2-7 『四大獣』
「もう少し泳がせても良かったのでは?」
エクォルトシティ中心部にあるレイヴス宮殿。
奥部には、世界意志の君臨する場、『四跡の玉座』がある。
中央の玉座に座る世界意志のジェスタの膝元で、キートは腕を組みながら、考えるようにして問い掛けた。
すると、ジェスタは脚を組み、肘掛けに頬杖を付きながら小さく笑い声を漏らす。
「フフッ、泳がせる必要が何処にありますか?まぁ、まさかこんなに早く、日陰舘一族が嗅ぎ付けてくるとは思っていなかったけれど……いやぁ、予想外ですなぁ、フフフッ」
予想外、とジェスタは口にするものの、彼の嘲笑的な口調は、その不測すらも享受しているかのようだった。
そんな彼の言動を見ていると、一抹の不安に駆られるものだが……最終目的地点はらハッキリとしている。
今は、そこへ向かって進んでいるだけ。
余程のことが起こらない限りは、今のルートを逸脱することは有り得ないだろう。
「では、今後も引き続き、彼らの動向を監視します」
「キート。分かっているとは思いますが……リノリス=トラントは、このエクォルトシティにとって必要不可欠な存在です。くれぐれも、丁重に、大切に、面倒をみてやって下さい?」
まるで子供を見守る親御のような台詞だ。
もしかすると、ジェスタにとって世界意志の立ち位置というのは、そういう形なのかも知れない。
運命を司るということは、その者の人生を定めることに等しい。
王とか、神とか、そういうモノではなく、エクォルトシティで生きる者たちの親……即ち、『獣の父』。
どんな関係性にあるとはいえ、自らを見守ってくれる存在がいてくれるのは、本当に心強いモノだ。そんな人間性が尊いお人に遣えることが出来るのは、フィーネスとしては何よりも誇らしいことなのだろう。
「この身は世界意志の代行者。キートの意志は、ジェスタ様の意志そのもの。必ずや、ご期待に応えてみせましょう」
胸元に手を当ててその場で片膝を着き、深々と頭を下げて決意表明を口にすると……彼は満足した様子で、うんうんと首を縦に振っていた。
「フフッ、当初は思い悩む時もありましたが……こうしてあなたが快く代行者を引き受けてくれて、私は嬉しいですよ、キート」
「光栄です。ところで、ジェスタ様。日陰舘一族の存在を危惧される現状でも、『あれ』は、本当に開催されるおつもりで?」
「勿論ですとも。リノリスも、それはそれは乗り気でしたからねぇ」
「……それを聞いて安心しました。個人的にも、『その時』を心待ちにしております故」
「えぇ、楽しみですねぇ……フフッ」
在るかどうかも分からぬ未来を見定めて、彼らは『その時』を切望する。
ジェスタが笑い声を漏らしながら、肩越しに背後へと視線を向けると……闇の中で、一つの低い唸り声が不気味に響き渡るのだった。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
宮殿から外へ出て町を歩けば、通りに見えるのは八割程度が多種多様な獣たち。
犬、猫、ネズミ……牛、豚、馬や鳥まで……現世で動画越しに見た、動物たちが行き交う背景が、現実の物として目の前に広がっていた。現実的に考えれば、彼らがここまで野放しにされている様を見られるのは、人の手が届いていない自然界の中でしか有り得ないだろう。
ただ、よくよく観察してみれば……露店で商売している者や、建物の工事をしている者は、しっかり人型に成っているし……通りを行き交う獣型も、時々互いに向き合って会話らしきことをしていたり、露店に金銭のようなモノを払って買い物をしていたり……限りなく人間に近い生活をしていることが窺える。
「わんっ」
「え?あそこ?あそこの露店の串焼きが美味しいの?分かった、教えてくれてありがとう」
「くぅんっ」
膝を折って屈むリノリスが、目の前で尻尾を振りながら鳴き声を発する犬の頭を撫でると、犬は気持ち良さそうに彼女の脚に頬をすり寄せていた。
どうやら会話をしている様子だが……ROSCを持っていても、普通の獣型の声を聞き取ることは出来ないようだ。
人間の中には、動物と会話出来る特殊能力を持つ者も居るという話は聞いたことがある。だが、今のリノリス以上に、自然な立ち振舞いで会話をしていると思わせられる者は居ないだろう。
「待たせてごめんね、雅人様。次はあっちへ行ってみよ?皆のオススメの露店があるんだって!」
「あぁ、分かった」
いつになくはしゃいだ様子で袖を引っ張るリノリスに促されて、獣たちが行き交う通りを二人並んで歩く。
