2-16 澱んだ英雄
「唐突に呼び出されたかと思えば、あの兎を守れってか?」
それは、『至宝』争奪戦が始まる二日くらい前のことだ。
暗闇だけの世界でさ迷っている最中、何者かが喚ぶ声が聞こえてふと目を覚ましてみたら……生前に、苛つく記憶を植え付けてくれた一人の少年が立っていた。
どうやら、例のROSCとやらでこの身を現世に『召喚』したらしい。
出会い頭に彼が要請してきたのは、エクォルトシティでの潜伏。
目的の一つとして要求してきたのは、リノリス=トラントの動向を監視して欲しい、というモノだった。
当然だが、最初から承諾するつもりは毛頭無い旨を伝えると、彼は無表情のまま小さく首を傾げる。
「……リノリスのことは、好かないか?」
「当たり前っしょ。結末がどうであれ、あたしの野望はあいつに阻まれたも同然なんだ。そんな奴の為に戦うなんざ、死んでも御免だね……つーか、あたしってもう死んでたわ」
「だが、結果的にトアを救う手立てになった」
「……!」
まるでこちらの心を見透かしたような口調に目を見張り、彼の方へと視線を向ける。
相変わらず……気弱さを隠しているのか、気丈に振る舞っているのか、よく分からない表情をしていたが……その言葉には、何らかの確信めいた自信を感じた。
「お前の野望は果たせられなかったのかも知れないが、あの結果は、トア自身にとって最も望む結末となった……お前もその後押しをしてくれたと、そう聞いているぞ」
「後押しじゃない……あれは、ただ諦めただけっしょ」
あの時、トアは自らの意志で『澱』から離れ、自らの足で未来へと歩き出していた。
その力強い背中を見た瞬間……自分にはもう、それを止める手立てはないと直感したのだ。
だから、見送った。
彼女に、隠れ家や安息地は必要ない。
何に道を遮られようとも、彼女は自分の力でそれを打ち破って前に進む……そんな生き方こそが彼女には何よりも相応しいと、そう思ったから。
「本性だけ見れば独善的な思想でしかないだろう。だが、お前は他者の幸福を喜ぶことが出来る人物だ。だからこそ、お前に頼んでいる……力を貸してくれ、とな」
そして、この日陰舘雅人とリノリス=トラントは……トアと過ごした時間が長い筈の自分よりも先に、その真意に気付き、彼女を本物の〔英雄〕にまで押し上げた。
虚無に消え行く筈の、大陸樹とトアを見事に救済し、彼女に新たな未来を提示した。
こんな清々しいまでの救済劇を見せられたら……。
────もう、嫉妬するしか無いではないか。
彼らは、本物だった。
運命と、不可能と、絶対を、完膚無きまでに覆し、奇跡と理想を実現させた。
だが、故にこそ、あの兎のことは気に入らない。
幾多も起きた修羅場の中で、フィーネスとして、付き人として、友人として、誰よりも優れた強さを見せつけた彼女が……あんなにも弱々しい姿を見せるだなんて。
「……どれだけ言われても、あたしはリノリスを守るつもりはない」
失望した、ガッカリした、いっそのこと死んでしまえ……そう吐き捨ててやりたい気分だった。
だから、リノリスを助ける理由もなければ、守る義務もない。
少なくとも、リノリスの話題を繰り広げる以上は、そのスタンスを崩すつもりはない……そう断定付け、決別のつもりで雅人を睨み付けるのだった。
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「えっ、とぉっ……誰っ?」
コリンが大きく首を傾けて、不思議そうな表情でヨウへと尋ねる。
その言葉はいつも通りに陽気な口調だったが……若干、苛立ちのような声色が混じって聞こえた気がした。
対して、悠々と彼女の脇をすり抜けてこちらに歩いて来たヨウは、刀弓を肩を背負いながら飄々とした表情でコリンへと向き直った。
