2-5 巧者の狐と青炎の狼
例えフィーネスの器がどれだけ強固なモノだったとしても……最初の不意討ちは、それを確実に真っ二つに切断される程の衝撃だったことは間違いないだろう。
運が良かった……自分が来て正解だった……。
もしもこの場に赴いたのが、ウルかキートだったとしたら……きっとその時点で、再起不能に陥れられていた筈だ。
決して、自惚れている訳ではない。
確かに槍から受けた不意討ちは、一瞬だけ意識が吹き飛びそうになる程の強烈な衝撃だったものだが……個人的見解で語れば、正直、“動けなくなる程でも無かった”。
ウッドハウスが建ち並ぶ町並みを、こうして鳥のように跳び回ることも出来るのだから。
「ちょちょちょっ!危なっ!危ないってばぁっ!」
『────』
しかしながら、槍は執拗に後を追い掛けて来ては、その狂暴な刃を縦横無尽に振り回してくる。
水平に薙ぎれば家々が次々に斬り飛ばされ、地面に突き立てば大地に亀裂が走り、振り上げれれば空が割れる。
相当の業物なのか、もしくはこれの使い手が優れているのか。
どちらにせよ、先程の不意討ちの時よりも、明らかに“力が込められている”。
もしも、今一度この斬擊をマトモに受けてしまっては……ニヤつく暇も与えられないかも知れない。
「ココーンっ、とバラバラに出来れば苦労しないんだけどなぁ……生憎、コリンにそんなド派手な必殺技は持ち合わせがないんだーよっ」
フィーネスの特性は多種多様。
その中で、国一つを吹き飛ばす程の特性を持つ者もいれば、一騎討ちに力を発揮する特性を持つ者もいる。
少なくともコリンというフィーネスに関しては、強烈な力を相手に拮抗出来るような特性は持っていない為……この槍を正面切って受け止めることは出来ない。
だとすれば、残された方法は……。
「うぇっ!?やばば……っ!」
そんなことを考えながら、ウッドハウスの屋根を蹴って飛び出した直後……。
目の前に、回転する槍が回り込んできた。
この動きは明らかに、“分かっている”。
地に足が着いていない以上は、方向転換も出来ない上に、マトモな回避行動を取ることも出来ない、という事実を。
即ち、こちらは完全な無防備状態。
容赦なく迫り来る槍を前に、防御の余裕も許されず、回避する暇も与えられず……。
────その鋭利な刃が、もろに腹部に突き立てられた。
……。
…………。
………………。
────オカシイ。
『槍』は、即座に違和感に気付く。
このコリンとかいう女狐が、数多のフィーネスの中でも一際頑丈な身体をしていることは、最初の一撃から察知していた。
軽い攻勢では意味を成さないのならば、一撃一撃に全身全霊の力を注ぐ。
それが一撃でも女狐を捉えられれば……確実に、その身体を切断することが出来る、と。
そして、遂に捉えた。
ちょこまかと逃げ回る女狐の動きに付いていくのは苦労したが……逃走経路を読み、その延長線上に先回りし、生じた隙を見逃さずに、渾身の一撃を叩き込む。
そう、槍の刃は、間違いなく女狐の土手腹にめり込み、後はそれを貫通するだけだった。
それだけで、女狐は消滅し、この戦いは終わりを迎える。
それなのに、それなのに……。
どうして────“貫通しない”?
