1-13 英雄が堕ちる刻
次に目を覚ました時、“全ては潰えていた”。
今にも破裂しそうだった『疑心暗鬼』に満ちた世界はなく、バラード王家復興に僅かながらの『希望』を託していた世界もなく、そこに存在していたのは……。
────明確な『殺意』だけで構成された混沌。
そう、既に溜まるに溜まった緊張は弾けている。
これまで、辛うじて繋ぎ止めていた理性の糸は既に千切れ落ちている。
見渡す限りの、暴動、殺戮、闘争……最早、天変地異でも起きない限りは止めようがない世界滅亡へのカウントダウンは、刻一刻とその瞬間へと向かっている最中だった。
呆然とする他ない。
何を嘆き、何に戸惑い、何を恨めば良いのか、全く分からなかったのだから。
ただ、今は……一つだけでも、ほんの些細なことでも構わないから、何かのきっかけが欲しかった。
戴冠式はどうなった?
バラード王家はどうなった?
ヨウ、マリドナ、大切な仲間たちはどうなった?
目を覚ます寸前までしっかりと両腕で包み込んでいた少女の亡骸に目もくれず、フラついた足取りで、焼け跡の中から外へと歩き出す。
人々の阿鼻叫喚と血肉が飛び交う、地獄と化した都市の中を、何処かにある筈の光と希望を求めて。
その生気の失せた脚が地面を踏み締める度に、雪のように積もった埃が勢いよく舞い上がるが……そんなことも気にしていられる余裕はなかった。
……。
…………。
………………。
その瞬間の気持ちを、一体どう表現したモノだろう。
きっと、グッチャグチャだ。
色々な感情が混ざりあって、それでも一つにはまとまらなくて、気持ちの何処へ向かわせれば良いのか分からずに、身体の中で激しく痙攣しぶつかり合っているかのよう。
だって、どうしようもない。
“こんな光景”を見てしまったら……もう、正気を保てる気がしなかったのだから。
彷徨の末に辿り着いたのは、戴冠式が行われる筈だった大広間。
当然、式典なんて行われていない。
そこにあったのは、暴動の後を物語っている瓦礫の山に、未だ乾ききっていない深く広い血溜まり。瓦礫の上には、そこらの木板を適当に見繕って築き上げられた幾つかの十字架が、乱雑に立てられていた。
そして。
その十字架に、“括り付けられていた”のは……。
────変わり果てた、かつての仲間たちの姿だった。
既に埋葬した筈の仲間たち……。
更には、都市の国王に即位する筈だったマリドナまで……。
まるで見せしめと言わんばかりに、全身には激しい暴行の痕が浮かび上がり、無数の刃物が突き立てられている。
それだけでも、凄惨な仕打ちに他ならない。
だが、彼らの前に立て掛けられた看板に書かれた意思表明みたいな文字列が、更なる追い討ちを掛けてくる。
『我らに英雄は要らない』、と
あまりにも……あまりにも酷い現状に、開いた口が塞がらない。
自分たちは、この都市で生きる人々の平和と幸せを取り戻す為に戦ってきた。戴冠式が始まる寸前まで、沢山の人々の支持も貰って、少しずつ信頼関係も築いていって、ようやく人々の願いが叶うと……そう思っていたのに。
どうして自分たちが、こんな晒し者にされる羽目に遭わなければならないのだろうか。
何故……何故……何故……。
あぁ、何故だろう?
“呻き声どころか、涙すら出ない”。
ただ一つ、断言することが出来るのは……この有り様こそが紛れもない、『人々の総意』である、ということだ。
それを理解した、理解してしまった。
ようやく、この世界の真実を理解することが出来てしまった。
だったら、自分に出来ることって何だろう?
今までは『人々の為』に、自らの全てを懸けて戦っていた。それだけが、自分にとっての全てだった。自分の存在意義そのものだった。
だからこそ、『何かの為』……その概念をひていしては生きていけない。
『人々のため』にたたかってはひていされ、たいせつな仲間たちも一緒にころされる。
それがまちがっているのならば……。
そうだ……。
『ひとびとのため』じゃない……。
────『世界ノタメ』ニ、タタカッテヤロウ。
……。
…………。
………………。
後は、殺し尽くした。
立ちはだかる者も殺し、逃げ惑う者も殺し、泣き叫ぶ者も殺し、許しを請う者も殺した。
男も、女も、若者も、老人も、子供も、赤ん坊も……全て、全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て……。
この世界に、人は要らない。
この世界に、感情は要らない。
この世界に、命は要らない。
世界を守る為に、要らない物は『剪定』し、切り取る……全ては、『世界ノ為』に……。
今こそ“ワタシ”は、英雄になる。
この世界だけを守る、世界の為だけにある、英雄、そう……。
────『剪定の英雄』に。
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今から僕らが交わす言葉は……もしかしたら現在進行形で聞いているのかも知れないし、もしかしたら頭の中にある過去の記憶を思い返しているだけなのかも知れない。
だけど、出来ることならば心して聞いてくれ。
さて、今君が見た『剪定の英雄』の記憶についてだが……。
別段、不思議な現象という訳ではない。
君は世界意志の『外域』に干渉した……いいや、この場合は放り込まれたと言うべきかな。
『外域』とはその名の通り、世界領域において外側にある空間のこと。そして、世界意志、即ち世界唯一無二の支配者が座する管理区域。
その地には、世界の『内域』で起こった天地万物、全ての事象が記録されている。
今しがた君が見た幻影は、大陸樹という『内域』が残した断末魔って訳さ。
「これは……そういうことなのか、日陰舘辰巳……大陸樹を滅ぼしたのは────トア=ラィド・イザベリング本人だった、っていうのか……?」
ここで一つ、『明示録』のことを振り返ってみよう。
明示録とは、次元的に完全消失した世界について書き記した文書のことだ。そこには世界そのものだけではなく、『フィーネス』……トア=ラィド・イザベリングも含まれる。
逆に言えば、明示録に記載される為には……存在が現実から消えていなくてはならない。
もし君の推測の正しいのならば、トア=ラィドは世界を滅亡させた後に、自ら命を絶ったということになるが……。
残念ながら彼女は、自殺はしていない。
あくまでトア=ラィドは、滅亡を前にした大陸樹と共に────“殺されてしまった”のだから。
結論を焦ることは無い。
真実はもう、目の前にまで迫ってきている。
ただ、その全てを知った時────果たして君は、前を見て居られるのかな?
