2-14 『アミュファ』、争奪戦襲撃!
獣人たちが持つ腕力が、その一撃で大地を割る程の威力を秘めているのは承知の事実。
それをマトモに喰らえば、例え相手がフィーネスであったとしても、甚大なダメージを被る羽目になる。
〔奴隷〕属性に付与される基本ステータスは、他の属性と比べても最下位に属する低さだ。それこそ、獣人の一撃で即死してしまう可能性も考えられる程に。
それでも、鍛練次第では幾分かの向上は叶うものの……リノリス=トラントというフィーネスは、そもそも戦いの才能には恵まれなかった為、現世でも戦いに勝てることは殆ど無かった。
そんな彼女の得意技と言えば……。
────《脱兎》。
勝ち負け以前に戦いへ身を投じるのではなく、自らに危害が加わりそうな場面に直面したら、《脱兎》の如く逃走する。
その《汎現》に意識を置いた彼女の回避能力は、通常時と比べて極めて高かった。
「おいッ!そっちへ逃げたぞッ!!」
「速過ぎるだろッ!?捕まえるどころか見えねぇッ!」
「……」
かつてのパトス・レイヴで執り行われた奴隷闘会で、万年負け組と呼ばれていたのは……何も、負けた回数が多いから、という訳ではない。
その最大の要因は……。
────不成立試合の多さ。
彼女と闘った者たちは、口を揃えてこう言う……“まるで稲妻を追い掛けているようで、闘いにならない”、と。
稲妻のような素早さで動き回れるのならば、攻撃に転じることも容易なのではないか、と思われがちだが……彼女は、徹底して対戦相手に攻撃することはなかったという。
その闘いを侮辱したような立ち回り方に、試合の最中で戦闘を放棄する者が続出し、不成立となった試合があまりに多いことから、万年負け組のレッテルを貼られることになった。
(この人数が相手だと、流石に逃げ辛い……)
「そっちは行き止まりだッ!追い込め追い込めッ!」
「壁を作っとけ!逃げ場を塞いで確実に捕まえろッ!」
「……!」
誘導させられるように路地裏の行き止まりに追い込まれると、唯一の出口は多数の親衛隊たちがひしめき合って、逃げ場が塞がれてしまう。
とある〔幽霊〕のように物体をすり抜ける特性があれば簡単に逃げられるが……こうして大人数で押し寄せられては、流石にどうしようもない。
だが……。
「……逃げる為に最も有効的な手段は、相手を振り抜くことじゃない。一時的にでも、相手の足を止めることなんだよ」
リノリスが、緩やかな足取りで親衛隊の壁に近付いてく。
一歩、一歩と、前へ進む度に、ギアが上がるようにその速度は増していき……手を伸ばせばぶつかる立ち位置に足を踏み出した時には────既に彼女は、トップスピードで走っていた。
「お、ぉ……ッ!?」
“稲妻のような逃げ足”……その呼称が、現世に顕現したフィーネスの器に、新たな《汎現》として力を与えた。
親衛隊の面々が迫り来るリノリスを前に動揺した声を漏らし始めた、次の瞬間。
その全身から、紫色の《稲妻》が迸る。
まるで爆発するように放たれた《稲妻》は、彼女の前に立ち塞がる屈強な身体つきをした親衛隊たちを、軽々と吹き飛ばし────壁に風穴を開けた。
「なッ、にッ!?」
「怯むなお前らッ!!数はこちらの方が上だッ!!全員掛かりで押さえ込んじまえばこっちのもん……」
「また姿が見当たらねぇぞ!?何処へ逃げたッ!?」
「あっちだよッ!ボーッとしてんな馬鹿ッ!」
「誰が馬鹿だよ誰がァッ!!」
数多くの種類が存在する亜人の中でも、獣人の特徴を上げるとすれば……確かに腕力等は優れているが、その反面、普通の人間と比べて知力の発達が若干弱いことだろう。
故に、こうして集団行動を起こす際、一度統制が乱れれば元に戻すのは極めて難しい。
彼らの中に、絶対的な統制力を秘めた者が居るのならば話は別だが。
(少しやり過ぎちゃった感は否めないけど……今なら、逃げ切れるっ!)
