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シェード・エプリコッド ─召喚者たちの異世界略奪戦争─  作者: 椋之樹
奴隷への明示─Intersect Feelings─【争奪編】
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2-17 薄弱な信念は意味を成すか?


 ほんの数百メートル先……本来ならば、ほんの数分歩けば到着する場所が、富士山の麓から見た山頂よりも遠く感じる。


「……ッ……は……ッ……」


 吐息は白く染まり、視界は霞がかかる。

 全身の所々がひび割れ、足取りはおぼつかず、まるで壊れかけた氷の彫刻になったかのようだった。

 首輪シィカーで身体能力を制限された上に、《青炎》で凍結してしまい、身体が思うように動かせない。

 それどころか、一歩一歩足を踏み出す度に、ピキピキッと亀裂が走る音が足を打ち、凄まじいまでの激痛と倦怠感が全身に襲い掛かる。

 身体が砕け散るのが先か、体力が尽きるのが先か……そんな瀬戸際をさ迷っている感覚だ。だが、その足はヴーズダットが待ち構えているであろう、レイヴス宮殿へと進み続ける。


「ぐッ、く……待て、よ、リノ……あぐっ!?」

「……ッ!」


 どうやら、追い掛けて来ていたようだ。

 背後からウルの声が聞こえたと思ったら、短い悲鳴と共に地面に転倒する音がした。

 首輪シィカーの持つ、獣人の身体能力を著しく低下させる効果は、唯一無二の最高性能を誇る。現に、フィーネスである彼女を、歩くことすらままならない位にまで追い込んでいる様を見れば、わざわざ説明するまでもないだろう。


「くッ、そ……ッ!なんでお前はッ、立って、いられるんだよ……ッ!」


 今、この場で足を止めて振り返ったりでもしたら、次の瞬間には、絶対に倒れてしまう気がする。

 そうなれば、二度と起き上がることは出来ない。

 だから、彼女へと振り向きもせず、歩む足を止めたりもせず、背後で倒れているであろうウルへと息も絶え絶えな言葉を返した。


「……はっ……ッ……慣れてる、から……ずっと、着けられていた、し……」

「慣れ、だぁ……?こんなもんッ……慣れで、どうにかなるもんじゃ……あぁッ、クソ……ッ!」


 今のウルの反応こそ、当時と同じ状態だ。

 首輪シィカーを填められた獣人は、全身に襲い掛かる倦怠感のせいで立っていられなくなり……主人に、四つん這いになってでも歩くことを強制させられる。

 その光景が、まるでリードを繋いだペット連れているようで滑稽だと、散々に嘲笑われたモノだった。

 それでも、彼女と違って地面に足を着いて立っていられるのは……別段、特別な原因とか、深い理由がある訳ではないのかも知れない。


「……行ったところでッ、どうするんだよ……ッ」

「……どうするって……ッ……なに、が……?」

「前にッ、言ってただろッ……自分はッ、戦いに勝てるだけの実力はッ、持ってないってッ……」

「はぁッ、はぁッ……そう、だね……ッ……」


 分かっている……。

 万年負け組と称されていた通り、これまで勝負という面目で勝ったことは一度も無いし、フィーネスとしての実力も誰かに勝てるだけのステータスは、そもそも何一つ持ち合わせていない。

 〔奴隷〕という最低ランクの中でも、更に最底辺に位置するのが、リノリス=トラントというフィーネスであることは……重々承知の上だ。


「じゃあッ、無駄じゃねぇかッ……わざわざッ、負けにッ、死にに行くッ、ようなもんじゃねぇかッ……はッ、はッ……そんなことにッ、何の、何のッ、意味があるって言うんだよッ……!」


