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シェード・エプリコッド ─召喚者たちの異世界略奪戦争─  作者: 椋之樹
奴隷への明示─Intersect Feelings─【争奪編】
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2-18 青き獣、吼える



 学校の天桐流の道場で、天桐克一郎の稽古に付き合い、護身術を指南してもらうことがあった。

 大抵はその豪快かつ精細な技術を前にして、蹴鞠のように投げられては投げられての繰り返しで気が滅入ってしまうのだが。

 そんな中、師範の克一郎が自分に向かってこう言い放った。


「あれだ、あまり言いたくはないが────君は全くもって才能がないなっ!」

「出来れば、もう少しオブラートに包んで言って欲しいんですけれど……」


 彼が言うには、護身術は誰にでも身に付く技であり、向き不向きを論じること自体が無意味。難しい技術や知識は特に必要もなく、気軽学べることが出来るのが、護身術という武術。

 それに関して、才能がないと認定されるのは……ある意味でよっぽどのことだという。


「護身術も出来ない、勉強や運動の才もない……同じ部活仲間として、これほど嘆かわしいことはないぞ、日陰舘雅人っ!」

「あの、あまり深刻そうに言うのは辞めて貰って良いですか?ちょっと、軽く心が折れそうなんで……」


 フィーネスやヴーズダットと対峙する際に、少しでも足しになればと意気込んではみたが……師範にこうバッサリと切り落とされてしまっては、どうしようもない。

 溜め息混じりに肩を落とし、自分の才能の無さに落ち込んでいると……克一郎は、分かり切った口調でこう切り出した。


「だが、そんな君でも一つだけ誇るべきことがある」

「誇るべきこと……?」



 ……。

 …………。

 ………………。



 確かに、君には才能が無い。

 あらゆる勝負事において、君が勝利することは滅多に無いだろう。

 だが、それでも君は、一度私との稽古に加われば、逃げることだけはしなかった……どれだけ投げ飛ばされようが、立ち上がることを辞めなかった。

 その姿を見て、私は確信したよ。

 君は、例えどれだけ強大な力を前にしたとしても、決して挫けることはしない、とね。

 それは、誇るべきことだ。

 敵に勝るだけの力は無くとも、豊富な知恵を持ち合わせていなくとも、どれだけ身体がズタボロになってしまおうとも……君は、何度でも何度でも立ち上がるだろう。

 それが、君という人間だ。

 君の持つ『不屈の精神』は────超人にさえも、容易に模倣は出来まい。



 ………………。

 …………。

 ……。 



 それは、ウルにとって渾身の威力を込めた一撃だったのだろう。

 束輪シィカーの呪縛から逃れたばかりとはいえ、その頬を殴り付けた一撃は、全盛の状態に近くなっている筈だ。


「……な……に……?」


 頬に直撃した重く鋭い衝撃は、一瞬の内に意識を吹き飛ばし、全身の神経を麻痺させた。

 普通ならばそのまま意識を失って、気絶もしくは絶命しても、何らおかしくはない。彼女たちフィーネスの腕力は、それだけで人間を殴り殺すことが出来るのだから。

 しかし。


「……まずッ、一つッ……受け止めたぞッ……」

(いっ、てぇぇぇ……ッ……くッ、そォ……ッ)


 倒れない。

 頬から全身へ走る激痛を全身全霊で堪え、重心の傾く方向にある脚に全ての力を注ぎ……倒れそうになる身体を、辛うじて支えて立っていた。

 一度体勢を崩せば、それで終わりだ。

 そう直感して、全身を痙攣させながら、ゆっくりと上体を元に戻すと……。


「一発で倒れないなら、二発でも、三発でも、何発でもぶちこんでやる……ッ!!」


 懐に入り、腹に肘打ち。

 腹が引っ込んで、前に出た顎へアッパー。

 軽く仰け反り、再び前に出た腹へと正拳突き。

 流れるようで一切の躊躇も無い連撃に、血反吐を吐きながら、霞む視界と共に再び意識が彼方へと飛んでいきそうになる。



 それでも……倒れる訳にはいかない。



 『壁』は打撃の度に《青炎》で焼き溶かされ、マトモに機能せず、防御の術は無きに等しい。

 最早、身体の限界を越えて、気力だけで立っているも同然。

 だが、不思議なことに……思考だけは冴え渡っていた。


「ぐッ、ぁ……ッ!」

(どうして……《青炎》を、『壁』の破壊の為にだけに利用して……こちらの攻撃にまで使用しない……?)


