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シェード・エプリコッド ─召喚者たちの異世界略奪戦争─  作者: 椋之樹
英雄への明示─Execution of ideal─【現世編】
2/41

1-1 逆転生された英雄


 雪。

 きっと、雪に似たようなモノが舞い散っていた。

 一本の枯れ木に背中を預け、ボロボロになった身体を支えきれずに、降り積もった灰色で冷たいモノの中へ腰を下ろす。ふと見上げてみれば、灰色の空が視界全体に広がっていた。

 曇り空……いいや、違う。

 災害の予兆……いいや、違う。


 きっと、これは────“終焉”。


 寒さと痛みで小刻みに震える身体を、立ち上がらせる気力すら沸かず、ただただ無心に空に浮かぶ一つの星を見つめる。今や死に体に等しい虚ろな瞳は、一秒先の未来を映し出すことすらなかった。

 その世界には……何者にも変え難い仲間が居た……自らの存在するだけの意義があった……大切な時間と居場所があった……決して壊れてはならぬだけの理由が、山ほどあったのだ。 

 瞬間、ふと頭に浮かんだのは一つの自問自答。

 

 “どうして、こんなことになってしまったのだろうか”?


 その問いに答える者は居ない。

 また、自らも答えることが出来ない。

 いいや、例えどんな答えを提示されたとしても、既に凍結されてしまった思考に届くことは、最早有り得ないだろう。

 そんな、全てを諦め、全てを捨てた者の胸元に、突如────一迅の刃が、突き立てられた。


 ……。

 …………。

 ………………。


 次に目を覚ました時。

 目の前には、一人の少年が立ち、自分のことを見下ろしていた。一見、威厳の欠片も感じられない、自身と年もそんなに変わらないと思われる、冴えない風貌の少年。

 何者か、と問い掛けを投げ掛けると、彼は答えの代わりにこんな言葉を叩き付けてきた。


「今から、お前は俺のモノだ。これまでのことを忘れて、大人しく俺の言うことに従え。分かったな、『フィーネス』」


 状況は、分からなかった。

 彼の言葉も、意味が分からなかった。

 ただ、彼の発言通り、“彼の元から逃げられない”、ということだけは理解していた。


 ────冗談ではない。


 その瞬間から、彼へと抱く感情が、『不可解』から『殺意』へと変わった。

 今は、こんな場所で手をこまねいている暇はないのだ。一刻も早く元の場所へ還り、やらなければならないことがある。

 それを果たす為にも、早く、早く、早く……。


 ────何を?


 記憶も、理由も、霧が掛かったかのように霞む。

 まるで完成したパズルの内の一ピースだけ抜け落ちてしまったかのように、その目的だけが思い出せない。何か、何か、一番大切なことを忘れている気がする……“何故”?

 どちらにせよ、今の自分に出来ることは一つだけ。


 ────この身体を、異世界に『召喚』した『日陰舘雅人』を、この手で殺す。


 異世界召喚を引き起こした張本人を殺しさえすれば、召喚の本元が失われ、元の世界に戻れる……その瞬間から、トア=ラィド・イザベリングの標的は確定されていた。

 自らの還るべき場所へ、自らの意志で還る為に。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 羽間中央高等学校、ある日の放課後。

 同じクラスの窓際の席で、帰りの身支度を整えていた相輪冬香に声を掛ける。


「帰るぞ」

「…………」


 同年代の女子と比べて、背丈は平均よりもほんの少しだけ高め。整った顔立ちに、透き通るような白い肌。一般的には滅多に見かけない、灰色混じりの白色セミロングヘアーを後ろで束ねている。

 クラスメイトと同じように紺色のブレザーとスカートを身に付けているが……他と比べて一回り大きく形の整った胸元と、全身から漂わせるミステリアスな雰囲気が、男女区別なく注目を集めていた。

