2-6 狙われる首、狙い定める牙、そして兎はヘコむ
明示録に記された判別名は、『パトス・レイヴ』。
人間と、人型とあらゆる動物の外見を併せ持つ『獣人』が共存する世界。
いいや、正確に言えば……共存というよりは、支配。
奴隷という『獣人』が、主君という『人間』に支配される、道徳的に腐敗した世界。
それが、リノリス=トラントの生まれ故郷であり、彼女が『フィーネス』と成った異世界だ。
遥か昔、人と獣は────互いの限られた領地と資源を奪い合う生存戦争を繰り返していた。
二足歩行と四足歩行という生態系の違いや、言葉と鳴声という言語の有無……交渉も対話も望めない彼らは、互いで互いを異形と認知しており、永遠に終わらない血戦を余儀無くされていたという。
後に『人獣血戦』と呼ばれる戦争は、およそ百年……双方の種族存続が危うくなる段階にまで続けられた。
そんな時。
一人の男性と一匹の雌獣が、決して赦されざる禁断の関係に堕ち入り、両種族に激震が走る。
彼らは両種族から怨敵とされ、徹底した圧力と虐待を与えられ続ける羽目になるが……雌獣は既に、人と獣、二つの血を引く子供をその腹に宿していた。
そうして。
彼らがその身を犠牲に誕生したのが────『獣人』。
その子供は『源初の混血者』と呼ばれ、長きに渡って続いた人獣血戦を、終焉に導いた者として語り継がれることになる。
ただ、混血者は、結果的に自らの両親を殺した二つの種族を許すことが出来ず……彼らから与えられたあらゆる権利を放棄して、獣人という種族が増大してきた世界から、突如として行方を眩ませてしまった。
結果、混血者と同種である獣人の立場は、瞬く間に転落していき……次第に、獣人よりも人間の方が高貴であり、人間が獣人を管理して従わせなければならない、という風潮が流れるようになっていた。
そこから成り立っていったのが、近年の『パトス・レイヴ』。
だが。
血で血を争う戦争から、倫理を踏みにじる支配まで……激動の時代を駆け抜けていったこの異世界は────今や、何処にも存在しない。
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次に目を覚ました時。
視界の中に映った物は、三百六十度全方位を取り囲むようにして並ぶ、幾多の小さな頭。
当初は意識がボンヤリしていたせいか、何かの黒い影、という程度の認識しかなかっが……意識がハッキリとしてくると、その光景の異様さを前に思わず言葉を失ってしまう。
……猫だ。
一体どういう状況なのかは不明だが、十数匹ものの猫が、まるでこちらの様子を伺うように顔の周りにワラワラと集まっていたのである。
叫び声を上げるべきだろうか、もしくは朝の挨拶を言うべきだろうか。
なにせ、寝起きにこんな大量の小動物に包囲されたことは今までに経験がなかった為、普通に受け答えに困ってしまう。
すると……。
『おはようございます、雅人様。とっくに陽は昇って、既にお昼前ですが……いつまでお休みになられているつもりで?』
恐らくは、ROSCから聞こえてくる音声だろう。
視界を取り囲む十数匹の内のどれかが、丁重ながらも少し呆れた口調で問い掛けてくる。
オマケに他の猫たちも次々に、ニャーニャーニャーニャー、と甲高く鳴き始める為、どれが発した言葉なのかは区別が着かない。
いや、というか……普通に喧しい。
「……うちの屋敷には、こんな賑やかしい合唱団は居なかった筈だが……」
『なにを寝ぼけたことを言ってらっしゃるので?ここは、エクォルトシティ。厚意を受けて寝泊まりされておられるのは、あなた様の方ですけれど?』
「あー……」
そう言われてみれば、確かにそうだった。
昨日、ステージ上でウルと死闘を繰り広げた直後、『姫君』と呼称されるリノリスが現れて、彼女の厚意で客室に案内された自分は、そのまま倒れるように眠りこけてしまったのだっけ。
周りが侵入者である自分の命を狙っている事実に、もっと警戒すべきだとは分かっているが……それよりも、リノリスが無事な姿を目の当たりにして安心してしまったのかも知れない。
ただ……まだ全ての現状を把握した訳ではないのだが。
