1-18 英雄への明示
その返答に、理解できないと言いたげなメグドーラは、眉を潜めながら問いを続けた。
「……“勝てなくてもいい”……?それでは、本末転倒だ。戦いがもたらすのは、勝利と敗北のみ。敗北を喫した者は、死だけがもたらされる。生を持つ人間がわざわざその結末に向かうのに、一体何の意味がある?」
未だピクリとも動いてくれない右腕を左手で擦りながらも、あまり口に出したくもない事実を包み隠さずに白状する。
「そもそも、俺は自分の力で誰かに勝てるような強い人間じゃない。お前みたいな化け物相手だと、尚更だ」
「ならば其は、今、是の前で……何をやっている?」
どうせ、この代行者が相手では、巧みに隠し事なんて出来る自信が無い。逃げ出したところで、即座に追い付かれて殺されるのがオチだろう。
なら、こうして言葉を交わせるだけ交わし、時間を稼ぐ……それしかもう、自分に出来ることはないのだから。
それに、恐らく……恐らくは、もう少しで……。
「────“待っている”。俺たちと、この世界……あらゆる意思を紡ぐ想いが実る瞬間を……この最後の舞台で、待っている」
「最後の舞台……?待っている……?『何』を……?」
メグドーラがそう口にした、次の瞬間────。
忽然と。
暴風のような、荒々しく強烈な威圧感のある気配が、辺り一面に響き渡る。
この場に居る誰もが、その気配に勘づき、圧倒され……反射的に、『その者』が足音を立てる方向へと視線を向けていた。
自らの召喚者に対して見向きもしなかった、あのメグドーラでさえも。
そして、確信する。
ようやく、この時が来た、と。
「決まっているだろう────お前を、倒す者だ」
場の緊張とざわめきで目を覚ましたのか、ゆっくりと上体を起こしたマリドナは、薄らと開いた瞳で『彼女』の姿を捉え……その名を口にする。
きっと、誰もが待ち望んだ。
大陸樹における、唯一無二の『英雄』の名前を。
「────トア……?」
トア=ラィド・イザベリング。
穏やかに吐息を立てるリノリス=トラントを抱いて現れた彼女は、静かな足取りでマリドナの傍に屈むと、そこに彼女を優しく下ろしてから小さく頷いた。
「……マリドナ。リノを……この恩人を、お願いします」
唖然としていたマリドナは何も言葉を発せずにただただ頷くと、それを見たトアはその場で立ち上がってこちらに歩み寄って来る。
(リノリス……本当に、本当によくやってくれたよ……っ)
そんな安堵と興奮に満ちた言葉を、優秀な付き人へ投げ掛けたい気持ちをグッと堪えると、あくまで冷静を装って、いつもと同じ口調で彼女へと声を掛けた。
「待っていたぞ────『剪定の英雄』」
「思い返せば……短いようで、とてつもなく長い刻を放浪していたような、そんな気がします。ですが、ここまで来た……いいえ、あなた達が、連れてきてくれたのですね」
「俺を殺す決心は付いたか?」
「それはとうの昔から付いています。ですが、その前に……あなたをこの手で殺す為には、まず私自身の戦いに決着を付けなければなりません。だから……」
そう言いながら隣に立ったトアは、自身の胸に握り拳を当てて目を瞑ると……。
誰にも聞こえない位の小さな声で、まるで懇願するように、最初で最後の願いを口にする。
「『人の為』の英雄として────最後の我が儘をさせて下さい」
力を求める訳でもなく、協力を要請する訳でもなく……トアはただ、我が儘を貫くことだけを願った。
今までの彼女にとって、それがどれだけ難しいことだったのか……自分では全てを理解することは出来ない。
だが、それが出来るようになったのが、現時点の彼女であること……『概念』と『良心』、二つの思想が互いを尊重するように、本当の意味で一つになった証であること……その事実を指し示していた。
ならば、もう彼女は心配要らない。
そこに立っているのは、正真正銘の────『剪定の英雄』なのだから。
「ここは、お前の為の舞台だ。『英雄』らしく振る舞おうが、『人間』らしく身勝手にやろうが……俺が、誰にもそれを否定させはしない」
「……」
「今こそ、“英雄のお前に明示する”────己の全てを解放して、己の望むがままに……世界を救え、トア=ラィド・イザベリング」
偉そうな態度で、それらしい台詞を口にしてはいるが……要は、こういうことだ。
────勝ってくれ、と。
無闇に本音をぶちまけることが出来ないのは心苦しいところではあるが……今は、それで構わない。何よりも彼女が、『自分の為』に戦う意味を取り戻してくれれば、ここまで命懸けで時間稼ぎをした甲斐があったものだ。