 冬香がこの学校に転校して来てから、四日目。彼女の持つ美麗な容貌に、一目惚れしたという人物は少なくないだろう。

 普段の無気力そうな半開きの瞳に反して、時おり雅人のことを鋭い目付きで睨んだりするが……それが、純粋な殺意の籠った視線であると、一体誰が想像できようか。

 彼女はこれ以上こちらを見向きもせずに立ち上がり、目を瞑ったままその場で佇む。


「……共に行くならば、どうぞお先に。ちゃんと後を付いていきますので」

「別に構いはしないが、逃げないという保証は何処にある?」

「逃げも隠れもしませんよ。何処へ逃げたところで、“異世界であるこの地”に、私の行く宛はないのですから」


 至って冷静な冬香の物言いに短く溜め息を吐いてから一言、分かった、と言って歩き出す。すると宣言通り、付かず離れずの距離感で後ろを付いてくる足音が聞こえてきた。


 そこから先は、徹底して無言が続く。


 学校の廊下から正門、駅前通りから商店街に至るまで……一度も顔を合わせず、一言も言葉を交わさず、まるで主人と従者のような立ち位置で帰路を歩き続けた。

 話してはならない決まりがある訳ではないが、仲良くする義理はない。少なくとも、彼女はそう考えているのだろう。

 そんな重苦しい空気の中、ふと振り返りもせずに言葉を投げ掛けた。


「そう言えば、お前から見てこちらの世界はどんな感じなんだ?」

「……」

「ん?おい?」


 返事がないので肩越しに振り返ってみると、冬香はその場で立ち止まって道の脇をジッと見つめていた。

 何事かと思って彼女の視線を追ってみると、どうやら、車の影で昼寝をしている一匹の子猫が気になっているようだ。


「……失礼。今、何か言いました?」


 冬香は猫だけを見下ろしながら、少しばかり声を殺して問い掛けてくる。


「何故、猫?」

「答える義理はありません。ただ見ているだけですから」

「……英雄と讃えられた人物が一匹の猫に夢中とは、物珍しい光景だな」

「勝手な話ですね。そんなもの、虚像も良いところ……あっ」


 少しムッとしたような口調に反応してしまったのか、目の前で寝息を立てていた子猫が勢いよく顔を上げ、逃げるように走り去ってしまった。

 一瞬だけ悲観的な声を漏らしたような気がしたが……彼女はそんな気配を微塵にも感じさせない佇まいで、わざとらしく咳払いをしてから、横目で雅人を睨む。


「……コホンっ、それはともかく。あなたは、“隠し事をしない”という話でしたので、問います。確かにこの地は、私の知る『大陸樹』ではない……紛れもない異世界です」

「召喚した本人が言ってるんだ、当然だろう」


 短く溜め息を吐いてから再び歩き始める。

 すると、冬香も少しむくれた様子で顔を強張らせつつ、後を付いてきた。

 

「私の元居た世界にも『異能』と呼ばれる力はありました。ですが、世界の外側……次元間を越えて異世界に召喚する力なんて、並大抵の者が出来る芸当じゃない。それこそ『ベリュジート』……いいえ、神の所業としか言いようがありません」

「称賛してくれているのか?俺が、神だと?」

「冗談を。極めて不愉快、かつ不可解だと言っているんです……私が見る限り、あなたからは“異能の気配は微塵にも感じられない”のですから」


 それ以降は一度も振り返りもせずに、流暢に語る冬香……いいや、トアの言葉に耳を傾けていた。

 商店街を抜けて大社脇の森林前に到達すると、辺りに誰も居ないことを確認しながら、彼女へと挑発染みた言葉を投げ掛ける。


「だから?つまり、何が言いたい?」

「昨日の放課後────私は、本気であなたを殺すつもりでした」

「……ほー」

「奇襲は完璧でした。確実に、剣の切っ先はあなたの首を切り裂いていた筈でした……それなのに、薄皮一枚分、ほんのそれだけ、あなたの首に届いていなかった……」


 昨日のあれは、どうやらただの脅しではなかったらしい。


 つまり、殺される一歩手前だった訳だ。


 少々粗暴な目的は失敗に終わったようだが……彼女はその結果から学び、こちらの正体に手を掛けようとしている。恐ろしいまでの洞察力だ。このままでは、放っておいても確実に“見抜かれる”ことになるのだろう。


