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シェード・エプリコッド ─召喚者たちの異世界略奪戦争─  作者: 椋之樹
英雄への明示─Execution of ideal─【現世編】
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1-3 虚無で咲き臨む花


 それこそ小さい頃の思い出ではあるが……ヒーローというモノに憧れていた節もある。

 誰かが困っている時に、颯爽と現れる正義の味方……もし自分もそんな風に生きることが出来たら、きっと人生も楽しいモノなんだろうな……そんな妄想を考えることは、無いことも無い。


 だが、現実とは妄想通りに進むモノではなかった。


 元々、秀でた才能とか、伸ばせば光る力量とか、そういった特別な能力がある訳でもない……。

 学校のテストでも、中の下から中の上周辺をウロウロしているような、平均少年……。

 誰かに意見することが出来ず、意見されることを面倒臭がる、単独行動派……。

 将来の夢も、安定した公務員にでもなっておこうかな、と朧気な考えしか持っていない……。

 きっとそのまま何も考えずに人生を送っていたら、何ら代わり映えもない日々を過ごし続けることになっていただろう。社会の波の中を、進むことも、抗うこともせず、ただイカダに揺られて呆然と過ごしている……それが、日陰舘雅人の人柄だった。

 そんな人間が、他者を思いやり、他者を助けようとする、ヒーローに相応しいのか……いいや、論外だろう。

 だから、あくまでも妄想に過ぎない話だった────『明示録』を手にする、その時までは。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 自然も、生物も、命も存在しない、虚無で構成された、離元空間。その中にただ一邸、寂しげに存在する屋敷には、年間を通して来客の数は皆無。

 しかしながら、ここは離元空間を支配する人物が座する根城だ。そんな偉大な肩書きがある以上、清潔感や優美さに気を使わなければ威厳も何もあったものではないだろう。

 故に、屋敷に在中する唯一の使用人、『月影マヒナ』は、三百六十五日二十四時間、一日、一秒も欠かすことなく、屋敷の屋内作業に身を捧げていた。

 その日も、一階から最上階まで各階全ての部屋と通路の掃除を済ませた彼女は、次は夕食の準備に取り掛かろうと、リズミカルな足取りで螺旋階段を降りていく。


「当初から虚無にあった二つの感情の不協和音……どうやら、最高潮を迎えつつあるようで御座いますね。なんと、恐ろしいことか……」


 いつもは静寂と沈黙だけで形作られていた閑寂な豪邸で、異常事態という名の旋律が響き渡り、屋敷全体が歓喜の歌声を奏でているかのようだ。かくいう彼女も平時とは違う賑やかさを背景にして、スキップ混じりに愉快な気分で厨房へと向かう。

 例えそれが、自らの主人の命が懸かった非常事態だったとしても……彼女は他人事で淡々と業務をこなす。


「クスッ、楽しいで御座いますねぇ……っとと、いけないいけない。こう賑やかだと、図らずもはしゃいでしまうのは、わたくしの悪い癖。本日は特に荒れる御様子。厄介にやらぬよう、密かに責務に尽くせねばなりませんわね。あぁ、それにしても……」