「ある人物とのちょっとした契約でね。あんたの邪魔をしに来た、一介の『フィーネス』……ヨウ=イルアウマーという者でね。いっちょ狩らせてもらうっしょ、化け狐」
「……へぇっ、ヨウちゃんかぁ……面白いじゃーんっ?」
愉しそうに口角を上げるコリンだったが、その目は明らかに笑っていない。
邪魔をしやがって……横やりを入れるなよ……そう言いたげに、静かな怒りが滲み出ているように見えた。
そんな感情の裏側からヒシヒシと伝わってくる強い感情を前にしながらも、平然としているヨウの佇まいも……相変わらずと言うべきだろうか。
「ヨウさん……どうして……っ」
「……ふぅん、あんた────“あたしのことを知ってんだ”?」
「え……」
ヨウが肩越しに尋ねてきた一言に、思わず目を見張る。
まさか、彼女はこう言うつもりだろうか……。
────“覚えていない”、と。
確かに、現世での関わりは全く無かった上に、死闘を繰り広げたのは『再現世界』での出来事だった。そこでの記憶が、果たして正常に残るのかと考えた時……ハッキリと首を縦に振ることは出来ない。
そこで、まるでこちらの心情を察したかのように、彼女は肩を竦めてこう言葉を返してきた。
「いや、皆まで言わなくても、何となく察しているっしょ。多分あたしはいつぞやの世界で────“あんたに負けた経験がある”。こうして『呼び掛け』に応じたのは、その繋がりを感じ取ったからなのかも知れない」
「呼び掛け……?」
「まぁ、そんなことはどうでも良いっしょ。んで?あんたは、この後どうすんの?」
「……リノは…………この事態の裏側に居座っている『黒幕』を、止めなくちゃ……」
「……死ぬよ。そのままだと、確実に」
「こんな事態に発展したのも、全部、リノの責任だから……リノが、何とかしないと……これ以上はもう、誰も巻き込めないから……」
もう、時間は殆ど残されていない。
今はヨウが相手とは言えども、立ち止まっている暇は無いだろう。
そう言ってヨウに背を向け、凍り付いた身体を引き摺って歩き始める。
すると、背後から彼女の呆れたような溜め息が聞こえてきた。
「まっ、好きにすれば良いっしょ。こうして来てやったのは、ただの気まぐれだし。だけど、リノリス……一つだけ忠告しておいてやる」
「……?」
「あんた、このままだと────死んでも後悔することになるよ」
「…………それでも……これが、リノの生き方だから……何があっても変えられないよ……」
“流石だ”、と言わざるを得ない。
だが、悟られる訳にはいかなかった。
記憶も欠落していて、たった今参戦したばかりだというのに……彼女は、迷わず“核心を突いてきた”、という事実を。
漏れ出かけた嗚咽を懸命に抑え付け、言い訳という名の耳栓でヨウの言葉を遮断して……『埃』の待つ、『四跡の玉座』へと歩を進めるのだった。
後は、成り行きに任せるとしよう。
少なくとも、現実を必死になって生きている者を制止する資格はない……記憶を失い、朧気な現実を生きている者には。
だから、それ以上は何も言わずに、リノリスの痛々しい後ろ姿から目を逸らして前に向き直る。
「……さて。それじゃあ、そろそろ撤退するっしょ」
そこへ、目の前に立つコリンがニヤリと笑いながら、陽気な声を上げた。
「おっとーっ。残念かな、逃がしはしないよっ?今、エクォルトシティの内域空間の表面上に『結界』を張ってあるから、外から入ることは出来ないし、内から出ることも出来ない状態になっているんだよなぁっ」
「……はぁん、道理で?〔魔術師〕ってのは何でも出来るんだ、スゴいもんだね」
リノリスの力を封じる『束輪』の創造も然り、現世の人間と獣人の『融合体』も然り、物理攻撃や異能攻撃を受けても効果を成さない『幻身』も然り……コリンの扱う汎現である《糸》の力は、まさに万能。
内域を孤立させるような高次元の『結界』を生成するなんて、最早神の御業としか思えないが……段々と、それすらも可能である気がしてきた。
