまり、この器というのは、“自分の本来の身体ではない”。
彼らがフィーネスを受け入れる際に生成した、『偽物の体』、ということだ。それでも、分離現象に陥った状態の身体の不調具合と苦痛は尋常ならざるものだった。
(……まだ、全身がフワフワしてる……)
最後の衝突時に全身を分解されてしまって意識を失い、その瞬間は本当に死を覚悟したものの……気付いたら部屋のベッドに寝かされ、バラバラになった身体も元に戻っていた。
つまり、勝てなかったのだ……完膚なきまでに負けてしまっていた。
いいや、いいや、正確には違う。
自分の記憶が確かならば、恐らく、あの瞬間……最後の最後で────“躊躇ってしまった”。
(……何故……あの時、私……何を聞いたんだっけ……?)
心地よいお湯で、冷えきった身体と心を温めながら、ゆっくりと目蓋を閉じる。
全身の力を抜き、深く深く呼吸をしてから、その瞬間の記憶を呼び起こす。
『“させる”かよ。お前は────■■■■』
その瞬間のことは、意識が朦朧としていてハッキリと覚えてはいない。
だけど、奇妙な感じだ。
恐らくはあの時、彼の手で全身を分解されてから……妙に、心持ちが軽い。
負けたことを悔いるどころか、現状に進展が無いことを焦るどころか……むしろ、晴れ晴れとした解放感に、自分の中で満足感を抱いてしまっている。何か、ずっと抱え続けていた重い荷が、肩から滑り落ちたかのような、そんな感覚だった。
気持ちが悪い……だけど、悪くない。
悪くないけれど……やっぱり、気持ち悪い。
そんな感情の矛盾が、ずっと全身をループし続けていた。
(……部屋に戻ったら、もう少し寝ようかな……何だか、頭が疲れてる……)
結局答えは見出だせず、倦怠感の滲んだ溜め息を吐いてからシャワーを止め、タオルで身体を吹きながら脱衣場へと向かう。
自分の衣類を置いておいた棚の前に立ち、中を覗いたところで……思わず硬直してしまった。
「……あ、あれ……?着替え、ない……」
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月影マヒナの手を借りて、気を失ったトアを部屋に運び込んでから、間もなく一日近くは経つ。
そろそろ目を覚ましているのではないかと、彼女の部屋の前に訪れてみたは良いが……一時的とはいえ、彼女の身体をバラバラにした張本人が、心配になって見舞いに来ること自体、筋違いであるような気がしてならなかった。
「まぁ、別にいいか……拒否されたら入らなければいいだけだし……ゴホンっ……トア、起きているか?」
目の前の扉をノックして、中に居ると思われるトアへと声を掛けた。
しかし、しばらく待っても中からの返事はない。
眠っているのならば仕方がないと、半ば諦めつつ、それとなくドアノブに手を掛けたところ……何かにつっかえることもなく、するりと回ってしまった。
「あれ、開いてる……トア、入るぞ?」
何やら不審な気配を感じ取り、少しばかりの罪悪感はあったものの、勇気を振り絞って扉を開いて中へと足を踏み入れる。
そこにあったのは、至って普通の生活空間。
部屋の模様替え等はマヒナに頼んで好きにしても良いと言っておいたが、当初と一切代わり映えが無く、必要最低限のベッドと机、クローゼットだけが置かれた、極めて質素な部屋。普段から自らを着飾ったりしない、彼女らしいといえばらしい内装といえるだろう。
ただ、この部屋に入った瞬間から、他とは異なる甘くて柔らかい香りに包まれて……やはりここは彼女の、異性の部屋なんだ、ということを身をもって実感するものだ。
それはともかく。ROSCを所持している自分は、離元空間の内部状況をある程度本能的に察知することが出来る。流石に細かい行動までは分からないが、特に意識していなくても、誰が何処に居るのか位は簡単に言い当てることが可能だ。
だとしたら、何故、今回は彼女の不在に気付かなかったのか。
ポケットの中からROSCを取り出して画面を確認してみると……原因は直ぐに分かった。
「あ、そういえば、ROSCを《手動操作》にしたままだったっけな。多分、離元空間から出た訳じゃないだろうけど、何処へ行ったんだ……って、おぉ?」
ROSCの設定を《自動操作》に変えながら部屋の中を見て回っていると……ベッドの上に、一匹の小動物が掛け布団から頭だけを出して眠っていることに気付いた。
『ぷぅ……ぷぅ……』
「……リノリス……なんでここで寝ているんだ、お前は……?」
うつ伏せになって顔だけ出したまま、何とも幸せそうな表情で眠っている。
思い返してみれば、昨日の死闘以降、屋敷の中でリノリスの姿を見ていなかったが……もしかして、一日中寝たきりだったトアに寄り添ってあげていたのだろうか。
トアもリノリスのことは気に入っている様子だったし、むしろ回復の為の良い薬になったのかも知れない。
「せめて一言教えてくれても良かったのに。時々、猪突猛進なところあるよな、リノリスは……」
「…………へ……っ!?」
「ん?」
それは、唐突に訪れた。
虚をつかれたかのような驚きの声と共に、部屋の中へ入ってきたのは……。
────バスタオル一枚で身体を覆い隠した、トアの姿だった。
灰色の髪はまだ湿っていて銀色に煌めき、拭き残された水滴はその白い肌の上を滑り落ちる。火照った身体と若干に赤く染まった頬を見る限り、どうやら風呂上がりのようだ。
だったら、何故服を着ていないのかと正論をぶつけたくなるが……生憎、それを口にするだけの余裕はなかった。
彼女と向かい合ったまま、互いに硬直し、どう動くべきかと決めかねていると……。
「……あ、あの、服を着たいので……そこ、どいて貰えませんか……?」
(ちょいちょいちょいぃっ!!)