 日影に忌み隠された真実は、陽の光を浴びることを願わず、ただ虚無に還ることを望むもの。

 それぞ、世の理であり、『世界意志ザーヴァ』が望むままの未来。誰もが無意識の内に望む現実であり、道徳であり、倫理の賜物だ。

 だが、それではあまりにも殺風景であろう。

 願わくば、この静まり返った地に嵐の宴を。

 叶うことなら、一糸乱れぬ空間に惨禍の唄を。

 それが出来るのは、ただ一人────現存する日陰舘一族の遺産を継いだ者だけだ。


「あぁ、あぁ……やっぱり、賑やかなのは楽しい……うふっ、うふふ、うふふふふふふ……っ」



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 トア=ラィド・イザベリングで、三度目の召喚だった。

 これまで二度に渡って、明示録に記載された異世界の偉人もしくは『フィーネス』と呼ばれる存在を召喚し、トアと同じ様に行動を共にした経験があるが……正直に言おう。


 ────一度目も二度目も、最悪の形で終わりを告げた。


 代償となってしまったのは……フィーネスの命と、彼女らが生きた異世界そのもの。

 つまり、何が起こったのか。

 問題の瞬間、フィーネスや異世界の存在を唯一繋ぎ止めていた明示録から、彼女らに関する記述が────完全に消え去ってしまったのだ。

 嘘だと、夢だと、そう信じて、何度も指の皮が剥けるまで頁を捲った。何度も何度も、全ての文章を閲覧し、血眼になって、彼女らに関する記述に探した。

 何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……その瞳を、大粒の涙で濡らしながら。

 だが。

 結局、それを見つけることは出来なかった。

 そして、ようやく理解した……自分が、“殺してしまった”のだと。明示録に書き記された記述────即ち、フィーネスと彼女らが生きた異世界、全てを。

 殺すつもりはなかった……。

 死なせるつもりもなかった……。

 だが、きっとそれを責める者は、誰一人として居ない。

 明示録から派生したフィーネスと異世界は、ただの歴史として書き記された時点で、空想上の存在なのだから。

 フィクションの登場人物が命を落として、誰が墓を立てる?誰が念仏を唱える?誰が追悼するのだ?

 諦めればいい……。

 気にしなければいい……。

 考えるだけ無駄だ……。

 彼がやったことは精々、当該の頁を明示録から切り離して燃える炎の中へ放り込んだ、それだけのこと。“そんなに小さなこと”を本気で怒るような人物が、一体、この世界のどこにいるというのだろうか。

 ……。

 …………。

 ………………否。断じて、否だ。

 他の者がどう言おうが関係ない。

 もう二度と、同じことは繰り返さないと誓った。

 もう二度と、目の前で命を手放したりはしないと誓った。

 例え、紙の上に描いた絵が意思を持って動き出したような、幻想に過ぎない現象だったとしても……。


 次こそは必ず、救ってみせる────全てを。






『だったら、どうして“それ”を話してあげないの……?』


 そこは、普段は滅多に使うことがない執務室。

 仰々しい椅子に深くもたれ掛かっていると、目の前の机の上に腰を下ろしてジッとこちらを見つめる兎、リノリスが問い掛けてきた。

 正確には、彼女の意識と同期したROSCから発せられている音声なのだが。


「……どうしてって、何が?」

『主様は、トアさんのことを想って、トアさんを取り巻く異世界を想って……その為に、自らの身を張って行動しているでしょ……?そんな主様の心境を知れば、トアさんだって……』

「そうやって手を繋ぎ合わせて協力した結果、俺は過去にフィーネスと異世界を皆殺しにすることになった。忘れたか?お前も、よく覚えている筈だろう?」


 理想だけを語っていては現実を掴むことは叶わない……そういうことだ。

 少しばかりキツくなってしまった口調でリノリスに問い掛けると、彼女は一度垂れ耳をピクリと動かし、若干顔を逸らしながら、こう返答した。


『……そう、だったね……フィーネスが“帰りたい”と願い、主様がそれを手助けすること……それ自体が、罠だった。だけど、普通は考えも付かないよ……異世界とフィーネスが接触するだけで、明示録から記述が抹消されちゃうなんて……』

「メカニズムはハッキリとしていないが……意図的に仕組まれたということだけは分かった。世界そのもの、次元や空間を丸々使った……『奴』の仕組んだ、卑劣極まりない罠……」


 どこから生まれたのか、どこから派生したのか……それすらハッキリせず、いつの間にか、そこかしこに降り積もっている『物』。

 どれだけ振り払ったとしても、どれだけ磨いたとしても、時が経てば、再び同じ様に積もる。


 そいつの名は『埃』もしくは────『ヴーズダット』。


 それを完全に根絶するのは、不可能。

 現時点における明示録は『埃』にまみれ汚れた状態にあり、ただ払っただけでは振り落とせない程に侵食されてしまっている、ということだ。


「フィーネスと異世界……双方を無傷で救うには、多現世界の滅亡を目論む『ヴーズダット』を完璧に欺かなくちゃならない。フィーネスと明示録の持ち主が協力することが、奴等の考え通りだって言うなら……最初から、“その前提条件を崩してしまえば良い”」