 腹を殴られながら、顔面を殴られながら……考えを巡らす。

 《青炎》の拳の威力が、強烈であることに違いはない。

 だが、最初から殺すつもりなら、両腕を《青炎》で造り出すよりも、そのまま《青炎》でこちらを焼き尽くしてしまう方が……よっぽど殺傷性は高いのではないだろうか。

 それなのに、ウルは『壁』を《青炎》の腕で溶かし、“炎で炙る程度の熱量とブーストしか加えられていない”拳で殴り付けてくる。

 そこには、何らかの意味があるのではないかと考えてみたが……もしかすると、思った以上に複雑ではないのかも知れない。


「こッのォッ……!!いい加減にッ、倒れろォッ!!」

(もしかして……それが……“ただの強がり”だったとしたら……?)


 この豪快な佇まいに反して、最初から“立っているのがやっと”、なのだとしたら……。

 《青炎》を『壁』を溶かすことだけに使っているのではなく、“それだけにしか使えない程に余裕が無い”、のだとしたら……。


(────前に出るのは、今しかないッ!!)

「ぐ……ッ!?」


 それだけが、至難の技だった。

 いつ倒れるかも分からない意識の中で、たったの一歩を踏み出すことが、どれだけ大変な所業なのか。

 散々に殴られて目映く点滅する視界の中。

 最後の力を振り絞って、ウルの連撃を掻い潜り……。



 彼女の懐に────一歩だけ足を踏み出す。

 


 この一瞬たりとも力を緩めなかった拳を叩き込む場所は……もう、目の前にまで迫っている。

 そして。


「受け取れ……これが────俺のッ、答えッだ……ッ!」

「ッ!?」


 限界は、とうの昔に迎えている。

 これが、最初で最後の一撃。

 真っ直ぐに振り抜かれた拳が……。



 ────ウルの顔面を、捉えた。



 思い切り握り締めた拳に、彼女の皮膚から肉へと……深く、深くめり込む感覚が浸透し……全ての衝撃が、彼女の全身へ打ち付けられたことを実感した。


「おッ、ォ、ぉ……ッ!」


 作為も裏も無い一撃を受けたウルは、顔を強張らせ、殴られた頬を押さえながら、一歩、二歩と後退する。

 彼女の表情は、先程の勇ましさなんて見る影も無い位に、溢れんばかりの動揺と苦痛に染まっていた。

 まるで、“初めて殴られた大人”の姿を見ているかのように。

 そんな彼女の明らかに異様な反応に、離れた場所で見ていたリノリスでさえも、驚いたように目を丸くする。


「……ウ、ル……?」

(……“話に聞いていた通り”だ……やっぱり、ウル(こいつ)は……)


 殴り付けた拳をダラリとぶら下げながら、中腰になってウルを見据え、短く息を吐くと……。

 ウルは、まるで勢いに押されるように、その場で片膝をついてしまったのだ。


「ぐッ、くッ、ァ……ッ!?」

「はッ、はッ……“初めて人に殴られる気分”はどうだ、ウル……いいや────『青獣ハイドラスト』」


 これは、月影マヒナの言葉だ。

 俗に超越者や神と呼ばれる者たちには、対等に渡り合える者が存在しないからこそ、絶対頂点の座が与えられている。自分の力を振るえば、それだけで周囲は対立する気迫を無くし、彼らを讃え、信仰するようになる。

