2-9 災害襲来《抗編》
ある世界では、嵐や津波、地震の災害等が発生すると、それが神々が怒りだと恐れ敬う風習があったという。
彼らは、神々の怒りを鎮める為、献上物を備えたり、祭事を執り行ったり、時には人間の生け贄を捧げることも珍しくはなかった。
現代に近付くにつれて、災害のメカニズムは科学的に解明されていき、対応策を講じることで人々の危機感は段々と薄れていったが……それらが、生物の生命を脅かす脅威的な現象である事実には変わりはない。
ただ。
もし、災害と呼ばれる現象に意志があったとしたら……そこにはきっと、怒りも、憂いも、迷いも、嗜みも……何も無い。
それらはただただ、歩いているだけ。
生物の生命を簡単に殺せる力を撒き散らしながら、行く宛もなく、無心のまま、前へ前へと進んでいるだけのこと。
故に、説得も通じなければ、話し合いにも応じない。
それらに出来ることは、自らの力で辺りを打ち壊しながら、歩を進めることだけなのだから。
行使者バシアは、そういった“《災害》の特性を有する”、極めて類い稀な存在として『回廊』から派遣された。
バシアに回される大抵の任務は、異端と称される世界に赴き、自らの潜質を散布させる……たったそれだけの、至って簡単なお仕事だ。
彼女の《汎現》は……その世界にとって最も有効的もしくは相応しい災害をランダムで引き起こす、というモノ。
汎現を顕現させる寸前までは、本人でさえもどんな災害が勃発するのか断定出来ない、という欠点もあるが……その災害は、彼女自身には一切害を加えない為、後は無心で眺めているだけで彼女の役割は自動的に終わりを告げる。
『災害屋』とも呼ばれるバシアは、『回廊』でも随一の、異世界抹殺という汚れ仕事に特化した存在であり……これまでも、数多の異世界を、その汎現の力の元に打ち滅ぼしてきた。
もし、この次元の何処かに、未だ何らかの災害に悩まされている世界が存在するとしたら……そこには、バシアが足が踏み入れた痕跡が残されているかも知れない。
(……奇妙だ……疫病ではない……しかし、暴動とも違う……この災害は、一体何を顕している……?)
彼らは、正気を失っている。
だが、直ぐ隣の者へと無差別に攻撃している訳ではない。
まるで、一つの標的に向かって進撃するような、何らかの統制力が見て取れた。
このエクォルトシティは、かつての異世界パトス・レイヴを模倣して顕現させられたと聞いている。
彼らが人間に虐げられてきた獣人であるというのならば、仇敵である人間へと反逆を翻そうとするのは不思議な話ではない。
しかし、果たしてその反逆が……世界をも滅ぼす要因と成り得るだろうか。
大地をも破壊する大地震。
大陸を呑み込む大津波。
全てのモノを無惨に吹き飛ばす大嵐。
あらゆる生命を腐らせる大飢饉。
人の努力だけではどうやっても防ぐことが出来ない自然災害で、一つの世界が滅亡する様は、これまで何度も目の当たりにしてきた。
つまり、それらに勝る世界滅亡の要因は無いにも等しい筈だった。
それなのに、まさか……今、エクォルトシティで起きている現象は、それらの自然災害に匹敵するだけの危険性を秘めている、とでも言うつもりなのだろうか。
(……違和感は拭えないが……考えても無駄な話か。もう間もなくで、滅亡の瞬間は訪れる。この『災害』が、エクォルトシティ滅亡に最も有効的である事実に変わりはないのだから)
災害の正体は、待っていれば判明する。
らしくない、と思考を切り捨ててから、今までやってきた時と同じ様にエクォルトシティの終焉をボンヤリと待とうした……。
その時だった。
「……ん!?」
ドンッ、と強烈な衝撃が全身を振動させたと思ったら……一瞬のまばたきの間に、視界に移る景色が激変した。
一面の青空……下には町並み……高い……落下している…………ここは、上空?
脚が空へ、頭が地へと……重力とは逆向きで、空中を落下していることが分かった。
だが、飛んだ覚えはない……そもそも、空を飛べる汎現は持ち合わせていない……だとしたら、まさか……。
(『何か』に────投げ出された……!?)
先程のキートとかいう獣人を相手にした時と同様だが、人間の身体やフィーネスの器とは異なるこの『容物』に、直接的な物理攻撃加えることは出来ない。
しかも、ほんの数秒前まで息を潜めていたのは、容物でしか認識かつ侵入することが出来ない内域と外域の狭間にある異空間だった筈だ。
そんな容物が、こうして空へ投げ出されたということは……。
(……私の位置を“認識”した上で……容物に“通用する力”が……私のことを狙っている……?だとしたら……マズイ……ッ!)