「……恥を忍んで、尋ねます。一体、どうやって私をここへ?あなたは一体、何者なのですか?」


 屈服した、訳ではなさそうだ。

 手探り手探りで何とか情報引き出そうと、こちらの内情へと慎重に踏み込んできている。

 ただ、これまで何度も“それ”の片鱗を目撃され、少しずつ正体を見抜かれていっている以上、長々とひた隠していた所で意味は成さないだろう。

 そんな考えに至ると、彼女の問いかけに答えるように、ポケットの中から一台の端末を取り出した。


「それは確か……スマホ……?」

「お前の問いに答えるなら、実際に見せた方が早いと思ってな」


 森林の方を見ながら、画面の中央部にあるアイコンを親指でタッチする。

 直後。

 彼らの目の前に、深い森林を背景にして────忽然と、目映い光を放つ白い扉が出現した。


「……っ!」


 それを見たトアは、何事かを確信した様子で目を見張った。

 顔を強張らせたまま硬直する彼女の前で、敢えて自分の行動を見せ付けるように、明らかにその場には似つかわしくない扉のドアノブに手を掛けて躊躇もなく開け放つ。


 その先に姿を現したのは────奇妙な形状をした一邸の邸館だった。


 それ一つでマンションの敷地面積に匹敵する広々とした前庭から始まり、奥には顔を上げなければ全容を捉えられない程の高さを誇る建物。一階部分は日本従来のお屋敷と同じ形式だが、二階よりも上部は、西洋の洋館が山のように高く高く積み重ねられて形作っている。

 巨人が横から突つけば簡単に倒壊しそうな、独創的かつ芸術性に優れた邸館だが、建設以来崩れたことは無いと言う。


「ここは、『離元空間』と呼ばれる場所。俺の手によるモノは例外として、他の次元からこの空間に入ることは出来ないが……逆に離元空間からならば、“如何なる場所にも接続もしくは通過することが出来る”という性質がある」

「如何なる場所にも、繋がる……?」

「この空間の支配者の所有物になるということ……それがどういう意味なのか、改めて認識させてやろうか」

「うっ……!な、何を……っ!」


 そう語りながら、トアの後ろ首を鷲掴みにして、半ば無理矢理、離元空間の中へと引きずり込む。

 彼女は顔を歪めて声を上げるが、無闇に抵抗する気配を見せることはなかった。

 そんな彼女の耳元に顔を寄せて、囁き掛けるように、『離元空間の支配者』としての忠告を口にする。


「例え、お前が何処へ隠れようとも、神々に助けを乞おうとも、別の世界へと逃げようとも────『離元空間(俺)』がお前を見ている限り、決して逃がしはしない」

「……ッ!」


 それだけ忠告してから彼女を前へと突き飛ばし、扉の前に立ち塞がってから、軽く両手を横に上げて不敵な笑みを浮かべた。


「改めてようこそ、離元空間へ。ここに居る限り、お前は鳥籠の中の小鳥。精々自分の立場を弁えて、大人しく留まり続けることだな」

「……あなたさえ居なければ……こんな胸糞悪い場所、二度と来たりはしないのに」


 最後まで、トアは反抗的な姿勢を崩さずに、しかしながら素直に屋敷の中へと歩き去っていった。

 今はまだ大人しい佇まいではあるが……果たして、いつまでこの状況を保っていられることだろうか……。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 世間的にその功績を称賛され、または類い稀なる才能を認められ、もしくは世界に混乱をもたらした絶対的な犯罪者として……本人の意思に関係なく、歴史の記述に載る者たちが居る。

 彼らは偉人として歴史の一頁に刻まれ、未来永劫、人々の記憶の中で生き続けることになるだろう。


 だが彼女ら、『フィーネス』の場合は違った。


 そもそも、歴史が残る根本的な条件とは何か────そう、世界の存続だ。

 世界が在るからこそ、歴史は残り続ける……そこに生きる人々の手で、子孫にまで語り続けられる……そこに存在する歴史書が、例え外形が朽ち落ちようとも、未来にまで記述を残し続ける。

 ならば。


 ────何らかの原因で世界が滅亡してしまったら?


