1-15 開戦の狼煙
『果々』とは、大陸樹の守護者であるベリュジードが産み落とした果実の具現体。
大陸樹の均衡と秩序を守る為に、世界そのものを改変出来るだけの力を保持しておく必要があった……人間では到底身に付けることが叶わない程の強大な力を。
言うなれば、彼女らは人間ではなく、“力そのものが人間の形を成した物”。
まさに、世界を構成する成分とも呼べる存在であり、世界存続の為には無くてはならない物。
それらを彼らは……。
『至宝』と呼んでいるらしい。
だとすると。
埃が求めている『代行者』とは……『至宝』と呼ばれる強大な力なくては顕現させることが出来ない程に、稀有かつ極大的な存在である、ということだ。
神や悪魔をも高次元から見下ろす『世界意志』……それを圧倒的な制圧力と存在感で消し去った『埃』……それが世界一つを犠牲にしてでも召喚しようとする『そいつ』……。
この大陸樹で生きる身として、均衡と秩序を守る『果々』として、何よりトアやヨウの親友として、絶対にその愚行を許してはならない。
それは分かっている。
分かっているのだが……もう、この世界は、後戻り出来ない所まで埃に染まっている。
ならば、いっそのこと……。
(わたくしが、ここで自害してしまえば……ッ!)
仮にも一国を担う存在としては、最低最悪の手段であることは理解している。
だが、どうせ消されてしまうだけの運命ならば……。
────せめて、彼らも道連れに……。
そこまで考えた所で、まるで心を読まれたかのように。
突如、髪を鷲掴みにした手で地面に顔面を叩き付けられてしまった。
「埃(僕)が相手じゃ無理だって言っているだろう?」
「ぶッ、うっ!?」
「いつまでもお喋りに付き合っているつもりはないからね。そんなにも力を差し出すのが嫌なのならば────僕がやってあげるよ」
軽く掲げられたタツミの手がパキパキッと関節を鳴らすと、一切の躊躇もなく背中に振り下ろされる。
直後、背中を叩いたと思った手のひらが────まるで泥に埋まるように、“身体の内部へ沈んだ”。
「い、ぎぃっ!?」
「ほら言わんこっちゃない。安楽のまま消えることを拒んだ君が悪いんだよ、マリドナ。こうして無理矢理、器の抵抗力を奪って力を摘出するしか他に方法が無くなっちゃったんだから。九割位の確率で死ぬかも知れないけれど、まぁ仕方がないよね?」
「あッぎァァぁぁぁぁッ!!や、だ……ッ!!なか、かき混ぜないで……ッ!!ひ、ぃぎぃッ!?あ、ぁ、ぁ、ぁ、あああァァァァァァァァァァァァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
何をされているのか分からない。
ただ、身体の内部に手を突っ込まれて、内臓や肉を乱暴にかき混ぜられているかのようだ。
グチャグチャッ、という音が身体の中から聞こえてくる。
凄まじいまでの違和感と激痛が、一瞬たりとも休みを与えずに襲いかかってくる。
気絶することも、悲鳴を抑えることも許されない。
このままでは……死ぬ……殺される……死ぬ、殺される死ぬ殺される死ぬ殺される死ぬ殺される死ぬ殺される死ぬ殺される死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……。
「あぁ、そうだ。かつての仲間のよしみとして教えておいてあげるよ、マリドナ」
ヴーズダットが笑いながら言うと……。
唐突に異様な熱を感じたと思ったら、彼の背後で勢いよく火の粉が舞い上がり、全長二メートルは越す人型の炎が出現した。
微かなそよ風で左右に揺らぐそいつは、不気味な笑い声を漏らしながら、上体を折るようにしてこちらを見下ろしている。
『エヘッ、エヘヘッ』
(被服屋で、火事を起こした……ッ!)
