1-19 英雄は覚醒し、運命を断つ
かつてこれと同じ戦い方を見せ付けた後、ヨウやマリドナを始めとした仲間たちには、「化け物じゃん」とドン引きされたものだ。
まるで────“世界そのものを武器として扱っている”ようだったから、と。
戦場はエルミナノーグ全域。
一度その凄まじい剣撃で吹き飛ばされると、建物の壁に着地し、それを破壊する勢いで蹴り上げ、自身の剣を振りかぶって猛反撃をお見舞いする。
武器は森羅万象。
大木を鷲掴みにして棍棒に、建物の瓦礫を蹴り飛ばして弾丸に、噴水の水溜まりを殴り付けて爆弾に……辺りに存在する全ての物を駆使するのが、トア=ラィドの戦い方だった。
しかし。
メグドーラの一振りは、たったそれだけで滅亡を呼び起こす。
一つ薙ぎれば山が吹き飛び、一つ突けば空を貫き、一つ振り下ろせば大地が割れる……まさに、滅亡の権化とも言うべき、天災級の力。
そんな人智を越えたモノを何度にも振るわれては……万物を武器にしたところで、一瞬で消し飛ばされてしまう。
まるで、大陸樹すら下に見下ろす、超大型の巨人を相手にしているかのようだ。
かつての現世では、そのたった一突きだけで……自分も、世界も、敗北を喫した。
だが。
だが、今は違う。
(戦えている……これなら……っ)
振るわれた滅亡の一撃をことごとく防ぎ、いなし、弾き返し、押し退け……むしろ、こちらから攻勢を加えることすら出来ていた。
この歪な赤い剣が、見た目に反して相当の業物だったのか……。
フィーネスの器が、自身の予想を容易に覆す程の力を発揮してくれているのか……。
だが、まだだ……それでもまだ、“何かが見えていない気がする”。
赤い剣とフィーネスの器……これらは、もしかすると────『更なる次元』へと昇り詰めることが出来るのではないだろうか……。
「トア=ラィド。其はどうやら、自身の力の使い方を分かっていないようだ」
「……!」
メグドーラの矛と自身の剣が鍔迫り合い、互いの力と力が拮抗する度に、強烈な波動が広がって周囲の景色が乱れ、軋み、崩壊を始める。
やはり、妙な感覚だ。
仮に、メグドーラが大陸樹より大きな巨人だとするならば……ただの人間サイズである自分に、何故、鍔迫り合いが出来るのか、拮抗することが出来るのか……。
いいや、もしかすると、その感覚自体が何か誤っているのだろうか……。
「焦った方が懸命よ」
「……ッ!」
「“其の正体は分かった”。わざわざ其が自身の正体に気付くまで待つつもりは、毛頭無い」
途端、メグドーラから掛かる力が莫大的に増大していき……気付けば、その場で片膝立ちになって辛うじて彼女の馬鹿げた腕力を防いでいた。
すると、彼女は呆れたように息を吐き、振り下ろそうとする矛に片足を乗せながら、嘲るような口調で首を横に振る。
「元人間如きが……如何なる力を得ようが、如何なる恩恵を授かろうが、黙示録の代行者に敵う道理はない。だのに、なぜ其らは抗うことを辞めぬ?かつての現世、其の概念の方が、まだ道理を弁えていたと言うのに」
「……偽、物?」
「偽物よ。其の概念も、この再現世界も、ここに在る信念とやらも、全て。故に、意味を成さん。勝てど消滅、負けど消滅……そこに、全身全霊を注ぐ意味が、何処にある?」
これまで幾度となくぶつけられた根底への疑問、偽物への必要性……その疑問が前に立ち塞がる度に、足を止めて、悩み苦しみ続けてきた。
結果的に偽物が消える運命のモノなら、進む意味も意義も無い、と。
フィーネスも、再現世界も、概念も……偽物であるモノに、最初から価値など無い、と。
だが────“それは違う”。