『……その為に必要なのが、フィーネスと……トア=ラィド・イザベリングとの、決定的な決裂……?』


 どこから仕掛けていたのか、どこから目論んでいたのか……明示録を作成する段階で、その裏側に潜んでいたであろう『ヴーズダット』の思惑を見抜くことは極めて難しい。 

 ただ、その異世界が『現世』として存在していた時から、埃が溜まり続けていたことは間違いない。

 つまり、フィーネスと異世界の運命は、ヴーズダットが敷いたレール通りに進み、最終的には明示録から完全消滅する……そういう流れにされてしまっている。

 それを防ぐ手立ては────未だに、不明。

 だが、一度目と二度目の経験により、明示録からの完全消滅を軽減させる方法は、朧気ながらに見えてきた……それこそが、フィーネスとの仲違いである、ということだ。 


「信頼は要らない。理解も、友情も要らない。俺が欲しいのは────あいつの故郷とフィーネスの救済、その結果だけだ。それを手に入れる為なら……」


 不意に椅子から立ち上がると、部屋の隅に立てられたポールハンガーから、ただ一枚だけ掛けられていた黒色の羽織を手に取る。

 少しばかりサイズの大きなそれに袖を通すと、ヒンヤリとした布地が全身を包み込み、長い襠部分がまるで意志を持ったかのようになびいた。背中には大きな白い花の刺繍が施され、それに込められた重い意義が、改めて身を引き締めさせる。

 自らの身を賭けた、最大最悪の死闘に挑む為に。


『……わ……っ』

「トアの殺意も憎悪も、受け入れる。全てを受け入れた上で、『ヴーズダット』に勝つ。あの時、俺はそう覚悟を決めた……『日陰舘一族の紋所』と『日影の明示録』を、先代から受け継いだ時から」


 白い花が表すは、『月下美人』。

 例え、ほんの一時しか咲き誇らない、儚き大輪の花だとしても……その刹那なる開花の一刻が為に、全てを懸けよう。

 その経過の中に、英雄との殺し合いが含まれているとするならば……今一度、確固たる覚悟を持ってして、こう強がって見せよう。

 日陰舘一族当主、そして彼女を召喚した張本人として……。


「だから、かかって来い────剪定の英雄」



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 不思議と足取りは軽やかだった。

 人の気配すら感じられない大きく静寂な屋敷では、床を踏み締める度に、乾いた木を叩く音が大きく反響して広がる。

 まるで、この屋敷を根城とする諸悪へ向けた、英雄が奏でる鎮魂歌レクイエムのようだ。

 今夜、日陰舘一族現当主、日陰舘雅人は死ぬ。

 刻一刻とその時が近付いているのを実感する中、何の後ろめたい気持ちもなく、堂々と、真っ直ぐに、彼の待ち受ける部屋へと向かっていた。


「……これで、終わる……」


 思い返してみれば、短かったような、長かったような、不可思議な異世界生活だった。

 ただ、どんな形であろうとも、結局のところは『英雄』らしく事態を解決しようとしている。そういった意味では、きっかけを与えてくれた鈴木莉乃には感謝しなければならない。彼女の存在は、『英雄』として抗う力を与えてくれた。彼女の為に戦うことで、元の世界に戻るチャンスを掴むことが出来た。

 当初は、離元空間を自由に操る日陰舘の力を前に、なす術はないのではないかと考えていたが……それも、過去までの話だ。

 勝ちに至るまでは苦戦を強いられることになるだろうが、今ならば────絶対に、“殺すことが出来る”。


「……もう少しです。もう少し、頑張れば……」


 もう少しで、日陰舘雅人を殺せる。

 もう少しで……元居た世界に、帰ることが出来る。

 どんな状況にあろうとも、自分の帰るべき場所は……大切な仲間たちが待っている、あの場所にしかないのだから。


「『ヨウ』、『マリドナ』、待っていて下さい────今、そちらへ帰りますから」


 現時刻は、二十時五十九分。

 目の前には立ち塞がるのは、執務室の扉。

 そして。

 屋敷の中に設置された古時計が、二十一時の鐘の音を告げた瞬間────彼女は、未来の形を決定付ける運命の扉に、ゆっくりと手を伸ばした。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 二十一時を告げる鐘の音。