その正体は……測れない。
やはり、というべきか。つまりは、“本来ならばこの大陸樹に居る筈がない存在”……その事実を指し示していた。
「こっちに居る炎の〔精霊〕は、僕が異世界から召喚した『フィーネス』という奴でね。こいつが扱う《汎現》は通常の炎とは異なって、《滅却の炎》と呼ばれているんだ」
「あ……ッ……が……ァ……ッ?」
叫び過ぎたせいか、もしくは身体の中を掻き回された影響か……声を出そうと思っても、思うように出すことが出来ない。言葉が、喉の一歩手前で詰まっているような感覚だ。
耳元で囁かれる落ち着き払った優しげな言葉に、薄れ掛けた意識の中で、半ば反射的に彼の方へと意識を向ける。
やはり、この人型の炎は大陸樹で生まれたモノではなく……異世界の存在だったのか。
「特性は、存在の滅却。肉体は当然のこと、その者の精神や記憶までをも焼き尽くす。つまり、彼女の炎に見舞われた者は、誰の記憶にも残されず、存在そのものが完全に滅却されてしまう、ということさ」
『エヘッ、ヒヒッ、ヒヒヒヒィッ!』
「さて、ここで質問だ。マリドナ、君は────君の味方に付いていた有志の者が、トア、ヨウ、僕、その他に何人居たのか、覚えているかい?」
「………………ぁ……え……?」
突如投げ掛けられた問い掛けに、思わず思考が停止する。
そんなもの忘れる訳がないではないか……そんなもの、忘れる、訳が……忘れる、わけ、が………………。
「王家復興の為には、それに見合うだけの人手が必要だ。僕らが君を王位に就かせる為に繰り広げて来た戦いの中で、一体、何百、何千……いいや、何万人位の味方を付けて来たっけ。そして────彼らは今、何処へ行ってしまったんだろうね?」
「……ま…………ざ……が……っ!」
彼の言葉と、その傍らで踊るように揺らぐ炎を目の当たりにして、直感する……いいや、直感“してしまった”。
何があっても、決して忘れてはならなかった、極めて残酷な真実を。今までに、どれだけ多くの犠牲者の存在が────この〔精霊〕に燃やし尽くされてきたのか、を。
言葉にならない凄まじい感情が胸の中で渦巻き……気付けば、目元から涙が溢れ落ちた。
とてつもないまでの、罪悪感と悔恨の念。
その感情の浸出は、辛うじて繋ぎ止めていた心を、無残にへし折った。
「くふっ、ふふふっ、ふふふふふふふふふッ……あ~……ありがとう、マリドナ。最後に傑作な反応を聞けて、僕は大満足だよ」
「ふっ……ぅ……ぅっ……うぅぅぅぅ……ッ……ひど、いッ……ごんッ、な……ひどッ、ずッ……ぎる……ッ」
「さぁて、遊びは終わりっ、これで仕上げだ。〔精霊〕。君の《炎》で、彼女の記憶を屠ってあげな?」
『エヘッ、エヘヘヘッ』
楽しそうに、嘲けるように、癪に障る笑い声を上げる〔精霊〕が、自身の身体を構成する炎の勢いを強めた。
それが近付けば近付いて来る程に、思考は鈍り、身体の抵抗力が奪われていく。
まるで、自分の意識が、自分の身体から引き剥がされているかのように。
(ダメ……もう……ッ)
この事変を解決出来るかも分からない上に、それを乗り越えたとしても……これだけの犠牲で築き上げられた平和を、こんな無責任な自分には率いていく資格はない。
もう、駄目だ……。
どうすることも出来ない。
彼の言う通り……自分という存在にも、この世界にも……希望は、何処にも…………。
《真器》顕現────《焔は業を忘却す》。
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ベリュジードの空間から抜け出した先は、最後にマリドナの手で飛ばされた、被服屋の焼け跡。鎮火したばかりなのか、黒煙があちこちから立ち上がっていたが、肝心のマリドナたちの姿は何処にも見当たらなかった。
そして、本来ならば共に居た筈のトアの姿も。
そこで一度大きく呼吸をして心を落ち着かせると、虚空に向かって『彼女』へと呼び掛ける。
「ゆち、居るんだろう?」
すると、最初から息を潜めるつもりもないのか、忽然と、背後から忍び寄るように〔幽霊〕が一人、ぬらりくらりと姿を現した。
リノリスをこの再現世界に侵入させた張本人であり、そして、恐らくはマリドナに奮起を促した人物……日野原ゆち、だ。