『至宝』の影響力は、生物の範疇を遥かに凌駕する。
それこそ、持ち主となった生物を内側から食い破る危険性が秘められている位に。
確かに、『至宝』を奪い取ること自体は、全ての生物でも成せる簡単な行為だ。獣人たちでも、下手をすれば現世の人間ででも出来ることだろう。
だが、何かの拍子で、力を抑え込む術を持たないただの人間が『至宝』を手にしてしまった場合……それの力を発揮するよりも前に、身体が木っ端微塵になってしまう可能性が高い。
だからこそ、言ってしまえば……彼らように“相応しくない者”に捕まる訳にはいかない。
『至宝』を手に入れるのは、“それを持つに相応しい者に限る”。
「────逃げるのもここまでだ、リノ」
「……!」
混乱し始めた親衛隊の集団から逃げ出そうとした時、突如リノリスを取り囲むように……。
────青白い炎が勢いよく燃え上がる。
反射的にといった様子で逃げる足を止めたリノリスは素早く四方を見渡すが……既に、逃げ場はなくなっていた。
遥か高くへとそびえ立つ炎は、周囲三百六十度だけでなく、上空から脱出するルートすらも塞いでいた。
中に取り残されたのは、リノリスともう一体……彼女の考える限り、『至宝』を手にするに相応しい者たちの内の一人……。
「……ウル」
「待たせたな、リノ」
「うぅん、あなたが一番早かったよ。他の二人は?」
「さぁな。あのままくたばっちまったのかも知れないし、もし生きているなら時期に追い付いてくんだろ」
「そっか……」
先手はウルが打ち、コリンとキートは遅れを取ったということか。
だが、あの二人ならばきっと直ぐに追い付いて来ることだろう。
この戦いは、争奪戦だ。
全ての者に権利を奪取する資格があり、誰よりも先にそれを手に入れることが戦いの本質となる。
そう……例えアミュファの三人組が内部分裂した末に、“誰かが誰かを殺したとしても”……何ら問題は生じないのだから。
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青い炎は、鎮火していた。
顕現者がこの場から離れたことが原因となったのか、一時的に自分の身を守れれば、後は自然に溶けるように消えていった。
その時点で、炎に見舞われた二体に外的損傷は無い。彼女らはその優れた身体能力と《汎現》を駆使し、無傷で青い炎から生還して見せた。
しかし。
鎮火したバルコニーの上では……紛れもなく、異様な事態が発生していた。
「はッ、はッ……!こ、れは……馬鹿、な……ッ……“そんなこと”が、有り得るん、ですか……ッ!?」
首元を両手で押さえながら苦しそうに呼吸をする、キートの姿。
彼女は床に片足をついた状態で全身を震わせながら、目の前に不敵な笑みを浮かべて立つコリンのことを見上げていた。
「知っているかな、キートちゃんっ?現実という世界に、夢や理想は存在しないんだよっ。だから、無理だとか、出来ないだとか、有り得ないだとか……そんなことを語っていられるのは、まだ現実の海で溺れている証拠っ。だってそれは、考えることや行動することを放棄して、無意味に漂っているだけなんだからねっ」
余裕綽々と持論を並べるコリンを上に、キートは歯を噛み締めて、苦しそうに呻き声を漏らす。
何とかして立ち上がろうとしている様だが、その腕と足は床を這うことしか出来ず、力を入れることすら困難のようだ。
この争奪戦が開始された瞬間から、決別は始まっている。
四大獣は最早、味方では無い。
『至宝』争奪戦において、最大の敵に等しい関係性にある。
今のキートは、牙を剥き出しにした敵の目の前で、無防備を晒しているも同然の状況だった。
それなのに……立ち上がれない。
ただ、コリンの顔を見上げながら、無様に吠え立てることしか……出来ることが無かった。
「ぐ……ッ!あなたは、一体……何者、なんですか……ッ!?この世界に、“これ”は、無かった筈です……ッ!そんなものを、一体、どうやって……ッ!?」
キートの決死の問い掛けに対して、コリンはそこから一歩、二歩と前に進むと、膝を折り曲げて顔を近付ける。
その顔に浮かぶ笑みは、不気味な程に深みを増していた。
不恰好なキートの姿を、心の底から嘲笑っているかのように。
「クスッ……物事には順序がある。その過程で、キートちゃんは────ここで消えるべきだった、それだけのことだよっ」
「コッ、リ……ン…………ッ!!」
それはきっと、断末魔。
恐らくキートの脳裏を過ったのは、敗北の未来。
フィーネス同士の戦いで、明確な敗北が意味するのは即ち、消滅。
消滅した彼女らの器が何処へ行くのかはハッキリとしないが……少なくとも、此度の『至宝』争奪戦からは脱落してしまうことは間違いない。
そして。
コリンが立ち上がり、さようならっ、と意気揚々とした口調で呟いた瞬間────キートの瞳は、二度と開かれない闇の中へと堕ちていくのだった。
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心なしか寒くなってきた……いいや、熱くなってきた、の間違いだろうか。