 到来したのは、英雄の宣言した殺し合いの刻。

 さて、まずはどうやって登場するのか。目の前にある扉を蹴り飛ばして入ってくるか……側面にある壁を木っ端微塵にして突撃するつもりか……もしくは、最初からこの部屋ごと吹き飛ばす算段か……《汎現》に加えて、身体能力も度を越えている彼女のことだ、きっと予想もつかないやり方で襲撃してくるに違いない。

 固唾を呑み、全神経を研ぎらせて、椅子にもたれ掛かったまま、静かにその時を待つ。

 そして、次の瞬間────。


「……っ!!」


 コンッ、コンッ、コンッ。

 計三回。

 まるで面接時のように、無礼のないように、規則正しく、扉をノックする音……それだけ。


(……ビックリしたぁ……ッ)


 何かを破壊するとか、襲撃してくるとか、そんな物騒な気配は微塵にも感じられない、あまりにも静かな展開。だが、この時間に、自分の部屋を尋ねてくる人物は……一人しかいない。

 一体、どういうつもりなのか。

 一瞬、何が起きているのか理解出来ず、面食らった表情で呆然としていたが……慌てて顔を横に振って、咳払いを一つ。半ば無理矢理平静を装ってから、扉の向こう側に立っていると思われる人物に声を掛けた。


「鍵は掛かってないぞ」


 すると、まるで内部を窺うように遠慮がちな挙動で扉が開かれると、灰色髪の少女が中へと入ってくる。

 彼女は一瞬だけこちらと目を合わせると、軽く会釈をして直ぐに目を逸らした。


「こんばんは、日陰舘雅人」

「……あぁ、こんばんは。どういうつもりだ?」

「どういうつもりとは随分な挨拶ですね。確かに、警戒するのは当然でしょうが……っと、兎?」


 この質素な部屋の中でトアが真っ先に目を付けたのは……まるで、私はここには居ませんと言いたげに、隅の影でこちらにお尻を向けて縮こまっている一羽の兎だった。


「リノリスだ。うちで飼ってる」

「ぷ……ププーッ!」

(うぉぃっ、はしゃぎ始めるな)


 一応“彼女”には、無用な混乱を招く前に、何処かに隠れるように命じたのだが……どうやら、トアの察知の良さからは逃れられなかったようだ。

 むしろ観念した様に、いつもは垂れ下がった耳をピンっと上に立てて、トアの足元にすり寄っていった。


「……触ってもよろしいですか?」

「まぁ、好きにしたらいい」


 トアは足元にいるリノリスに対して、膝をついてソッと近付き、恐る恐るといった様子で、その小さな頭に手を伸ばした。

 最初に指先が毛先に触れ、一瞬だけトアの手が反発するように離れるも……リノリスが何も警戒していないことを察したのか、ゆっくり、ゆっくりと、指先から手のひらへ、その柔らかい毛並みに沿って、ぎこちなく撫で始める。

 当初、トアの横顔は驚いたように目を見開いていたが、リノリスが気持ち良さそうに撫でられているのを見下ろしていると、次第にその頬が綻んでいった。


「……ふわふわ……」

「プゥ」

「……不思議な子ですね。私を前にして逃げ出さないだなんて……」

「前から思っていたが……ただ動物が好き、って訳ではなさそうだな」

「えぇ。動物は好きですが、ちゃんと触れたのはこれが初めてです。彼らは、私を見た瞬間に逃げ出してしまいます。きっと、本能的に分かっているのでしょうね、私のことを。彼らは、人間以上に敏感な生物ですから」