まるで底無しの泥沼に沈んでいるかのように、前にも後ろにも動くことが出来ない。
まさか、これでも女狐の身体を斬り裂くには足りない、というのだろうか……ならば、持てる限りの力を全て発揮して、風穴を空けてやろう。
恐らくのことだが……。
半ば、躍起になっていたのかも知れない。
状況を読み切れない感覚が、焦りを呼んでいたのかも知れない。
自らに力を込めた瞬間に、ようやく────全ての現状に、気付いた。
「くすっ、あれれぇ?どうしたのかなぁ?もしかして、ようやく気付いたのぉ────自分の潜質が“鷲掴みにされている”ってこと」
『────ッ!?』
女狐は、ほくそ笑んでいた。
土手腹に槍を突き立てられているにも関わらず、それを意にも介さずに槍の柄の部分を、両手で“握り絞めている”。
いいや、違う。
この女狐が握り絞めているのは……“槍を構成する潜質そのもの”だ。
「人ってのはね?自分の身体の使い方を理解しているようで、実は殆ど分かっていないんだよ。例えば、ただ普通に歩く時も、筋肉のどの部位を使っているのか、神経がどんな働きをしているのか……それをこと細かく説明出来る人は、数少ないモノだよね?」
『────ッ』
コリンがその手に込める力を増していくと、内部から、ミシミシッと何かが軋むような音が響いてくる。
悲鳴も出せないし、足掻き苦しむことも出来ないが……人間で例えるならば、まるで背骨を両手で鷲掴みにされ、左右にへし折られそうになっている感覚だ。
「フィーネスも、それは同じ。うん、槍ちゃんは遠隔操作で動かされているみたいだね。ある程度の力は制限される筈なのに、ここまで力を発揮出来るのは……正直、末恐ろしいかな。だけど、だけどね?槍ちゃんを構成する潜質……“そこに直接手を加えられた”時、槍ちゃんはコリンの手を振り払うことが出来るかなぁ?」
人間の内蔵や内骨格は、分厚い肉と皮で覆われている。それをすり抜けて背骨を掴まれた時、内部から振り解くことが出来るのか……。
否。
背骨自体に刺を生やす等の防衛装置が無い限り、そこから脱却するのは、絶対的に不可能。
そんな防御不可能の影響を及ぼす手段を有しているのが……このコリンというフィーネスなのだ。
まさに、全てのフィーネスにとっての天敵。
潜質の扱いに長けた……。
────『潜質の巧者』とも呼ぶべき技量。
こんな、怪物ですら弄ぶことが出来るような才人が、この異世界を守っているだなんて……。
「まぁ、本体が何者かは分からないし、何であの当主ちゃんを守ったのかも分からないけれど……一つだけ言っておいてあげるね」
ナメていた訳ではない。
甘く見ていた訳ではない。
だが、ハッキリと思い知らされた。
この女狐は────圧倒的に、強い。
槍の中で現状を顧みて、そう断定付けられた瞬間……。
「遠隔から高みの見物をしているような思い上がりちゃんが、あんまりナメた真似していると────コーンっ、だよっ?」
コリンが握り絞められた両手を、左右へ一気に振り広げる。
同時に、バチンッとペンチでコードを切断するような音が響いたと思ったら、一瞬で槍の意識がブラックアウトを起こした。
視界が途切れる寸前、バイバーイ、とニコやかに手を振る女狐の姿を最期に……。
────槍は、塵となって消失するのだった。
潜質を汎現として行使するのではなく、直接操作することが出来るフィーネスは、他にも数多く存在するが……恐らく、それに特化した戦い方が出来るのは、コリンを除けば皆無と言えるだろう。
フィーネスの器は潜質で構成されており、その密度を高くすることで、汎現として顕現された武具ですら傷付けられない器を形成することも。
遠隔操作の武具を構成する潜質を、直接その手で掴み取り、それを引き裂くことで、遠隔の本体と武具の繋がりを無理矢理断つことも。
全ては、彼女のように『極めた者』にしか成せない所業。
その点から考えれば、あの槍にとっては極めて相手が悪かった、としか言いようがないだろう。
「むふぅ、やられたなぁ……まんまと足止めを喰らっちゃったよ」
ウッドハウスの屋根の縁に足を投げ出して腰掛けるコリンは、深い溜め息を吐きながら肩を落とす。
本来の目的は、このエクォルトシティに侵入した人物を始末すること。
槍が何者から放たれた物なのかは不明だが、あの日陰舘一族の当主を守る為に顕れたのは間違いないだろう。