 分かっている……。

 そんな人物が単独で、身体能力も、《汎現》も封じられた状態にも関わらず、フィーネスたちの支配者の立場に君臨するヴーズダットに挑もうとしている。

 果たしてその行為が、無謀を通り越して、どれだけの愚行に値するのか……今更、考える意味すら無い。 


「無意味なことにッ、出来ないことにッ、不可能なことにッ……どれだけッ、命を張ったところでッ……結局、何もッ、変わらないッ……ただッ、自分がッ、苦しむだけだろうが……ッ!」


 分かっている……。

 人はそれを運命と呼び、良し悪しの有無に関わらず、彼らが最終的に辿り着く普遍的な終着点として、時には皮肉と悲しみ、時には本望と喜び、それを受け入れる。

 いいや、受け止めざるを得ないのだ。

 明示録から召喚されたフィーネスとして、二度、運命を思い知らされて来たからこそ、断言出来る……運命とは、決して変えられぬモノだと。


「どうしてッ、倒れないッ……!?どうしてッ、止まらないッ……!?何もッ、変えられないくせにッ……!無駄にッ、苦しむだけのくせにッ……!どうしてッ、お前はッ……!そこまでしてッ、前を見ていられるんだよッ、リノッ……!!」


 分かっている……。

 そもそも、フィーネスとはそういう物なのだ。

 無駄だということを、無意味だということを理解してはいても、自らの存在意義の為だけに進み続ける。

 まるで機械仕掛けの人形のように、そうプログラムされたロボットのように。

 例え、身体がズタズタにされようとも、精神が破壊されようとも……自らの存在意義を満たすという願望が為、本能のままだけに生きようとするのだ。

 それが、リノリス=トラントだ……。

 それが、フィーネスだ……。

 それが、運命だ……。


「…………全部ッ、全部……ッ……分かってる……ッ」

「……あ……?」

「だからッ、だよッ……だから、こそッ……変えられないってッ、分かってるからッ、変えたいってッ、思うんだよッ……!苦しいってッ、分かってるからッ、耐えたいってッ、思うんだよッ……!」


 気付けば、今にもへし折れそうな足を進めながらも、掠れた声を張り上げていた。

 しんどくて、辛くて……今すぐに倒れ伏して、楽になってしまいたい。だけど、心の奥底で灯る、十の内の一にも満たない小さな小さな『記憶』と『感情』が、過去の自分と拮抗し、それを許してくれない。

 倒れるな、逃げるな、“諦めるな”、と……そんな綺麗事を並べて、無理矢理にも自分の身体を奮い立たせようとしてくる。


「だってッ……リノはッ……“それしか出来なかった”ッ……『願う』ことしかッ……『思う』ことしかッ……出来なかったッ、からッ……だからッ、だからッ……」


 不可能だと思っていた……出来ないと思っていた……それが当然だと諦めていた……だって、これまでも自分で目の当たりにして、実際に体験してきたのだから。

 だけど、だけど、だけど……。

 

 記憶の片隅でちらつくのだ────『あの人たち』の後ろ姿が。


 不可能を可能にし、出来ないことに立ち向かい、決して諦めることをしなかった。そして、最後には……誰にも成し遂げることが出来なかった、異世界救済までもを果たしてしまったのだ。

 パトス・レイヴで、いつもいつも自分の不甲斐なさに、ただただ塞ぎ込んでいた自分なんかとは違って……その姿は、何よりも輝いて見えた。


「もうッ────“夢や、希望に、逃げていたくない”……ッ!!」


 だから、思ったのだ。

 夢や希望は、逃げ道に過ぎない。夢は思うだけでは、希望は抱くだけでは、何も意味を成さない。

 それを『実現』させて、初めて乗り越える意味を芽生えさせてくれるのだから。

 だから、どれだけ倒れそうになっても、立つのだ……折れそうになる足を奮い立たせて、進むのだ……どんな敵が立ち塞がろうとも、戦うのだ。

 その為に、己に残された全ての力を懸けてでも、このエクォルトシティを守る戦いに挑むと誓ったのだ。

 あの人みたいに……不可能を可能に変えてみせる為に。

 あの暗闇でほんの一瞬だけ咲き誇る月下美人のように……ただの一度だけ、ほんの一時だけでも、全身全霊で花弁を咲き広げる為に。


「あの人たちみたいにッ、なりたいッ……!!あの人たちみたいにッ、全てを変えたいッ……!!現実をッ、願いをッ、勝利をッ────この手でッ、掴み取りたいんだ……ッ!!」


