1-0 日陰舘一族当主と殺意の英雄
“柄にもないことをしてしまった”と、若干の後悔と焦燥が心の中で渦巻く。
その日、少年は担任の先生から当直の雑用を任され、他のクラスメイトよりも遅れて下校することになった。しかし、学校の正門に差し掛かった辺りで、休み時間に八割方やり終えていた宿題のノートを、机の中に入れっぱなしだったと気付く。
朝早くに登校して残りをやることも出来るが、家庭の事情もあるので中々難しい。
仕方がないので、面倒臭いと溜め息を吐きながらも自分の教室へと向かったのだが……夕暮れの光が差し込む教室の窓際で、二人の男女が向かい合って立っているのを目撃してしまった。
思春期の男女。
人の気配もない、静まり返った放課後。
照明が落ちて、薄暗く静寂な教室で二人きり……なるほど、告白のムードを醸し出すには充分すぎるシチュエーションだと、そう感じた。
だが、何やら様子がおかしい。
女子の方が小さく口を動かし、何事かを喋ったかと思うと────いきなり、男子が女子の小さな身体を机の上に押し倒したのだ。
告白なんていう青臭い雰囲気ではない。
欲望に駆られた獣が、甘い果実を貪り食うように……極めて深刻な性的事案が起ころうとしていた。
思わぬ展開が足を震わせる。
唐突な動揺で固唾を呑む。
最早その瞬間の少年には、落ち着いて考えを巡らせる程の余裕はなかった。
「────“人の彼女に何してんだ”?」
(……俺、何言ってんの……?)
だから、敢えて堂々と教室の扉を開き、歩を進めながら、冷静に考えれば直ぐに嘘だと分かるような馬鹿馬鹿しい嘘を口に、男子へと威嚇のような低い声を発する。
自分で口にしていて少々気恥ずかしいが……男子に対しては充分に効き目があったようだ。
女子の胸元を引き裂こうとした卑猥な両手を慌てて離し、明らかに動揺した顔色を浮かべ、足をもつらせながら教室から走り去ってしまった。
どんな反撃を受けるのかと気持ちを張り詰めていたが、ホッと一息ついてから、机の上でゆっくりと身体を起こした少女に声を掛ける。
「大丈夫か?」
多分、至って普通の呼び掛けだったと思う。
目の前に男子に襲われ掛けていた女子が居て、偶々鉢合わせした身として助け船を出してしまったので、身を案じた言葉を女子投げ掛けて……人として、一般的な道理に従った、さも当然の行為だった筈だ。
そう……“そこまでは”。
そこまでは、あくまで普通の展開だった。
目の前でボタンの外れかけたポロシャツを直さずに、机から跳び降りた女子は……“鋭い目付きで少年を睨み付けた”。
「あなたは────命が惜しくないのですか?」
その瞬間、少年は生まれて初めて、“風を切るような音”を聞いた。
鋭くも儚い一陣の衝撃が何よりも速く、身体をすり抜けて教室内を駆ける。
背後で、棚に花が添えられた花瓶が静かに粉砕する甲高い音を耳にすると……そこでようやく少年は、『赤色の刃物』のような物の切っ先が、自身の首元に当てられていることに気付いた。
それは、目の前の女子が持つ『武器』。
比較的小柄な彼女と同じ背丈ぐらいはあろう、真っ赤な絵具で塗り潰したような長い刀身。特に派手な装飾はなく、一見何も変哲もない片刃のようだが……よく目を凝らして見てみると、形が少々歪だった。
まるで、“両刃の剣を刃先から柄頭まで真っ二つに割いた”ような、左右対称だった剣の片割れ。未完成品というよりも、何らかの事情で半分に割れたジャンク品のようだ。
だが、刀身から発せられる赤く淡い光は、まるで女子の意志をハッキリと反映するように、彼女の瞳を赤に染めている。
ただ、不可解なのは……そもそも今の一瞬で、“彼女が何処からそれを取り出したのか”。
そして、とても助けられた側とは思えない、敵意と殺意むき出しの態度。
明らかに、普通ではない。
一般的な観点で見れば、メンタルヘルスもしくは狂人……そんなフィクション染みた人柄にしか感じられなかった。
「私は、あなたを殺すことに躊躇はしません。いいえ、むしろ、殺したくて、殺したくて、仕方がない……それを分かった上で、『恋人』?よくも、そんな吐き気をもよおす詭弁を吐くことが出来るものですね────『日陰舘雅人』」
その時、少年は……日陰舘雅人は痛感した。
柄にもないことをしてしまった、と。
下手に関わるべきではなかった、と。
いいや、違う。
つまりは、こういうことだ────“最初からこうなることは分かっていたのに、わざわざ火に油を注ぐような行為をすべきではなかった”、と。
だからこそ。
雅人は歪な剣を突き付けられながらも、目の前の女子に向かってこんな言葉を返した。
あくまでも、冷徹な面持ちで。
あくまでも、威圧的な口調で。
まるで、世界を支配する魔王であるかのように。
「助けてもらっておいて、随分な言い草じゃないか、相輪冬香。いいや────異世界の英雄、『トア・ラィド=イザベリング』」
関係の改善は、一向に兆しが見えない。
当然だろう、そもそも両者は互いに寄り添うつもりは皆無なのだから。
恨み、恨まれ、殺意を込めて相手を睨み付ける時以外は、決して顔を合わせることもない。いいや、きっと合わせたくもないのだろう。二人の関係は、そんな歪な事情の元に樹立している。
ふと思い返せば、今日で丸三日が経っていた。
彼女が……トア・ラィド=イザベリングが────この世界に『異世界召喚』を果たしてから。