 要するに、彼らにとって、勝負とは無縁の存在なのだ。

 誰かと自分の力を競う機会や、対等に並ぶことは、無いにも等しい為……やられることや負けることに対する免疫力が低い。

 即ち、彼らが何らかの形でフィーネスとして顕現したとしたら……。



 ────決定的な『打たれ弱さ』が特性として刻まれる可能性が高い。



 それこそ、至難の技であることに違いないが、拳一発が物理的に顔面へ叩き込まれることで、簡単に倒れてしまう位に。

 そう、つまり、今ここで膝を付いて、『打たれ弱さ』を体現しているフィーネスは……パトス・レイヴよりも以前の人獣血戦において、人々から『四大獣』と呼ばれて恐れられた超越者の一人……。



 ────本物の『青獣ハイドラスト』、その人なのだ、と。



「はーッ、はーッ……ッ……最初からッ、気付いていたのか……?」

「……ッ……はっ、はっ……いいや、可能性として考えていただけのことだ。もし、もしもお前が、自分の『打たれ弱さ』を隠す為に、豪快に振る舞っていたのだとしたら……踏み出してみる価値はあると、そう思っただけだ」

「……くそッ……くそッ……!最悪だ……お前さえッ、お前さえ居なければ……ッ!今頃、ウルはッ……リノリスを殺すことがッ、出来たのに……ッ!!」

「……どうして、そこまでリノリスに執着する?お前とリノリスでは生まれた時代が異なる筈だろう……そもそもの直接的な関係は、何も無いと思うんだが……」


 今にも立ち上がろうとするウルの行動に細心の注意を払いながら、未だに謎のままだった彼女の動機に踏み込む。

 彼女は少しずつ呼吸を整えながら、鋭い目付きで顔を上げた。


「獣の地位は、パトス・レイヴの時代で大きく低下した。それを促したのは、他でもない……『源初の混血者』、一番最初の獣人だ……!」

「……!まさか……ウル、あなたは……!」


 その発言に対して、リノリスが何かを察した様子で声を上げる。


「そうだ、リノリス=トラント。ウルはお前を殺す為に、ヴーズダットの召喚に応じた────『源初の混血者』の後裔である、お前を殺す為になッ!!」

「……ッ!!」

(最初の獣人の、後裔!?リノリスが!?)


 記憶を思い返す限り、明示録にはそのような記述は無かった筈だが……リノリスの反応を見る限り、彼女には思い当たる節はあったようだ。

 そもそも、何故リノリス=トラントは、フィーネスに選ばれたのか。

 今まで、その理由はハッキリとしていなかった。

 だが、彼女が『至宝』である事実と、『源初の混血者』の後裔である事実から鑑みると……彼女は、パトス・レイヴという世界にとって、何よりも重要な役割を持って生まれてきたのかも知れない。

 そして、その事実を知ったウルからすれば、エクォルトシティは時代を越えた絶好の『処刑場』になる筈だった……。


「つまり復讐、か……お前は、その為だけに現世に顕現した、と?」

「“その為だけ”?それがウルの全てだ日陰舘雅人ッ!『獣』と呼ばれるのは、世界や自然の中で、唯一無二の同調かつ共存することを許された至高なる種族だ!それなのに、『獣人』だと!?世界を侵略し、破壊し、支配することでしか快感を得られないような卑しい人間共と、同意義に見られること自体が大罪以外の何物でもないッ!」

「……人間の誰もが支配欲を抱いて生きている訳ではない。誰かを思いやり、誰かの為に生きようとする人間も、この世の中には多数存在している」

「それが卑しい欲だと言っているんだッ!欲とは、自然を滅ぼす殺草剤も同然だッ!お前たちは生きているだけで他の種族を殺していくッ!お前たちは生きているだけで自然を、世界を壊し汚していくッ!そんな低俗で野蛮な連中に……どうして獣が屈服しなければならないッ!?」


 卑しい欲だとか、低俗だとか、野蛮だとか……実に的を得た言葉だと、そう思った。

 自らの意思を持ち、優れた思考を持つ人間たちは、自然の摂理に反して、自らの生き易い環境を築き続けている。

 人間たちの「生きたい」という意思は、同時に自然に対して「死ね」と言っているも同然なのかも知れない。


「だが、リノリスは、獣人の自由と権利を主張して、このエクォルトシティを創造しようとした。その事実に間違いはなかった筈だ。何よりもお前がすべきことは……彼女の理想を後押しして支えてやることだったのではないのか」