この世界の主人公は、トアなのだ。
自分たちは、主人公の引き立て役になれれば、それで良い。
言いたいことは全て言い尽くした所で……不意にトアが、若干視線をこちらに向けていることに気付いた。
「こんなになってまで……“まだその体を貫きますか”、あなたは……」
「い……ッ!?」
トアがこちらの右手に指先で触れた瞬間、“右腕に鋭い痛みが駆け巡る”。
何が起きたのか分からずに彼女の方へ顔を向けると、右腕に手を添える彼女は、いつになく真っ直ぐな視線でこちらの瞳を凝視して立っていた。
その凛々しくも健気な表情が、いつも以上に魅力的に見えて……。
「約束します。これから先、例え何者が相手だろうと────私、あなたの前では決して負けませんから」
「……!」
そう宣言したトアは、改めて、最後の舞台に足を踏み出す。
彼女の前に立ち塞がるのは、大陸樹滅亡に最後のトリガーを引き、万全ではないにしろ現世の英雄をその手で打ち倒した……黙示録の因子。
余計なことは問わない。
こうして再び相見えることの意味を、両者は全て理解した上で、開戦の鐘を打ち鳴らし合う。
「幾多の偶然を越えて……遂にここまでやって来たか、トア=ラィド」
「えぇ。私かあなたか、この世界か埃か……今こそ、全てに決着を付けましょう、メグドーラ」
沈黙、静寂……吹き抜けるのは、埃の風。
互いに睨み合いを続ける両者は、埃を踏みしめたまま、微かな呼吸だけを交わす。
言葉にならない異様な緊張感と静かな迫力を前に、思わず固唾を呑むと……不意に、目の前でフワリと埃が舞い上がった。
その瞬間には既に────“両者の影は交わっていた”。
世界ごと全てを叩き潰そうと矛を振り上げるメグドーラと、それを掬い上げるように赤く歪な剣を振り抜くトアの姿が。
そして。
「────ッ!!」
衝突。
大陸樹の行く末を左右させる二つの大いなる力は交差し、空間そのものを大きく揺るがした。
その衝撃で、辺りに積もる埃を、周りの街並みごと粉々にして吹き飛ばす程に。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
顔にバチバチと細かい粒のようなモノが当たり、妙な不快感を感じながら、重い目蓋を薄らと開く。
「……ぅ……ッ」
「良かった……!目が、覚めましたか……!」
一番最初に視界に入ったのは、まるで砂嵐に遭遇したかように汚れた状態で、安堵の息を吐く女性の顔。
意識が朦朧する中で焦点を彼女に合わせるのは大変だったが……視界が景色に慣れていくと、彼女がマリドナ=バラード・ケブラであることが分かった。
どうやら自分は、彼女の膝枕で眠りこけていたらしい。
「……あな、たは…………あっ!トアさんは……!?」
「今、戦っています。こんなに離れているのに……これ以上近付いたら、巻き添えになってしまいそうな……」
全身の怠さを堪えながら何とか上体を起こし、マリドナが震える指で差す方向へと視線を向けると、始めて状況の深刻さを察した。
木々が、建物が、嵐に見舞われているかのように……木っ端微塵になって、やたらめったらに吹き飛んでいる。
響き渡る轟音が、大地を、大空を、大気を、大きく震動させる。
その爆心地で、最早人智を超越する激動を繰り広げるのは……二人の超人。
これ以上近付いたら、敵だろうが味方だろうが、問答無用で巻き添えを食らってしまう。
心苦しいが、今は、傍観する他に無い。
大陸樹を巡る、正真正銘────最後の決戦を。
そこへ、まるで見るに耐えないと言いたげに、マリドナが自身の胸元をギュッと握りながら、今にも消え入りそうな、小さな小さな声で呟いた。
「……再現世界の行く末は変わらない」
「え?」
「例え現世とは異なる道筋を辿ったとしても、行き着く結末は同じ……だからわたくしも、諦めるしか無かった……」
「マリドナ、様……」
『至宝』とは、世界の象徴。
それの存在意義と行動理念は、本能的に、世界の存続の為に働き掛けていると言っても過言では無い。
そんな彼女が『断念』を口にしたということは……それほどまでにこの世界は、追い込まれている、ということだ。
かくいう自分も、自分だけの尺度で考えた場合、この終焉一歩手前の状況を打破する手段は……何一つ見出だすことは出来ない。
しかし。
しかしながら、その心で混沌としているのは、なにも絶望だけではなかった。
「だけど……何故でしょう……?万が一にも、“そんなこと”は、決して有り得ない筈なのです……」