リノリスの話によると、パトス・レイヴを模したというこのエクォルトシティは、かつての故郷と比べて若干の差異があるらしい。
具体的な違いはハッキリとしないが、世界全体に流れる空気や景色は殆どが当時のままだし、特に気にすることもなく、むしろ新鮮な気持ちで楽しんでいるとのことだった。
「当時は奴隷として飼われていたから、あまり良い思い出がある訳じゃないけれど……それでも、リノの故郷であることに変わりはない。ん~っ、ホラノ実の串焼き美味し~っ!」
キートから手渡された金銭を使い、露店で購入した串焼きを幸せそうに頬張るリノリス。
こうして彼女の無邪気な姿を見ることが出来るのは幸いだが……状況が状況なだけに、素直に喜びを口に出すことは出来ない。
「そうか……確かに、そうだな……あー……えっと……」
さて。
意気込んでリノリスを追って来たのは良いが、こんな時にどんな言葉を掛ければいいのか……正直のところ、全く分からない。
────世界意志の妃。
確かにリノリスは一人の女性として魅力的な人物だが……人間どころか、フィーネスですら、世界意志と接触するのは、極めて稀なケースだ。
そんな存在と、形式的に一つになる、という現象が果たして起こり得るのかは分からない。
だが、リノリスにとってこの世界は、故郷であり、安らぎと思い出の地。
そこで暮らすことが出来るのは……彼女からすれば、願ってもない幸せなのかも知れない。
(……俺は、どうすれば良い……?)
今までは彼女の配慮からか、パトス・レイヴについての話題が上がることはなかった為、こちらからもあえてそこに踏み込むような行為は避けて来た。
それでも、一度目と二度目の召喚の時、自らが消滅の発端を作ってしまった世界については……。
今まで、一瞬たりとも忘れたことは無い。
ただ忘れずに、記憶に留めておくことだけが、罪滅ぼしになるなんて思ってはいない。
何らかの形で、罪を贖うことが出来るのならば……その時は……。
「────自分の命をもって、償ってみるってか?」
「……っ!」
突如、背後から耳元で囁かれ、全身を震わせると……脇の下から伸びてきた華奢な手に、持っていた串焼きを引ったくられる。
リノリスと共にそちらへと視線を向けると、そこには、強奪した串焼きを遠慮もなく食する、一体の狼娘の姿があった。
「もくもくっ……命ってのには、重さがある。例えば、世界的な大発明をして人々に褒め称えられた偉人と、ただ上司の言いなりになって自らに課せられた仕事しかこなせない社畜……果たして、どちらの命の方が重い?わざわざ考えるまでもないことだよなぁ?」
「ウル……何のつもりだ?俺の命を捨てたところで、贖罪には程遠いとでも言いたいのか?」
「浅はか、だっつってんだよ」
「なに……?」
会話の最中で直ぐに串焼きを平らげてしまったウルは、串を指先で回しながら、何処か呆れた様子で肩を竦めた。
「償いだとか、贖罪だとか、そんなもん人間が自らの都合の良いように物事を解釈しているだけに過ぎねぇだろうが。神ってのは所詮、妄想だ。罪を犯したら一生、逃れることも、許されることも出来ねぇ」
「……」
「だから、抱えていくしかねぇんだよ、生きている限りはな。それが出来ねぇ限り、てめぇはいつまで経っても虫けらのままだ」
社会的な思想を全て蔑ろにする、極めて横暴な考え方だ。
しかし、今回ばかりは……返す言葉が見つからない。
ウルの一方的な持論に偽りはなく、全てが正論となって自分の心を強く打ち付けていたからだ。
そうだ……今まで、自分がパトス・レイヴの話題を出さなかったのは、リノリスのことを気遣っていたからではない。
きっと、自分は……目を逸らしていたのだろう。
自分の犯してしまった罪を、抱え切れる自信がなかったから。
「ウルっ、それ以上は辞めて。あなたが雅人さんを責め立てる必要はないでしょ?」
言葉に迷って立ち尽くす自分に代わるように、隣に立つリノリスが、珍しく不機嫌そうに唸り声を漏らした。
「てめぇもてめぇだぜ、リノ。そこでこの虫けらをてめぇが庇い立てちまったら、こいつがもっと惨めに見えるだけだ」
「だったら……どうしてそんなにも雅人さんに突っ掛かるの?」
「この世界にとって障害にしかならねぇ奴を、わざわざ庇おうとするのは理解出来ねぇがな?」
リノリスとウルの言い争いを目の前にして、ふと思い浮かべる。
もし、二度目の召喚時に、リノリスと共にパトス・レイヴを救済することが出来たら?