 そして、永遠に近い時を越えて、ようやく、レイヴス宮殿を目前に控えるイベントステージにまで辿り着いた。

 このまま、『四跡の玉座』へと出向き、ヴーズダットと対峙する。そうすれば……。

 その時だった。

 背後で地面を蹴り上げるような音が聞こえてきたと思ったら……。


「……どれだけッ、願ったところでッ……口で語っている、以上は────そんなもんッ、たかがッ妄想だッ……!!」

「あ……ッ!」


 突如、後頭部を鷲掴みにされ、そのまま顔面を地面に叩き付けられてしまう。

 凍結し、脆くなっているのか……顔面の着弾点から、亀裂が波紋のように一気に広がっていく。

 その徐々に大きくなる強烈な衝撃は、とても悲鳴無しでは堪えることすら出来ず……。


「いぎぃッ!!あッ、ぎぃあぁぁぁぁァァァァァァァァァァあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 自分の鼓膜すら打ち付ける甲高い悲鳴がステージ全体に響き渡り、宮殿を目の前にして足を止められる。

 まさか……まさか、こんなにも早く、ここまで動けるようになるだなんて……信じられない。

 唸り声のような吐息を漏らしながら、自分の頭を押さえ付けるウルは、憤怒で凝り固まった言葉で罵り始めた。


「やってッ、みろよッ……そのひび割れてッ、動くことすらままならない身体でッ……ウルをッ、押し退けてみろよッ……!」

「……ァッ……ァッ、ァァ……ッ!!」


 痛いッ、痛いッ、痛い……ッ!!

 ウルが頭を掴む手に力を込める度に、亀裂に掛かる痛みが激増していく。

 反抗の意を示すどころではない。

 一瞬でも気を抜けば意識すら持っていきそうな激痛が、自分の意識で指先一つ動かすことすら許さなかった。

 これならば、死んでしまった方がまだマシ、思わずそう直感してしまう程に。


「証明ッ、してみろよッ……!てめぇのッ、その鬱陶しくもッ、豆粒みてぇな小さい意志がッ……世界すら支配するッ、大いなるッ、大いなる存在を相手にッ……理想をッ、貫けるってことをッ……!!」

「……うッ、ぅ、ぅ、うぅぅゥゥゥゥッ……!!」


 いやだ……こんなの、惨め過ぎる……。

 ほんの数秒前に、身の丈を越えるような大袈裟な決意表明をしておいて、同じ様に首輪シィカーで力を封じられているウルの腕一本で、瀕死状態にまで追い込まれてしまった。

 立たなくちゃ、立たなくちゃ、立たなくちゃッ、と気持ちばかりが焦るのに……身体は、一向に言うことを聞いてくれない。


「出来ねぇならッ……てめぇはッ、ここで終わりだッ……!幼稚染みた理想を抱いてッ、万年敗者の汚点を負いながらッ……!」

「……いッ……やッ……も…………ぅ……ッ!」


 こんなところで、終わりたくない……ッ!

 まだ、何もやっていない……何も果たしていないのに……ッ!