『それで?まだ眠るおつもりですか?寝首を掻きますよ、全員で』
「いやっ、それは辞めろ」
この猫の群れに首をかっ切られたら、無事で済む訳がない。
暖かい掛け布団の中に入っているにも関わらず、途端に背筋が寒くなってきたのを感じて手を動かそうとすると……。
『んぅ……っ』
「ん?」
右手が何かに触れ、妙な声が聞こえてきた。
この思わず夢中になりそうな触り心地の良い、長い毛並みは……猫ではない。
顔だけを動かして回りを囲む猫たちの隙間から、自分の右手が触れている何かへと視線を向けると……そこには、青い毛並みに覆われた、比較的大柄な狼がベッドの縁にあご乗せしている。
どうやら、そいつの頭を撫でてしまっていたようだが……その触り心地を堪能するよりも前に、青い狼が威嚇するような言葉を口にした。
『オイ……噛み砕くぞ』
「……!?お前っ、まさか……ウルか……?」
『敵を簡単に野放しにする訳がねぇだろ、なぁ?』
これは……気まずい。
結局、昨日は空気が張り詰めたまま別れてしまった上に、それ以降は一言も言葉を交わしていない。
若干こちらの首元に鼻先を近付けて、やたらとクンカクンカしているのはもしかして……獲物の香りを品定めしているのだろうか。
命を狙われている予感に固唾を呑むと……次は、左手に奇妙な感覚が走った。
指先が何度も硬いものに挟み込まれながら、液体みたいなモノが左手を浸していく。
何事かと視線を左手の方向へと向けると……そこには、一匹の狐が伏せ寝したまま、左手を噛んだり舐めたりしていた。
『かぷかぷっ、甘噛み甘噛み』
「…………こっちは、コリン……?」
『かぷっ?』
その無邪気な言動を目の当たりにしてから初めて気付いたのだが……。
やたらと寝心地が良いと感じていた、この掛け布団……それはどうやら、加工された布団ではなく、コリンのボリュームのある尻尾が乗っていただけのようだ。
衛生面とかを抜きにしても……普通に気持ちが良い。
それはともかく、彼女たちの外見から『亜人』……即ち、『獣人』の特性を持っていることは分かっていたが……本当に獣の姿に変わることが出来るのは予想外だった。
つまり、先程からずっと猫の姿で語り掛けているのは……三人組グループであるアミュファの、最後の一人……。
「それでこっちの猫が……キート、だったか?」
『あなた様を生かしているのは、我らが姫様の命令によるモノ。この地に居る以上、その首筋には常に我らの牙が突き立てられていることを……努々忘れないで下さい』
「……」
『どうか致しましたか?あまりの恐怖に、声すら上げられませんか?』
それは……怖いという事実に変わりはないが。
右には獲物に食らい付く瞬間を虎視眈々と狙っている狼、左には味を確かめるように指を噛んだり舐めたりする狐、顔の周りには一斉に飛び掛かろうと身構える猫たち……最早、何処にも逃げ場がない。
両手両足を振り回して暴れることも出来るが……それをやったら、次の瞬間には、本当に噛み殺されてしまいそうな気がする。
さて、こんな時は心頭滅却だ。
ここは一つ、精神を落ち着かせて、からかいの言葉を投げ掛けてみるとしよう。
「……そもそもお前、何処から声掛けているんだ?」
『……ここですが?』
「分からん。せめて口を動かせ」
『あなた様から見て右側ですがッ』
「三匹居るぞ」
『耳元に居ますがッ!』
直後。
視界の右側に居た一匹の猫が、こちらの頬に前足を押し付けてきた。
最後の妙に荒れた口調から察するに、パンチのつもりなのだろうか。
痛くも痒くもない可愛らしい攻撃に、どう反応を返すべきか考えていると……むしろ、両サイドで好き勝手に過ごしていた、ウルとコリンが目を光らせて顔を上げた。
『あぁッ!!キートてめぇ爪立てたァッ!!』
『ズルいズルいッ!コリンが最初にマーク着けたかったのにぃっ!』
『いやっ、違っ、爪はっ、立ててませんしっ!』
『自分はやらないとか大人ぶっといて出し抜きやがってぇッ!!』
『さーぎっ!さーぎっ!』
『ちがっ、辞めろォッ!!』
(えっと……なんだ、これ……?)
爪を立てる……?
マーク……?