「これはこれは。よぉやく、ってか?随分と遅い幕開けじゃねぇか」
「悪いが、文句は後で聞く。手、貸してくれるな?」
ROSCの所持により全体像がハッキリと見えるゆちは、一度肩を竦めてから、あまり乗り気ではない心情を示唆していた。
「格好ぉ付けたところに水を差すよぉであれだけどなぁ、あんさんの無謀な強がりに付き合うつもりは無ぇぜ。オレとあんさんだけじゃぁ、どう足掻いてもあちらさんの戦力には敵わねぇ」
「協力するつもりはない……そういうことか?」
「トア=ラィドのこともあんだろ。あそこに居たのは、ディアと、トア=ラィドの精神体のみ。今現在、奴の本物の肉体が何処にあるのか……皆目見当も付かねぇ以上ぉ、助けるも何も無ぇと思うがねぇ」
つまり、トア=ラィド・イザベリングは……。
────“最初から何処にも居なかった”。
話によると、不永合現象により断たれた二つの精神は常に通じ合っている為、トアの精神だけは本物だった筈だ。
しかしながら、あの時、フィーネスとして召喚されたのは、不永合現象により誕生した、『ディア』の方だったということになるだろう。
当初、彼女は自らでトアのふりをして、召喚された時点ではトアとして振る舞っていた。
彼女が行動を起こしたのは、ROSCの力で分解された瞬間のことだ。
自身が明示録の手で召喚されることでヴーズダットの襲撃が起こるのを予測していた彼女は、分解されたと同時にトアの精神体を作成し、自らは正体を隠して彼らに接触。
ヴーズダットが本格的に世界を埃に染め上げようと動き出した瞬間に、ROSCの『再現機能』を発動させ、ヴーズダットごと再現世界へと飛ばした。
全ては────自らの手でヴーズダットを出し抜いた末に、トア=ラィド・イザベリングを救う為に。
さて、ここからが真の本題だ。
明示録から召喚されたのがディアだったことから、恐らく、世界滅亡時に『剪定の英雄』となったのは……良心ではなく、暴走した概念の方だったと考えられる。
その寸前、もしも『剪定の英雄』が生まれた瞬間に、不永合現象が起こったのだとしたら────肝心の、良心は、一体何処へ行ってしまったのだろうか。
そこまで考えれば、このロジックをこう予測付けることが出来る。
トア=ラィド・イザベリングの肉体は……。
────今現在も、“何処かに隠されている”のではないか、と。
ディアは何としてでもそれを探し出す必要があった……その肉体こそが、ヴーズダットに対抗することが出来る、『最後の手段』だったからだ。
さすれば、最後の問題となるのは……『トア=ラィド・イザベリングの隠し場所』。
この世界の住人でも、ディアでも、見つけることが出来なかった場所であるが……。
「……いいや、それなら心配は要らない。そちらも、ある程度の目星は付いている。そうだな?」
実は、こちらは既に“その手掛かりを掴んでいる”。
自分の服の衿を指先で引っ張り、その中に密かに潜んでいた『ある者』と問い掛けた。
するとその中から、今や見慣れた小さな毛むくじゃらの小動物が顔だけを出し、衿に顎を落ち着かせて無邪気な鳴き声を上げる。
「ぷぅっ!」
「へぇ、こりゃ驚いた……なるほどなぁ。あんさん、“ヤられたフリをしていた”って訳かぁ?」
「リノリス=トラントは俺の優秀な付き人だ。侮って貰っては困る」
「ぷっ、ぷぅ……っ」
目の前でキョロキョロと辺りを見渡すリノリスの頭を指先で撫でると、彼女は目蓋を開閉しながら眠たそうに声を漏らす。
このリラックス具合に一抹の不安を覚えるものの、少なくとも現時点において、埃に抵抗出来るだけの戦力にはなってくれるだろう。
すると、少しの間、リノリスの姿をジッと見ながら腕を組んでいたゆちが、短く息を吐いてから人差し指を立てた。
「……手を貸すのは一回きり、それでも構わねぇか?」
「一回で済ませたいのならば、そこに文字通り全身全霊を注いで貰おうか」
「くくっ、言ってくれやがる。んで?オレは一体何をすりゃ良いってんだ?」
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保護者、という訳ではないが……『前任者』の日陰舘沙世子から彼に当主の座が移った時から、気付けば、その動向を幽霊らしく離れた所から見守っていた。