何ということだ……。
違和感を覚えた時点で、気付くべきだった。
この世界……思った以上に、手強い。
先程までの余裕が妄想であるかのように気持ちが焦らせられ、空中を落下しながら、慌てて体勢を整えようとする。
しかし。
頭の方向が上へ向くよりも前に……突如、目の前に一つの人影が覆い被さって来た。
「────てめぇが元凶か」
「……!?」
それは、四大獣の一体、『青き獣』の称号を持つフィーネス、ウルだった。
まるで待ち構えていたかのように、人型の状態で目の前に現れた彼女は、全身から凄まじい殺気を発しながら握り拳を振り絞っていた。
だが。
フィーネスである彼女の物理攻撃や汎現は、この『容物』には通用しない。
「……わざわざヤられに来るとは……四大獣には、血気盛んな愚か者が多いらしいな」
だから、動揺する必要はない。
容物に標準搭載された『変幻自在』の特性……それを利用し、自身の両腕を刃に変化させて、冷静に迎撃体勢を整える。
地面に叩き付けられても痛手を負うことはないが、先程の大振動をマトモに受けるのは何がなんでも避けておきたい。
タイムリミットは、地面に着地するまでの十秒程度。
その間に、この狼娘を……排除する。
「……分かってねぇな」
「なに……?」
ウルが呆れた様子で小さく笑うのを目の当たりにして、思わず眉をひそめる。
「この世界に足を踏み入れた時点で、てめぇは脅威でもなんでもねぇ────ウルたちが貪り喰うだけの、餌も同然なんだよ」
「……フィーネスごときが……行使者に敵うと思わ…………ぁ……が……ッ?」
突如、肩に電撃のような鋭い痛みが走る。
反射的に言葉が喉の奥へと引っ込み、ガチガチと歯を鳴らしながら、痛みのする部位へと瞳を向けると……半透明の糸らしきモノが、肩を貫いているのが見て取れた。
その糸は、ウルの、更に後ろの方から延びている。
ウルの背中に張り付くように死角で隠れ、まるで釣糸を伸ばすように、指先からその糸を放出していたのは……もう一体の四大獣だった。
「コーンコンッ。不思議な身体をしているようだけれど、ざーんねんっ。そこに潜質がある以上は、コリンの手のひらの上なんだーいっ」
『緑き獣』のコリン。
こんな状況でも陽気に笑う狐娘がウルの肩からヒョッコリと顔を出すと、《糸》を放出する指先をクルクルと回し始める。
「潜質に……直接作用する力……だと……ッ!?」
この、痛みと共に浮き出て来る感覚は……まるで、全身に纏っていた鎧が剥がされたかのような……。
そこまで察知した時……最悪な予感が脳裏を過る。
まさかっ、まさかっ、まさかっ……この《糸》みたいなモノのせいで……容物から、“無理矢理引き出されてしまった”のだとしたら……!
「地に脚を付けてぇか?だったら────手伝ってやるよ」
ウルがそう呟いた、次の瞬間。
彼女の振り抜いた渾身の拳が、閃光の如く、岩よりも硬く重い塊となって────バシアの頬を、一切容赦もなく殴りつけるのだった。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
「どうなっている……今、何が起きた?」
リノリスが手を前にかざし、何者かの名前を呼んだと思ったら……。
一瞬、ほんの一瞬だけ……“世界が波打った”、ように見えた。
それこそ、まるで水面に広がる波紋を目の当たりにしているかのように。
一人空へ向かって大きく飛翔したキートの忠告通りに、ROSCを使って周囲からの影響を防御しなければ、今頃その波動によって上空へと弾き飛ばされていたのではないか……そう直感するほどに、大きく、速く、鋭い波だった。
「スレイヴ宮殿には四体目の『四大獣』が眠っていてね。彼女に頼んで、ちょっとばかし“世界を揺らして貰った”んだ。こう、布地をバサバサッ、って埃を払う感じにね」
「世界を揺らすと来たか、大層な表現だ……だが、あの宮殿と同じ程に大きな体躯の存在が居たとしても、世界そのものを動かすようなことは流石に不可能だと思うが……?」
そう尋ねると、背後で地面に柔らかく着地したような音が響き……誰よりも先に上空へと回避したキートが、手を払いながら、リノリスの代わりに答えた。
「ふぅっ、『紅き獣』が大きいことに変わりはありませんが、これは彼女の体躯云々よりも、特性から成る概念上の問題でしょう。世界と直結した彼女が起こす、あの振動波……あれに巻き込まれると、“世界上から部外者だけが弾き出されてしまいます”。彼女を除く四大獣の他の三体と、日陰舘雅人、あなたも例外ではありません」
「……なるほどな」
自分はともかく、四大獣として存在するウル、コリン、キートまでもが部外者扱いされてしまうのは恐らく……彼女らが異世界から召喚された部外者、『フィーネス』だから、ということだろう。
守護者の称号を授けられて尚、根本的には部外者だと区別されている現状には、感情を持つ人間として一種の憂いを抱いてもおかしくはないのだが……少なくとも、キートに関しては一切気にする様子は感じられなかった。
それにしても……話を聞けば聞く程、エクォルトシティを取り巻く途轍もない戦力には、ただただ圧倒されてしまう。
(どいつもこいつも……守護者に相応し過ぎやしないか……?)