一体、何の話なのかは分からないが……獣たちの習性みたいな奴だろうか。
どちらにせよ、三匹が勝手に起こした騒動で周りの猫たちがキートを残して走り去ってしまった為、ようやく自由の身になって上体を起こす。
だが、相変わらず自分を間にして言い争いを繰り広げる三匹を前に、色々な意味で圧倒されてしまい、コリンの尻尾に肘をついて溜め息を吐いていた。
「…………ッ」
「ん?」
その時、何だか鋭い視線を感じて部屋の扉へと目を向けると……そこには、顔を赤くして服の両裾を握り締めながら、プルプルと震えるリノリスの姿があった。
恥ずかしがっているのか、怒っているのか……何だか突いたら破裂しそうな風船みたいに頬を膨らませている為、どう声を掛けたものか分からない。
そこへ、彼女の来訪に気付いていない三匹の獣たちが、更に喚き立てる。
『こいつはウルの物だって言ってんだろッ!!』
『いーやーっ!コリンが欲しいのーっ!』
『あなた達に任せる位ならキートが預かります!!』
「おい、お前たち……」
『獲物は黙ってろッ!!』
『獲物は喋らないのーっ!』
『獲物は大人しくしてて下さいっ!!』
「いやっ、そうじゃなくて……」
やっぱり獲物って認識だったのか……。
女の子の取り合いにされているのならばまだしも、何故、誰の餌にされるかという言い争いに挟まれなければならないのか。
だが、今はそんなことに気を取られている暇はなかった。
何やら臨界点を越えた様子のリノリスが、全身から紫色の稲妻を迸り始めると……。
「んんんんんんんんッ!!」
自身の前に、稲妻で構成された一匹の兎を顕現させ……放った。
「えっ」
『『『へ?』』』
フィーネスの渾身の力が込められた《雷兎》が、迷いなくこちらへと駆け寄ってくると、次第にその全身から放たれる光沢が増していき……。
次の瞬間────部屋が吹き飛ぶ勢いで、稲妻が暴発した。
これは制裁なのか、憤怒なのか。
どんな理由があるにせよ、人間にしろ、フィーネスにしろ、女子は怒ると途端に恐ろしい生き物になるものだ……それをつくづく思い知らされた一瞬だった。
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「んー……っ……あ、あ、のっ……うぅ……っ」
いつも通い慣れている教室に入るのは問題ないが、上級生たちの教室に近付くのは、とてつもない勇気がいる。
ここは最早、未知の領域。
今も上級生と思われる人に話し掛けようとしたが……あまりの緊張感のせいで、声を掛けずに終わってしまった。
一度自信が無くなってしまえば、直ぐに立ち直ることは出来ず……途端に手足が痺れを起こし始め、目尻が熱くなってきた。
(……っ……やばっ……泣きそ……っ)
何だか、情けない。
人付き合いが苦手でコミュ障なのは、他でもない自分が気弱なせいであることは理解しているが……それが災いして聞きたいことも聞けないのは、本当に嫌になる。
そもそも、同級生が相手ですらマトモに話すことが出来ないのに、いきなり上級生と話をしようとするのは、正直、ハードルが高過ぎだったのかも知れない。
「……っ……はぁ~……っ」
滲み出そうな涙を啜るようにして呑み込み、自分の感情を押し殺すように、深く深く溜め息を吐く。
そうだ、そもそも気にする必要はないではないか。
あの時、アミュファのライブに現れた羽織の人物が、もしかしたら日陰舘雅人先輩だったのかも知れないだなんて……そんなもの、わざわざ自分が確認する意味なんて無い。
それを知ったところで自分に得がある訳でもないし、もし違っていたとしたら、ただ恥をかくだけなのだから。
人は期待をするから、失望をする羽目になる。
だったら、最初から期待をする方がどうかしている。
「……もういいや、戻ろ……」
若干の悔恨を残しながらも、踵を返して自分の教室に戻ろうとすると……。
「……」
「え……ぇ……っ?」
突如、目の前に一人の青年が立ち塞がった。
兄の克一郎に匹敵する程の長身で、何やら険しい表情を浮かべたまま、無言で真っ直ぐにこちらを見下ろしている。
その光景は、まるで怪獣。
彼の大きな影に覆われている現状があまりにも怖すぎて、思わず身体を縮ませると、痙攣を起こし始めてしまう。
「……た、たすけ……っ」
逃げるにも足がすくんで動けず、涙を滲ませながら、目の前の怪獣を眺めていると……彼が、静かに口を開く。
「……っ……なんて、なんて可愛らしいんだ……っ!この学校に、まだ俺の知らない天使が居ただなんて……ッ!!」
「ぴぃぃっ!!」
あまりの恐怖心と緊張感のせいで、彼が何者で、何を言っているのかすら分からなくなってきた。
周りの音や声を遮断するように響く耳鳴りが聴覚を遮断し、あまりの恐怖が視界をグニャリと歪ませて目の前にいる怪獣を更に恐ろしい物体に反映させる。
怖い、怖い、襲われる、逃げなきゃ、逃げなきゃ……!