青い炎に四方を囲まれている影響か、明らかに先程とは体感温度が違うような気がする……それが、寒いのか熱いのか分からない、というのは不可解な感覚だとしか思えないが。
だが、悠長に思考に耽っている暇はない。
ウルは、既に臨戦態勢に入っている。
これまでで、彼女の《汎現》を完全に理解するには及ばなかったものの……最低限、あの青い炎に触れさえしなければ、直接的な影響を受けることは無い筈だ。
「先にも言ったけど、『至宝』はリノの手から誰かに譲ることは出来ない。方法は、リノからそれを“奪い取ること”……それだけに限る。だから、リノは全力で抵抗するし、あなたたちを倒すつもりで『汎現(力)』を振るうよ。分かって、くれるよね?」
「あぁ。最初からそのつもりで、ここに立ってる」
そう答えるウルが、今一度地面を踏みしめると……その全身から青白い炎を放出し始めた。みるみる内に炎に包まれていく身体は、まるで強固な鎧を纏っているかのようだ。
彼女の佇まいに、情や隔意はなかった。
そこにあったのは、純粋なまでの闘争心と殺意。
ここまで真剣に取り組んでくれるのならば、こちらも喜んで『至宝』を懸けて戦えるというものだ。
「うん、ありがとう。これで、リノも心置きなく……」
しかし。
次にウルが口にした言葉が……この戦いの根底を、大きく覆すことになる。
「────“『至宝』なんざ二の次に過ぎない”がな」
瞬間、思わず耳を疑った。
全身から放出し掛けていた《稲妻》も一気に身体の奥底へと引っ込み、目を見張ってウルへと視線を向ける。
「…………え?今、なんて……ウル……?」
動揺が頭から足先へと滑り落ち、反射的に身体が硬直してしまう。
何か……何かが、食い違っている。
自分が見ている景色と、ウルが見ている景色……てっきり同じだと思っていた景色が、この土壇場で急に淀み始めた気がして……。
そんなこちらの反応すら想定していたかのように、ウルは強い足取りで、ゆっくりと接近してきた。
「どうした。全力で抵抗すんだろ?ウルを倒すつもりで力を使うんだろ?だったら、今更戸惑ってくれるな?本気で、全身全霊で、死に物狂いで、ウルを殺しに来やがれ」
「ちょっ、ちょっと待ってよウル……!『至宝』が二の次ってどういうこと……!?あなた達は、『至宝』を手に入れてでも叶えたい願いがあるんじゃないの……!?」
ウルとの距離が近付く度に、熱気だか冷気だか分からない感覚が肥大化していく。
しかし、逃げられない。
まるで見えない腕に引っ張られているかのように、足がガタガタと震えて動くことが出来ず……気付けば、目の前にまで彼女の接近を許してしまっていた。
「願いはある。だが、お前の言うそれは、『至宝』ありきの願望ということだろ?ウルの願いは、別に『至宝』が無くても構わない────“『至宝』を手に入れたと同時に叶えられているもの”、なんだからな」
「ひ……ッ!!?」
そう語りながら、ウルが突き出してきた手。
それが今まで見てきた数多くの殺意の中で、何よりも恐ろしく感じて……瞬時に防衛本能を覚醒させると、全身から一気に《稲妻》を放出した。
速く鋭く駆ける稲妻は、重く厚く漂う炎と、絡み合うように衝突。
稲妻と炎は一つと成って世界を殴り付けると……地面を揺るがす程の、凄まじい轟音が鳴り響くのだった。
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運が良いのか、悪いのか……ここ数日の間、一度も日陰舘雅人先輩と顔を合わせる機会は訪れなかった。
放課後は直ぐに帰ってしまうのか教室には残っていないし、部活にも顔を出していないって兄はカンカンだったし……まるで避けられているのではないか、と錯覚してしまう程に低い遭遇率だったと思う。
だが、先輩について深く追及すると、今までの先輩と後輩らしい関係性が壊れてしまうような気がして……むしろ、こうして話を聞けない日々が続いていることに、若干の安心感を抱いていると言うべきか……。
今日この日も放課後になると、教室を覗いて、部活に顔を出してから、溜め息混じりに帰り道を一人で歩いていた。
いつもは真っ先に自宅に帰るのだが、商店街を歩いている最中に漂ってきた良い匂いに釣られて、ふと居酒屋『ヨテケヤ』に足を向ける。
丁度小腹も空いてきたところだし、持ち帰り用のコロッケでも買って食べ歩きでもしようかと店内に入りかけたところで……。
「いい加減にしろッ!!自分がどれだけ馬鹿げたことを言っているのか、貴様はまだ分からないのかッ!?」
「ひぅ……ッ!?」
突然店の奥から甲高い怒号が響き、思わず身体が竦み上がった。
店の入口から顔だけ入れて、キョロキョロと中を見渡す。
どうやら、自分が怒られている訳ではなさそうだ。少しだけホッとして改めて店の中へと入ると、また奥の方から、次は落ち着き払ったような声が聞こえてきた。
「おい、声が大き過ぎる。外に出るぞ」
この声、もしかして……。
聞き覚えのある声に驚き、慌てて店内の物影に身を隠す。
そこへ、奥の和風個室から姿を現したのは、見覚えのない少女ともう一人……。
(……??ひ、日陰舘先輩……?)