今なら、ハッキリと分かるし、ハッキリと口にすることが出来る。
いつも自分の前には、その疑問と運命を相手に、果敢に戦い続けている『彼』の姿があったではないか。
彼の後ろ姿を思い浮かべると……不思議と、抗うだけの勇気が湧いてくる。
「────戯れ言を、ぬかさないで下さい」
「む……?」
「私は、私たちは、知っています。この身体に深く刻み込まれている、言葉は、想いは、信念は……全て、本物だということを」
「……哀れな……それこそ幻想よ」
「えぇ、ならば────同格でしょう?」
「なに……?」
意識せずとも、聞こえてくる……この一戦に、全てを懸けて想いを託してくれた人々の声が……。
頑張れぇっ!────と、リノリスの激励の声が聞こえてくる。
どうか、どうか……!────と、マリドナが願う声が聞こえてくる。
もう少しっしょ────と、遠いところから見守ってくれる人の想いが響いてくる。
偽物、だろうか……こんなにも心を暖めてくれる声が、こんなにも背中を押してくれる強い想いが、果たして偽物の存在だと言えるのだろうか……。
否だ。
これは、偽物等と言って切り捨てられるような、脆弱な存在では断じて無い。
「私たちは互いに、勝手な幻想を主張して戦っている……ならば、言葉は必要ですか?ならば、説得がまかり通りますか?いいえ、そうではない……」
「……ッ!」
「この交わる剣と矛……これだけが真実。今、私たちは会話をしている訳ではない……己の意義を証明する為に、己の存在を懸けて戦っているのです……ッ!」
そして気付けば、“押し返していた”。
手にする赤く歪な剣が、淡くも強い光沢を放つ度に……。
徐々に、だが確実に、メグドーラの存在を押し退けていく。
「だから私は、決してあなた方を許しはしないでしょう……幻想の元に私たちを易々と踏みにじり、それを偽物などと吐き捨てた、あなた方のことを……ッ!!」
「許さない?そんな驕りで是という存在に歯向うこと自体が愚かであることを……其は、何故気付けない……?」
メグドーラが自ら身を引いて鍔迫り合いを中断し、両の手に握られていた矛が塵となって消えると……。
その塵が、視界を遮るように勢いよく舞い上がる。
再び視界が開けた時────自分は、大陸樹の遥か上空で浮遊していた。
「これ、は……ッ!?」
「驚嘆している暇はない。其は是を前に、自らの存在を証明すると豪語した。なれば、やってみよ……出来るものならばな」
驚くのも束の間、自分より更に上に浮かぶメグドーラは────突如、自身の頭上に、大陸樹をも凌ぐであろう巨大な槍を顕現させる。
そこ先は、一切の躊躇もない。
彼女はその槍に手をかざしてから、滑らかな動作で腕を振り下ろした。
「────《ワエアルア》」
次の瞬間、巨槍が動いた。
大陸樹が空間ごと悲鳴を上げているかの如く、世界終焉を象徴するかのような大震動と共に────巨槍は大陸樹目掛けて落下を始める。
「……自らの無力を噛み締め、見届けるが良い。《源話の槍》が、大陸樹を次元ごと消し飛ばす様を」
逃げ場は何処にも無く、もう、残された時間も少ない。
巨槍の前に立ち塞がっているのは自分だ……自分しか居ない。
巨槍が落ちるまでに、今、それを“止めることが出来る”のは、自分だけだ。
だが、どうやって?
「…………ッ……」
想像を絶する規模の一撃に思わず全身が震え上がり、一瞬だけ全ての思考が停止する。
思考している暇も、躊躇している暇も、最早残されていない。
守るか、攻めるか、逃げるか、特攻するか……選択の猶予は、一度だけ。
その一度だけの決断で、世界の命運は決定される。
さぁ……どうする?