別に義務がある訳でもないし、制約等に縛られて仕方がなくという訳でもない。
ただ、前任者の彼女が、何故、日陰舘雅人という人物を後継者に選んだのか……その真意を知りたかった。
彼女と彼、それを別の言葉で言い換えると、天才と凡才。二つの存在価値には、天地の差があったのは間違いない。一般的感性では、とてもではないが、彼女の後継者に彼は相応しくない……そう疑っても仕方がない程に。
だが。
不思議なことにそんな考えには及ばず、むしろ、簡単に理解することが出来た。確かに、彼女と彼は決定的に違うが……一寸も変わりがない程の、同じ人間性を持っている。
それは────。
「“自己犠牲”……〔精霊〕よ、あんさんは出来るかい?存在自体が希薄なフィーネスの為に、自分の命を犠牲にすることが」
『エヘ……?』
炎の〔精霊〕の背後に現れ立ち、少しばかり視線を上げながら、まるで世間話を交わすように自然な口調で問い掛ける。
「『護る』ことじゃねぇ、『捨てる』ことだぜ?少なくとも、オレには出来ねぇ……オレたちフィーネスには絶対ぇに出来ねぇことを、あいつらは当然のようにやりやがる」
人は、成長すれば成長する程に、知的であれば知的である程に、『犠牲』の精神から脱却していく。自らを犠牲にすること程に、愚かで無益な行為は無いからだ。
親が子を護れるのは当然のことだ。強者が弱者を庇えるのは当然のことだ。だが、彼らがやっていることは、そんな当然の延長線などではなかった。どんなに理不尽だろうが、不条理だろうが、自分の労力を、時間を、命を、他者の為だけに犠牲にするのは、簡単に出来ることじゃない。
「だから、その『犠牲』に釣り合うだけの『信頼』を……オレ達、フィーネスは、『主』へと返す」
『……ッ!!』
〔精霊〕が大きな炎を翻し、うねりを上げながら襲い掛かってきた。
その猛々しくも暑苦しい光景を見上げながら、呑気に自分を手のひらで扇いでいると……脳裏に、彼から受けた命令が駆けていく。
彼の要請は、一つだけだった。
通常の方法で退けることが極めて難しいのは、埃が召喚した〔精霊〕だ。
そいつに対抗出来るのは、類似属性の〔幽霊〕である者しかいない。
方法は問わない。
だが、確実にその手で〔精霊〕を打ち砕き────開戦の狼煙を上げろ。
「任せときなぁ、当主様よぉ。《真器》顕現────《揺々の霊輿》」
ニタァッと、大きく口角を上げて笑い、両腕を横に広げてから……一拍手。
パァンッ、と一発の鋭い破裂音と共に、〔精霊〕の動きも、炎の揺らぎも、一瞬だけ時が止まる。
『……!?』
「これは、呼び声よぉ。幽冥の更に深淵より至る霊気を、この地上に呼び寄せる為のなぁ」
『エヘッ……ヒヒャァァァァァッ!!』
こちらの言葉で我に返ったのか、再び炎を燃え上がらせた〔精霊〕は、雄叫びを上げて歩を進めようとした、が……。
────最早、動くことは叶わない。
そいつの足元から生えてくる、無数の霊気を帯びた白く干からびたような『手』が、次々と炎に掴み掛かっていたからだ。
霊気を帯びた手は死の温度よりも冷たい。
その手に触れた者は無意識の内に生を忘れ、もたらされる死の中へ強制的に身を投じることとなる。
そして、無数の手に見舞われた〔精霊〕は────霊気の中で、完全に凍結していた。
『エ、ヘ……ヘ、ヒ……へへ、ヘヒ……ヒヒッ、ヒッ、ヒッ……ヒッ……ヒィッ……!』
「“怯えてんなぁ”?そんなに怖いってんなら、付き合ってやんよ」
閉じた両の手のひらを花びらのように開いてから、朽ち落ちるように下へ振り下ろす。
直後。
目の前の〔精霊〕が閉じ込められた氷塊が、勢いよく粉砕した。
「────地獄の、その更に奥の奥までなぁ」
砕け散った後には、炎も〔精霊〕の姿も跡形も無く消え去る。
飛び散った極小な破片は、視界を覆い隠す程の深い霧となって辺りに漂っていた。
そこへ、背後から歩み寄ってきた人物、日陰舘雅人が隣に立って腕を組む。
「盛大な狼煙だな、ゆち」
その身は、日陰舘一族の紋所である『月下美人』を背負った黒色の羽織で包まれており、一人の支配者としてこの場に立っている決意を物語っていた。