その目的は、充分に果たされてしまっている。
勝負には勝って試合には負けた、というのはこういう状況を差す言葉なのだろう。
「まっ、ウルとキートも居るし、心配はしていないけどっ」
そう呟きながら軽やかな動作で立ち上がると、一度その場で大きく身体を伸ばし、神殿の方を仰ぎ見ながらニコリと笑みを浮かべた。
「そこにコリンが合流しちゃえば、コーンっ、と形勢逆転しちゃうんだからねーっ」
そして、コリンは再び屋根の縁を蹴り上げて、跳び跳ねるように神殿下のステージへと直行する。
次こそ、邪魔者は入らない。
今からステージに辿り着くまでの間が、侵入者の命運が尽きるタイムリミットだ。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
ROSCの生成する離元空間の壁は、物理的もしくは精神的影響だけでなく、フィーネスが有するあらゆる異能をも完全に防ぐ特性を持っている。
文字通り、完全無比な盾。
ROSCが無ければ、ただの一般人となんら変わりもない日陰舘雅人にとって、フィーネスを相手に対等以上に渡り合う為の、唯一の手段なのだ。
「……な……に……ッ」
思わず、目を疑った。
目の前で起こった事態に対して、動揺を覚えずにはいられなかった。
突き出した拳は手甲のようにROSCの生成した壁で覆われている。それを、ウルというフィーネスの少女が突き出した拳とぶつかり合わせた瞬間のことだ。
ROSCの持ち主として、即座に察知した。
────壁が“溶けている”、と。
溶解するように不可視の壁が、ドロドロになっていくのを直感し……慌てて背後に跳び、目の前の狼娘から距離を開く。
すると、彼女は何かを確信した様子で、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
「……傑作じゃねぇか」
「……!」
「聞いているぜ?お前の武器は、ROSCとやらによる壁の生成……ただ一つだってな?それが通用しないって分かった以上、ウルの相手にすらならないんじゃねぇのか?」
「……まだ、通用しないと決まった訳じゃない」
いつも通りの支配者面と、自分を欺くような傲慢な口調で強がってみるものの……本心は、焦るに焦りまくっている。
実際のところ、今までにもROSCの壁が破られてしまったことはある。
大陸樹で対峙した、メグドーラ。
彼女が放った矛の斬擊は、一撃の元に壁を粉砕していた。
ただ、あの時はトアやリノリス、ゆちの後ろ楯があったからこそ、最後まで強気でいることが出来たのだ。
今は、その後ろ楯が無い。
一歩後ろに下がれば、断崖絶壁から真っ逆さまだ。
「……おい、もう来ねぇのか?」
ウルの問い掛けが獰猛な牙となって、心臓に突き刺さる。
ゾワゾワと全身の産毛が逆立つのを感じながらも視線を上げると……そこには、景色をも揺るがす『青い炎』で全身が覆われた、一人の獣人の姿があった。
(おいおいおい、ちょっとこれ……どうすれば……ッ)
「獣の前に立った奴が何をすべきか、教えてやろうか────逃げるか、喰われるか。どちらかだけだぜ?」
それは、開戦の合図。
まだ戦う手段すら見出だしていないこちらに対して、既に捕食の準備を整えていた獣は……跳び上がった。
その脚で十数メートルを跳び跳ねたウルは、全身から放出する『青い炎』を巨大な獣へと変貌させながら、急降下。
まるで一つの隕石の如くの勢いで、こちらへと迫り来る。
「ぐ……ッ!」
あの青い炎は壁を溶かす。
つまり、“受けることを考えてはならない”……それだけを念頭に置いていたのが幸いしたか、決断までには時間は掛からなかった。
確かに選択肢は、逃げるか、喰われるか……その二つしかない。
だとしたら────今は、逃走一択だ。
ステージ上を蹴って観客席の方へ飛び出し、緊急回避へ。
直後。
ステージに獣型と化したウルが隕石のように直撃すると、凄まじい衝撃と共に、ステージが木っ端微塵に吹き飛ぶ。
客席に着地してその様を目の当たりにし、血の気の引くのを実感するものの……。
「逃がすかよてめぇコラァァッ!!」
「!?」
ウルの攻勢は、一切留まることを知らない。
猪突猛進の勢いで、ステージの瓦礫を弾き飛ばしながら、落下時とほぼ同じ速度でこちらへ突進してきた。
(く、そ……ッ!悩むな……やれッ……やれ……ッ!)