もし、そもそも自分が、明示録を使うことが無かったとしたら?
今こうして、彼女たちが不毛な言い争いをするようなこともなかったかも知れない。
自分には、パトス・レイヴを救済することは出来なかった……それでも、前当主から授かった明示録を、この手で受け入れてしまった。
それが、罪なのか、功なのか、自分だけで結論を出すことは出来ないけれど……少なくとも、明示録を取り巻く現実から目を背けることだけは────とうの昔に辞めた筈だ。
だから。
どれだけ怖かろうが、苦しかろうが……感情を押し殺してでも、この言い争いの間に割って入るのは、きっと自分の役割なのだろう。
「だったら」
「あ?」
「リノリスが、俺を庇うことも……お前が、リノリスに詰め寄る理由もない。俺は……リノリスにとっての仇であって、ウルにとって邪魔者。事実は、それだけだ」
「雅人様……」
そこへ。
まるで話の腰を折るように……通りの向こうから、幾つかの怒号らしきモノが聞こえてきた。
「んだよてめぇッ!?やるかこらぁッ!?」
「上等だおらぁッ!!一生水しか飲めねぇ身体にしてやんよッ!!」
「あぁ!?尻尾噛み千切るぞッ!!」
「おぉ!?それは辞めろよ怖ぇだろッ!!」
喧嘩……だろうか。
いつの間にか通りの一角に集まっていた野次馬の方を見てみると、その中心に、二人のガタイのいい男の獣人が睨み合って互いを罵り合っていた。
その光景を見たウルは、舌打ちをしながら串を放り投げ、野次馬の方へと歩き始める。
「……チッ、初めて会った時から、てめぇのことは気に食わなかった。コリンやキートは軽く見ているようだが……ウルの目は誤魔化せねぇ。てめぇみたいな厄介な芽は、早い内に摘んでおくにこしたことはないってな」
「……ウル、お前は……」
「覚えておけ、次に対峙した時は────問答無用で焼き尽くしてやる」
肩越しにそう言い残して、ウルは野次馬の波へと堂々と割り込んで行った。
十秒と経たぬ間に輪の中心に出てきた彼女は、明らかに体格が違う大柄な獣人の前に立ち塞がり、腕を組んで仁王立ちになる。
百六十センチ程度のウルと比べて、相手の獣人は二人とも軽く二メートル越え。
ウルの華奢な腕を握り潰すことも可能だと思える程に筋肉質な身体……まるで、文系の女子高生が、ウエイトリフティング選手に力比べを挑んでいるようなモノだ。
客観的に見ると、その勝負の行方は、火を見るよりも明らかだったが……。
次の瞬間。
ウルを前にした二人の獣人は、顔を真っ青にして頭を下げ始めた。
「てめぇら、また騒ぎ起こしてんのか?」
「あ、姐さんっ!?」
「ち、違うんすっ!こいつが訳が分からねぇことを言いやがるから……っ!」
「人様に迷惑掛けておいて言い訳とか見苦しいぞ、なぁ?」
「「す、すいやせん……」」
「謝るのはウルじゃねぇだろうがコラァァっ!!」
「「すいやせんでしたァァァっ!!」」
「そして平謝りパレードだ行けェェっ!!」
「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!?」」