 彼女らは、歴史とはならない。

 記憶も、記録も、全てが消えて無くなってしまい、彼女らの存在は誰の手も届かない虚無を永遠にさ迷い果てることになる。

 ただ。

 一体どんな廻り合わせなのか。そんな“消滅してしまった”彼女らの歴史を書き記した文書が、たった一つだけ存在していた────それも、彼女らの世界とは、一切の関わりもない『異世界』に。


 その文書の名は────『日影シェード・明示録エプリコッド』。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 トアがロビーの螺旋階段を登って行くのを見届けた後、自分は一階の端にある自室へと向かう。

 中に入って扉をしっかりと閉じたことを確認すると、手にした小型端末……『離元空間自動演算(rondure space control calculation)プログラム』、通称『ROSC』をベッドの上に放り投げ、そのまま自分も布団の中へと飛び込んだ。

 そして、誰の視線もない自分だけの空間で、仰向けに寝そべったまま……飾り気もない、自らの心に秘められた本音を漏らす。


「はぁ……胸が、痛い……これ、辛い……」


 ふと、ほんの数分前までのトアとの会話を思い出してみると、胸が締め付けられるような痛みが走る。


 何だ、あれ。


 首根っこ掴んで、精神的に言葉攻めして、果てには「ようこそ」とか、本当にただの嫌な奴じゃないか。恨まれても仕方がない……睨まれても仕方がない……別に好きでやっている訳ではないが、人間として嫌われる行為をしているのだから、当然の結果だ。

 だが……あれで、“少しぐらいは残虐非道な人間に見えた”だろうか。まるで、主人公の前に立ちはだかる悪役のように見えただろうか。

 少なくとも、トア・ラィド=イザベリングの前では、日陰舘雅人という人間は、“決して心を許せない悪人”でなければならない。

 そうでなければ……彼女を、この世界に召喚した意味がなくなってしまうのだから。


「プゥ」


 突如、鳴き声とも似つかない音のようなモノが部屋の中で小さく響く。

 今や聞き慣れた音に、身体を起こして辺りを見渡すと……部屋の隅に一羽の小さな黒兎が座って、その長く垂れ下がった耳をピクピクと動かしていた。


「……あ、リノリスか……ほら、おいで」

「プッ、プゥ」


 彼女の名前はリノリス。

 性別はメスであり、比較的小柄な黒兎だ。

 ベッドの下に手を伸ばして呼び掛けると、リノリスという兎は警戒する様子もなく駆け寄ってくる。それから両手両足を使って器用に服を掴んで登ってくると、その小さな身体を片腕で抱いて、もう一度ベッドの上に寝転んだ。


「心配、してくれてるのか?そりゃ辛いことは辛いけど……これは、俺の選んだ道だから」


 胸の上にピタッと密着するリノリスの愛くるしい顔を見ながら、雅人は微笑みつつ、まるで自分に言い聞かせるように呟く。

 『日陰舘現当主』として。

 『日影の明示録』の所有者として。

 トアがこの世界に召喚されるよりも前から覚悟は出来ていたものの……いざ悪役として立ち回って、彼女から侮蔑の目で見られ、恨み言を吐かれてみると、正直、精神的に堪える。