日陰舘雅人先輩……随分と久し振りに顔を見たような気がするが、何だか、気軽に声を掛けられる雰囲気でもない。
それが、恋人同士の痴話喧嘩とか、身内の家族会議とか、そういうモノではないことは察知した。ここは見て見ぬふりをして、早々に立ち去るのが良いのだろうが……罪悪感を抱きながらも、不思議と好奇心が涌き出てくる。
早足で店から外で出ていった彼らを追い、入口から密かに外の様子を覗き見てみた。
普段は単調な口調の人物が声を荒げると、ここまで怖さが増すモノなのか……。
思わず悲鳴が漏れ出そうになるのを辛うじて堪えられたから良いものの……まさかバシアがこんなにも怒りをあらわにするとは、正直のところ予想外だったとしか言いようがない。
「お前はもう少し残忍な性格の持ち主だと思っていたがな。俺を庇ってくれているのか?」
「貴様の為ではないがな!良いか?今のエクォルトシティは、傾き方によってはこの現世にまで悪影響を及ぼしかねん。そこに余計な刺激を与えられては、後々厄介なことになるだろう。それなのに、わざわざ『止めに行く』、だと?ふざけるのも大概にしろッ!」
彼女のその物言いには、異世界に対して何よりも真剣な考えを持っているように見て取れた。『回廊』という存在がどういった組織なのかは、依然として不明のままだが……少なくとも、遊び半分でそこに立っている訳では無さそうだ。
だが、それはこちらも同じことだった。
どれだけ威圧的な言葉をぶつけられようと、屈服する訳にも、同意する訳にもいかない。
「ならば、このまま黙って見過ごせとでも?」
「見過ごすつもりはない!貴様が居なければとっくの昔に私が出向いている!」
「それを見過ごせないと言っているんだ。お前に任せる位ならば俺が……」
「貴様のような弱者が出向いたところで何が出来る日陰舘一族ッ!!」
「……!」
一層強く放たれた言葉に気圧されるように、唐突に声が詰まる。
今彼女が口にした言葉は、冷静さを欠いた暴言ではない。日陰舘一族……つまり、こちらの限界を見定めた上で、不可能だと断定していたのだ。
囃し立てている訳でもなければ、推測で物を言っている訳でもない。
最初から反論しようが無い明確な答えを、眼前に叩き付けられた気分だ。
そこへ、バシアは落ち着きを取り戻すように溜め息を吐くと、元通りの口調で立て続けに警告を繰り出してきた。
「……ふぅ……貴様もその身で思い知っている筈だろう。あの世界は、強過ぎる力がひしめき合って成り立っている。エクォルトシティに渦巻いている力の奔流は、災害どころの騒ぎではない。確実に、殺されるぞ」
「……」
ウル一人を相手にしても苦戦を強いられた位だ。
今この瞬間にエクォルトシティに乗り込むことは、ウルだけでなく、コリン、キート、更にはリノリスまでをも相手にする必要が出てくる。
それを知りつつも戦いに挑むのは、バシアの言う通りに無謀でしかない。わざわざ竜巻の中へと、自分の命を投げ出すようなモノなのだから。
そう、とうの昔に納得したことではないか……今の時点で、自分に出来ることは……何一つとして無いことを。
「……しかし、理解に苦しむな。一体、あの『至宝』に何の未練がある?長い付き合いという訳でもあるまい。突き放したのも相手の方からだ。付き人が欲しいと言うならば、貴様は幾らでもそれを召喚する手段を持っている筈だろう」
「……何が言いたい?」
今までこちらと向かい合って立っていたバシアは、その場で半身になり、軽く視線を上げながら……こう宣言した。
「私はこれより────エクォルトシティを外側から遭壊させる」
「……ッ!」
「あの世界と『至宝』は、現世にとって害悪にしかならない。我々にとっても、貴様にとってもな」
「……害悪、か……」
この『至宝』争奪戦の生配信が、現世に何らかの悪影響を起こしているのは間違いないだろう。
それを承知の上で事を起こしているのだとしたら、彼女の言う通り────エクォルトシティとそれを取り巻く者たちは、“現世の敵”に当たるのかも知れない。
「冷静になれ、そして判断を見誤るな、日陰舘当主。貴様も、既に気付いている筈だ。あの『至宝』、リノリス=トラントは……自ら死を望んでいる。ならば、その意志を汲んで、現世に悔恨を残す前に屠ってやるのが……貴様ら人間の道理なのではないのか?」