トアが自身の腕で胸元を隠しながら、無理矢理羞恥心を押し殺して冷静を装ったようなたどたどしい佇まいで、ゆっくりとこちらに近付いてくる。
クローゼットは自分の真後ろだ。
極力彼女を刺激しないように、爆発寸前の感情を胸の奥に押し込みながら、こんな状況でも呑気に居眠りするリノリスへと手を伸ばす。
その時、事件は発生した。
「あ、あぁ、悪い……というか、今すぐに出ていくから、少し待っ……」
『すんっ、すんっ……ニン、ジン……ハグッ』
「んんぅぐっ!?」
ガリッ、と嫌な音と共に、指先に鋭い激痛。
弾かれるように腕を引っ込めるものの、その拍子で身体のバランスを崩してしまう。
すると、何とも運が悪く、丁度真横辺りを恐る恐る進んでいたトアと衝突。
「きゃっ!?」
トアの甲高い悲鳴が発せられると同時に、取っ組み合いになるように二人して床に転倒。
気付けば、仰向けとなった彼女の上に、覆い被さる体勢になってしまっていた。
「あ……」
「……ッ……日陰、舘……な、なにを……ッ」
タオルが胸元からはだけ、その形の綺麗な胸元があらわになると……最早隠そうとする余力もないのか、トアは両腕で目元を覆い隠しながら小刻みに震え始めた。
本来ならば、そこで離れるのが当然なのだろうが……今、一瞬だけ、“奇妙な物”を目撃した気がして、トアの両手首を鷲掴みにする。
「……!ちょっと待て」
「ん……っ!?ま、待って、何を……!」
「いいから。眼を見せろ」
「……ッ……」
顔を真っ赤にして今にも涙を流しそうな、トアの潤った『瞳』を凝視する。
気のせいだろうか。
昨日、最後に目を合わせた時とは……“眼の色が異なる”ような気がする。
確か、その時の瞳の色は、髪の色と同じ『灰色』だったのに……今は、白の色素が抜けた『黒色』になっていた。
勘違いと言われれば返す言葉は無いが……この些細な変化、果たして気に掛けるべきなのだろうか。
「お前、カラコンでも付けていたのか?」
「付けていません……ッ!」
「どういうことだ……ただの、見間違い……?」
「あ、の……それより、早く、どいてくれませんか……っ」
口では強気な言葉を放ち、手足を動かしてもがくものの、どうにも本気で拘束を抜けようとしているとは感じられなかった。
昨日は殺し合いをした間柄ではあるが……これまで散々、高みの英雄様としての姿を見せ付けられてきた反面、こうも弱々しい姿を目の当たりにしてしまうと……妙な悪戯心がくすぶる。
心の中では駄目だと思いつつも、トアを拘束する手に力を込めて、今度はこちらから挑発的な言葉を言い放った。
「……だったら、無理にでも押し退ければ良いじゃないか?何故、英雄ともあろう者が、俺の成すがままに押し倒されている?」
「…………っ……分かり、ません……っ」
「分からないって……」
「今は、『英雄』の名を、出さないで下さい……私をこれ以上、惑わさないで、下さい……っ」
「惑わ……?お前、何を言って……」
さて、最早何をどう判断したら良いのかも分からなくなってきた。
トアの苦痛の滲んだような言葉を耳にしながら、その動揺に感化され、思わず困惑して彼女の言葉を待っていると……。
コンッ、コンッ、コンッ、とハッキリしたノック音が部屋の中に響く。
トアと共に、二人して顔を向けた先には……穏やかな笑顔を浮かべる使用人の姿、月影マヒナが顔だけ出してこちらを見ていた。
「御主人様、御主人様。夜の営みを行うつもりならば、せめて部屋の扉くらいは閉めなくては。外まで筒抜けで御座いますよ?」
「…………」
「…………」
『ぷぁ……っ』
リノリスの呑気な欠伸が聞こえてくる中、自分たちは言葉を失って、何処か楽しげに話すマヒナから目を離せずに硬直。
すると彼女は、クスクスと笑いながらドアノブに手を掛けて、部屋の外へと身を引き始めた。
「支配者様と英雄様。本来ならば相容れぬ両者が立場の壁を越えて、閉ざされた夜刻に、熱い身体を重ね合わせる……ふふっ、何とも素敵な物語ではありませんか。後はどうぞ、心ゆくままに。性なる欲の沼に溺れて下さいませ」