離元空間の壁をも破った青い炎を扱い絶大な破壊力を有する『青き獣』、ウル。
正体不明の敵さえも軽くあしらう潜質の扱いに最も長けた『緑き獣』、コリン。
冷静な分析力と容赦の無さを武器に目にも止まらない神速の刀を振るう『黄き獣』、キート。
世界そのものを動かすこと出来る程の大いなる力を持った超越的存在である『紅き終獣』、ディーマ・ブレジスト。
そして、彼女ら四大獣を従える、エクォルトシティの創造者にして『至宝』の特性を持つフィーネス────リノリス・トラント。
表面上のアミュファとしての動画からでは全くもって予測出来ない、戦いを制する為の強大な戦力が充分過ぎる程に揃っている。
今回ばかりは……彼女らから、排除すべき敵として認識されていないことを幸いと思うべきだろうか……。
「……さて、落ちてきたね」
「……!」
リノリスが冷静な佇まいでゆっくりと空を仰ぐのを見て、その視線を追い掛けると……空の彼方から、一つの人影が飛来。
それが隕石と見まごう速力で地面に激突すると、大きな振動と共に勢い良く砂塵が舞い上がる。
砂の中から姿を現したのは、顔面が粘土のように陥没した状態で地面に倒れ伏したバシアの姿だった。
「ぐッ……ぎッ、ァ……ッ!」
「ウルの一撃をマトモに受けて、まだ意識を保っていられるとは……中々に頑丈な身体をしていますね」
ウルに顔面を殴られて、あんな痛々しい姿になってしまったのだとしたら……生身の人間では、到底無事に済むとは思えない。
背筋が凍る感覚を身に染みて眉を潜めると、続けて上空からウルとコリンがそれぞれ、豪快そして軽快に地面に着地してきた。
「あん?んだよ、まだくたばっていなかったのか?」
「刀では効果が見られなかったのですが……もしかしてコリンが?」
「そだよーっ。だけど、今なら普通に通用すると思うなっ。どんな外見で取り繕うと、潜質で構成されていることには変わらないからねっ」
先程までのバシアが見せていた態度には、絶対的な勝利の確信と揺るぎない自信があった。
恐らく、相当の手練れだった筈だ。
そんな相手を、こんな短期間で、ここまで追い詰めるだなんて……彼女らの制圧力も並大抵の代物ではない。
一堂に会した三匹の獣が、目の前の獲物をそっちのけで情報交換を交わしていると……顔面の陥没が自動的に修復していくバシアが、地面を這いつくばってその場から逃げ出そうとしていた。
「ぁ……ぐ……ぐ……ッ!」
しかし、それを見逃す獣たちではない。
無様としか言いようがない姿を前に、短く息を吐いたリノリスが、即座に自身を守護する獣たちに命令を飛ばす。
「ウル、キート」
「分かってらぁ」
「承知」
分かりきったような口振りで返事をしたウルとキートは、バシアへと駆け寄ると……。
ウルは拳を振り下ろして────右腕を粉砕し。
キートは刀を突き立てて────左足を串刺しに。
骨が砕ける音と、肉を引き裂く音が響く。
身の毛もよだつ過激な音も相当のものだが……それ以上に、バシアが漏らす悲痛の絶叫が何よりも悲惨に聞こえた。
「ひぎッ……!?あッ、ぁッ、ァッ、ァッ……ぎぃあぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!?」
(お、おいおい……っ)
思わず目を背けたくなるような、冷徹な攻撃を加えられたバシアは……今度こそ、逃走する手段を失われてしまう。
そんな凄絶な光景を見下ろしながら、微塵にも顔色を変えないリノリスは、今まで聞いたこともないような低い声でバシアを脅し付けた。
「行使者バシア。一体、どれだけの覚悟を持って言ったのかは分からないけれど、あなたの口にした宣戦布告は……この世界では、問答無用で万死に値する。言い残したことがあるなら……聞いてあげなくもないよ?」
右腕を砕かれ、左足を串刺しにされたバシアは、全身を痙攣させながらも……攻撃的な姿勢を崩そうとはしなかった。
「はッ……!はッ……!覚悟……?覚悟、だと……?それ、ならッ……『回廊』に、身を投じた時からッ……既に、出来ているッ……!」
「……ならば……今この場で滅ぼされても、文句はないよね?」
「……滅ぶべきッ、なのはッ、貴様らの方だッ……!己の、私利私欲の為にッ、周りの犠牲なんてッ、考えもしない独善者がッ……!」