「さぁて、当主様よぉ。望み通りに先陣は切った。オレの役目はここまでだ。さっきので《潜質》を使い果たしちまったからなぁ」
「あぁ、お前に頼んで正解だった」
「止せやい、照れるじゃねぇか」
「生きて戻れたら、またお礼をさせてもらう。それまで、現世(向こう)で待っていてくれ」
冗談を言うような場でもなければ、世間話を交わすような状況でもない。雅人は一度もこちらを振り向くこともなく、霧の向こう側へと歩み去ろうとする。
これを抜けたら最後、残されている道は二つだけ。
勝利を勝ち取って帰還するか、敗北を喫して永久に帰らぬ人となるか……そのどちらかしかない。
だから。
半ば慌てて彼の背中へと声を投げ掛ける。
今生において、最後になるかもしれない言葉を。
「当主様。絶対ぇに、帰ってこいよ。あんさんとはまだ、酒だって酌み交わしてねぇんだからな」
「未成年だって言っているだろうが。だが、その時が来たら必ず相手になる……それは、約束しておこう」
「……!」
前に彼は、自分は前当主にはなれない、と語っていた。
だが、そうやって向かうべき方向へと立ちながらも、ちゃんとこちらを見て語ってくれる姿は……『彼女』と重なって見えた。
肩越しにこちらに視線を送る彼は、少しばかりの笑みを浮かべてそう答えてから……霧の奥へと消えてしまった。
一人残された自分は、自身の胸に手を当てながら、幽霊らしく人知れず願う。
(約束、か……だったら頼むぜ?もう、それが目の前で破られんのは、御免だからなぁ…………って、何を願ってんだ、オレは?ククッ、全く……“らしくねぇ”や)
懸念を抱きながらも、何処か満足感に近い感情に包まれている。
一体、誰に感化されてしまったのか。
そんな幽霊らしくもない直感に思わず笑みを溢すと、力を使い果たした反動か、次第に身体が光の塵に包まれていく。
だが今は、それすらも心地が良い。
霧の向こう側で、彼が霧を振り払うと同時に……日野原ゆちは、この再現世界から完全に消滅するのだった。
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これが、最後の記憶。
離元空間で交わした、日陰舘雅人と日陰舘辰巳の最後の対談。
「それは……何のつもりだ?」
その場で跪いた日陰舘辰巳は、自身の額を下に擦り付けるようにして、土下座。
彼の様子を見て、何となく直感する。
きっと、彼が密かに自分の目の前に現れたのは……今から口にする言葉を伝えたかったから、なのだろう、と。
だから、少し歯痒い思いを堪えながらも、敢えて起こそうとはせず、静かに彼の言葉を待った。
「いつしか……僕にとっての大陸樹は、ただの異世界じゃなくなったんだ……何よりも、大切な繋がりが出来てしまった、第二の故郷みたいなものだから……」
「故郷……守りたいモノ、か……」
無念だったに違いない。
不永合現象により、ヴーズダットにその身と精神を喰われ、大切な故郷が滅んでいく様を、ただただ眺めていることしか出来なかったのだから。
しかし、こうして自らの意志を伝える手段を得られた今、懇願することも出来た筈だ。
助けてくれ、と
共に戦ってくれ、と。
そんな中で彼が、タツミが口にした言葉は……。
「許してくれとは言わない……助けてくれとは言わない……僕の心の拠り所となってくれた彼女が、“命を懸けてでも守ろうとした”、この世界を……僕も守りたい……だから、頼む……ッ」
その時、痛感した。
羨ましいとか、妬ましいとか、そんな感情ではないけれど……覚悟も、信念も、少なくとも、自身の生涯を全て懸けたとしても……自分のちっぽけな物に比べたら、今の彼には到底及ばない。
命を尊び、他者を思い遣り、死を恐れる人間だからこそ……彼の、自らの存在を懸けた力は、無類の強さを誇る。
「最早救いようもない、日陰舘一族としての僕を……日陰舘辰巳を────その手で、殺してくれ……ッ!」
彼は指し示した、ヴーズダットとしての贖罪の在処を。
ならば、それがどれだけ非人道的であろうとも、倫理から逸脱した行為であろうとも……応える他にない。
人間としても、日陰舘一族としても、一つの人生の答えを見せ付けてくれた彼に、精一杯の敬意を込めて。
────尊敬するよ、あんたのこと。




