1-14 絶望、転じて
ようやく理解した。
これまでずっとトアを精神的に追い詰めていたのは、世界意志や、埃……運命をも動かす支配者の手によるモノだった、ということが。
だが、そもそもの次元が違い過ぎる。
学生間のイジメの主犯格や、とある事件の犯人を見つけ出すこととは圧倒的に異なり、推理と発見の先にあるのは……絶対的強者から成る、絶対的絶望。
きっとそれは、決して人が見つけ出してはならない……いいや、決して人が到達してはならない高次元領域……その一歩手前に、今自分は立っている。
「さてと。お兄ちゃん、この世界は『埃』に明け渡すつもりだし、用が済んだらさっさと出ていってくれるかな?」
(はぁ……っ!?)
ベリュジードが大陸樹の方へ歩み寄りながらアッサリと言い放った、あまりにも無責任な言葉に、思わず耳を疑って顔を強張らせた。
「明け渡す……?ちょっと待て、ベリュジード。お前は、この世界を見捨てるつもりか?」
「『埃』がここまで厄介な存在だとは思わなかったからね。それに、ここは『再現世界』。滅亡する未来のが分かっていて抗うのは愚の骨頂でしょ」
「お前……っ」
「辞めとけよ、日陰舘」
説得しても無駄だ、と諭すような表情でディアがこちらへと視線を送ってきた。
実際、ベリュジードの言う通りに、この結末が決定付けられている『再現世界』で、どれだけ足掻いてみせようが、現世で何かが変わる訳ではない。
過去と未来の時間軸を行き来している訳ではなく、ここは、精巧なプラモデル等が並んだジオラマ空間のような場所に過ぎないのだから。
そこで仮に『埃』をどうにか出来た所で、結局は何も変わるわけでは………………。
(……ん?あれ?ちょっと、待てよ……?)
ふと、頭の中で何かが引っ掛かる。
それは、偶然としか言いようがない、突拍子もない“ある一つ”の発想だった。
何も見えない真っ暗闇の中へ、何も考えずに手を伸ばしてみたら、偶々、奇跡的に掴んでしまったような……理論も理屈も無い、完全なる偶然の賜物。
つまりはこういうことだ。
────『可能性』は、まだ全て出し尽くされてはいないのではないか、と。
思考が呼び起こすのは、記憶。
記憶が産み出すのは、紛れもなく、たった一つだけの真実だった。
(そんなことはドウデも良イ……ッ!!)
────良心と概念。
(“人の為”の英雄にも成る……それを証明する為に、私たちは戦っているんです……っ!)
────フィーネス。
(良かったら、覚えておいて欲しいっしょ)
────現世と再現世界。
(最後の最後まで自分勝手なことしか出来ないわたくしを、許して下さい……ッ)
────明示録。
(────頼む)
────不永合現象。
(……ま、さか……そうだ、そういうことか……っ!もしも、日陰舘辰巳の言うことが正しいのだとしたら……っ!)