マヒナが満足げに笑ったのを最後に扉が静かな音を立てて閉められると、途端に思考が冷静になり、それとなく身体を起こしてトアの上から退く。
疲労感が一気に沸き上がるのを実感しながらベッドに腰掛けると、ゆっくりと上半身を起こしたトアへと、ため息混じりにこう提案した。
「……一日中部屋に閉じ籠ったままだと、身体に毒だろう。少し外の空気を吸ってきたらどうだ」
「……嫌です」
「別に強制はしないがな」
「あなたが行くなら、行きます」
「あぁ行くのか、行くのなら勝手に…………なんだって?」
今、立場的に決して聞いてはいけない一言を聞いてしまったような……。
思わず顔を歪ませて、床にペタンと座るトアへと視線を移すと……彼女はこれまでと同じ様に、鋭い目付きでこちらを睨み付けている。ただ、そこに昨日までの冷徹さはなかった。
まるで恥ずかしさを堪えるように、若干頬を赤らめて、俯き加減で太股をモジモジと動かしながら、こう続ける。
「いつでもあなたの首を取れるように、あなたには傍に居て貰わねば困ります。だから、一緒に行きましょう。それでは、駄目ですか?」
これは、どう判断したものか。
ただの気紛れのつもりなのか、もしくはまだこちらを殺すことを諦めていないのか……ならば、下手に承諾するのは自分の身を陥れるも同然だろう。
短い期間で離元空間の正体を見抜いた彼女のことだ、次の機会までにはフィーネスの劣勢を覆す方法を見出だしている可能性も低くはない。
「なら、明日だ。用意しておけ」
「……望むところです」
だが、これはある意味でチャンスかも知れない。
トアは明示録に記載された大陸樹の住人であり、異世界を生きた張本人だ。
もしかしたら、明示録にも書かれていない『埃』の情報を、幾つか有しているかも知れない。
それを彼女の口から聞き出すことが出来れば……少しでも、事態は好転する筈だ。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
「……うん?」
大社前の巨大鳥居の上で、だらしなく寝そべりながら一人酒盛りしていた日野原ゆちは、途端に妙な気配を察して上体を起こす。
辺りを見渡すと、丁度鳥居の前辺りに二人組の人物が向き合って会話をしているのが目に入った。
片方は細身で高身長の青年。
もう片方は、脚まで隠れる程のバスローブのようなモノで全身を包み、付属のフードを顔が隠れるまで深被りしている人物だ。
茶屋……いいや、ラブホから抜け出してきたカップルが痴話喧嘩でもしているのだろうか。
そんなことを考えていると。
踵を返して歩き出した青年が────唐突に、塵となって消失した。
驚くのも束の間、彼の後を続いて濃霧のように漂う塵に近付いたローブの人物は、一度その前で止まってから、“鳥居の上を見上げる”。
それから、フードの影から不敵な笑みを浮かべた口元を見せ付けると……塵の中へと消えていった。
「ククッ、こりゃあ厄介な野郎ぉが出てきたもんだ。しかしまぁ、何故この現世に────『埃』が漂っているもんかねぇ……?」
目の前にまで浮かび上がってきた埃を手で振り払いながら、薄ら笑いを浮かべると……再び鳥居の上で寝そべり始める。
大変なモノを見てしまったが、“関係はない”。
人間の事情に、幽霊が首を突っ込むのは野暮というモノだ。
幽霊とは時代の変化に取り残されて、いつまでも未練たらしく現世に残っている厄介者に過ぎない。そんな存在が世界に介入するのは、『世界意志』が許しはしないだろう。
いつだって、世界に働き掛け、新たな時代を切り開くのは……命を、身体を、そして魂と信念を持った者たちだけなのだから。
「そぉいやぁ、あのバスローブ……日陰舘の屋敷で、月影の野郎ぉが客人に出すモンと同じだった気もすっけど……まぁ、それもどうでもいっかぁ」