怪獣が一歩足を踏み出したのが起爆剤になったのか、全身に電撃が走り、弾かれるようにその場から逃走。
しかし、怪獣は目を煌めかせて、何か意味の分からないことを喚き散らしながら、後を追い掛けてきた。
「あぁっ!別に変態って訳じゃないからちょっと待ってくれっ!!俺は露原悠希って言うんだけど、可愛い君の名前も教えてくれぇっ!!」
「きゃあァァァァァァァッ!!誰かァァァァァァァッ!!」
その恐怖の滲んだ甲高い叫び声は校舎内に響き渡る。
異変を感じ取った教師や生徒たちが何事か何事かと駆け付け、警察までも出動する大騒動に発展するのだった。
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ここ、エクォルトシティは、明示録に記載されていた異世界、パトス・レイヴを模して創られた世界、であるらしい。
その為、エクォルトシティの住人は、人型と獣型に変化することが出来る『獣人』という種族だけで構成されている。
要は……。
────パトス・レイヴに変わる、獣人たちの新たな楽園。
それが、このエクォルトシティということだ。
果たしてその事実を前にして、安心すべきなのか、それとも悔いるべきなのか……正直のところ、気が気ではなかった。
この世界は……かつての自分では出来なかったことが、実現されていたのだから。
食事の席で頬杖をつきながら、そんなことをボンヤリと考えていると……食堂の隅でリノリスが小さく鳴き声を上げる。
「……ぷ、ぅっ……(皆ぁごめんね、本当にごめんだよぉ……悪気は無かったんだよぉ……)」
「姫様、特にキートたちは気にしてない故、あまりお気になさらないで下さい」
部屋の隅っこで縮こまってプルプルと震えている一羽の小さな兎を、三人の獣人が必死になって慰めている。
つい先程、リノリスが実行した《汎現》はROSCの《自動操作》による壁で、密着していた三匹の獣も一緒に防ぐことは出来たが……その代わりに、稲妻の暴発により客室が丸々一つ吹き飛んでしまった。
幸いにも怪我は無かった為、こちら側は一切気にしていなかったのだが……事が済んだ後、リノリスが顔を青ざめさせながら兎の姿になり、即逃亡。
四人で手分けして見つけ出した時には、意気消沈して部屋の隅で縮こまっていたのである。
「よーしよしよし、リノちゃんは恥ずかしがりやさんだからねぇっ。コリンたちが当主ちゃんとくっついているのを見て羨ましかったんだよねぇっ」
「ぷっ、ぷぷっ……!(ちっ、違うもんっ!一緒に入れて欲しいって思っただけだもんっ!)」
三人と一匹は、少し離れた場所でコソコソと話をしている訳だが……。
ROSCを持っていると、兎の鳴き声と同時にリノリスの声がハッキリ聞こえてくる為、嫌でも聞き耳を立てることになってしまう。
「んだよ、思ったより元気そうじゃねぇか」
「ぷぅ~っ(うぅぅっ、肉食に囲まれると胃が痛いよ……)」
「……?」
「ぷ?」
「あ、ウル肉食だったわ」
「キートも、そうですね……」
「コリンもーっ!」
「ぷぅっ!?ぷっ、ぷーっ!(イヤぁぁぁぁッ!!食べられるぅぅぅぅッ!!)」
いや……本当に、何の話をしているんだ。
慰めているのかと思いきや、今度はリノリスも交えてあーだこーだと言い争いを始めてしまった。
女子同士の会話だとこうなるのか……それとも獣たち特有の会話なのか……詳しい事情はよく分からないが、流石にあの輪の中に入る自信もなく、目の前に並べられた食卓に目を通す。
基本的に獣人たちは、『同族を食う』行為はあまり好ましくないと言う。
この傾向がどこまで適用されるのかは不明だが、人間がよく好んで食べる肉や魚類は無い。代わりに植物やキノコ、木の実等が綺麗に盛り付けされたサラダを添えて、やたらと大きくて肉厚な葉っぱのような形をしたモノがメインディッシュとして置かれていた。
『リュフト』という料理らしいが……これがまた、中々の美味である。
食感は新鮮なキャベツのようだが、口の中ではステーキのようにジューシーな味がジワリと広がっていく。最早、野菜なのか肉なのか、よく分からない食材だが……栄養は抜群だという話なので、難しいことを考えるのは辞めた。