……。
…………。
………………────やっちまえ、トア。
その時。
誰かが、耳元で囁く。
誰かが、背中を押す。
それが、『誰』なのか……いいや、考えるまでもなかった。
故にこそ。
身体が、精神が、記憶が、信念が、瞬時に覚醒を覚え────自らに課せられた、最後の枷を引き千切らせる。
「はい、今こそ────私の『英雄』を、実行します」
そうか……そういうことか。
ようやく理解した────この《真器》の使い方を。
目の前にまで迫った巨槍を見定めると……右手に握られた赤い剣を後ろに引き、代わりに左手を前に掲げる。
その手中に光と共に顕現されたのは────青い剣。
歪な剣の片割れであり、概念としての自分が持っていた、トア=ラィド・イザベリングが有する《汎現》の一つ。
赤よりも存在感が希薄で、鉄にぶつければ簡単に折れてしまいそうな虚弱性を感じるが……。
それこそが、この青い剣の真骨頂。
緊張を紛らせる為に大きく呼吸をしてから、一切の疑いもなくそれを振るい……。
規模も存在感も桁違いな巨槍を、“薙ぎった”。
「“第一真器”顕現────《虚偽廻る変えしの片剣》」
世界に終焉をもたらす力と比べて、あまりにも希薄で虚弱な剣の刀身がそれを捉える。
直後、音もなく、予兆すらなく……。
巨槍が────“消失”した。
大陸樹を見下ろし、空をも覆い隠した巨槍が……文字通り、跡形も無く。
その一連の出来事を前にしたメグドーラは、目を大きく見開いて動揺に暮れていた。
「……馬鹿な……“そんなこと”が、有り得るのか……?」
「えぇ、証明して見せた通りです」
「な、に……?」
「これは、あなた方の言うところの『偽物』と呼ぶに相応しい存在。物質的にも概念的にも希薄であるこの剣は、他者に接触することはありません。ですが、この剣は現実として存在し、“斬ったという認識だけを対象に与える”……それが、青い剣。概念が産み落とした、私の《真器》の片割れ」
肉体だろうが、精神だろうが、自然現象だろうが、傷痕だろうが、種類は問わず……この青い剣に斬られた物は、『致命傷を受けた』という認識を与えられた末に、物理的に消失する。
それを、防ぐことは出来るのか……否、有り得ないと言えるだろう。
何故なら青い剣は、存在的には偽物……大雑把に言えば『霊的存在』と同等であり、実際に視界で捉えることも、同じ剣や盾等で防ぐことも出来ない。
気付かぬ内に斬られ、気付かぬ内に消えている……それが、《虚偽廻る変えしの片剣》。
これまでも、青い剣で貫かれた人物が居たものの……その者に傷が付くことは一度も無かった。何故ならこの剣の特性で、傷だけが消失させられていたからだ。
「……それは、是と同次元の所業……まさか……この短き戦いの中で、既に“ここまで到達していた”というのか……?」
「何処に辿り着こうが、私の居る場所も、私の見る人も、何一つ変わらない。あなたは、その遮蔽物になっていたに過ぎません。だから、今こそ……」
そして、青い剣と双璧を成す形で顕現したのは、赤い剣。
その特性は、自らの刀身に『本物』を反映する力。
特性が無ければただの鋭い剣に過ぎないが、条件を満たした時、それが反映するモノは────“世界そのもの”。
一概にして言えば。
反映した世界において斬れないモノは皆無となり、世界そのものと同系列に当たる高次元の存在に対して、決定的な効果を与えることが出来る、というものだ。
まさに、『対外界』の武器と言えるだろう。
「その身で受けてみるが良いでしょう────この世界に刻まれた、全ての痛みを、全ての悲しみをッ、全ての怒りをッ!!」