 最初から、リノリスとウルの利害は一致している。

 つまり、『至宝』とそれを守護する『四大獣』……その立場を守ってさえいれば、ウルの嫌う、『支配』から逃れ続けることが出来た筈だ。

 それをわざわざ、自らの手でエクォルトシティを滅亡へと追い込もうとするなんて……それこそ、無意味な行為に他ならないのではないだろうか。

 すると、こちらの発言に若干眉を潜めたウルは、少し納得した様子で首を横に振った。


「……そうか。お前は知らないのか、日陰舘雅人。『第二次人獣血戦』────何故、世界を滅亡にまで追い込む戦争が勃発してしまったのか、その理由について」

「……制圧軍の人間が、革命群の獣人を、話し合いの場で殺害してしまったから、だろう?」

「その時、革命群の代表として『独断』で制圧軍に交渉を持ち込んだのは、他でもない……」


 緩やかな動きで持ち上げられた人差し指が、ピンと伸びてこちらの後方を指す。

 その動きに釣られて、ウルの指差した方向を見ると……そこには、たった一人の人物が、酷く怯えた様子で両膝をつき、佇んでいた。


「そこに居る、『兎』────リノリス=トラントなんだよ」

「……ッ」


 これは……どういうことだ?

 いや、ウルの言い分を聞いていれば、確かに驚愕の事実だが……。



 今の発言には、聞き手側として無視出来ない────猛烈な“違和感”を感じた。



 だが……その正体は分からない。

 それよりも、リノリスが人獣血戦の引き金となった事実の方が、衝撃が大きかったのかも知れない。毛先を撫でるような微かな違和感は、直ぐに頭の片隅に引っ込んでしまった。 


「そいつは、人間の欲深さや、人間と獣人の溝が深いことも分かった上で……まだ、共存等という夢物語があることを盲信して交渉の場に赴いた。その強欲にも等しい行為が────パトス・レイヴを滅亡にまで陥れたんだッ!分かるか!?そいつこそが、全生物を滅ぼした諸悪の根元なんだよッ!!」

「……ッ……!」


 怒りと、無念さと、憎悪と……ウルの鮮明な感情が込められた言霊が折り重なる度に、彼女から発せられる気迫は膨れ上がっていく。

 気付けば、彼女は背中を丸めた状態で立ち上がり、獣のように唸り声を漏らしながら、鋭い目付きでリノリスを睨み付ける。


「ウルはッ、リノリス=トラントを認めないッ!!またそいつのせいでッ、この世界が悲劇に見舞われる前に、ウルがッ、アッ、ァ────ァァァァァォォおおおおおおォォォおォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

(な、なんだ……!?)


 大地の彼方へと、自らの存在を主張するように……大きく仰け反りながら放たれた、暴風が吹き荒れるまでの凄まじい咆哮が轟く。

 その圧倒的なまでの存在感が、巻き上がる砂嵐に覆い隠されていき……ウルの木霊する咆哮を残したまま、彼女の姿は見えなくなってしまう。

 しばらくして、咆哮が止み、砂嵐が少しずつ晴れていくと……。



 そこには────“覚醒した”『青獣ハイドラスト』の姿が、仰々しく君臨していた。



『我は、〔神獣〕。かつての人獣血戦において、一騎当千と謳われ、畏れられた、『四大獣』の一角────“青獣ハイドラスト”』

(お、いッ……ちょっと待て……嘘だろ……ッ!?)


