2-0 日陰舘一族当主の愛玩動物
────放っておいてくれ……もう、『お前たち(フィーネス)』と関わるはウンザリなんだよ……ッ!
明示録の手で自発的に召喚されてしまった時、待っていたのは突然に『彼』が吐いた悲観的な嘆き言。
当時の彼は、心身共に衰弱していた。
先代から受け継いだ一族の長としての重圧、一人のフィーネスと一つの異世界を完全抹消させてしまった罪悪感……それらが彼の心へと、一気にのし掛かっていたのだから。
いいや、元から惰弱なだけの、ちっぽけな人間だったのかも知れない。
そんな彼の塞ぎ込んだ情けない姿を見て、直ぐに理解した。
明示録の持ち主としても、日陰舘一族当主の座も────彼には何もかもが“相応しくない”、と。
召喚された身といえども、主従関係等の制約は掛かっていない為、簡単に彼を見捨てて出ていくことも出来た。
彼もそれを望んでいたし、きっとそうした方が自分にとっても彼にとっても良いことだということは、何となく理解していた。
だが、それでも結局……思い留まった。
────明示録は捨てられない……この中には、まだまだ沢山の人々の記憶が残っている。それが分かっているのに、無闇に投げ出すことは出来ない……!
彼は、弱かった。
だけど、弱いならば弱いなりに、懸命に立ち直ろうとしていたのだ。
砂漠のように降り積もる果てしない埃の世界の中で、何度転倒しても、何度埋もれても……それを振り払い、舞い上げながら、しっかりと足を踏み締めていた。
そんな弱々しく儚くも、確固として煌めく人柄に……惹かれたのか、それとも放っておけなかったのか……。
気付けば。
日陰舘雅人の付き人として、彼のことを献身的に支え続けていた────自らの故郷である世界を、見捨ててでも。
……。
…………。
………………。
ある日の朝方。
鼓膜をハンマーで打ち鳴らしているかのような、目覚まし時計の甲高い音が耳元で鳴り響く。
思わず顔を歪めて寝返りを打ち、目覚まし時計へと手を伸ばして、朝を告げる喧しい音を止めた。
同時に、何か柔らかい物を腕で挟み込んだ感覚を覚えて、半ば寝惚けた状態のまま視線を落とす。そこには、こちらの胸に顔を埋めて身を捩る、一人の少女の姿があった。
目覚まし時計の音で目が覚めたのか、こちらが声を掛けるまでもなくゆっくりと顔を上げた少女は、未だ眠たそうに目蓋を閉じたまま、か細い声でこう呟く。
「……ん、ぅ…………朝、だよ……主、さまぁ……」
もしかして、起こしているつもりなのだろうか。
明らかにたった今目覚めたようにしか見えない少女に、起きろと言われても、イマイチ説得力は感じないのだが……いいや、今はそれどころではない。
『彼女』の場合は、若干の慣れはある。
しかし、朝起きた瞬間、目の前に美少女の寝起き姿があったとしたら……動揺せずにはいられないだろう。
即座に、目が覚めた。
そして、揺れ動く気持ちを押さえながらも、思考が回る、回る……どうして自分のベッドの中に『彼女』が、リノリス=トラントが居るのかと。
「……いつから潜り込んでた……?」
「ここ、どこぉ……?」
「俺のベッド」
「ん……なんでぇ、リノ……主さまのベッドで、寝てるのぉ……?」
「それ俺の疑問だし、まだ夢の中ですかおたく」
「疑問パクパクして夢の中ツイツイするんだぁ……」
「ナニソレ、理解出来ないのが逆に怖い……」
眠たそうである。
まるで飼い主に懐いたペットのように、警戒心の欠片もなく、身体に密着している姿は、とてつもなく愛らしい。
だが。
眠気も覚め、動揺に相まって状況が見えるようになってきた為……気付いてしまった。
掛け布団の下。
リノリスの身体は、衣類を纏っていない。
つまり……言ってしまえば、“全裸状態である”ということを。
「ばっ!?お前っ!?服は!?」
「んんぅ~……分かんないぃ……」
「もしかして、裸でここまで来た?」
「分かんなぁい……」
(おぉい……)
獣としての習性なのか、リノリスにとっての衣類とは馴染み深いモノではなく、むしろ普段は裸で居た方が落ち着くらしい。
それでも、人型の時に裸を見られるのは単純に恥ずかしいので、お洒落を楽しみながら、服を着ることもちゃんと意識しているのだとか。
まぁ、彼女も彼女で相当スタイルが良い為、あまり全裸で彷徨かれるのは素直に心臓に悪い。
「ん…………むにゃ……」
だが、あまりにも彼女が落ち着き過ぎていたので、変に焦るのも馬鹿らしくなってきた。
一旦心を無理矢理落ち着かせて、彼女から視線を逸らすように、仰向けになって両手両足を大の字に投げ出す。
考えては駄目だ……考えては駄目だ……考えては駄目だ考えては駄目だ考えては駄目だ考えては考えては考えては……。
「ねっ……主様……」
「ちょっと待って、今心を落ち着かせている最中だから」
視線の外からリノリスが呼び掛けてくるものの、集中してそれを聞くことが出来なかった。
というより、こういったリラックス空間で、彼女の柔肌と豊富な胸元がぴったりと密着していることを考えると……とても、冷静さなんて保っていられない。
心臓が荒ぶっている。
呼吸が止まり掛けている。
あれ、これ下手したら死ねるぞ……ヘブン的な意味合いで……そんな直感が脳裏を過り、一旦思考を停止させると……。
忽然と、彼女がこう切り出した。
「……………………デート、しよ……?」
「あぁ…………え……?」
腰辺りに潜り込む彼女の表情を伺うことは出来ないが……あまりにも突然の提案に、思わず言葉を失う。
自分とリノリスの関係性は……一応、召喚者とフィーネス、主と従者、もっと言えば、飼い主とペットのような間柄であって……。
そんな関係性のバランスが、今までは、何となく丁度良くて……そこから逸脱しようとは考えたことがなかった。
何故なら……ずっと、心の中で渦巻いていたからだ。
────リノリス=トラントに対する、罪の意識というやつが。