赤い剣による最初の一振りが、大陸樹の怒りを反映した。
無数に顕現される図太い枝木が、メグドーラの身体に巻き付き、拘束し……そのまま次元の境壁に磔にする。
その一瞬の隙を決して逃さず……。
渾身の力を持ってして、二振り目を放つ。
「う、ぉ、ォ……ぉ……ッ!?」
「“第二真器”顕現────《真実振るう映しの片剣》」
世界そのものを反映し、“世界を斬る”ことが確定付けられた、極大級の斬撃。
一度放たれたが最後、それを止められる者は誰も居ない。
空間を裂き、内と外の境界をもぶち破り、外空間を構成する虚無すら歪める。
そして。
強固なメグドーラの身体を、大陸樹の枝木ごと────真っ二つに断斬した。
……。
……。
それが、メグドーラにとって致命の一撃になったのは間違いない。
しかし、彼女は殆ど悲鳴を上げずに、若干の険しい顔をしながらこちらを睨み下ろしていた。
「……ッ……トア=ラィド、イザベリング……どうして、其は……“そんなモノを抱えた”上で、強く居られる……?」
身体が肩から腰にかけて無惨に斬り裂かれ、ボロボロと肉片が溢れ落ちては塵となって消えていく中、メグドーラはか細い声を滲み出すように尋ねてくる。
だが、まるでやるべきことはやり終えたと言いたげに……その表情には、苦痛の色も動揺の色も、微塵にも残されていなかった。
「負けたくなかっただけです。どんな形ででも、私を受け入れ、私のことを見てくれている……ある人の為にも」
少しばかり、クサい台詞だっただろうか。
今も胸の中にいる彼の姿を思い浮かべながら、ありのままの心情を、守る者と壊す者として、決して相容れることが無いメグドーラへと伝える。
「……あぁ、そうか……理解、した……劣っていた、のではない……足りなかった、のか……そう、か……」
足元から次々と崩れ落ちていく身体。
瞬く間に胸元辺りまでが消えて無くなり、完全消滅までは時間の問題であると思ったが……彼女はむしろ、何処か清々しい様子で、更に高く空を見上げてから……。
「────羨ましい、ことよ……」
一つの人影は、それだけ呟き……最後には、散って消えた。
代行者が最後に何を考えていたのか問い詰めることは出来ないが……それは、気にするだけ野暮な話であろう。
彼女はこの世界の敵として現れ、最後には敵として逝った……今は、それだけで充分だ。
「……ッ、はッ……!」
今の一撃で、スタミナと潜質が殆ど持っていかれてしまった。
メグドーラが消滅した反動か、全身の浮遊感が徐々に薄れ始めているのを感じる。
せめて、着地時の体力を温存しておかなければ、このまま地面に叩き付けられてしまうだろう。
とにかく今は、早く地上に還らなければ……。
『────素晴らしいっ!!』
「!?」
突如、狂喜に満ちた声が辺りに響き渡ったと思ったら……凄まじい量の埃が飛来し、全身を締め付けてきた。
慌てて声を発しようと口を開けたところへ……すかさず、そこから埃が流れ込むように口内へと注ぎ込まれていく。
「えっ、お……ッ!?げッ、ぉ、お……ッ!や、や、め……ッ!」
『まさかたかが再現世界で、新たな可能性を目の当たりにすることになろうとはっ!!次は君だ……君の身を、黙示録の代行者として使役しようではないかっ!!』
「ウ……ズ……ダッ、ト……ッ!?」
まるで埃一つ一つが声を発しているかのように、景色を遮断する程に深く吹き荒れる埃の嵐のあちらこちらから、埃の声が反響する。
途端に、逃げ場を閉ざされた。
途端に、主導権を握られた。