 だが、そこで敢えて、自身の気弱な気持ちを押し殺し、極端に横暴かつ独裁的な『支配者』として振る舞えば……ある程度、気持ちが軽減されるものだ。


「プー」


 いきなりリノリスが小さな手を伸ばし、こちらの言葉を遮るように口を塞いできた。

 少し驚いたものの、指先でそっとリノリスの手を退けてから、思わず笑みを漏らす。


「なんだよ、もしかして無理するなってこと?」

「プゥ、プゥ」

「気持ちは有り難いけど……黙っていても、事態ってのは着々と進むものであって……」


 その時。

 ピューピューピューッと、枕元に投げ捨てておいたROSCが、まるで口笛のような甲高い音を鳴らし始めた。

 即座に端末を手に取って、片手でリノリスの頭を撫でながらもう片方の手で画面を操作。そこに表示された動画を目の当たりにして、一度深い溜め息を吐く。


「……待ってはくれない、か。まぁ、事を進めてんのは俺だ。だったら、最初から最後まで突っ走る。それが例え、トアから恨まれるようなことになったとしても」


 自分は、悪者で良い。

 英雄的な立場でいえば、彼女らに仇なす魔王のような存在が望ましい。

 必要なのは、理解されることではない。


 何があっても────決して、理解されないことだ。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 ベッドに腰掛けて目を瞑り、緩やかに手を前にかざすと……静かに口を開く。


「……《顕現せよ》」


 直後。

 前にかざした手中から真下へと光が放出されると、それが赤色の刀剣に変貌し、床に突き刺さる。

 その柄に手を添えながら、マジマジと刀剣の全容を眺めていると……ふと、頭に浮かんだ疑問が自分の口から漏れ出された。


「……赤色の刀身……真ん中で裂けたような形状……“これは、何”?」


 確かに、元居た世界では剣を好んで使用していたし、個人的には他の武具と比べれて最も使いやすい得物ではある。


 しかし、こんな代物……“今まで手にしたことはおろか、目にしたことすらもない”。


 記憶を遡って考える限り、元の世界でこの不可思議な剣を持っていたことは、これまで一度たりともなかった筈だ。

 手に持ってみれば分かるが、見た目の歪さ通り、刀身全体の重心が極端に片側へ寄ってしまっている為、狙った場所に向かって振るうのは極めて難しいだろう。


「こんなところで、手をこまねいている暇はないのに……」


 心の奥底から這い出ようとする、帰還の欲求。

 自分の居場所はここではなくて元居た場所であると、自身の本能が獣のように騒ぎ立てる。帰るべき場所があり、待っている人が居る……その想いがある限り、この本能を抑制することは出来ないだろう。

 せめて、一瞬だけ。

 ほんの刹那の時でも構わない。

 それだけの隙があれば……そこで自分の力を持ってすれば……あの日陰舘雅人を、確実にれる。

 例え、空間そのものを操るような神代級の力を有していたところで、彼自体は一般的な人間と大差はないのだから。


「……!」


 片膝を抱えて思考に耽っていると……突然、背後の壁から乾いたノック音。

 予想だにしない何者かの呼び掛けのような音に、反射的に全身の神経を研ぎらせて警戒体制に入る。

 続けて壁から聞こえてきたのは……彼の嘲笑染みた声だった。


『最近、よく話すようになった友達が出来たようだな』

「……日陰舘……唐突に、何の話ですか……」


 どうやら、身元のことも既に把握されてしまっているようだ。まぁ、同じクラスメイトだから当然のことだろうが。

 確かに彼の言う通り、高等学校に通っている中で、妙に人懐っこいクラスメイトとよく話すようになったが……何故今、その話題を振ってくるのだろうか。


『英雄様がどんな人物を友とするのか、個人的に興味深い話なのでな』

「話す義理はありません。あなたには、関係のない話です」

『関係ない、か。果たして、これを見ても同じことが言えるか?』


 背中越しの壁の先から、笑みを含めたような苛立つ声が聞こえてくると……突然、部屋にあった、テレビ、という家電に電源が入る。

 そこに映し出されたのは……恐らくは、何処か町中の路地裏を上空から映したような映像。

 そこに、一人の少女が、何やら野蛮そうな連中に取り囲まれている光景がありありと投影されたのだ。


「……あれ、は……っ」

『さて。英雄とも呼ばれる偉大なる者が、“自らの事情で巻き込んでしまった”何の罪もない友を、みすみす見殺しにするか?まぁ、お前が頭を下げて懇願するならば、俺の手でお前を離元空間から出してやっても良いんだが?』