「……!」
決して、褒められたような言葉ではない。
だが、手当たり次第に喚き散らしている、悔し紛れの罵倒という訳でもないように感じた。
その言葉と行動には、揺るぎない信念が宿っている……まるで、大陸樹でメグドーラと戦ったトアや、ヨウを相手に死力を尽くしたリノリスと、同じ様に。
「呪ってやるッ……!!この生涯をッ、懸けてでもッ……!!この身がッ、死を迎えたとしてもッ……!!永遠にッ、喰らい付いてやるッ……!!貴様らが死に絶えるッ、その時までッ……!!」
「姫様」
「…………うん。いいよ、楽にしてあげて」
やっても構わないか、と言いたげにキートが尋ねると、リノリスは少しだけ間を置いてから首を縦に振った。
それはあまりにも残忍過ぎやしないかと、驚いて彼女の方を見るが……ウルとキートは何の疑いもなく、地面に倒れ伏したバシアの元に迫る。
「こ、のッ……!!腐れた獣共がァァァァァ……ッ!!」
「うるせぇよ。あの世で、一生喚いてろ」
凍り付いたような目付きでバシアを見下ろすウルは、青い炎を纏わせた拳を引いて彼女へと狙いを定め……それを、振り抜いた。
しかし。
「……ッ!!?」
「…………」
バシアが叩き潰されることはなかった。
ウルの拳は……。
────“ROSCが生成した壁によって阻まれ”、勢いを殺されてしまったからだ。
次にウルが刃のように鋭い殺意を向けたのは、当然ながら、その壁を造り出したこちらの方だった。
「日陰舘、雅人ォォッ……!!この期に及んでッ、まだ邪魔をする気かよてめぇぇぇぇッ!!」
「ウルっ」
ウルが怒り狂った声を上げて詰め寄ってくるも、素早く間にリノリスが割って入り、抑えて、と言って宥める。
納得こそしていない様子だったが、一度大袈裟に地団駄を踏んでから、楽しそうに笑うコリンの方へと引き下がっていった。
「おーよしよし、我慢出来て偉かったねぇっ」
「うるせぇ触んな狐」
「ガーンっ」
そんな二人のやり取りを背後に、リノリスと対面する。
一人の部外者と、世界の支配者……いつの間にか離れてしまった、深い深い溝を隔てた上で。
「一つだけ聞かせて、雅人様…………どうして?」
「……『回廊』の正体……バシアを生け捕りにしてそれを引き出すことが出来れば、今後の為にも有意義になる。それに……」
「それに?」
「リノリス。お前が、こんな一方的なやり方を望む訳がない……そう思ったからだ」
勝手な偏見だろう……例えリノリスがどんな立場にあろうと、こんな残忍な行為を許す筈がないだなんて。
最早それは、個人的な願いにも等しいものだった。
だからこそ、分かり切っていたのかも知れない。
次に彼女が口にした言葉の中に……自分の知っているリノリス=トラントの影は、微塵にも残されていなかった。
「……リノは『至宝』の持ち主で、エクォルトシティの創造者なんだよ?この世界の風景も、道行く獣人たちも、ジェスタレイという世界意志も────全て、“リノが創った”」
「……ッ」
どうして、等と自分が口にするのは愚問だろう。
この地は、かつてのリノリスの故郷だ……自分が未熟だった為に滅亡させてしまった、彼女の本来帰るべき場所だ。
どんな形であれ、彼女は自らの手で、自らの故郷を再生した。
だとしたら、彼女の出した答えに、これ以上の無粋な疑問を投げ掛ける必要があるのだろうか。
「だから、皆の意志はリノの意志。リノの意志は皆の意志。リノはそれを実現する為に、ここに立っている……分かるかな?」
「……!」
リノリスは詰め寄るように一歩を踏み出し、こちらを睨み上げた。
その瞳に映る感情は、明確な敵意と殺意。
今まで、『アミュファ』の面々が見せてきたモノと、全く同じものだった。
「────いい加減に“目障り”なんだよ、日陰舘雅人。そいつの命はくれてあげる。その代わりにリノはもう二度と、あなたのことを味方だとは思わない……今後は金輪際、この世界に足を踏み入れるな」
決別の言葉は、他でもないリノリス本人の口から告げられた。
今まで辛うじて保っていた筈の繋がりは、とうの昔に切り離されていたのかも知れない。
そう感じてしまう程に、リノリスの強烈な言葉は……重く、重く、心にのし掛かるのだった。