全身を拘束する埃は外側と内側から貪るように、身体を舐め回し、穴という穴から中へと侵入し……身体と精神に、圧倒的恐怖という名の絶望を植え付けていく。
「ククッ、まぁまぁ、恐れることはないよ。ただあの〔豪傑〕と同じ様に、その清らかな身も、凛々しき心も、僕らの物に成るだけさ」
「い……や……で、す……ッ!」
「さぁて、埃に塗れた君が、如何なる代行者に生まれ変わるのか……楽しみで仕方がない。君には期待しているよ、トア=ラィド・イザベリング」
「ぐ……ッ……ご、ぼッ……ッ!!」
あぁ、イヤだ……。
こんな結末、死んでもイヤだ……。
ようやく勝てたのに、ようやく乗り越えられたのに……それなのに運命は……それなのに支配者は……まるでそれを嘲笑うかのように、現実を叩き付けてくる。
フィーネスとヴーズダットは、元来使役される者と支配する者の関係性にある。
その関係が崩れない限り、自分の力だけでは……決して支配を覆すことは出来ない。
つまり……つまり……。
どれだけ憤ろうが、どれだけ苦しもうが……埃が相手では、もう……。
……。
…………。
………………。
代行者の巨槍には度肝を抜かれ、それをも超越したトアの覚醒は想像を遥かに上回り……最早その戦いに、自分程度の人間が介入する余地は何処にも無かった。
だが、埃だけは話が別だ。
埃の支配力は従来の影響力を大きく上回る。それを前にしては、トア自身の力がどれだけの高次元に達していようが、その支配力に抵抗することは出来ないだろう。
分かっていた。
分かっていたからこそ────待っていた。
ヴーズダットが、トアの目の前で無防備な姿を晒す瞬間を……身を粉にして、ジッと待ち続けていたのだ。
「言った筈だ────決して、“逃がしはしない”、と」
ROSCの《手動操作》を発動し、遥か上空で埃に捕らわれているトアの元へ、離元空間を通じて瞬間移動。
続けて、彼女を捕らえる埃を振り払うように、腕を横に広げて羽織の前さがりを棚引かせると……その身体から、全ての埃が払拭された。
「……ぁ……っ」
空中で意識が飛び掛けていたトアを左腕で抱き寄せると、彼女が少しだけ顔を赤らめて声を漏らす。
すると、丁度メグドーラが消滅した地点辺りに数多の埃が集結していった。
『たかが人間ごときが……でしゃばるなよ……?』
「なら、存分に後悔すれば良い。今からお前は、そのたかが人間ごときに“追い出される”のだから……永遠にな」
『追い、出す……?ま、まさか……ッ!』
ROSCの特性を一つ上げるとすると……限定的とはいえども、『支配者』の地位に居る埃と、対等の地位に立てるということだ。
現に、現世で《心離》を使用した時、離元空間は彼の身体を内側から打ち破っていた。
つまり、何物にも捉えられない埃を、捉えるだけの手段があるのならば────そこに溜まった埃を、物理的に追い出すことも出来るのではないだろうか。
次元の外側……二度と戻って来れない、虚無の果てまで。
「《心離》、発動」
ROSCの機能を《心離》に切り換えると、自身の周りに浸透するように離元空間が広がっていくのを感じる。
埃も、それに気付いたのだろう。
その上で、“そこから先に起こり得る可能性”を察知したのか……途端に声を荒げて、自身の領域を押し広げようとしてくる。
『そ、そうか……ッ!“そういうこと”、か……ッ!!させるッ、ものかァァッ!!』
後は根気と集中力の勝負だ。
だが、右腕をかざしてその先へ集中を研ぎらせようと試みるも……先程、メグドーラから受けた一撃による激痛が、却って集中を遮らされてしまう。
(ぐ、ぅ……ッ!!右腕ぇ……ッ!!)