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コリンには及ばないものの、異能的物体を形状変化させるのは得意とする技だった。
率直に言えば、この青い炎が燃え盛る空間で、《汎現》は正常通りに機能しない。
────《青炎》。
通常の戦闘時においては《青炎》をブースト代わりにして、接近からの肉弾戦に持ち込むのを主流としているが……この《青炎》の本質は、物体に影響を促して形態を変化させる、というものだった。
例えるなら、砂に水を加えて泥に変え、それを急激に冷やすことで凍結させる……そうした状態変化を強制的に起こすのが、《青炎》の特性だ。
リノリスがどれだけ多くの《稲妻》を放ったとしても、それは放たれた時点で凍結し、跡形もなく砕け散る。彼女のように潜質を放出する部類のフィーネスにとって、《青炎》は遺憾なく威力を発揮するといって良いだろう。
そして、相対者がフィーネスである場合、効果を発揮する対象は《汎現》だけではない。
「はッ、はッ……ぁ、ぐッ……からだ、が……ッ」
フィーネスの器は、潜質で構成されている。
つまり、《青炎》は彼女らの器に対しても効果があり、しばらくの間《青炎》の中に留まっていると、次第に身体が凍り付き……最後には、完全に動けなくなってしまう。
それを溶かす為には、《青炎》と拮抗する特性を持った、強い汎現を使う必要があるが……少なくとも、誰もが簡単に扱える程度の火では、どうすることも出来ないだろう。
特に、今のリノリスのように……全身に霜が浮かび上がる程に凍結してしまった状態では────最早、溶かし戻すことすら不可能だ。
「勝負あったな、リノ。その身体だと、《汎現》を使うどころか、逃げることすら出来やしねぇ。まぁ、《青炎》に囲まれた時点で、タイムリミットは始まっていたようなもんだがよ」
両膝を着いてガタガタと震えながら凍えるリノリスの元に歩み寄り……その華奢な首を鷲掴みにして持ち上げる。
すると、その負荷に耐えられないのか、凍り付いた首が軋み始めた。
「ぐぎぃ……ッ!?あッ……!はッ、ひゅッ……!」
「後は、四肢から順番に砕いていこうが、一思いに粉々にしてやろうが、全てはウルの配慮次第って訳だ」
リノリスは、首を締め付けるウルの手を振りほどこうと足掻くが……そもそも《青炎》に巻かれて凍り付いた身体は、本人の思い通りに動かすことが出来ず、その反抗はただの呻き声と痙攣だけで終わっていた。
最早、勝敗を決するまでも無い。
決着がつく瞬間は、もう目の前まで迫っている。
そんな中、無様に足掻くリノリスを鋭い目付きで睨み付けていたウルが、突然呆れた様に溜め息を吐いた。
「……だがまぁ、正直ガッカリしたぜ。所詮はこの程度なのかよ、てめぇは」
「……え……ッ……」
「〔奴隷〕として生きながらも、『至宝』という至高の座に立って、格下を見下ろす気分はどうだった?さぞ気持ちよかったことだろうな?不釣り合いな力を持って、不釣り合いな正義感に目覚めたんだろうが……どこまでも下らねぇ話だ」
「ち……が……ッ」
「違わねぇよ。てめぇはやっぱり負け組だ。どの世界に居ようが、どんな人生を送ろうが、負け組は一生負けたまま生きるしかない……お似合いだぜ、逃げるしか能がない臆病者にはよ」
「……ッ……ッ……」
深い意味や、考えがある訳でない。
その時ばかりのその言葉は、大袈裟なまでの非難と中傷。リノリスの心を傷付ける為だけに吐き出された、ウルから送る悪意だけの暴言だ。
本当ならば、“自分自身の正体を語ってやる”のが定石なのだろうが……それすら億劫に感じる程に、彼女は下等な力しか持ち合わせていなかった。
だから、せめてこの手で終わらせてやろう。
夢見がちな幼稚が考え付いたような、下らない願いが産み出した低俗な世界と共に。
「終わりだ。『至宝』も、このエクォルトシティも……ウルが“責任を持って捨ててやる”。だから、安心して消えてろ」
「あッ、ぎッガ……ッ!!」