 四本の巨大ながらもスリムに見える脚が地面をしっかりと掴み、青色の深い獣毛が全身を覆い、イベントステージの半分を埋め尽さんとする────巨躯の獣。

 その躯からは、まるで有り余る力が漏れ出ているかのように、青いオーラのようなモノが浮かび揺れていた。

 そして、何より……その巨大なまでの存在感は、これまでの彼女とは桁違いだ。


『全ては、獣の尊厳と栄誉を守護するが為……今こそ、そこにある諸悪の根元を、この手で抹消してみせよう』


 青獣ハイドラストの周囲がざわめき、その全身から漂う青いオーラが、より鮮明になっていく。

 何をしようとしているのかは不明だが、何かが起きようとしているのは明らかだった。

 それも、恐らくは一撃必殺の強襲。

 フィーネスとしての器に授けられた、彼女たちが個々で有する唯一無二の最強兵器────《真器》の力を。


(来る……ッ!!)


 一点集中型か、広範囲型か、武具顕現型か……どんな形状の《真器》とはいえ、ウルは離元空間の壁を打ち壊す特性を持っている。

 ROSCの機能は殆ど役に立たないと判断して間違いないだろうが……壁が破壊されるまでの一秒間、たった一秒間だけのラグがあれば、生存確率は格段に向上する筈だ。

 今は、それに懸けるしかない。

 そう推論付け、汗ばむ手でROSCを握り締めてリノリスの方へと駆け出そうとすると……。



 ────異変は、起こった。



 視界の中を、一つの影が駆け抜けたと思ったら……突如、青獣ハイドラストの動きが硬直する。

 続けて、青獣ハイドラストの全身に、一本の筋が浮かび上がると……。


 そこから、まるで花開くように────赤い鮮血が飛び散ったのだ。


『…………ア……ッ?』


 まるで鋭利な刃物で斬り付けられたような一閃が、決定打となった。

 ほんの数秒前まで臨戦態勢を整えていた気丈な巨獣が……足下をぐらつかせると、大きな地響きを起こしながら倒れ伏してしまう。

 台風の如く吹き荒れる砂塵の中、倒れた青獣ハイドラストの前には────一つの人影が佇んでいた。

 刃渡り六十センチ以上はある長大な刀を、その手に携えて。


「現物の『青獣ハイドラスト』は、我らにとって重要な物……当初の予定通り、回収させて貰います」


 そのようなことを呟く人影は、次にこちらへと視線を向けた……ように感じた。

 砂塵のせいで視界が霞む中で、何とか人影の正体を捉えようとする。

 しかし、ほんの瞬き一つ。

 たったそれだけの、一秒にも満たない盲目の時間を隔てた時には……。



 ────そいつは、目の前で立っていた。



 手にした刀の鋭利な刃先を、真っ直ぐにこちらへ向けて構えた状態で。

 最早、驚く暇も、避けようとする意識すらも許されない……神速の脅威だった。


「な……っ」

「────駄目ッ!!」


 その瞬間に何が起こったのか……直ぐに、理解することは出来なかった。

 前から狂気の刃が迫り、同時に背後から甲高い声が聞こえたと思ったら……事は、“既に終わりを迎えていた”。

 目の前には、こちらの胸に向かって腕を突き出すリノリスの姿。

 そして。



 その胸元は、無情にも────突き出された刀で、貫かれていた。



 ……。

 …………。

 ………………。



 それほどに、青獣ハイドラストの咆哮は強烈な威力を秘めていたのか……離れた場所に居た自分の首輪シィカーにまでをも、機能障害を与えていたのだ。

 だが、安堵している暇はなかった。

 突如現れた人影が、日陰舘雅人にまで危害を加えようとしている……それを察した時には、既に駆け出していた。

 一時的に元に戻った《紫雷》を駆使して、刀が突き出されるよりも先に彼の前に立ち塞がり、“本気で彼を攻撃するつもりで攻撃すれば”……自動生成された壁で、彼だけは助かる。