それはまるで、身体を蝕む呪い。
消滅して尚も色褪せないメグドーラの執念が、最後の最後まで行く手を阻んでいるかのようだ。
痛みを堪えながら歯を噛み締め、痙攣する右腕をやっとの思いで埃へとかざすものの……無駄な労力だったと言わんばかりに、右腕から流れるように力が抜けていく。
一度下ろしたら、二度と上げることは出来ない……そんな悪い予感が頭を過りつつも、右腕は徐々に垂れ下がっていった。
だが、そこへ……。
「……私、も」
「……!」
自分の右手を包み込むように重ねられた、トアの華奢な左手が、辛うじて自身の生気を呼び起こす。
辛そうに身体を寄り掛からせる彼女だったが……その表情は、こんな状況ででも、ある種の気品すら感じられる凛々しさを見せつけていた。
「ここで、私たちの縁を断つ訳にはいきません。あなたを、この手で『殺す』為にも。この最後の壁────共に乗り越えさせて下さい」
「……」
不思議なものだ。
現世にて彼女が口にした、『殺す』という言葉と、何ら変わりがない様に聞こえるのに……その言葉からは、今まで経験したこともない確かな繋がりがあるように感じる。
その正体はハッキリとしないが、何やら心をぎゅっと抱き締められるような温もりを覚えて、後はただ一言……分かった、と返していた。
そして再び、埃を見据える。
長きに渡り、人と世界を翻弄し続けてきた支配者に、徹底的な『敗北』を叩き付ける為に────ここまで、背中合わせで交わり続けてきた〔英雄〕と共に。
「────日ッ陰舘ッ、雅人ォォォォッ!!」
「終わりだ、埃。もうお前に明示する言葉は……何も無い」
トアの持つ《本物》の特性も作用したのか……。
ROSCによりもたらされた《心離》は、極大級の規模をもってして展開される。
迫り来る埃を外側へ向けて一気に跳ね飛ばすかのように────大陸樹の上で、一輪の月下美人が咲き誇るのだった。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
自らが隕石と化したかのように、凄まじい勢いで地面が迫る。
万全の状態のフィーネスならばまだしも、酷く消耗したトアや生身の人間である自分では、そのまま地面に激突して潰れてしまうだろう。
世界全体を覆う程の《心離》を発動した反動で、身体の許容範囲は既に限界を越えているが……トアの腰に手を回して、彼女をしっかりと抱き寄せてから囁き掛ける。
「掴まれ、トア。着地するぞ」
「は、い……ッ!」
ここが、最後の踏ん張り所だ。
トアがこちらの首に両腕を回して密着するのを確認してから、手にしたROSCに意識を集中させる。
《手動操作》発動。
自分らの落下地点へとROSCをかざし、そこへ不可視の壁を生成。
地面に落下まで、三十メートル、二十、十、五、四、三、二、一……。
その間、密着したトアの身体を両腕で包み込むように抱擁し、落下地点へ向けて自身の背中を向ける。
そして、衝突の寸前。
背中が不可視の壁に触れたと同時に、落下の勢いが消滅。
そこから数十センチ分の高さだけを落下し、トアと地面に挟まれる形で、背中を打ち付けられる。
「ぐッ……!」
痛みが無いことはないが……それでも、今まで経験してきた痛みに比べれば、どうということはない。
トアを抱き締めたまま地面に仰向けになっていると……思わず、安堵の溜め息が漏れ出る。
すると、腕の中でモゾモゾと顔を起こしたトアは、真っ直ぐにこちらを見下ろしながら、少し戸惑いがちにこう尋ねてきた。
「……終わり、ましたか……?」
「あぁ、終わりだ。見事だったな、トア」
「…………ッ」
涙ぐむように声を殺して視線を落とすトアだったが、そこに不安の色は微塵にも残っていない。
やり切った、という満足感。
乗り越えた、という達成感。
そう、称賛する他にない……彼女はその手で、成し遂げたのだ。
一度は滅亡という絶望のどん底にまで叩き落とされた現実を覆し、遂に、勝利という栄冠を手に入れた。
後は……。
後は……………後、は……?