「……っ……卑劣な……」

『英雄様は、他人への頭の下げ方を知らないか。だったら、そこで指を咥えて見ていれば良い。お前のこの世界で初めての友が、目の前で乱暴される姿を』

「……っ」


 最早、屈辱の域を越えていた。

 平然と残虐非道な行為を起こす彼と、それを目の前に反抗の声すら上げられない自分が、何よりも憎い。

 感情のままに、叫喚することも出来た。

 心の中に沸き上がる侮蔑の言葉を、乱雑にぶちまけることも出来た。

 しかし。

 それでも、やたらに苦しみ叫んだとしてもどうにもならないと、〔英雄〕の勘が囁く。

 今は、何も出来ない。

 だけど、機会は必ず来る。

 その時を、ただただ冷静に待ち続けるだけだ。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 日陰の明示録によれば。

 『大陸樹』と呼ばれる、壮大かつ平坦に張り巡らされた樹枝の上に、広大な大地を構築する一つの世界がある。その広大さは無限に近いとまで言われており、未だに大地の果てに辿り着いた者は、一人も居ないと言われているらしい。

 ならばそもそも、何故世界の全容が大樹だと判明しているのか……そんな素朴な疑問も浮かんでは来るが、詳細は記されていない。

 トア・ラィド=イザベリングは、その地にある中枢都市エルミナノーグで、『剪定の英雄』と称賛される者たちの内の一人だった。

 王家、貴族、民衆から、分け隔てなく強い信頼を得ており、都市を始めとして辺境の地まで見渡しても、彼女たちのことを知らぬ者は誰一人として居なかったという。


「……これだけ見たら、なんというか……どの学校にも一人は居る、ただの優等生って感じだな」


 大社入り口の巨大な鳥居の上で足を投げ出して座りながら、ROSCの画面に表示された、明示録の記述を見ていると……目の前に浮かぶ白い穴、離元空間を介した投影窓から、多人数の怒号やら嘲笑が聞こえてくる。


『はぁい?女の子一人で何が出来るんですかぁ?』

『ナメてんじゃねぇぞテメェっ!!』

『良いじゃねぇかよ、大人の遊びって奴を楽しませてやろうじゃん?』


 不良というレッテルを貼られてもおかしくはなさそうな、六人の男。

 彼らの真ん中で両膝を付いてガタガタと震える、制服姿の淡い小麦肌少女。

 そして、一人離れた場所で彼らを見据える、トア・ラィド=イザベリング……いいや、今は相輪冬香だろうか。

 不良たちは金属パイプやら、小型ナイフやら、バットやら、物騒な物を持ち合わせているが、トアは完全に丸腰状態だ。

 端からすれば、不良に果敢に向かっていく勇気ある少女のようだが……如何せん、彼女の華奢な体つきでは、呆気なく返り討ちに遭う未来しか見えなかった。


「『英雄』って貫禄は、今のところ感じられないな……」


 さて、かつての世界では『英雄』として称賛されていた彼女が、今ではこの様だ。

 たった一人の男に、まるで奴隷のように主導権を握られ、苦渋に満ちた表情で言いなりになっている。

 『英雄』の名は、彼女には過ぎた称号だったのだろうか。

 なにも武力に優れた者だけが、英雄と成るのではない。知力に優れた者、偉大な発明をした者、新たな文明を切り開いた者……更に言えば、英雄というグループの中に偶々入っていた下っ端程度でも、場合によっては英雄に成り得るものだ。もしかすると彼女もそういった、オマケで英雄になった、口ばかりの英雄という奴なのかも知れない。