現実でファンタジーを実感することが出来たのは、ある意味で貴重な経験だろう。
「なぁ、蚊帳の外で一人食事するってのはどんな気持ちだ?お?」
(……わざわざ孤立している奴の傷口を抉りに来るなっつーの、このヤロー)
気付けば、向かい側の席にウルが頬杖をつきながら座り、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。
心の中では苛立たしさが勝っていたが、これまでの経験からそういった煽りには慣れていた為、爆発するよりも先に気持ちを落ち着かせて言葉を返す。
「……なんだ?勝負に負けたことに対する妬みか?」
「あぁっ!?ウルは負けてねぇだろてめぇっ!」
その発言が癪に障ったのか、大袈裟に机の上に乗り出して吼え立ててきた。
「どうかな。最後に《心離》を解き放っていたら、お前は身体の内部からバラバラにされていた」
「だからバラバラにされていないだろうがっ!死んでねぇんだから負けてもねぇっ!てめぇがビビって出来なかったことをさもやってやったみたいに言ってんじゃねぇぞコラァッ!!」
(はぁっ?)
今の言葉……普通に、カチーンときた。
次は冷静になるよりも前に、身体の方が先に動く。
その場で机を叩きながら立ち上がり、眼前で唸るウルの顔を睨み付けた。
「んだよ、やんのかてめぇ」
「お前が望むなら、今すぐに始めてやっても構わないが?」
「上等だコラァ、次こそは確実に焼き尽くしてやるよ」
思い返してみれば……こんなにも、感情を剥き出しにして相手と睨み合うのは、ヴーズダットを除けば久方ぶりかも知れない。
それほどに、彼女の口にする言葉は……的確かつ本気だった。
相対する敵の闘争心に火を付ける程の、真っ直ぐで、揺るぎがない、素直な本気。
もしかすると、こういう有り方こそが、ウルというフィーネスの存在意義を現しているのかも知れない。
「はいはいっ、喧嘩は駄目だよーっ」
「うぶっ!」
そんな陽気な口調で間に入ってきたのは、宥めるようにウルの頭を撫でながら、頬を擦り寄せるコリンだった。
「おーよしよしよしっ、ウルはこれから大きなイベントがあるんだから、体力はしっかり温存しておかないとねっ」
「……チッ。あー、分かった、分かったっての。あまりスリスリすんな」
すると、ウルは舌打ちをしながらも、一度こちらを鋭い目付きで睨んでから、わりと素直にテーブルから降りて椅子に座り直していた。
どうやら、コリンが言う『大きなイベント』という奴は、彼女にとっても重要な催し物であるようだ。
近々、『アミュファ』の配信で特別なイベントでも執り行うのだろうか。
「雅人さんも、勝手なことかも知れないけれど……ここは収めてくれないかな。ね、お願いだよ」
いつの間に元の姿に戻っていたのか、少し緊張した様子で隣から声を掛けてくるのは、リノリス=トラントだった。
まるでファミレス等で、クレーム対応をするウエイトレスみたいな言動に、ハッキリとした違和感を覚えずにはいられないが……それを言及するよりも先に、何よりも結論を出さなければならない議題を、今この場でぶちまける。
「……その前に、この場にいる者に聞きたいことがある」
「え?」
リノリスが目を丸くして声を漏らすと、頬杖をついてふて腐れるウル、相変わらずウルの頭を撫で続けるコリン、輪の外で腕を組んで佇むキート……全員の視線が、一斉にこちらへ向けられた。
そう、必ず、答えて貰わなくてはならない。
この場に居る『四体』の内の誰かに。
「────“誰”が、“どんな手段”で、このエクォルトシティを顕現させた?」
「……ッ!」
次の瞬間、四体の表情が同時に固まり、場の空気が凍結した。
彼女らがフィーネスであるというのならば……自らの素性と、彼女らが当たり前のように過ごしているエクォルトシティの正体を、ある程度は知り得ている筈だ。
今の反応を見る限り……。
“知ってはいるが、話すことは出来ない”……そんな後ろめたい事情が潜んでいるようだが。