「……どういうことだ?」


 その時のトアの横顔は珍しくも、哀愁漂わせる複雑そうな表情をしていたように見えた。

 思い返してみれば、先日も何やら真剣な表情で猫のことをジッと見つめていたが……何か関係があるのだろうか。


「そうですね……もし、あなたも彼らと同じ様に敏感な生物ならば────このような『不意打ち』にも、簡単に気付けたのでは?」

「…………な……ん……?」


 途端、時間の流れが停止した。

 身体の前面に何かを押し付けられているような感覚を覚えたと思いきや、後ろで何かが崩れる音が響く。

 嫌な予感が頭を過り、恐る恐る背後を振り返ると……壁の対角線上に、巨大な斬り傷が浮かび上がっていた。

 それを認識した直後。

 ようやく、初めて────自分の胸元辺りに、斬り傷が滲んでいたことに気付く。


「……“思っていた通り”。さぁ、日陰舘。次はあなたの番です。早い所私を対策しなければ────死にますよ?」


 再び視線を前に戻した時には、トアは目と鼻の先にまで差し迫っており、大きく瞳を見開きながら、握り拳を後ろに引いていた。

 速い、速過ぎる、何もかもが……とてもではないが、見てからでは思考が追い付かない。


「────ッ!!?」


 トアの拳が、視界の中で一瞬だけブレたと思った……次の瞬間。

 銃で撃たれたと誤認してしまう程の、鋭く重い衝撃が土手っ腹にぶちこまれ……そして気付けば、後ろの壁を突き破り、外へと吹き飛ばされていた。


「プ、プ……ッ!」

「大丈夫ですよ、リノリス。あなたには危害は加えません。ですが……」


 明らかに怯えた様子を見せるリノリスに対して、小さく微笑み掛けるトアだったが、何処か冷たい口調でこう言い放つのだった。


「あなたのご主人様の命だけは────どうか、諦めて下さい」






 屋敷前庭園の庭木の中から、全身に走る鈍い痛みを堪えながら身体を起こす。胸元についた浅い斬り傷を手で押さえ、顔を張り詰めさせながら、思い切り歯を噛み締めた。

 改めて思い知らされた、“格の違い”を目の当たりにして。


(冗談じゃないぞ……離元空間の《自動操作》機能がなかったら……今の一瞬で、二回死んでいる……ッ!)


 日陰舘雅人自身に何らかの物理もしくは異能的脅威が迫った時、ROSCには、自動的に『壁』を生成する機能が搭載されている。

 それは、至近距離から放たれた銃弾ですら確実に防ぎ、精神的影響を及ぼす異能をも完全遮断する、絶対防御にも等しいモノ。言ってしまえば、『離元空間そのものの操作』を可能にする機能だ。

 だが、だが……。

 よりにもよって、あの英雄は……。


(あいつ……まさか────既に、『壁』の攻略法を見出だしているのか……!?)

「やはり、常に離元空間を身に纏っているわけではないようですね。それも含めて、想像通りといったところでしょうか」

「……っ!」


 あの時と同じく、まるで耳元で囁かれたかのような声に驚き、反射的に顔を上げると……そこには、既に臨戦態勢を剥き出しにするトアが静かに佇んでいた。

 その手には、例の赤く歪な刀剣が握られており、その瞳からは、一切の揺るぎもない殺気が痛切に伝わってくる。

 そして始まる、『英雄』の……いいや、〔英雄〕の猛攻が。


「もう、思考する隙は与えません」


 トアが呟いた直後。

 耳元で金属が衝突するような甲高い音。

 同時に、頬の皮が僅かに肉ごと割け、血飛沫が跳ねる。

 二斬目、三斬目、四斬、五斬、六斬、斬、斬、斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬……息つく間もない猛撃が次々と体を刻んでいき、身動き一つ取ることが出来ない。


(ぐッ……怖ぇ……ッ!)


 トアが目に見えない速度で振るっている剣は、《自動操作》で全て防いでいる筈だが……時々、その速さを相手に、ROSCの演算能力が“追い付いていない”。

 とにかく、速過ぎるのだ。

 人間の反射神経だけでなく、機械の演算能力さえ上回るとは……ある意味で、流石は他者に手首を斬り落とす幻覚を見せるだけのことはある。

 今は辛うじて掠り傷で済んでいるからいいものの……この微かな攻勢に一撃必殺の威力が加わってしまったら……勝負は、一瞬で決着する。

 そこへ。

 まるでこちらの心を読んだかのように、彼女が恐怖の火蓋を切って落とした。


「そろそろ、『壁』を抜けるのも慣れてきました……あと一押し……これで、終わらせます」

「……ッ!?」


 死闘開始から一分と経たぬ間に発せられた、勝利宣言。

 それと共に、トアの鋭い回し蹴りを腹に当てられて大きく弾き飛ばされると……彼女は軽く手を前にかざし、何事かを唱え始めた。


「────《守護者の培養せし果実よ。この身に甘美なる雫と祝福を与え、この身を更なる高みへ……》」


 《壁》の存在もあって損傷こそないが、衝撃に押されて悶えつつ立ち上がった時……《それ》は、トアの手中に顕現していた。


(なんだあれ……林檎、果実……黒色の、果実……?)