「さぁ、どうするつもりだ?」


 手にしたROSCの画面を閉じ、もう一度視線を投影窓に映した時────彼女は既に、不良たちのど真ん中で屈んでいたのだった。






「あ、相輪、さ……っ」


 酷く怯えている。

 暴行でも受けたのか、制服は引き剥がされ、全身は埃で汚れ、目元が腫れているように見えた。

 こんな、下心しかなさそうな男たちに囲まれ、イヤらしい目で乱暴されて……普通の少女ならばトラウマを植え付けられる位に、怖いに決まっているだろう。

 周りを男たちが取り囲んでいるにも構わず、目の前のクラスメイト、鈴木莉乃の頬に手を添えながら優しく声を掛けた。


「もう大丈夫です。今は少しの間、目を瞑って待っていて下さい」

「え、え……っ?」


 そう言って莉乃の目元を手で覆うと、彼女は動揺した様子で怯えた声を漏らす。

 すると、周りを取り囲む男たちの内の誰かが、余裕綽々と手にしたナイフを見せびらかし、その刃先を突き付けようとゆっくり距離を詰めてくる。


「おーいおい、仲睦まじいのは良いけどさ。俺らのこと無視してんじゃねぇぞ?ほれ、見えるか、これ?一刺しで死んじゃうぜ?怖ぇだろ?おぉ?」


 確かに、当たり所が悪かったら、即死だ。

 死ぬとまではいかなくとも、刃物で身体を斬り付けられたら痛いということは、誰もがよく知っている事実。

 故に、それを突き付けられたら誰でも怯え震えるし、わざわざ刃物を手にした者を相手に、素手で立ち向かおうと考えることはないだろう。

 少なくともそれが、“この世界の常識”だ。


「それは、武器ですか?」

「あ?」


 不良たちも、それを理解している。

 理解しているからこそ、他者を制圧し、主導権を握りたいが為に、何よりも手っ取り早い手段を用いているに過ぎない。それを突き付ければ、相手は怯え、何も出来なくなる。銃刀法違反だろうが、犯罪だろうが、自分達には関係ない。要は、凶器を持って脅しつけてしまえば、自分達の勝利なのだから。

 即ち、武器は他者を脅す手段である……彼らの中では、そこで完結する。

 そう、完結せざるを得ない。

 日常的に武器を携帯することを、不道徳的として禁止している世の中では、武器使い同士が戦闘を繰り広げることなんて、夢のまた夢。

 だからこそ、だからこそだ。

 トア・ラィド=イザベリングにとって、この世界の常識は────おままごと以外の何物でもなかった。


「ならば、教えてあげましょう────それを使った他人の本当の殺し方を」

「は?」


 次に、トアの視線が上がった瞬間、“既に事は終わりを告げていた”。

 その華奢な手には、いつの間にか握られていた赤く歪な刀剣。

 彼女がそれをもう一度握り直したと同時に……ボトッ、ボトッ、と水面に物が落ちるような音が、立て続けに計十二回響いた。


 それは────不良たちの『手』。


 一切の躊躇もない十二の斬撃が……手首から先を、無惨に斬り落としていたのだ。


「か……ひっ……あ、あれ、手……俺の、手、手、が……あ、あぁぁぁぁぁぁッ……?」

「あぁ、ごめんなさい。それを握る『手』は、既にあなたたちにはありませんでしたね」


 この赤い刀剣は、武器として使用するには少々バランスが悪い。

 だが、不思議と手に馴染む。

 ならば、この位は造作もない。

 “たかが素人の両手を斬り落とす位のことは、目を瞑っていても出来る”。

 不良たちの手と共に落下する陳腐な武器は、トアの周りを荒々しく舞う。


 だが、そんなことはどうでも良い。


 悲鳴すら挙げられず、唖然と切断された手を見下ろす不良たちの中心点で、莉乃の目を塞いだまま膝を付く彼女は……ただ、『ある一点』を睨み続けていた。






 ナメていたのか、油断していたのか……いいや、冗談ではない。

 否、断じて否だ。

 トアを召喚したその瞬間から、彼女の技量が度を越えていることは理解していた。それも、全て理解した上で、神経を限界まで研ぎらせ、注意深く観察していても……何をしたのか、殆ど分からなかった。


(速過ぎるだろ……っ!?)


 結論から言おう。


 “不良たちの手首は、誰も斬り落とされてはいない”。


 トアが振るった刀剣はただ、不良の手を峰で叩いただけ、だ。

 そこまでは辛うじて認識出来たのだが……この一秒にも満たない時間の中で、クラスメイトの目を塞ぎながらそれを実行するなんて……人間業を軽く超越している。

 ならば、何故一瞬だけでも不良たちの手首が斬り落とされたように見えたのか……もしかしてそれこそが、トアの《汎現》だとでも言うのだろうか。


(参ったな……明示録には、詳しい《汎現》については書かれていないっていうのに……っ)


 英雄という名は飾りか?