「────残念だけど、終演にはまだ少しだけ早いかな」
「……!」
トアの後方から甲高い声が聞こえてきて、彼女と共に顔を上げつつそちらへと視線を送ると……。
そこには、相変わらずの無邪気な笑みを浮かべている、元支配者のベリュジードが腕を組んで立っていた。
「ベリュジート……?今更、何を……?」
「熱々なところ邪魔をしてごめんね。だけど一つ、とっても重大なことを忘れていないかな────ここが、『再現世界』であるってことを」
「そ、れ……は……」
これまで、散々に忠告されてきた問題が、最後の障壁として立ち塞がる。
例え、トアを救おうとも、メグドーラを撃退しようとも、埃を振り払おうとも……決して、滅亡の事実を覆すことは出来ない。
何故ならこの再現世界においては……。
全ての出来事が、妄想上の絵空事に過ぎないのだから。
しかし。
一体、どういった心情の変化なのか。
その根底から覆すことは叶わない理論に異議を唱えたのは……ベリュジード本人だった。
「だけど。この偽物の世界の中にたった一つだけ、本物が紛れ込んでいた」
「……!」
「ヨウ=イルアウマーの精神体が成っていた『英雄澱』……あれは、トア=ラィドを媒体にして構成された物体。つまり、あれの実現を維持させる為には……生者としての、トア=ラィドの肉体と概念が必要だったわけだね」
「ヨウ……」
トアが酷く暗い表情で視線を落とす。
その様子を見れば、ヨウの身に何が起きたのか……何となく察知することが出来た。
ヨウが何処まで分かった上で行動していたのか。それは、今となっては問いただすことは出来ないが……きっと彼女は、ただトアが救われることだけを願っていた筈だ。
彼女の強く気高き強さが引き起こした結末が今、その真意を問われようとしている。
「そう。今、フィーネスの器をも持ちながら、生者であるお姉ちゃんが持つ影響力は……何よりも絶大なんだ。その行動次第では────この再現世界を構成する残留因子を、現実世界に再構築させることも出来る」
「え……ッ!?」
(……マジか……)
明示録の持ち主とは言えども、その実態を全て把握している訳ではないが……今のトアが通常と比べて、極めて特異的であることは理解出来た。
そもそもフィーネスとは、現世で肉体を失った死者たちが、特別な器を持った状態で喚び戻された存在のことを指している。
今のトアは、元々フィーネスとして召喚されたディアと同化することで……“生者でありながらフィーネスの器を有している”という、本来ならば有り得ない状態で姿が保たれている訳だ。
フィーネスの器が生存時とは比べ物にならない力を発揮するのは、最早考えるまでも無いことだが……生者としての命が、まさか……。
“世界再構築までをも実現させる”程に、器へと強く作用するだなんて……。
フィーネスの力……今一度、その認識を改める必要があるかも知れない。
「もう、この再現世界に残された時間は少ない。さて、トア=ラィド。あなたに提示された選択肢は、二つだ」
「二つ……?」
「まず一つ目は、その生者の身とフィーネスの器を生贄にして、現実世界を再生させること。実質、身体と魂を昇華させて、世界そのものに成るのだから……まぁ、私に代わって世界の支配者の気分を味わえるかも知れないね」
器を構成する成分は、潜質。
その特性は、何物にでも成る万能物。
世界再構築に必要な物質があるというのならば、潜質を除いて他には無い、と言えるだろう。
ただ、再構築とは、文字通りリセットと同意義であり……。
「……だけど、もう二度と……ヨウや、マリドナと……会うことは出来ない……?」
「ご名答。世界を再構築するのだから、そもそもあなたのことを覚えているような人は一人も居なくなるだろうけれど」
「……」
何処か楽しげに話すベリュジードを前に、トアの表情は暗いままだ。
手段は途絶えた訳ではない。
世界再構築等という大それた行為を起こす機会は、今この時を逃せば、今後は一生それを実行することは叶わないだろう。
だが、大いなる力を振るうには、必ず代償が伴う。
これまでの人生の中で幾多の繋がりを得たトアにとって、その代償は……何よりもツラい決断である筈だ。