何がなんだか分からないが……どうやら二人の獣人が野次馬に頭を下げて回り、ウルが彼らの襟首を鷲掴みにして立ち去って行くと、事態は無事に収束したようだ。
最後にウルが獣人たちを引きずっていく姿は、まるで巨人が過ぎ去る光景に見えた。
「……あいつは、一体何者なんだ?」
「実は、リノもよく分からないんだ……多分、世界意志のジェスタが、別の異世界から召喚したフィーネス……だと思うんだけれど……」
「別の異世界から召喚、ねぇ……?」
以前に月影マヒナから聞いた話によると、俗に異世界と呼ばれる地点は、数え切れない程の数が存在すると言われているらしい。
『明示録』はその中でも、滅亡した異世界だけを数多く書き記しているが……当然、それが全てという訳ではない。
つまり、いくら明示録の持ち主といえども、全てのフィーネスの正体を見破れる訳ではない、ということだ。
「今のエクォルトシティには、四人のフィーネスが居るの。彼女らは、かつて人獣血戦において獣たちの指導者に君臨していた四体の獣……『四大獣』になぞらえた称号を与えられて、このエクォルトシティを護っているんだよ」
「その内の一人が、ウルということか?」
「そう。ウルに与えられた称号は、『ハイドラスト』。流れや傾向を司るとされる『青き獣』。人獣血戦時には、幾多の戦場で常に最前線に立って自軍を奮い立たせていたんだって」
「はー……奮い立たせるというより、震え上がらせるって表現の方が正しく思えるけれど」
「あははっ、確かに。ウルはそんな感じかも」
少し苦笑いを浮かべながら指先で頬を掻くリノリスだったが……相変わらず、大柄な獣人を相手に吼え立てるウルの姿を遠目に、昔を懐かしむように語り始めた。
「感謝はしてるんだ、『アミュファ』の皆には。何だかんだで、エクォルトシティをこうして盛り上げることが出来たのは、皆が頑張ってくれたからだしね」
「……信頼しているんだな」
「え?」
「三人の名前を口にする時だけは、さん付けをしていないだろう?それはあの三人のことを、一緒にいて安心できる存在だって思っているからじゃないのか?」
確信があった訳ではないし、半分以上は勘のそれに近かったのだが……『アミュファ』の面々を語るリノリスの穏やかな口調は、かつて英雄が自身の親友ついて話す時とよく似ていた。
すると彼女は、まるで本心を見透かれてしまった心情を慌てて覆い隠すかのように、頬を赤く染めながらキョロキョロと目を泳がし始める。
「えっ、あっ……えと……えへへっ、そう、なのかなぁ……なんだか、恥ずかしいけれど……皆も、そう思ってくれているかなぁ……思っていてくれたら、嬉しいなぁ……」
「……」
確かに、最初からリノリスと『アミュファ』が揺るぎない信頼関係を見せてくれていれば、こちらも何の疑いもなく首を縦に振ることは出来ただろう。
だが、そもそも今回、エクォルトシティを来訪した原因は……『アミュファ』の一員であるウルと思われる人物がリノリスを無理矢理拉致した、という話を聞いたからだ。
そこで、宮殿から出るより前のこと。
リノリスと二人きりになったタイミングで、事の真意を尋ねてみたところ、彼女はこう答えた。
────何のこと?