 いいや、あまりにも愚かな語弊だ。

 トア・ラィド=イザベリングの戦闘能力は、それだけ見てもまさに超人そのもの。敢えて彼女の存在価値にランク付けするとしたら────彼女の存在は、特A級に匹敵する。

 紛れもない、規格外の化け物、であると認識せざるを得ない。


「……っ!!」


 その時、辛うじて気付いた……いいや、ハッキリと気付かされた。


 ────見られている。


 投影窓越しに、トアが自分のことを真っ直ぐに睨み上げているのだ。

 彼女の強過ぎる気迫が功を奏した、というべきか……その場で半身になった彼女が、回し蹴りで何かを蹴り飛ばすのを認識した。

 直後、嫌な予感が脳裏を過り、反射的に視線を上げる。


 それと同時に。


 突然、目の前に張った半透明の離元空間の壁に、『何か』が凄まじい勢いで衝突した。


「ぐ、ぅ……っ!?」


 錐のように勢いよく回転しながら、破壊不可の壁を貫こうとするのは……不良たちが持っていた、『小型ナイフ』。

 信じられない話だが……ほんの二秒前にトアが蹴り飛ばしたのは、恐らくこれだ。

 この鳥居から彼女のいる裏路地までは、さして離れている訳ではないが、それでも一キロ以上の距離はある。

 その距離をたった一蹴りで……しかも、一切勢いを殺さずにここまで到達させた……とても並みの脚力では考えられない、人間離れした力だ。


「はぁっ、はぁっ……危、な……っ」


 こんな動揺した姿、トアの前では絶対に見せられない。

 目の前で尚も、勢いを無くさず回転し続けるナイフの柄を掴み、思わず息を切らしながら投影窓へと視線を戻す。

 その真ん中で膝を付いていたトアは、何事かを確信した様子で舌打ちをして、クラスメイトの目元から手を離した。クラスメイトは、周りで不良たちのたうち回る光景を見て顔を真っ青にしていたが、トアが背中を擦って促すと、彼女は何度か頭を下げて路地裏から走り去っていく。

 一人死屍累々とした場に残ったトアは、もう一度投影窓越しにこちらを睨み上げながら……こちらへと、真っ直ぐに人差し指を立てた。

 まるで、「次こそは必ず殺す」と宣言しているかのように。



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 クラスメイトの少女に促されて大急ぎで路地裏を抜けると、商店街を横切り、大社前にある巨大な鳥居の下で、息を切らしながら石階段に腰を掛けた。

 ただの願掛けに過ぎないが、この鳥居には霊的な守りが働いていると聞いたことがある為、恐ろしい思いをした時によく逃げ込む場所だったりする。

 先程までの心臓の動悸が収まっていき、胸に手を当てて深呼吸をしてから、落ち着きを取り戻すも……。


 突如、ポケットの中に入れてあった端末が着信音を鳴り響かせた。


 驚愕して再び起こった動悸を抑えるように、何度も自身の胸を上下に擦りながら、端末から聞こえてくる声に耳を傾けた。


「も、もしもし……?う、うん、こっちは無事だよ。うん、大丈夫。言われた通りに、“やられる振りをしていた”訳だけど……うん、そう、それは頑張った甲斐があったかな。冬香さんの戦いぶり、凄かったもんね」


 その会話は誰にも聞かれてはならない……クラスメイトにも、一般人にも、特にあの凛々しく勇敢な少女には絶対に。

 それが、『彼』の命令だ。

 言われたことは忠実に守っている……ならば、こんな時くらいは、自身の中にある欲を口にしても構わないだろう。


「うん、分かった。今からそっちに戻るから……うん、待っててね────愛しているよ、『主様』」


 端末の先に居る人のことを、心の底から想いながら……少女は一人、頬を朱色に染めて、柔らかく微笑みを溢すのだった。


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