「さも最初から存在しているかのように、誰も口にしないが……ここは完全な仮想空間ではなく、限りなく本物に近い現実世界だ。これ一つを顕現させるのは、簡単な話ではない。それこそ、日陰舘一族か────世界意志、もしくは埃でもない限りはな」
「……」
当然、明示録の持ち主である自分は、このエクォルトシティの顕現等という大それた行為を実行した覚えはない。
かつての大陸樹のように、ROSCを使われることも無かった筈だ。
だが、こうして世界の顕現が現実の物となった以上は、そこに何らかの『思惑』が込められているのは間違いないだろう。
その思惑が、善意なのか、悪意なのか……。
自分には、あらゆる異世界に通ずる明示録を託された日陰舘一族の当主として、それを見定める義務がある。
「それも踏まえて、もう一度尋ねようか────お前たちは、一体何を企んでいる?」
「……」
しかし。
誰もしっかりと口を閉ざして、話そうとはしなかった。
それどころか、四体ともが全員揃って目を逸らす……各々が全く違う方向へ向けて。
さて、判断材料が極めて少ない現状では、この閉ざされた沈黙空間を何処から追及すべきなのかも分かりはしない。
どうしたものか……と、心の中で思い悩んでいると……。
『────その言い方は人聞きが悪いのではないでしょうかね、日陰舘一族の当主殿』
それは唐突に、まるで食堂全体に反響するように聞こえて来た声。
自分を含めた全員が、肩を震わせて顔を上げると……隣に立っていたリノリスが真っ先にその存在に気付いて、慌てて頭を下げていた。
「あ……っ」
リノリスの視線の先、食堂の入り口に立っていたのは、一人の人物。
その姿を目の当たりにして……思わず首を傾げた。
ヒョロリとした長身の好青年。ローブを羽織って歩む姿は、まるで自らが上級者であることを誇示しているかのようだ。それを除けば、一般的なイケメン男子と変わらない外見をしているが……。
(あれ……あいつ、何処かで……)
その顔つきは、“何処かで見覚えがあった”ような気がする。
いつもの日常生活の中ではなくて……異世界を巡る非日常の何処かで会いはしなかっただろうか。
そんな疑問点を余所に、彼は丁重に頭を下げながら自らの名前を名乗った。
「私様の名は、ジェスタ。この地、人獣平等領域エクォルトシティの────『世界意志』という立ち位置に当たる者です」
「……!!下々の前に、『世界意志』が自ら姿を現すとはな……」
大陸樹の世界意志であるベリュジードですら、外域に閉じこもり、伝説上の存在として認知されていたというのに……わざわざ、人が会する食堂に姿を現すとは、普通に驚いた。
各異世界によって、世界意志の在り方は異なってくるものなのだろうか……この世界では、比較的内域に近しい存在として活動しているのかも知れない。
ただ、運命を司るという世界意志の性質上、内域を統べる指導者のような生き方は出来ない筈……故に、こうして人間たちの目の前に出てくること自体、無意味に等しいと思うのだが……。
『そして、世界意志の名において、ご紹介しよう。あなたの隣に居る、清純たる兎の獣人こそ……』
「リノリス……?」
「……っ」
ジェスタが、リノリスのことを指していることは直ぐに分かったが……肝心のリノリスは、ギュッと目を瞑ったまま微動だにしない。
いいや、そうやって自らを制御しているのだろうか。
これから起こる事態を予想して、それに心を惑わされないように。
すると。
まるでこちらの反応を伺うように、彼は小さく笑うと────唐突に、こちらの想像を遥かに上回る、衝撃的な事実を口にした。
『この私様、ジェスタの────妃となる者です』
独りよがりな妄想に過ぎなかったのかも知れない。
変わらない現実だと決め付けていたのかも知れない。
だが、妄想が許されるのは、あくまでも妄想の中でだけ。
この感覚はきっと、“そういうこと”なのだろう。
それを敢えて言葉にするならば、そう……。
これまで自分が積み上げてきた日陰舘一族の土台に、ハッキリとした亀裂が走る瞬間だった。