 ただ、もしその強襲が、ウルと同じ壁を破壊する特性を持っていたとしたら……意味がない。



 だから────自分の身を犠牲にする必要があった。



 身体を貫いた刀の勢いを殺し、例え壁が破られたとしても、彼の身だけは何があっても、確実に守り切れるように。

 結果、目論見は上手くいった……彼の身体は、無傷だ。


「が、ふ……ッ」

「リ……ノ……?」


 身体の奥から込み上げてくる強烈な違和感を出そうとすると、黒く染まった血が口から吐き出てくる。

 魂が抜けるように全身の力が抜けていくと、立っていることすら辛くなり……唖然とした表情を浮かべる雅人の胸の中へ、吸い込まれるように身を埋めた。

 痛みよりも、眠気の方が強い……。

 このままでは、ほどなくして意識が途切れる……。

 もう、猶予は残されていないと、頭の中で直感してから……ピクリとも動かない喉の奥から、辛うじて声を滲み出す。

 ヴーズダットに利用されていると知るよりも前から、ずっと心の内に秘めていた、ほんの僅かながらも確かな心情を。


「────あな、た、を……巻き込み、たく、なかっ、た……」

「……!」


 彼の肩に顎を落ち着かせて、彼の耳元で、彼にだけ届かせるように。

 勝手に居なくなっても、一方的な理由で突き放しても、散々に怒鳴り散らしても……助けに来てくれた人、最後まで戦ってくれた人へ。

 せめて、“最期”くらいは……本音を、伝えられるように。


「ごめ、ん、ね……あるじ、さま…………ッ」


 意識が途切れ、視界は閉ざされる。

 残酷な現実は、ほんの一欠片の理想すら無残に握り潰してしまう。

 『至宝』の持ち主として活動していた特異的な身体は、『至宝』に手を掛けられることで、活動限界を迎えた。

 そして。

 何よりも伝えたい言葉……それを、最期の力を振り絞って、口から吐き出そうとした時。


「────っ」




 ────リノリス=トラントの器は、跡形も無く粉砕するのだった。




 動揺どころの騒ぎではなかった。

 目の前で起きた事実が信じられず、一瞬だけ思考が完全に停止し、頭の中で何かがグルグルと渦巻く。

 消えた……何で……誰が……どうして……?


「リノ、リス……ッ!!」


 ただ、たった今目の前で起こったフィーネスの消失現象は……これまでとは、明らかに違っていた。

 光の塵となって消えていくのではなく、まるでガラス細工をハンマーで叩いて粉砕させたかのような壊れ方を連想させる。

 恐らく、その原因となったのは……彼女から刀が引き抜かれたと同時に、身体の中から出てきた光の結晶……。


「“彼女ならば庇う”、そう思っていました────これで、『至宝』は我らの手に」


 砂塵の中で、光の結晶……即ち、『至宝』を手にする人影が呟く。

 その姿を見てようやく正気に返り、思い切り拳を握り締めながら、怒りに任せて声を上げるが……。


「お前ぇ……ッ!待て……ッ!!」

「────追うな日陰舘ッ!!」


 背後から聞き覚えのある声に呼び止められて、足を止める。

 『至宝』を手にした人影は砂塵が晴れると共に姿を消してしまい、そこには獣型のまま倒された青獣ハイドラスト、ウルの姿も残っていなかった。

 完全に出し抜かれた屈辱感と、リノリスを目の前で失った損失感で、胸が張り裂けそうになりながらも、地面を駆けて近付いてきた足音を振り返る。

 そこには、刀弓を手に息を切らしながら走ってくるヨウ=イルアウマーの姿があった。


「何を言っている……!?今すぐに奴を追わないと……ッ!」

「黙って言う通りにするっしょッ!!今はとにかく、“この世界から逃げろ”ッ!!巻き込まれるぞッ!!」

「巻き込まれるって何が……ッ!」


 次の瞬間。

 まるで、地面が波打っていると鮮明にイメージ出来る程の、巨大な地震が発生した。

 ただそれは、突発的なモノではない。

 徐々に、徐々に、だが確実に、その振動は大きくなっていき……最後には……。


 ────世界の形を、大きく歪ませてしまった。




─※─※─※─※─※─※─※─※─※─




「君も随分とむごたらしいことをするものです。我らが目的の為に、仲間を切り捨てるとはね────キート」


 外で異様な事態が起きているにも関わらず、レイヴス宮殿の『四跡の玉座』に鎮座するジェスタは、余裕ぶった様子で頬杖をつき、二やついていた。

 一方、玉座の下で彼を見上げるキートは、小さく首を横に振って、自らの忠誠心を主張する。


「イカれているのは彼女らの方でしょう。我らはあなたの手で召喚されたフィーネス。なれば、その思想の為に、この身を尽くすのは当然の所業でありませんか────ヴーズダット様」