 やはり……駄目なのか……。

 結局このままでは、いつも経っても同じ……惨めのまま、負け犬のまま、運命に翻弄されたまま……負ける。

 どんなに気力を振り絞っても、自らの命と力を尽くしても……やはり、やはり……自分には、乗り越えることは、絶対に出来ないのか。

 ウルの振り絞られた拳を目の当たりにして、脳裏を『敗北』の文字が過った。

 どうせお前は、『そこ』から逃げられはしない、と。

 そして。


「────木っ端微塵になれッ、リノリス=トラントォォ……ッ!!」


 重力のようにのし掛かる怒号と共に、ウルの振り上げた拳が……落ちる。

 器としての臨界点は、とうの昔に越えていた。

 それが振り下ろされたら最後……この争奪戦は、終わりを告げる。


 ……。

 …………。

 ………………。


 だが。

 ウルの拳は、振り降ろされることはなかった。

 パシィッ、と勢いを殺す乾いた音が響き……彼女の腕を“すんでのところで掴み上げた”人物が、低い声でこう脅し立てたからだ。


「────ならば、証明してやろう。お前の言う小さな意志が、大いなる運命をも打ち砕くことを」


 その声を耳にした自分とウルは、ほぼ同時に『彼』へと視線を向けてから目を疑う。


「なん、だとッ……お前は……ッ!!」


 まさか……。

 今回ばかりは、絶対に関わることは無いと思っていた。

 『彼』にとって、今回の件は無関係である筈だったから……。

 そうなるように、『彼』を強く突き放したのは、間違いなく自分の意志だったから……。

 それなのに、それなのに……どうして『彼』はまた、ここに立っていてくれるのだろうか。


「……雅人……様……?」



─※─※─※─※─※─※─※─※─



 全ては事実に基づいて語られた、極めて理屈的な説得だった筈だ。

 リノリス=トラントは、自らの『至宝』をアミュファに譲り、命を捨ててエクォルトシティを存続させることを望んでいる。

 それが、リノリスの意志。

 己の命を賭けた、一世一代の大決心だった。

 これを妨害することはリノリスの意志を無下にしてしまう上に、そこに介入する日陰舘雅人が無駄死にしてしまう面倒な事態を招きかねない。

 だから、説得した。

 無駄だということも、必要ないということも、最初から分かりきったことだから……早まる前に、止めてやった。

 曲がりなりにも、助けて貰った恩を返してやる為に。

 それなのに、あの男は……。


「……『それだと俺が納得出来ない』?どうしてこう日陰舘一族の名を持つ連中は、どいつもこいつも……あぁぁぁッ、鬱陶しいことこの上ない……ッ!」


 結局、日陰舘雅人は行った。

 力の奔流が渦巻く、死と隣り合わせの異世界へ。

 当然、危険だと分かっている場所へ、わざわざ同行するつもりは無い。

 こちらの目的は、エクォルトシティの崩壊。それによる世界に調律を施すこと、ただ一つだ。一度エクォルトシティの全容を認識した今ならば、世界の外域からでも、充分な威力を秘めた《災害》を顕現させることが出来る。

 だが、そんな心中を察せられていたのか、奴はすかさず《災害》に関してまで釘を刺して来た。


「オマケに、《災害》を発動させるのはギリギリまで先延ばせ、だと……!?馬鹿か!?馬鹿なのか!?何故、私が貴様の言うことを聞かねばならん!?私は、貴様の従者になったつもりはないのにッ!!ぐぁぁぁぁムカつくぅぅァァッ!!」


 周りに本人が居ないことを良いことに、地団駄を踏みながら、思う存分に罵りまくる。

 いかに人智を越えた力を有している存在とはいえ、ムカつくことはムカつくし、罵倒や暴言は当然のように口にするモノだ。

 別に、構いはしないだろう。

 言葉はどれだけ口にしても減るものじゃないし、言いたいことを胸に抑え込んでいたら、逆にストレスに成り兼ねない。

 それにしても……あんな実力的に弱い奴を相手に、言い負かされた感じがあって尚のことムカつく話だ。


「はぁっ、はぁっ……良いだろう、待ってやる、待ってやろうじゃないか……ただし、次は間に合おうが、間に合わなかろうが、もう容赦はしない……」


 外域からエクォルトシティを見下ろしながら、自身の中にある潜質ルダを……より強固に、より濃厚に、練り上げ、洗練させ、極限にまで増幅させていく。

 次に顕現させる《災害》を、最早誰の手にも止められない、究極の《汎現》と変えてエクォルトシティに落とす為に。


「五分だ。五分間だけ、大人しくしといてやる……そこから先は、自然の仕業だ。恨むなよ、日陰舘雅人」


 タイムリミットは、五分。

 それは一応、日陰舘雅人にも知らせてはある。当初、彼は短過ぎるとぼやいていたが……一分一秒でも早く滅ぼさなければならないエクォルトシティに対する猶予としては、五分はむしろ長過ぎる位だろう。