だが。
次にベリュジードが口にした言葉は……そんなトアの決断に、拍車を掛けるモノだった。
「そして二つ目は、この大陸樹とフィーネスであるお姉ちゃんを召喚し、現世と結びつけた『繋縁』を断つこと」
「繋縁を……断つ……?」
「そう。それが実現出来れば……もしかしたら、埃の介入だけを排除した状態から、世界の続きを実現化させることが出来るかも知れない。実は繋縁と埃って、密接な関係性を持っているからね」
「本当ですか……?そんなことが、本当に可能なのですか……?」
「可能だよ。ただしその為には……明示録の持ち手として、フィーネスとの繋縁を築いた者……」
そこでベリュジードは一拍置くと、静かに口角を上げ……。
緩やかな動作でこちらを指差してから、ハッキリと言い放った。
「────日陰舘雅人を殺すことで、それは実現する」
「……ッ!!」
(そういう、ことか……ッ)
情けない話だが……トアの助けがあったとはいえ、先程の『展開操作』と『心離』の併用による副作用のせいで、身体を起こすことが出来ずにいた。
瓦礫を背もたれに腰掛けて荒い呼吸しながら、視線の先で不敵な笑みを浮かべるベリュジードを睨み、思い切り歯を噛み締める。
────まんまと、してやられた、と。
ここまで……トアがメグドーラを打ち倒し、自分がヴーズダットを追い出した上で、世界再構築の第二の手段を提供する……ここまでが、彼女の“真の思惑だった”のだとしたら……。
納得し難いが……『世界意志』の名は伊達ではない、ということなのだろう。
「失ったモノは大きい。だけど、全てを失った訳じゃない。だったら、お姉ちゃんが選ぶべき未来は……もう決まっているでしょ?」
「……」
「だから……今一度問うよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは────何が為の『英雄』になりたいの?」
ベリュジードの言葉に促されるように、トアの視線がこちらへと向けられる。
その瞳は、現世で彼女を召喚した当時と同じ。
つまり……。
答えは、既に決まっている。
トアはそう言いたげに瞳を見開きながら、ゆっくりと立ち上がると、その手中に歪な剣を顕現させた。
(……そっか……まぁ、当然だよな。今までも散々言ってきたし……殺せるものなら、殺してみろって……)
この闘争を最後まで戦い抜き、勝利を掴み取ったのはトアだ。ならば、ここから先の大陸樹の未来を決めるのも、やはり彼女こそが相応しい。
それに、最早こちらには回避する体力も無ければ、ROSCを使う気力すら残っていなかった。
後は……ただただ、トアの思いがままに……。
「俺は確かに明示した筈だ、お前の好きなようにしろと」
目的は最初から、トアと大陸樹の救済、ただ一つだった。
これまで、幾多の犠牲を投じても成し遂げることが出来なかった、念願の救済……それが、もしも自分たった一人の犠牲で叶えられるならば…………。
“こんなに容易いことは無い”、のではないだろうか。
だから、怖くはなかった。
ようやくこれで、念願が叶う……そんな、まるで満足感に近い感情が、死への恐怖を打ち消していたのかも知れない。
心の中で小さく微笑みすら浮かべながら、柔らかい表情でトアの顔を見上げていた。
すると、彼女は一切躊躇する素振りもすら見せず、手にした歪な剣を空高く掲げる。
そして。
「────ごめんなさい」
冷たい目付きのまま、決別とも取れる言葉を吐いてから……。
────それを、振り下ろした。
瞬間、世界は真っ暗闇に包まれ、時の流れは停止する。
再現世界を構成していた残留因子は、とある膨大な力による恩恵を受けて、世界再構築へと働き掛け始めた。
その行く先に何が待ち受けているのか……それは、人間はおろか、ベリュジードですら、予測することが出来ない霧が掛かった未来。
ただ、一つだけ。
世界が暗闇に包まれる瞬間のこと。
まるで自らの存在を主張するかのように────一つの青い灯火が、一筋の軌跡を描いて流れていったのだった。
次回、英雄への明示─Execution of ideal─の終章となります。