軋む音が瞬時にその全身を駆け巡り、彼女の凍り付いた身体が臨界点へと到達しようとしていた。
ここまで追い込めば、後は自然に朽ち落ちるのを待つのみだ。
リノリスも、『至宝』も、エクォルトシティも……本当の意味で、終わりを迎える。
そして、これが最後の一押し。
地面に広がる霜を簡単に踏み潰すように、柔くなったリノリスの首を粉砕しようと、その手に力を込めようとした────次の瞬間。
「────それは駄目かなぁっ」
それは、一瞬の出来事だった。
突如、耳元で囁くように陽気な声が聞こえてきたと思ったら、辺りを取り囲む《青炎》が、水平に断たれる。
驚くのも束の間、視界の端から端へ向かって一筋の影が駆け抜けていくのを目の当たりにすると……リノリスの首を掴む腕が、“吹き飛んだ”。
「ぐッ、うッ……!?」
いいや、正確には違う。
肘から先を、刃物か何かの鋭利な物で切断され、反動で切り裂かれた腕が何処かへと吹き飛ばされてしまった。
恐らく、その一瞬だけは腕の筋肉と骨の断面図が見えてしまうのではないか、と思ってしまう程に鮮やかな一筋だ。
一方、腕が切り裂かれたことで地面に落ちたリノリスは……辛うじて、息を繋ぎ止めていた。
「……ッ……ゲホッ!ゲホッ!はぁッ、はぁッ……ウル……っ!腕、が……っ!」
「リッ、ノォ……ッ!たった今までてめぇを殺そうとした相手を心配してんじゃねぇよ……ッ!」
全身に微かな亀裂を浮かべながらも立ち上がろうとし、あろうことか気遣うように掠れた声を口にするリノリス。
対して、断たれた腕を押さえながら額に脂汗を浮かべるウルは、苛立った様子で彼女を突き放そうとした。
そこへ。リノリスの後ろで、何者かが地面を踏み締める音が聞こえてくる。
「そーそーっ、リノちゃんはもっと自分の心配をしなきゃねぇっ」
「え……きゃ、うっ!?」
動くことすらままならないリノリスの身体に腕を回し、無理矢理その場に立たせたのは……こんな状況でも楽観的に笑う狐娘、コリンだった。
状況から察するに……《青炎》を断裁し、ウルの腕を切り飛ばしたのは、彼女の仕業だろう。
「ふーッ……ふーッ……追い付いて来やがったか、コリン……キートの奴はどうした?まだモタモタしてんのか?」
「キートちゃんと競争したらコリンは勝てないよぉっ。それなのに、コリンの方が先に着いたってことは……お察しだよねぇっ?」
少し嘲るような言い草にウルは眉を潜めるが……確かに、“もしもキートが無事ならばこの場に居ない筈がない”。ウルに次いで、真っ先にリノリスの元へ駆け付けた筈だ。
それなのに、未だに姿を現さないということは……。
「キート……ッ……」
コリンの言い分を全て察したのか、リノリスが辛そうな声でこの場に居ない彼女の名前を漏らす。
争奪戦の最中で敵を気に掛けるなど愚行としか言い様がないが……彼女にとって、アミュファの面々がいなくなることの損失感は、相当強いのかも知れない。
すると、リノリスを掴み上げるコリンが、まるでじゃれつくように彼女の頬にすり寄り始めた。
「リノちゃんってば、居なくなっちゃったキートちゃんのことまで気に掛けてるのっ?そういうとこ、ホントに可愛いんだからもーっ!」
「……っ」
「おい、コリン。そいつはウルの獲物だ。後からやって来て横取りしてんじゃねぇぞコラァ」
「ん~~……でもさぁ、独占は良くないよウルちゃんっ」
「あ?」
今回の戦いを根本的に否定するような発言に、ウルは腕を押さえることも忘れて顔を強張らせる。
滲み出るのは、怒り。
その全身から静かに燃え上がる《青炎》が、彼女の感情を体現させていた。
だが、コリンが陽気な笑みを一切崩すことはない。むしろ、可笑しくて堪らないといった様子で、微かに笑い声を漏らしていた。
「『至宝』は、世界の希望、皆の希望、未来を創る希望。だったら、それを望む全員の手で────大切に、たーいせつに、共有しなくちゃねっ」
「あっ、ぅ……!?」
コリンが滑らかな手つきで、リノリスのひび割れた首筋を撫でると……ガチャンッ、と金属が閉まるような音が響き渡る。
一瞬だけリノリスの苦しそうな声が聞こえてきたと思ったら、彼女の首に『妙なモノ』が填められていた。