その言葉に、気遣いや偽りは感じられず、本当に身に覚えがないかのように、不思議そうな表情で首を傾げていたものだから……てっきり、自分の聞いたことの方がオカシイのではないかと疑ってしまった程だった。
確かにその場面は、自分が実際に見た訳でもなく、日野原ゆちが言った言葉を鵜呑みにしたに過ぎない。だが、あの時点でゆちが嘘を口にするメリットはない筈だ。
だとしたら……。
彼女たちの間には、一体どんな関係性が築かれているのだろうか。
「ところで、残りの三人っていうのは……」
「────コリンのことかなぁっ?」
突然、リノリスの背後からヌッと人影が現れたと思ったら……。
「へ……ひゃんっ!?」
背中に覆い被さるように両腕を掛け、彼女の垂れ下がったもみ上げに見える獣耳の部分を、なぶるように甘噛みし始めた。
「はむはむっ、うまうまっ、イタズラ好きのコリンですぅっ。ココンっとお耳をカプカプしちゃうぞーっ」
「ひんッ!?ちょっ、待っ……!耳っ、やめっ……だめ、だよぉぉ……っ」
「おほほぉっ、初々しいのぉっ、ここかっ、ここが良いのかぁっ?はむはむむむむまっ」
「みゃっ!?だかっ、らっ、ダメ、だってっ……!もっ、助けてぇぇぇっ」
(……どうしよう、直視出来ない奴だコレ……)
流石に咬み千切ろうとしている訳では無いだろうが……スキンシップにしても、時と場を選んで欲しいモノだ。
よく動画サイトとかでも目にする動物と動物が耳の噛み合いをしている光景だというのならば、ただただ微笑ましいし、いつまでも眺めていられる。
しかし、今の二人は人間の少女の姿と何ら変わらない、人型である為……なにか道徳的にすこぶるイケないモノを見せ付けられている様な気がしてならない。
それともこんな時こそ、眼福です、ご馳走さまです、とか言っておけば良いのだろうか。
「ぷはぁ~っ、ご馳走さまでしたっ」
「ふぇぇ……っ」
ようやく、コリンの満足げな声と共にリノリスが解放される。
若干顔を赤くさせて目を回しているリノリスを近くのベンチに横たわらせてから、改めてご満悦した表情を浮かべるコリンと向き直った。
「四大獣の一角────『ヴォレスト』。希薄さとか昇華を司るとされる『緑き獣』、って言われていたんだってっ。まぁ、あれだねっ、称号を与えられるのは名誉なことだよっ、うんうんっ。だけど……」
「ん……?」
「希薄ってなにぃっ!?コリンみたいにハッキリした存在感を放っている獣は他に居ないと思わないかなぁっ!」
腕を振りながら頬を膨らませて、プンプンと擬音語が聞こえてくるような仕草でお怒りの声をあげるコリンだったが……何となく、彼女の言葉にも納得出来る節はありそうだ。
「確かに、存在感の塊みたいなものだよな、お前に関しては」
「おぉっ?そうだよそうだよぉっ、いやぁっ分かっていますなぁっ、雅人ちゃんっ。流石っ、当主の名は伊達じゃないねぇっ。だけどもっ、腐敗した支配は革命の波に呑み込まれがちなモノ。死ぬほど辛い目に遭いたくなくば、土台はしっかり固めておかないとねっ」
「…………すまない、今の言葉は撤回する。お前、一番分からないかも知れない」
「あれぇっ?」
歓楽的で能天気なのかと思いきや、然り気無く正論らしき正論を槍で突き刺すかの如く、自然な会話の流れでぶち込んできた様を目の当たりにして……途端に、背筋が寒くなってきた。
例えるならば、幼子をあやしていたと思ったら、いつの間にか喉元にナイフを突き付けられていたかのような恐怖感。
実際、彼女に喰われたリノリスも、しっかりと骨抜きにされてしまっているし……もしかすると、ウルやキートとは別の意味であざとい、いいや、厄介な性格の人物なのかも知れない。
「それで、何か用でもあったか?ついさっきもウルに会ったんだが……もしかして、監視でもしているつもりか?」
「んんっ?いやいやっ、それはコリンの役目じゃないよっ。さっきからほらっ、向こうでキートちゃんが監視をやっているからねっ」
(キート?あ、ホントだ)
ケラケラと笑いながら指差した先の、露店の物陰。