「ふふっ、怖過ぎる位に優秀ですね、あなたは……それよりも早く、その『至宝』をこちらへ」

「御意」


 キートがその両手に包み込むようにして持つ『輝き』を、緩やかな動作でジェスタへ向かって放る。

 『輝き』は、何処か弱々しい動きで宙を漂いながらジェスタの元へと飛来するも、彼はそれを遠慮の欠片もなく鷲掴みにした。

 粗暴に扱われた『輝き』は、彼の手の中で少しずつ光を押さえていき……次にその手が開かれた時、掌の上には……。



 ────一つの宝石が収まっていた。



 まるで一個の恒星のように、自ら淡い光を放つ、半透明の石塊。

 自らの存在を主張する掌サイズの小さな石塊は、見る者を、理想の渇望へと駆り立てる。


「素晴らしい……っ!これが、物質化した『至宝』……っ!一見、歪のように思える形はあれど、この透き通るような輝き……現世の如何なる宝石も、ここまでの価値は見出だせないことでしょうなぁ……っ!」


 ジェスタ……いいや、ヴーズダットの興奮は最高潮にまで達していた。

 フィーネスの心情や信念、人々の命や道徳……“そんなどうでも良いこと”も、今この瞬間に起こる偉大な功績に比べれば、些細なことに過ぎないのだから。

 彼はゆっくりと『至宝』を顔の前にまで近付けると……。



 大口を開けて────それを、一気に口の中に流し込んだ。


 

 明らかに喉に詰まってもおかしくはない大きさだったものの、彼は意にも介さず、『至宝』はスルリと喉の奥へと滑り込んでいった。


「っはぁ……!これでまた、我が悲願へと一歩近付いた……!私は、『至宝』……!このエクォルトシティにおける、唯一無二の支配者となったのです……!」


 歓喜の声を上げるヴーズダットの外見に、変化は見受けられない。

 だが、何と言うべきなのだろうか……先程と比べると、“彼の声が透き通って聞こえるようになった”、気がする。

 美しいとか、澄んでいるとか、そういう違いではない。

 身体の外から内まで、何度も何度も反響して聞こえてくるような感覚だ。

 さて、そんなことはさておき……。

 次にキートが背後を振り向きながら切り出したのは、その視線の先、四跡の一角でグッタリと項垂れる『彼女』の処遇についてだった。


「……『青獣ハイドラスト』は、如何なされますか?」


 意識を失って人型に戻された『青獣ハイドラスト』は、全身を鎖で固く縛り上げられ、まるで見せ物のように晒されている。

 普段の彼女ならば、《青炎》と力業で無理矢理拘束をぶち破るだろうが……今の彼女は、逃げ出すことすら出来ない無防備な状態だった。


「……ぅ…………」

「彼女は、計画の最後のピースです。これまでは『権限』が無かった故、静観することしか出来ませんでしたが……今ならば、この私でも────『紅き終獣ディーマ・ブレジスト』を操ることが出来る」


 ヴーズダットと言葉に呼応するように、四跡の一角で……天井に達しそうな程に大きな影が、動く。

 そいつは、ほんの少しだけ前脚を進めただけで『青獣ハイドラスト』の元に近付くと、突風をも引き起こす程の吐息を漏らしながら、彼女の憐れな姿を見下ろしていた。


『────グルルゥゥゥゥ……ハァァァァ……ッ』

「さぁ、今こそ完成の時です、『紅獣ブレジスト』────『青獣ハイドラスト』を、喰らいなさい」


 それを制止する者は、この場には一人も居なかった。

 『至宝』の持ち主の命だけを聞く『紅獣ブレジスト』は、頷きも、応えもせず、ゆっくりと『青獣ハイドラスト』に鼻先を近付けていくと……。


 その小さな身体を、頭の先から────無惨にも、噛み砕いていくのだった。

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