 水の中に垂らした黒と紫の絵の具が混ざり合ったような、気味が悪い色彩をした《果実》のような物体。

 例えるなら、闇夜、もしくは腐廃物。

 とても〔英雄〕が持つには似つかわしくない禍々しい代物を、トアは躊躇もなく口元へ運んでいくと……。

 グチャァッ。

 新鮮味の欠片もない、思わず吐き気をもよおすような音と共にそれを齧り、咀嚼し、呑み込んだ。


「はぁっ……今こそ────私の『英雄』を実行する」






 《真器》。

 フィーネスは現世で培った自らの力と馴染み深いモノを、明示録から召喚された際に与えられる。当時とは比べ物にならない、“自らの真なる姿を投影した”、極大的な力に昇華したモノとして。異能力の総称である《汎現》……それらの、何物にも変え難い、唯一無二の最終奥義として。

 それが、《真器》と称される力だ。

 ただ、もしかすると、この死闘に用いるには“過ぎた力”だったのかも知れない。


 この男、弱すぎる。


 あまりにも、歯応えが無さすぎる。

 所詮は、離元空間という高次級の力を持っているだけのインチキに過ぎない、ということか。

 それはまるで吹けば飛ぶような埃であり、この男を殺すのは赤子の手を捻るよりも簡単だということは、直ぐに気付いてしまった。

 だが。

 最後まで油断はしない。

 確実に、全力で、最後の手段を使ってでも……必ず勝つ。


「……ッ……ト、ア……ッ」


 確かに、離元空間の《壁》は物理や精神的影響を完全に遮断する。それを破壊することも、すり抜けることも、何物であろうと不可能。

 だが、先程の攻勢により、自身の最大速度で振るった連撃ならば、壁の生成が完璧に間に合っていないことが分かった。その一瞬の隙へ、フィーネスに与えられた必殺の一撃、《真器》をぶち込んでしまえばどうなるか。

 例え彼が、支配者だろうが、この空間の神だろうが……確実に、殺すことが出来る。

 そんな、確信があったから。

 

「────さようなら、日陰舘雅人」


 永遠なる離別の言葉と共に。

 自らの身体能力による高速移動、フィーネスとして与えられた《汎現》、そして────《真器》を、自らの赤色の剣に顕現させたと同時に、それを振り抜いた。

 そして。

 支配者と英雄……その肩書きの割りに、極めて短かった死闘は、これにて決着の刻を……刻を……とき、を……。


 ……。

 …………。

 ………………。


 決着の刻を迎えても、おかしくはなかった。

 だが……。

 だが、しかし────“この程度のことで、終わらせる訳にはいかない”。


「《自動発動オートマ》解除────《手動発動マニュアル》発動」


 それは、既に発動していた。

 トアが真器を顕現させ、その全容を振り抜くよりも前から。

 生死を分ける最後の一撃の末に、小さく呻き声を上げたのは────トアの方だった。


「………………え……ぁ……ッ……?」


 『フィーネス』とは。

 明示録の記録から召喚された、いわゆる離元空間から派生した存在であり、成分的観点から見れば、離元空間を構成する物体の一部である。個々の肉体と魂を有する人間とは異なり、離元空間が無ければ存在することすら出来ない。

 つまりは、最初から宣言通り。

 離元空間を支配していることとは即ち……その一部に過ぎないフィーネスを、その手で掌握しているも同然なのだ。

 幾ら力が強かろうが、幾ら異能が優秀だろうが、速かろうが、透明になれようが、空間をすり抜けようが……離元空間の前では、全て無力に等しい。


「日陰舘の名をもって明示しておく────残念だが、まだ、逃がしはしない」


 故に、“こんなこと”も出来る。

 フィーネスが繰り出そうとした《真器》ごと────その腕を粉々に分解させることも。

 分解された際の衝撃が一体どれ程の苦痛を伴うのか……それは、目の前で膝をついたトアの歪むに歪んだ表情を見れば、簡単に察知出来るだろう。


「が……ッ……は……ぁ、ァ……ッ……!!」

「そうなってはいくらお前でも、痛みでマトモに動くことは出来ないだろう。死ぬことはない、心配するな。今しばらく、そうやって頭を冷やしているが良いさ」

(……出来れば、そのまま動かないでくれれば良いんだけどな……ッ)