意識しないと気付けないが……確かに、見覚えのある小柄な獣人が、尖った耳と細長い尻尾を物陰からちらつかせながら、こちらの様子を窺っていることが分かる。
当初は無表情のままで静かに佇んでいたが……コリンに指差されて尾行がバレたことを悟ると、オイっお前ぇっ!?と言いたげな驚愕した表情を浮かべていた。
(ご苦労様です……)
「つまり何が言いたいかというとっ、あまりリノちゃんのことをイジメちゃ駄目だよってことっ。今後のエクォルトシティの行く末を左右させる大切な身なんだからっ、何かあったらコリンたち『四大獣』がプンプンなんだからねっ」
つまり、リノリスに危害を加えることは、同時に、『四大獣』と呼ばれる四体のフィーネスを敵に回すことと同等という訳だ。
ウル一体を相手にするのだけでも手一杯だったというのに、そこに他の三体まで加わってしまったら……そう考えると、とても無事で済むとは思えない。
思えない、思えないのだが……。
今自分の目の前には、当事者なのに、しっかりとノックダウンされてしまった兎さんがいる訳であって……。
「ぷふぅ……毒牙に、噛まれたよ……(プルプル)」
ベンチの上でうずくまるリノリスが、スライムのようにプルプル震える様を、コリンと共に見下ろすと……この現状にそれとなく疑問を投げ掛けてみる。
「お前のせいで瀕死状態なんだが?」
「美味しかったよぉっ。あっ、一緒に食べちゃうっ?」
「断る」
「えーっ!雅人ちゃーんっ、いけずぅっ!」
「味方が、いないよ……(ガクッ)」
最早、『四大獣』としての役割を重んじているのか、ただリノリスをからかうのを楽しんでいるだけか……どちらが目的なのかすら分からなくなってきた。
だが、その不鮮明な在り方と、掴み所がない希薄な存在感……それこそが、彼女の『ヴォレスト』たる所以となっているのかも知れない。
「さてとっ、暇潰しも終わったことだし、コリンはそろそろ退散するのだっ。ココーンとっ、まったねぇっ」
そう言って、遠くの鋭い視線から逃げるように、コリンは大きく手を振りながら歩き去っていく。
途中で出会したウルを前に一言二言だけ言葉を交わしてから、何やらウルが怒った様子で怒鳴り声を上げると、また楽しそうに笑いながら、軽やかな足取りで逃げ出すのだった。
それにしても……。
リノリスと共に居ることで身の安全は保証されているものの……エルミナノーグに降り立った時とは違い、妙な胸騒ぎは一向に収まる気配はない。
まるで、不安定な椅子に座らせているかのように……何かが途端に崩れ落ちそうな感覚が、ずっと身体の中を渦巻いていて……。
これが、ただの杞憂だと良いのだが……。
何もかもが、歪んでいる。
歪んだモノが、歪んだモノと混じり合い、思わず目を疑うようなゲテモノとなって、現実に寄生するように絡み付いている。
こんな吐き気がするような世界で、平然と生きる生物たちの正気を疑うが……きっと、彼らにとっては常識的な風景なのだろう。
理解している。
理解している故に、所詮は相互理解など最初から不可能であることも、全て納得している。
人のように思考が優れた生物ならば、自らの理解した出来ぬ代物を受け入れるのは、極めて難しい事なのだから。
そして、それはきっと自らも同じ。
ならば、両者は決して相容れることは出来ないのか……その答えは、否だ。
相互理解が出来ないのならば……受け入れることを拒絶するのならば……相容れることを求められないのならば……。
────一方の意志を、殺してしまえば良い。
話し合いは、自制に過ぎない。
譲り合いは、妥協に過ぎない。
なれば、自らの望まぬモノは全て排除し、自らの望むモノだけを押し付けるが為、戦争を吹っ掛けてみせよう。
そして、この身は愚行なる異世界の地に降り立つ。
歪むに歪んだ救いようがない世界を、大いなる意志による調律の元、この手で屠り去る為に。
「────さて、始めよう」
局地的な嵐が過ぎ去れば、残されるのは眠気を誘う静かな平穏だけ。
猫の鳴き声や鳥のさえずりを子守唄にして、通りを行く獣たちの行進をベンチに座ってボンヤリと眺めながら、無心に耽る。