大して才も無い自分程度の、稚拙なロジックの結論でしかないが……今まで、現世と再現世界で見てきたことや感じたこと……一見、幾多の偶然が積み重なって起きた事象だと思っていた。
だが。
そこに、ある一つのピースを組み込むことで、この物語は、もう一つの背景を描き始める。
自分は本来ならば、“少なくとも『二度』は会っている筈の人物と、たった『一度』しか会っていないことになる”のだ。
そう……“あの人物”と。
その推測が正しいのだとしたら……少なくともこの大陸樹が持つ、“運命を打ち砕ける”だけの可能性は────まだ、潰えてはいない。
「ベリュジード。一つ、提案させて貰っても構わないか?」
「……あのさぁ、お兄ちゃん。ただの人間の分際で、私に提案するの?いい加減に────身の程を弁えろよ?」
次の瞬間。
ベリュジードの表情が一気に凍り付いたと思いきや……。
突然、彼女はその小さな手のひらで、大陸樹の幹を叩く。
支配者が片手一つで起こした強烈な衝撃は、幾多の生命が生きる大陸樹全体を、大きく揺るがした。
まるで痙攣しているかのように、大陸樹は枝木をざわめき立て続ける。
その震動は最早、断末魔に近い。
故に、直ぐに理解した。
この支配者は、今ここで────大陸樹をへし折るつもりだと。
「……っ!」
「おッ、いッ……!!」
それに最も大きな反応を示したのは、ベリュジードの傍らに立っていたディアだった。
彼女がやっとのことで絞り出したような、呻きに近い制止の声が微かに聞こえてくると……ベリュジードは相変わらずの凍てつく顔付きで、こちらを睨み付けてくる。
「離元空間も使えない、大陸樹をへし折ろうとする私を止めることも出来ない……そんな無力なお兄ちゃんが、私をも世界から退けた『埃』を相手に何が出来るって言うの?答えてみなよ、答えられるもんならね」
「……」
今、この瞬間においては────“何も出来ない”、が正解だ。
ベリュジードの言葉は、何一つ間違ってはいない。離元空間が無ければ、自分にはベリュジードは止められないし、『埃』に対抗することも出来ない。その事実から目を逸らして、自分なら何でも出来る等と、うそぶくつもりもない。
ただ、それはとうの昔から分かっていたことだ……少なくとも、トアを召喚するよりも前から。
つまり。
もし、仮に、自分が何か大きな事を豪語する時は────その言葉の先に、“覆しようがない絶対的な自信がある時だけ”、だ。
「……ベリュジード。お前、さっきこう言ったな。『どうせこの世界は埃に明け渡すつもり』、と」
「言ったね。だけど、質問の答えになってないよね……もしかして、おちょくってる?」
「つまりその時点でお前は、この世界の支配権を放棄する、ということだ。だったら、その権利を誰が主張しようが構わない、と認識しても良いんだな?例えば、それが────“俺”、だったとしても」
「……はぁっ!?」
(まぁ、そう反応するよな、普通……)
ディアが信じられないと言いたげに驚愕の声を上げる。
一方的、ベリュジードは数秒間の沈黙の後、大陸樹から手を離してから不気味な程に冷徹な口調でこう返してきたが……。
「……ねぇ、お兄ちゃん。今、自分がどれだけ馬鹿げた戯れ言を口に……」
「無理だとか、不可能だとか、そんな台詞は聞き飽きた」
「……!」
即座に、いつもと同じ言葉を叩き返す。
無理、不可能、諦め……当初は何度も何度も打ちひしがれてきた言葉は……いつしか自らを奮い立たせる言葉になっていた。
だから、手を前にかざして呼び掛ける。
神に取って代わって世界の支配権を担い、運命をこの手で打ち倒す為に。
「誰も出来ないことでも、その先に進むだけの意味があるなら進まなくちゃならない。それでも、誰もやろうとしないのなら────俺がやってやる」
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幾つもの可能性、幾つもの道筋。
どれだけの策を練っても、何度も考えを巡らせても、想像の中で最終的に辿り着くのは……いつも決まった景色。
少し色が淀んだ雪が降り積もる、枯れ木の根本で足を投げ出して腰を下ろし、力無く項垂れている。
ただ……それは、雪ではなかった。
吹けば飛び散るような軽い物体で、白というよりは灰色の────そう、『埃』だ。
滅亡が目の前にまで迫ったこの世界は、まるで雪が降り積もったように全てが『埃』で埋め尽くされており、視界全体が灰色に染まり切っていた。