「さぁっ受け取ってよ、リノちゃんっ。コリンからのプレゼントだよっ」
「……あれは……」
特に派手な装飾もない、金属製の硬固な首輪。
見た目からしてかなりの重量感はありそうだが、フィーネスの身体からすれば、ある程度の重さは大した問題にならない筈だろう。
しかし。
次にリノリスが見せた反応は────まるで、トラウマを引き起こすような、尋常では無い苦痛を現すものだった。
「あ、ぁ……あぁぁ……あぁぁぁぁぁァァァァ……ッ」
……。
…………。
………………。
初めて、『首輪』を嵌められた時……本能的に、痛感させられた。
────何も出来ない、と。
思考が鈍くなり、身体の自由が抑制され、マトモに動くことすらが困難になる……まるで、強制的に植物人間にでもされているかのような感覚。
それ以降、自分の身体を動かせるようになるのは、『首輪』の持ち主が、「動け」と命令した時だけ。
逃げたくても、逃げることは許されず……。
辱しめられても、抵抗することは許されず……。
戦いたくなくても、反論することは許されず……。
そうやって、幾人の同類たちが……目の前で拘束され、傷つけられ、殺される様を、何度も目の当たりにしてきた……何度も、何度も、何度も何度も何度も……。
『首輪』は……獣人たちの運命を狂わせた、悪魔の拘束具。
今でも、目蓋を閉じれば思い出される程に、この身体と本能に刻み込まれている……パトス・レイヴで、散々に思い知らされた、『奴隷』としての地獄の日々を……。
……。
…………。
………………。
「────いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
身体の奥底から、まるで這い出て来るように……当時のトラウマが、鮮明に蘇ってくる。
忘れようとしていた記憶……消し去りたかった記憶……それらが心を突き刺すような精神的苦痛となって、この『首輪』に蝕まれた身体を内側から犯していく。
地面でのたうち回り、狂ったような悲鳴を上げるリノリスを、コリンは愉しそうな表情でジッと見下ろしていた。
「ふふっ、ふふふふふふっ……」
「まさか、『束輪』か……?この世界に、『それ』は顕現していなかったと聞くが……?」
『束輪』。
人間たちが、獣と人と融合した獣人を解剖、分析し、獣人の力を極力抑える為に開発した……別名、『対亜人抑制拘束具』。
人の特性を持ちながら人ならざる力を持つ者、『亜人』と呼ばれる者たちの活動能力を抑制し、制御する機能を持っている器具だ。
獣人たちの自由が尊重されるエクォルトシティにとっては不必要な存在である為、世界創造の際には『束輪』だけは除外させた。
つまり、今やそれの製造方法は、この世界どころか、何処にも残っている筈がないのに。
「無い物を有る物に変え、不可能を可能に覆し、幻想を現実に創る……そうした俗に奇跡と呼ばれる現象を起こすのが、コリンの十八番なんだよなぁっ」
「コリン……お前は一体、〔何者〕だ……?」
「かつての現世で、コリンはこう呼ばれていました────『妖狐の魔術師』、とねぇっ。奇跡と魔術の申し子ですっ、以後お見知りおきを~っ」
魔術師、という名はこの現実世界にも古くからの伝承として語り継がれているが……そのどれもが、本当に存在していたのかすら分からないデタラメな噂話が殆どだ。
しかし、コリンの場合は話が別だ。
既に彼女は、自身が『魔術師』である事実を、自らの行動で証明している。
「潜質を自在に操れるとか、どんなチート能力だと思っていたが……なるほど────〔魔術師〕のフィーネスか。お前らは、“理屈や元素に精通した”特性を持っている訳だな?」
「おやぁっ、よく知っているねぇっ。そうっ、その通りっ!つまり、この世界に存在しない『首輪』でも、彼らに刻まれた特性から分析してそれを創造するのは、容易いことなんだーいっ」
「なる、ほどな…………してやられていたって訳かよ……」
そこで、まるで力尽きてしまったかのように……ウルがその場で両膝を着いて、息を乱し始める。
片腕を斬り飛ばされた影響も当然大きいのだろうが、ほんの数秒前までは平然としていただけに、尚更その息の乱れ方が唐突な様にも感じた。