隣では兎の姿に変わったリノリスが丸まって目蓋を細め、今にも夢の世界に入り込もうとしていた。
このまま彼女の寝顔を眺めるのも悪くないと思ったが……その前に、ずっと昔から心の中に秘めていた疑問をそっと投げ掛けてみる。
「……リノリス。一つ、聞いてもいいか?」
『ふぁっ……ん、なに?』
小さく欠伸をしながら前足で顔を拭うリノリスがこちらを見上げると……自分は彼女の方に見向きも出来ずに、視線を落としたままこう尋ねた。
「どうして今まで、こんな俺に付いてきてくれたんだ?」
二度目の召喚の際、リノリスが自らの帰るべき場所を捨てて、こちらの元に残ってくれたことは分かっている。
ただ、そのハッキリとした理由は、今までに語られたことはなかった……というより、問いただすのが怖かった、というべきだろうか。
それを聞いてしまったが最後、自分の罪が剥き出しになることを恐れてしまったから……。
そんな独りよがりな心情を見抜いているか否か、しばらくの無言と静寂の後……リノリスは、考えるように答えを口に出した。
『……多分、見捨てられなかったんだと思う。あの時の、精神的に壊れ掛けていた雅人様のことを……』
「……!そう、か……だったら……ずっと、支えてくれていたのに……俺は今更、どんな言葉を返せば……」
『リノ、分かったんだ。雅人様にはもう、支えなんて必要ないって』
「え?」
唐突に切り出してきた話題に少し驚いて、反射的にリノリスの方を見ると、彼女は真っ直ぐにこちらを見上げながらピクピクと鼻を動かしていた。
『大陸樹という異世界と、トアさんというフィーネス……彼女たちを、埃の手から救済することが出来たのは、雅人様が最後の最後まで諦めなかったから。そのひたむきな姿勢が、雅人様をとっても強い人にしたんだよ』
「……」
『それに、雅人様にはトアさんという力強い存在が付いている。雅人様とトアさんなら、例えどんな困難が立ち塞がったとしても必ず乗り越えられるよ。だから……』
そして気付いた時には人型に変化していたリノリスは、こちらの手の甲にソッと手を添えながら……まるで諭すように、こう言って微笑み掛けてくる。
「もう、置いていって良いんだよ────過去の重荷も、罪の意識も、全部」
「……っ」
思い返せば、精神的に追い込まれた時は、いつもいつもリノリスの温かい言葉に励まされながら奮起してきた。
今回も、今までと同じだ。
自分の問題なのに……自分が償うべき罪なのに……当事者であるリノリスが自らで、その罪を終わらせようとしている。
罪も罰も、全部自分が背負うから……もう何も気にしなくて良いんだよ、と。
赤の他人に言われたらムカつくだけだが、本人に言われてしまっては……もう、素直に受け入れるしかなくなってしまうではないか。
返す言葉が全く見つからず、優しく慰めてくれるリノリスの包容力に意識が連れ去られそうになった……その時だ。
「────歪みの中に、また別の歪みまで現れ出るとは……奇怪なモノだ」
一際強い風が吹き抜けて来たと思ったら……通りのど真ん中に、一人の人物が姿を現した。
「ん……?」
まるで深海に漂うクラゲを思わせる、仄暗い海の底で淡い光沢を放つような、透明度の高いローブを身に付けた少女。背丈はリノリスよりも少し高いくらいで、髪の色はローブの透明感を反映したかのような淡い金色だ。
その下には、どうやら何も着用していないのか……透明なローブは、彼女の女性らしいスリムなボディラインをボンヤリと露見させている。
最早、衣類としての役割を果たしているのかも分からない、セクシーかつ神秘的な雰囲気を醸し出す衣装は、周囲を行き来する獣人たちの視線を、男女問わずに釘付けにさせていた。
彼女の、明らかに特異的な外見はともかく……。
────何かが、妙だ。
その姿は、獣型でも、人型という訳でもない。
だとしたら、おかしな話だ……少なくとも自分と世界意志を除けば、このエクォルトシティには、普通の人間の姿をした人物なんて────“誰一人として居る筈が無い”のだから。
そいつが、両腕を風で煽られるようにユラユラと揺らしながら、軽く上体を屈める様を見た瞬間……ようやく気付いた。