しかし、この女狐……。
先程、意識の外から背中に矢をぶちこんでやった筈なのに……背中に刺さっていた矢もいつの間にか消失しているし、こうして無傷でピンピンしている様を見ていると、どうにも気に食わないものだ。
「いやぁっ、褒めても何もあげないよぉっ?だって、ヨウちゃんはぁ────ここで、“皆”に八つ裂きにされちゃうんだからさぁっ?」
そう言って、コリンは両手を横に浮かべると……彼女の左右から、まるで陣営を組むように、沢山の獣人たちが立ち並び始めた。
どいつもこいつも意識を失ったかのように、血走った眼でこちらを睨み、ダラダラと涎を垂らしながら息遣いを荒くしている。
「なるほど……自意識を奪い、傀儡のように操るか……惨いことするっしょ」
「彼らはただの実験体っ。身体を弄くり回されるだけ存在に人権なんてないよぉっ」
「……そういうの、外道って言うんじゃない?」
「ふふっ、ふふふふっ……!外道とは程遠いヨウちゃんには、そんな『惨いこと』は考えられないかなぁっ?この人数を、一人も傷付けられずに済ませるつもりならば……やってみなよぉッ!!」
コリンが声を荒げて腕を前に突き出すと────獣人たちが地面を蹴って、一斉に飛び掛かってきた。
迫り来るコリンの僕たちによる、髙波のような襲撃に……逃げ場は無い。
留まろうが、逃げ出そうが、迎え撃とうが、このままでは確実に呑み込まれてしまう。
だが。
「────」
次に、自分が顔を上げた時には……。
────全ての獣人たちが、“全身を切り刻まれて地面に落ちていた”。
その、あまりにも唐突に訪れた悲惨な光景を前に、動揺の声を漏らしたのは……コリンの方だった。
「………………え?」
「あたしもあんたと同じ、外道へと降りた身だ。外道が外道に、人道や道理を説くか?笑わせなよ、〔魔術師〕。こちとら────殺される覚悟も殺す覚悟も、とうの昔に決まってんだ」
一度、大きく目を見開いてコリンを睨むと、身体の隅で────“影が揺らぐ”。
そこには、ヨウ=イルアウマーが有する力の片鱗が覗かされていた。
沢山の強大な力を持つ獣人たちを、一秒と経たぬ間に地面に鎮めた……〔英雄〕の《汎現》の力が。
「ぁ……ぇ……ちょっ、ちょっと待ってっ……なんなのかなぁ、それぇっ……ヨウちゃんって、何の目的で、エクォルトシティに来たのっ……?やっぱり、『至宝』の力が欲しいからっ……?」
先程までの余裕感は何処へやら。
それとも、〔魔術師〕としての感覚が“何かを察したか”……明らかに怯えている様子のコリンが、後退りしながら戦いを先延ばしにしようとする。
だが、逃がしはしない。
地響きを鳴らすように地面を踏み締めて、彼女の開けようとする距離を狭めていく。
「────『要件』は、つい先程終わった。ここに駆け付けるより前にな」
「な、ん……!?」
「閉じ込めたのは、あんただろ?だったらお望み通り、存分に“見るが良い”っしょ────『深淵』に堕ちた力の正体って奴をな」
そして、自らの意識を身体の奥底へと落としていくと……周囲の景色が、大きく歪んだ。
その歪みが元に戻った時、『彼ら』が姿を現す。
『深淵』の中へと引きずりこまれて、未だに《澱》の一部として成り立っている、『大陸樹の英雄たち』……それを形作った、どす黒い色合いの人間たちが。
「《真器顕現》────《英雄澱》」
《澱》と呼ばれる、英雄たちの集合体。
ヘドロのようなモノが人間の姿を形成している状態ではあるが、その一体一体の実力は、当時の英雄たちを忠実に再現している。
その圧倒的なまでの様は、まさに軍勢。
彼らの闘志は、殺意は……ただ一体、真っ青な顔で立ち尽くすフィーネスにだけへ向けられていた。
「ひ……ッ!!?」
「〔魔術師〕ヨ。深キ深キ澱ノ底ヘ────落チテイケ」