「……!?」
「『アミュファ』のお・ま・も・り。大切にしていてくれて嬉しいよぉっ」
「く、そ……っ……捨てとけば良かった……ッ!」
確か、『アミュファ』が結成した時に、コリンからウルとキートにブレスレットをプレゼントしていたと聞いていたが……まさか、あれも『束輪』だったとでも言うのだろうか。
当初からこの戦いの為に根回しをしていたのだとしたら……かなり、用意周到かつ計画的な戦略を練っていたようだ。
「はッ、はッ……でもッ……どうして……?」
「どうしてって、なにがっ?」
「リノは、アミュファの誰かに、『至宝』を譲るつもりで……この『争奪戦』を、起こした……それなのに、どうして……今更、“こんなもの”を……っ」
この『束輪』は、相手を倒すことよりも、相手を拘束し制御することを目的として製造された器具だ。
つまり、敵を倒すことを念頭に置くのならば、『束輪』を作るよりも、殺傷能力が高い兵器を創造した方がよっぽど効率が良い筈なのに……どうして、コリンは『束輪』にこだわったのか。
すると、彼女はニヤリと口角を上げてから、こう切り出した。
「エクォルトシティはねぇ、コリンにとって────絶好の実験場なんだぁっ」
「実、験……!?」
「そうっ。現世に強く直結した異世界が、別の次元空間にどんな影響を及ぼすのか……興味深いと思わないっ?だけどね、その結末を見る為には、リノちゃんには『至宝』で在り続けて貰う必要があるんだよ。この世界が、活力を絞り尽くし、充分な研究成果が得られるまで、永久的に……ねぇ、リノちゃんっ?」
つまり、エクォルトシティという実験場を永遠に稼働させる為のエネルギー源として、『至宝』をこの世界に留めておく必要があった。
コリンは、その宿り木として利用するつもりなのだ……リノリス=トラントの器を。
「……リノ、は……リノは、そんなことの為に、エクォルトシティを創造したわけじゃない……ッ!!」
「いーやっ?リノちゃんは────“そんなことの為にエクォルトシティを創造してくれた”んだよぉっ」
「違う……ッ!そんな、デタラメを……ッ!」
「デタラメ?デタラメ、デタラメって……クスッ、ふふっ、ふふふふふふっ、あはッ、あははははッ、あはははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
それは、いつも陽気なコリンの性格から考えられない、狂喜の笑い声だった。
心臓を直接打ち付けるかのような、トラウマに残ってもおかしくない高笑いは、『束輪』で身動きが取れない者たちに恐怖心を植え付ける。
「……こいつ……ッ」
「何が、可笑しいの……コリン……ッ!」
「は~っ……だってさぁっ、こんなに面白い話はないよぉっ。これまで、“散々利用されるだけ利用されていた”くせに、まるで自分は関係ないみたいに言うんだもんっ」
「ちょ、ちょっと待って……“利用されていた”……?どういう、こと……?リノは、誰に、何の為に、利用されていたっていうの……!?」
まったく、身に覚えがない。
エクォルトシティを創造し、この争奪戦にまで押し進め、そしてこの戦いで『至宝』を奪い取られる所まで……自分の想像通りに、事は進んでいた。
そこに、部外者の思惑が入り込む余地はなかった筈だ。
それなのに……一体、誰が……?
「じゃあ、ここまで頑張ったご褒美に教えてあげるよっ。リノちゃんはね────“このエクォルトシティと現世の存在意義を逆転させて”、この世界を本物の現世にさせる為に、利用されていたんだよ」
「……ッ!?エクォルトシティと現世を、逆転させる……!?」
「そして、その『逆転論』を目論んだ者。その者こそが、エクォルトシティにおける真の支配者であり、現在のコリンが仕えるお方。その者の名は……」
まさか……。
まさか、そんな筈がない……。
だが、『それ』しか考えられなかった……。
だって、いつしか彼が言っていたではないか……一見、何処にも居ないように感じても────『奴ら』は、何処にでも居る、と。
「────『埃』。あのお方は、ずっとこの世界に居た……“エクォルトシティが創造されるよりも前から”、ねぇっ?」