そこでトア(ディア)は、何度も何度も────『そいつ』に殺される。
仮に英雄たちが集結したとしても、仮にベリュジードを退いたとしても……『埃』と『そいつ』は、必ず世界の終焉を連れてやって来る。
勝つ兆しが見つからなかった……何度考えても、何度何度考えても、何度何度何度考えても……。
だけど、諦め切れなかった。
例え再現世界の偽物の出来事だとしても、例え誰からも見放されたとしても、例え自らの身が虚無へ消えようとしても……このまま、何も出来ないまま終わるのだけは、絶対に嫌だったから。
(あぁ、駄目だ……やっぱり、駄目だ……もう、無理だって、こんなの……)
『異世界召喚』、『フィーネスの器』、『〔英雄〕の属性』……これだけの戦力を持ってしても、『そいつ』に届くにはまだ足りない。
せめて、あと一つ……『埃』と同等、もしくはそれ以上の、決定的な強さが……。
そんなことを考えている内に、全身が埃で覆われた『そいつ』は、手にした矛のようなモノを掲げた。
そうやって、矛が振り下ろされた瞬間……また、成す術なく、トア(ディア)は殺される………………。
「────まだ、諦めるな」
だが、今回は違った。
それは、トア(ディア)の力ではない……目の前に立ち塞がった人物の手によって、敗北をもたらす矛は止められる。
敗北を覆した訳ではない……しかし、そのほんの一拍だけの違いは紛れもなく、終焉の結末に拍車を掛けた。
そう────“結末を変えるだけ機会を、トア(ディア)に与えてくれた”のだ。
「日陰舘、雅人……ッ」
思えば、最初に彼と死闘を繰り広げた時から、ずっと胸に引っ掛かっていた。彼の存在は、同じ支配者であるベリュジードと比べて、希薄な一面がある、と。
「〔英雄〕として、俺を殺すのではなかったのか?それを成し遂げようともせず、こんな場所で諦めるのは……この俺が許しはしない」
ならば、彼の希薄な一面とは何を指しているのか……一体、何をその目で捉えながら行動しているのか……。
それを見定めるべく、不永合現象により産まれたディアという人格は……明示録によって召喚されてからずっと、“トアのフリをしながら”、彼の正体を探っていたのだ。
「……だったら、お前は……出来るのかよ……?」
「何がだ?」
「英雄でも、神でも成し得なかったことを……運命を打ち倒すことを……この世界の消滅を防ぐことを────お前ならッ、私を守ってやれるってのかよ!?」
これが、最初で最後だ。
大陸樹が滅亡し、明示録の中で留まり始めてから今までずっと、トアという認識を“守り続けてきた”、最後の砦としての問い掛け。
誰に託したところで。
誰に願ったところで。
最早、救済の道なんて何処にも残されていないのに。
だが……だが……だが…………。
「それは、お前次第だ」
「なに……?」
「お前がもう一度奮起し、立ち上がるだけの覚悟があるのならば……俺は、良心も、概念も、悩みも、苦しみも、覚悟も、全て引っ括めて────必ず、お前を守ってみせる」
「……ッ!!」
今なら断言出来る────間違いでは、なかった。
確かに、彼はROCSがなければ自分一人では何も出来ない弱者なのかも知れない。
支配者の器には程遠い、不相応な人物に過ぎないのかも知れない。
「だから、立て。だから、諦めるな。その信念がある限り、何度でも立ち上がってみせろ。そして……」
だがらこそ、だ。
ベリュジードやヴーズダットとは、明らかに違う。
そんな強さも威厳も乏しく、弱さの中を必死に足掻いてきた彼だからこそ。
『良心』という名の人間と、『概念』という名の怪物……双方を理解し、それを受け入れることが出来るのは、彼しか────日陰舘雅人しか、有り得ない。
「それを乗り越えた先で────俺を、殺しに来い」
その時、トア(ディア)の胸の中心辺りに、仄かな光が灯る。
光は揺らぎながらも、トア(ディア)の元から迷いもなく彼の元へと飛来していき、彼がそれを手に取ると……その手には、ROSCが握られていた。
彼はそれをしっかり握ってきびすを返すと、何もない空間を前に、薙ぎ払うような動作で腕を横に振るう。
すると、硝子を破る甲高い音が猛烈に響いたと思ったら……その目の前に、無理矢理こじ開けたような黒い空間が出現。
そして、一度肩越しに振り返った彼は、決意めいた言葉を言い放ってから、その先へ足を踏み出していくのだった。