「……!」
「それなのに、どうしても、どうしても……願望してしまう。大陸樹の英雄と、日陰舘一族の当主……あのお二方が、“真の意味で手を結んだ”としたら……」
そう。まだ……染まり切ってはいなかった。
あの澱の中と同等な位に真っ暗闇の中で、マリドナが見上げていたのは……か細くも、確かに光を放つ星。
彼女はそこへと手を伸ばしながら、震える声を滲み出した。
「“何か”が、起こる……っ……そんな、気がしてならないのです……幾多の偶然の積み重ねの中から生まれる、奇跡のようなモノが……っ……そんなの、そんなの……絶対に、起こる筈がないのに……っ」
明確に猛威を振るう絶望。
霧掛かった不明瞭な希望。
その二つが並べられた時、人は無意識の内に明確な方へと身を委ねてしまうものだ。
しかし、マリドナはそちらへ流されつつも、懸命に不明瞭を掴もうともがいている。
ならば。
今この場で、彼女の手を引き揚げるのは……自分の役割だ。
「うぅん。起こるよ、絶対に」
「え?リ、リノ様……!?まだ立ち上がっては……!」
マリドナの焦ったような制止の声を受けながらも、今にもへし折れそうな脚に全精力を注ぎ込み、立ち上がる。
呼吸を荒く乱しながらも、吼えるように、自らを奮い立たせるように……彼の、日陰舘雅人の付き人として、希望の言霊を吐き出した。
もう自分には、これくらいのことしか出来ないけれど……これくらいのことならば出来る。
「だって、あの人は、教えてくれようとしているんだ……それがどんなに不可能なことだろうと、それがどれだけ困難なことだろうと……乗り越えられるって────奇跡だって、起こせるって!!」
「……ッ!!」
瞬間、目に見えて身体を震わせるマリドナは、その大きく開いた瞳から……大粒の涙を滲み落とした。
きっとその姿が、真実なのだ。
信じたいけれど、信じられない……信じられないけれど、やはり信じたい……そんな苦痛の輪廻に、たった一人で結論を出すことは出来ない。
烏合の衆に過ぎないかも知れないけれど。
寄せ集めの戯れ事でしかないかも知れないけれど。
それでも……。
「だから……ッ!!主様っ!!トアさんっ!!頑張ってッ……頑張れっ!頑張れぇっ!!」
「……ッ……ッ……!どうか、救って下さい……わたくし達の世界を……っ!わたくし達が、在るべき居場所を……っ!守って下さい……っ!!どうか、どうか……っ!!」
もう、分かっている筈だ。
難しい理由とか、複雑な理屈とか、そんなモノは何一つ必要はない。
全てを託すだけの意味がある。
声を大にして激励を送るだけの意義がある。
それだけで、充分。
だって、自分たちの前に降臨するのは……紛れもなく、絶望を振り払うことが出来る、希望そのものなのだから。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
両者が衝突した瞬間、ヴーズダットは危険を察知したのか、埃となって何処かへ消えてしまった。
実に、賢明な判断だと言える。
ここはまさに……災害の渦中、核兵器の爆心地。
ROSCによる離元空間の壁が無ければ、この常軌を逸した攻勢の嵐に巻き込まれ、一瞬で木っ端微塵にされていただろう。
「……ッ!!」
目の前で不可視の壁に、豪風雨の如く次々と衝突していくのは……瓦礫の礫、木製看板、根本から抉られた大木、煉瓦の家……どれも、この勢いで直撃すれば即死は免れない。
だが、何より危険なのは────トアとメグドーラが繰り出す、剣撃の流れ弾だ。
最早、彼女らは周りを気遣う素振りすら見せず……。
目にも止まらぬ速度で四方八方へと飛び回り、その一振りで大地を割る剣撃を無限に繰り出していた。
一度は離元空間すら破壊した剣撃が時折、頬を掠め、足元の地面を切り裂き、身体の薄皮を撫でては過ぎていく。
きっと一歩でも動いたら……いいや、一瞬でも気を緩めたら、確実に死ぬ。
だから言って、逃げ出す訳にはいかない……何故なら、戦いはまだ、何一つ終わってはいないからだ。
(俺は、俺に出来ることを……)
ここに居ることでしか出来ない事態が、必ずやって来る。
いつ巻き込まれるかも分からないまま、一瞬も気を緩めることもなく、ただただ『その時』を待つ。
最中、トアとメグドーラの戦いは……。
────最後の佳境を迎えようとしていた。
次回の更新にて、英雄への明示─Execution of ideal─の終章となります。
ここまで見て頂いた皆様へ、どうぞ最後までお楽しみに下さい。