 その間に、この混沌極まる異世界で、奴がどんな行動を起こすのか……ここは一つ、最後の高みの見物と洒落込もうではないか。



─※─※─※─※─※─※─※─※─



 こちらの手を振り払って瞬時に距離を取ったウルは、唸り声を上げながら睨み付けてきた。


「どうやって、外から侵入した……!?この世界の外側は、コリンが生成した結界で覆われている筈だろ……!?それを、どうやって……!?」

「……予め、スパイを潜入させておいた。そいつが内側から結界に穴を開けた隙に、ROSCを使って侵入したということだ」

「スパイ……?そうかッ、あの弓使いのことか……ッ!」


 本当は、しばらくの間だけリノリスの動向を報告させる為だけに留めておきたかったのだが……。

 もしも、もしも、何らかの形で火急の事態が発生した際、どんな状況においてもいつでも駆け付けられるように対策を講じていた。

 それが、ヨウ=イルアウマー。

 明示録から召喚されたフィーネスが、一人でも異世界に居れば……例え世界間の繋がりが遮断されていたとしても、ROSCが『繋縁エッジ』の気配を追跡して、世界間を渡ることが出来るようになる。例外として、リノリスのように故意に気配を隠していた場合は、それを追うことは出来ないが。

 ただ今回のように、外からの侵入と、内からの脱出を、物理的かつ異能的に妨害する奇怪な結界を張られてしまうのは、流石に予想外だった。

 世界間移動の手段はあれど、侵入する手段が妨害されているのならば……一体、如何なる方法で、エクォルトシティに入ればいいのか。

 その答えは、意外にもスパイ役として派遣したヨウが、こう提示してくれた。


 ────外域に風穴を空けてやれば良いっしょ?


 〔英雄〕の属性を持つヨウに、外域に干渉する特性があっただろうか……。

 そんな疑問を解決するよりも前に、彼女は自身の刀弓で一本の矢を天へと放ち────宣言通り、結界に風穴を空けたのだった。

 そうやってエクォルトシティに侵入したのは良かったものの……『至宝』争奪戦、〔魔術師〕コリンの実験、行使者バシアの《災害》と、この世界は既に滅亡の一歩手前まで陥りかけている。

 最早、一刻の猶予も許されない。

 一つの判断ミスが命取りになるような切羽詰まった状況で……『彼女』が、辛そうに上体を起こしながら口を開いた。


「……どうして、来たの……ッ?」

「……リノリス……」


 全身に亀裂が走り、今にも音を立てて崩れ落ちそうなリノリスの姿を見て、半ば反射的に彼女の傍で膝を落とす。

 身体を支えてやるべきか、どんな言葉を掛けてやるべきか。

 思い悩んで、次の行動を躊躇ってしまうよりも前に……突如として彼女は、こちらの胸ぐらに掴み掛かってきた。

 その顔に、鬼のような怒りを露わにして。


「出てけって言っただろッ!?もう関わるなって言った筈だろッ!?それなのにッ、何でまたここに来たんだよッ!!」

「おいっ、あまり大声を出すな。お前、身体が……」

「うるさいうるさいッ!!あなたなんかに心配される筋合いは無いッ!!そんなこと頼んだ覚えも無いッ!!これは、リノの問題なんだッ!!あなたには何も関係ないだろッ!!」