────臨戦態勢に入っている、と。
「だが、何者であるにせよ────調律することに変わりはない」
「なん……っ!?」
それは、荒ぶる暴風の如く。
瞬く間に目の前にまで迫ってきたそいつは……。
まるでイカやタコが持つ柔らかい触手のように、異様にしなっている両腕を振り上げていた。
その両腕が、指先から肘辺りまで、“鋭利な刃のように変貌している”のを目の当たりにして……慌ててROSCを取り出そうとする。
「────駄目ッ!!」
しかし、壁が生成されるよりも先に。
全身から紫色の稲妻を迸らせるリノリスが間に割って入り、勢い良く振り下ろされる両腕を……あろうことか、素手で鷲掴みにする。
稲妻が盾となって、手が切り裂かれることはなかったが……彼女が苦痛の声を漏らすと、その手からは赤い鮮血が溢れ落ちていた。
「……〔奴隷〕程度のステータスで真っ向から立ち向かって来るとは……命知らずにも程があるぞ、フィーネス」
「ぐッ、ぁ……ッ!?」
「リノリス……っ!」
ただ、安心している場合ではない。
リノリスが鷲掴みにする襲撃者の腕が、関節の存在を感じさせない蛇のような動きで、リノリスの腕を切り刻みながら巻き付いていく。
反射的にリノリスの肩を掴んで、襲撃者から引き剥がそうとすると……。
「────邪魔です、日陰舘一族。あなたの助力は必要ありません」
そんな言葉が鼓膜を透き通ったと思った途端。
リノリスに巻き付いていた襲撃者の腕が……。
音もなく細切れにされ、その残骸がボトボトと足元に落ちる。
襲撃者は驚いた様に大きく目を見開いて、こちらから素早く距離を取るように後ろへ飛び退いた。
そこへ。
地面を握るようなハッキリとした足取りで姿を現したのは、鋭い目付きで襲撃者を睨み付けるキートだ。その手には、鞘に納められた一本の刀が携えられていた。
「キート……!」
「……エクォルトシティを守護する『四大獣』のお出ましか……」
肘から先が切断されつつも、襲撃者が平然とした様子で呟くと……キートは腕を組みながら、何処か納得したように頷く。
「なるほど。コリンから雅人様の話を聞いた時は妙だとは思いましたが……この世界にとって真に招かれざる侵入者は、あなたのことだった訳ですか────『回廊』の使者よ」
(『回廊』……?)
聞いたこともない名称だ。
回廊とは一概に、寺院や教会、宮殿等において、建物を取り囲むように造られた廊下のことを指す。
キートの言い様から察するに、場所や建造物ではなく、何らかの団体を指しているような気がするのだが……少なくとも、いきなり斬り掛かって来たことから考えても、彼女らの味方という訳ではなさそうだ。
「ほう……よもや、『回廊』を認知しているフィーネスが居るとは……なれば、隠し事は必要あるまいな。私の授名は────行使者バシア。調律者序列第三席の次位に属する者だ」
「行使者……なるほど、この世界を調律する為に顕れましたか?」
「然り。それぞ我らが『継君』の意志。この身に命ぜられた大いなる意志は……腕を切り落とされた程度で、揺るぎはしない」
そこへ、バシアが斬り裂かれた二の腕を左右に広げると……自分達の足元に転がる腕の残骸が、まるで意志を持ったかのように蠢き始める。
それらは次々とバシアへと向かって飛来して、二の腕に接着するように集合していき……。
「……!腕が……っ」
ほんの数秒後には、バシアの腕は指先まで完全に修復されていた。
フィーネスの持つ自動回復能力を遥かに上回る、単細胞生物のような再生能力。最早、バシアの腕というよりも、自意識を持った別個体が寄生しているように見えて……思わず身震いしてしまう程の薄気味悪さを感じる。
もし、この人物がフィーネスなのだとしたら……一体、どんな〔属性〕を備えていれば、こんな現象を発現出来るのだろうか。
そんな疑惑を余所に、バシアはまるで感触を確かめるように自身の手を閉じ開きしながら、さも当然な口調で……。
────あまりにも大それた宣言を口にした。
「さて。次元の均衡を戻すが為────今よりこのエクォルトシティを……滅亡させる」