 自身の吹き飛んだ腕の断面を押さえながら呻き声を挙げる痛々しい光景に、僅かな感情の揺らぎを押さえてトアに背を向ける。

 その直後。

 いきなり背後で一層強い呻き声と、何やら鈍い音が響いた。


「ぐぎぃぃッ!!」

「……っ!?」


 半ば反射的に振り返ると……そこには、傍に設置されていた鉄柵に、狂ったように自分の二の腕を叩き付けるトアの姿があった。

 ショック療法のつもりなのだろう。

 一度ならず、何度でも何度でも。

 分解された腕が元に戻った時には、袖が破れ、何度も柵に打ち付けた部分は青紫色に変色していた。

 それから、彼女は自身の腕を押さえ、苦しそうに息を吐きながら呟き始める。


「わたし、は……えい、ゆう……英雄、なのです……ッ……これ、は……その、証明……あなたを、倒して……私は……『英雄を実行する』……実行しなければ、ならないんです……ッ!!」


 鈴木莉乃を救出した時や、自分に戦いを挑んできた時……その気高く、精悍な佇まいは、紛れもない英雄の姿だった。

 だが、今のトアは、“何かがおかしい”。

 気迫や脅威は今までの何よりも強く感じるが……その姿は、英雄というよりも……獰猛な獣のそれに近い。


「……思想や信念で自分を強制させて、自分を追い込んで……それでお前は、お前自身を誇ることが出来るのか?」

「“そんなことはドウデも良イ”……ッ!!倒シテ、ヤル……必ズ、私ノ手デ……“オ前”ヲ、倒ス……倒シテ、倒シテ倒シテ倒シテ倒シテ倒シテ倒シテ倒シテ倒シテ倒シテ倒シテコロシテコロシテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺────ッ、あッ、ァァァアァァァアアァァァァァァァアァァァァッ!!!」

「おい……ッ」


 発狂、そして咆哮。

 まるで殻を破り捨てて、中から這い出て来るように現れたのは……トア=ラィド・イザベリングの姿をした、全くの別物……のようにしか感じられない。

 次に彼女が顔を上げた時、その顔は、彼女が喰らった果実と同じ様に────真っ黒に染め上がっていて……。


『こ』「ろ」『す』


 たった三文字の言葉の中で、何人分かの声が、入り交じっているかのように聞こえた。

 彼女が踏み出した一歩で、離元空間そのものが、まるで恐怖するかのように大きく振動する。

 “何かが、桁違い”だ。

 今自分は、限りなく“とんでもない存在”と対峙している。

 だが。

 それでも尚、自分は────彼女の全てを受け入れると、誓ったのだから。


「……“させる”かよ。お前は────」


 そして再び、二つの点が、線を描き、交差。

 その衝撃の余波が離元空間全域に広がり、溶け込むように収まっていくと……もう二度と、空間の中に音が響くことはなかった。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 最後の衝撃の直後、『そいつ』は現れ出た。

 別に隠れていた訳ではない。支配者と英雄の死闘が織り成した、事の顛末は全て目撃している。

 その上で、まるで観客のような立ち位置にある『そいつ』は、一人静かに語り始めた。


「“払い落とした”、ってか。だけど、所詮はその場しのぎに過ぎねぇ。分かってんだろ、『トア』」


 ふと視線を上げた先へ、緩やかに手を広げると……目を凝らしても捉え切れない、極めて小さな物体が手のひらに降りてきた。

 少しの間、それをジッと見つめていたが……忽然と、不敵な笑みを滲み出す。

 どれだけ息を吹き付けても、消えることはない。

 また別の場所に降り落ち、また同じ様に積もり続けるだけだ────永遠に。


「どうせ逃れられやしねぇんだ、『こいつら』からはよォ…………ククッ」


 手のひらに息を吹き掛ける。

 軽々と飛び上がった埃は、まるで儚き夢のように視界の彼方へと消え去るのだった。


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