「……」


 甲高い大声を出す度に全身の亀裂から欠片がボロボロと溢れ、リノリスの身体を削り落としていく。

 本当ならば無理矢理にでも彼女の身体を押さえ付けて制止させるべきなのだろう。

 だが、彼女の滅多に口にすることが無いその怒号は、罵声というよりも、真摯に訴えて来ているような気がして……身体全体にのし掛かる緊張を堪えながらも、ジッと彼女から目を離さずに、次の言葉を待つ。

 すると……。


「はッ、はッ……………………あなたみたいにッ、なりたかった……ッ」

「……!」

「特別な力がなくてもッ、戦いに勝てるだけの強さがなくてもッ……最後にはッ、自分の手で理想を手に入れてしまうッ……そんなあなたがッ、心底羨ましかった……ッ!」

「……」

「リノだってッ、リノだってッ……全部ッ、全部を守ろうとしたんだよッ……獣人もッ、人間もッ、世界もッ、全てッ、全てッ……!その為にッ、いっぱい頑張ってッ、いっぱい辛抱してッ、いっぱい戦ってッ、きたのに……ッ!!それなのにッ、それなのにッ……どうしてッ……!!」


 腹の底から湧き出てきたような大声が、真っ正面から身体を叩く。

 次にリノリスが視線を上げた瞬間……そこには、ほんの一瞬だけ、彼女の持つ『本音』が、静かに顔を覗かせていた。


「ねぇッ、教えてよッ────リノはいつまでッ、自分の弱さを憎み続けなくちゃならないのッ……?」

「……ッ」

「────いつまで、だと?てめぇの弱さはてめぇが一生背負い続ける宿命だろうが。そこに逃げ場を求める奴は、いつまで経っても弱いままだッ!」

「ひ、ぎ……ッ……そん、な……ッ」


 心臓を直接打ち鳴らすような激しい怒号は、『本音』を滲み出したリノリスを怯えさせる。

 いつもと比べて、まるで本物の小動物になってしまったかのように、カタカタと震えていた。


「いいか断言してやるッ!今後てめぇは、報われることも無ければ、救われることも無いッ!弱さに怯えッ、弱さに縛られッ、弱さに翻弄されながらッ、永遠に弱者のまま生き続ければいいッ!!それがッ、てめぇというフィーネスに定められた運命だろうがッ!!」

「……ッ……ぅッ、うぅゥゥ……ッ!!」


 フィーネスという存在とは……異世界の何処かで死した人間を、現世に再現させたようなモノだ。

 基本として、何かを学ぶことは無ければ、新たな知識を糧に成長することも無い。彼女らは、既に人間として『完結した』存在なのだから。

 つまり、ウルの横暴とも取れる発言に、一切の誤りは無い。

 彼女はフィーネスとリノリスの具体像を客観的に判断し、適切な分析を口にしたに過ぎないのだろう。そこに反論の余地は無く、わざわざ口を挟むだけの理由すら見つからない。

 だが。

 だからこそ、敢えて……こう吐き捨ててやろう。


「────それは違う」

「……あ?」


 恐怖で震えているのか、寒気で凍えているのか……目に見えて身体の震えが大きくなってきたリノリスに、自分の羽織を貸し与えてから、ウルの前に立ち塞がった。


「俺は、よく知っている。自らの危険を顧みずに死地に足を踏み入れて、自分の精神を磨り減らしてでも、付き人として主を癒し、励ましてくれたことを」

「……!」

「〔英雄〕という強者を相手に、圧倒的不利な状況でも、決して諦めず、挫けず、果敢に戦い続けたことを」

「……ぁ……」

「そして今も、このエクォルトシティを存続させる為に、自らの命を犠牲にしてまでヴーズダットに戦いを挑もうとしている……そんなリノリスが、弱者だと?ふざけるのも、大概にしろ」