反応が一瞬だけ遅れて避け切れないことを直感。
ならば、やるしかない。
ROSCを強く握ってから“迎撃”の覚悟を決め、急接近するウルへと反対側の手をかざす。
「────《心離》、発動」
「……ッ!?」
突如、ウルが顔を歪め、突進の軌道が揺らぐと……こちらの肩をギリギリ掠めて、客席の後方へと飛来。
アクセル全開の車の勢いで制止することもなく、客席に突っ込んで行った。
その衝撃は地盤をも揺るがし、思わず転倒しそうになるものの……辛うじてバランスを保って地に足を着き、手を突き出したまま、彼女を睨み付ける。
「はっ、はっ……悪いが、逃げるのはここまでにしておく。そしてここから先、俺はお前に喰われるつもりも無い……っ!」
「ぎッ、ぁ……ッ!なん、だ……胸が、痛、ぃ……ッ」
土煙の中から姿を現したウルは、四つん這いになり、自身の胸元を掴みながら呻き声を上げていた。
当然だろう。
今、彼女の身体の中には、《心離》が生成した『月下美人』の種が埋め込まれている。それが今にも開花しようと疼いているのだ、痛みを感じない筈がない。
だが、この行為はあくまで邪道だ。
これを使って、内部から身体をバラバラにしてやろうと決めている相手は、『ヴーズダット』だけ。
それをウルに対して使ったということは……彼女が、使わざるを得ない程の相手だったからだ。
「リノリスを何処へやった?話せば、今すぐにでも解放してやる」
「が……ッ、は……ッ!ん、だよッ……脅しのつもりかよッ、この程度の、ことッ、で……ッ!」
「辞めておけ。足掻いたところで苦しみが増すだけだ」
「……苦しい、だけだろうがッ……こんなもんッ……」
「……!」
ふと、違和感に気付いた。
身体能力の差は歴然であり、唯一の対抗手段である『壁』もウルの青い炎に溶かされてしまう。
そう、圧倒的に不利なのは、こちらの方なのだ。
余裕を持って対処すれば、いつでも反撃の機会を掴むことが出来る筈なのに。
それなのに、彼女の戦い方には……どうしてこんなにも、“余裕が無い”のだろうか?
「────殺せよ……ッ!今すぐにッ、息の根を止められなきゃッ……脚をもがれようがッ、首を折られようがッ、身体を切断されようがァッ……ウルはッ、維持でもてめぇに喰らいつくぞオラぁぁあァァッ!!」
足は止めた筈だ……動ける筈がないのに……。
目の前で爆発でも起きているかのような、凄まじいまでの気迫の衝撃波が大気を揺らすと共に、ウルは再び、地面を蹴り上げて飛び掛かってきた。
(こい、つ……ッ!)
これ以上、戦いを長引かせる訳にはいかない。
この獰猛な獣を気遣いながら戦っていては、いずれ、こちらの方が痛手を負うことになってしまう。
ならば。
例え邪道という認識があったとしても……“やる”しかない。
そう直感し、ROSCへと意識を集中させて、ウルの体内に混入させた『種』を開花させようとした。
その時だ。
「────そこまでだよっ!!」
「……っ!」
会場内に響き渡る甲高い制止の声が、自分とウルの動きを止めさせた。
この声、何処かで……。
そう、驚きを隠せずに声の聞こえてきた方向のステージの上、宮殿の正面バルコニーへと視線を向ける。
「サーバーがダウンしてはイベントも何もありません。迅速に謝罪と事情の説明をSNSへ。それと、働き手にイベント会場の修繕を要請して。そして……」
そこには、『アミュファ』のキートとは異なる、もう一人の別の少女が立っていた。
彼女は何処か厳格さを思わせる、固く結ばれた顔つきでこちらへと視線を送ると……少しだけ柔らかい口調で、キートとウルに向かってこう『命令』を下す。
「『彼』は、客人だよ。くれぐれも丁重におもてなしをするように」
「……チッ」
「はい。了承しました────『姫様』」
その命に対して、ウルは舌打ちを返しつつも素直に下がり、キートは礼儀正しく頭を下げてからウルの元へ駆け寄っていった。
この際、アミュファの面々の正体なんて、どうでも良い。
それよりも……それよりも……。
どうして、『彼女』が……まるで、この世界の重鎮のような扱いになっているのだろうか。
「────リノリス……?」
そこには、いつも隣に居た付き人が立っていた。
〔奴隷〕という属性を有し、支配者とは程遠いと思っていた人物。
明示録から召喚されたフィーネス────リノリス=トラントの姿が。