「さぁ、今こそ────溜まるに溜まった埃から、この大陸樹を取り返す時だ」
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
自分とディアは全く別の人格とは言えども、実際は一心同体。
二つが見ている景色と感じている心情はある程度共有しており、当然、先程までディアが見ていたビジョンも、しっかりと自分の中にまで届いていた。
「………………」
「いつまでそうしているつもりなの、お姉ちゃん」
その一部始終を三角座りで膝に顔を埋めて聞いていた自分の元へ、ベリュジードが大陸樹に手を沿えながら声を掛けてきた。
「ベリュジード……あの人は、行ってしまいましたか……?」
「まさか、ROSCをディアお姉ちゃんの身体に隠し持っておいたなんて……あれにはそんな機能もあったんだね。どちらにせよ、やられたよ。大陸樹の支配権はバッチリ持ってかれちゃった」
「そう、ですか……」
「まっ、どれだけ足掻いても、どれだけ強がったところで、勝てるわけがないけれどね。相手は、私の支配をも塗り替えた影響力を持つ、正真正銘の化け物なんだから……って、お姉ちゃん……?」
「ベリュ、ジード……?」
突然、少し驚いた様子で顔を覗き込んできたベリュジードに気付いて、少しだけ顔を上げた。
彼女は目の前で膝を着き、何処か戸惑いがちにこちらの頬に手を伸ばすと、親指で目元辺りを軽く拭う。
「もしかして…………“泣いているの”……?」
そこで、初めて気付いた。
目元が火でも付いたように熱く……視界全体が潤んでいるように揺らいでいる、と。
「……え……あ、れ……なんで……?おかしい、ですね……彼は、私の敵なのに……こんな、こと……」
「……」
「……ずっと、心を押し殺して生きてきた……人々の望むがままに、〔英雄〕として振る舞ってきた……過ぎた思想は間違っていると、頭の中で分かっていても……」
少なくとも、支配者であるベリュジードの前で口にするような言葉ではない。
だけど、何も考えられなかった。
気遣いとか、遠慮とか、そんなことをしていられる余裕がなかった。
今まで固く閉ざしてきた心の奥底から止めどなく、感情の波が、言葉となって、次々と湧き出てきてしまう。
「苦しかった……痛かった……でも、私がそれを口にしたら、全部が無駄になってしまうって、分かっていたから……誰にも言えなくて……誰にも相談出来なくて……それが、当然だって思い込んでいて……だけど、だけど……概念も良心も、全部引っくるめて……“守る”なんて……初めて、言われたから……っ」
(なに言っているの、私……これ以上は、駄目……ダメ、なのに……どうして……どうして、止まらないの……ッ)
「……だったらお姉ちゃん。お姉ちゃんは、何を望むの?勝率は限りなく低く、助かる可能性はゼロにも等しい。そんな状況で、無謀にも世界救済に挑もうとする愚か者のお兄ちゃんに……お姉ちゃんは、何をしてもらいたいの?」
「…………一緒に、戦いたい……っ」
「一緒に……?」
もう、どうしようもなかった。
目元から大粒の涙が次々と溢れ落ち、爆発した感情が何度も何度も自分の心を打ち付ける。
我慢しなくても良いんだよ……。
言いたいことを言っても良いんだよ……。
だって……お前はもう、一人じゃないんだから……。
遠回しにも、そう言ってくれた彼の言葉が、どうしても頭の中から離れない。
後は……ただただ感情のままに、今まで溜め込んでいた本音をぶちまけるだけだった。
「大陸樹で、沢山の人たちと築き上げてきた記憶も……ッ……ヨウや、マリドナや、仲間たちと歩んできた足跡も……ッ……良心(私)や、概念の存在も……ッ……私たち全員にある想いや覚悟も……ッ……全部ッ、全部……ッ!!無駄にしたくない……ッ!!無かったことにしたくない……ッ!!こんな我が儘な私を……最後まで助けてくれようとしているあの人と一緒に……ッ!!他でもない、『私自身の為』に……ッ!!全てを守る為にもッ、わたしッ……まだッ、戦いたいんです……ッ!!」
嗚咽を漏らしながら。
顔をグシャグシャにしながら。
こんな情けない悲鳴のような感情を吐き出したのは……生まれて初めてだ。
だけど、この場に言葉を遮るような者は居なく、ただ一人、感情の暴発を目の当たりにしたベリュジードは、ゆっくりと空を仰ぎ見ながら……静かに語り掛けるのだった。
「…………こんな〔英雄〕らしくもない、情けない姿……誰にも見せられないね、お姉ちゃん」