 最早、自分でも歯止めが効かなかった。

 頭の中でリノリスの記憶を思い浮かべ、それを口にしようとすると、噴水のように続々と言葉が湧き出てくる。

 付き合いが長いわけでない。

 ただ、それでも彼女と共に過ごした濃厚な時間は、しっかりと自分の頭の中に焼き付いている 


「だったら、なんだと言うんだ?過去を幾ら掘り下げたところで、現実なのは今この瞬間だけだ。ウルが一発、そいつをぶん殴ってやれば、簡単にぶっ壊れちまうことだろうが!」

「壊せはしないさ、お前ごときではな」

「ごときッ、だと……ッ!」


 大きく目を見開いたウルが怒りを剥き出しにした表情で吼えるが……不思議と、恐怖はもう無かった。

 もしかすると、自分の中で湧き立つ熱い心情が、平常的な感覚を麻痺させているのかも知れない。

 なるほど、良い兆候だ。

 こうして自身の感覚が鈍感になればなるほど、例えどれだけ大それた発言であったとしても、平然とそれを口にすることが出来る。


「リノリスが居なければ、今の俺はここには居ない。リノリスが居なければ俺は、とある異世界も、とあるフィーネスも、何一つ救えないまま塞ぎ込んでいただろう。だからこそ……」


 どれだけ酷く突き放されようが、どれだけ理不尽な罵声を浴びかせられようが……関係ない。

 今までリノリスが与えてくれた、沢山の想いは、癒しは、優しさは、強さは……何一つたりとも、嘘偽りは無かったのだから。


「今、日陰舘の名の元に、明示させて貰う────リノリス=トラントは、俺の唯一無二の誇りだ。その事実を、俺を前にして覆せると思うな」

「……ッ!!」


 羽織でくるまれたリノリスへと、肩越しにチラリと視線を送る。彼女は終始驚愕した様子で、唖然とこちらのことを見上げていた。

 そんなリノリスへと、日陰舘雅人として、彼女という付き人が仕えてきた主人として……未来永劫、決して変わることがないと断言出来る、一つ真実を明示するのだった。

 すると。

 まるでそれを遮るかのように……ウルが今まで以上に低い声で、こう切り出してくる。


「…………その言葉、絶対に覆すんじゃねぇぞ」

「ん……ッ!?」


 続けて、ボトンッ、と柔らかい物が落ちるような鈍い音が聞こえてきたと思ったら……彼女の足音に、『何か』が転がり落ちていた。


 それは────ウルの腕。


 恐らく、自分で“切り落とした”のだろう。

 『束輪シィカー』の呪縛から逃れる為に。

 肘から指先にかけた上腕部分が、『束輪シィカー』を嵌められたまま地面に転がり……その切断面からは、洪水のように鮮血が流れて出ていた。

 だが、彼女は痛がる様子も、呻き声を漏らす様子も見せない。

 脂汗を滲み出しながら、必死に歯を噛み締めて……獣のように鋭い目付きで、真っ直ぐにこちらを睨み付ける。


「はーッ、はーッ……!今から、本気でてめぇを殺しに行くッ……てめぇの誇りも、そいつの存在意義もッ……今度こそッ、全て懸けてッ、圧倒的なまでに覆してやるッ!!」


 次の瞬間には、ウルは目の前にまで飛び掛かって来ていた。

 腕の切断面から────青い炎が変形した『炎の腕』を生やし、それを強く握り締めて、大きく振り被る。

 “腕が無くなった”程度では、フィーネスの戦いは終わらない。

 彼女らがその足を止めるのは、即ち……器が消滅した時だけだ。

 

「望むところだ────全部、“受け止めてやる”」


 人間とフィーネス……常人と超人……そもそものスペックの差が大き過ぎる、“戦いにすらならない戦い”。

 互いの誇りと、奇妙な因縁がもたらした、二度目の戦いが幕を上げたと共に……。


「行くぞッッ────日陰舘雅人ォォォォッ!!」


 ────ウルの青い炎の拳が、唸りを上げて、振り下ろされたのだった。

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