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異世界間を横断したのは、これで何度目になるのだろう。
異世界では元の世界と比べて世界環境が異なる場合が多く、転移当初は身体が環境に合わず、体調不良に陥ることが殆どであるらしい。自分は元々離元空間と世界を往復している為か、最初から世界間の環境変化に苦しまれることはなかったようだ。
無意識の内に、そんな難しいことを思考してしまう程に。
新たに降り立った世界は、何よりも“居心地が良く感じた”。
視界一杯に、水平線の彼方にまで広がる、青々とした草花が揺れている大草原。空から差し掛かる陽の光は、眩しさよりも、むしろ穏やかで柔らかい温もりを浴びさせる。純水のように澄んだ空気が全身を巡ると、身体の不純物を洗い流してくれるかのようだ。
まるで、風景画の中へ飛び込んだような、美しくも麗しい世界。
芸術や美術に深い関心がない自分でも、いつまでもそこに入り浸っていたくなるような世界で、一瞬だけ思考を停止させて、呆然と景色を眺めていた。
そこへ。
背後から、何者かが甲高い声色で語り掛けてくる。
「よく来たね、お兄ちゃん」
「……!」
景色に耽っていた中で不意打ちを受け、素早く背後を振り返ると同時に……思わず、驚きの声を漏らしてしまった。
目の前に現れたのは、齢十にも満たない少女と、彼女の後ろにそびえ立つ一本の細木。
目線を上げてようやく全容を捉えられる位に、全長は高く、伸ばされた枝木は空を覆い隠す位に大きく広がっている。しかしながら、その枝木の広がり具合に反して、長大な幹は極めて華奢に見えた。恐らく腕を回してみれば、ギリギリ抱えきれるのではないか、と感じてしまう程に。
だが、こんな近くにここまで大規模の木があったにも関わらず、その存在に気付かなかったとは……なんという、閑静としていて清雅な存在なのだろうか。
そこへ、目の前に立つ少女が、呆れたように首を横に振りながらこんなことを呟き始めた。
「正直、驚嘆を禁じ得ないかな。ディアにROCSを取られて、殆ど生身の人間でありながら、この領域にまでやって来られるなんてね?」
「……お前は?」
「私の名は、コホンっ……我は、この外域にて『大陸樹』の成長と経過を、観察し、守護する者。人々には、守護者、もしくは────『ベリュジード』とも呼ばれている、かな」
「ベリュジード……!?」
その名前は……確か、明示録にも記載されていたような気がする。
大陸樹の誕生から生物の繁栄まで、ずっとそれを見守り続けていると言い伝えられてきた、伝説上の存在。
もしくは、日陰舘が『世界意志』と名称付けた、大陸樹に伝わる、生物系の最上位種に分類される〔神〕に等しき者。
(もしかして……この子の傍らに立っている、このやたらと高い細木が────『大陸樹』、だったりするのか?)
さて、一体どういう原理法則が働いているのかは不明だが、自分はつい先程まで居た世界を、外側から見上げている状況であるらしい。
「……なんて表現すべきか……もっと貫禄のある老人や、覇気のある青年の姿を想像していたが……」
「こんな愛くるしい幼子だとは思わなかった?それはまた人間らしい、勝手な想像だね」
神様らしくない、などと言ったら色々と面倒臭そうなので、一先ず喉まで出かけていた言葉を心の奥にしまっておく。
達観した女性のように微笑を浮かべる少女から目を逸らしつつ、何よりも気にしなければならない事柄に話題を切り替えた。
「……ところで、俺と一緒にもう一人ここに誰か来なかったか?」
「あぁ、トア=ラィドのこと?探しても無駄だよ。なんせあのお姉ちゃんは現時点で、肉体から剥離された魂だけの存在だからね」
「……!どういう意味だ……?」
「────私が生まれた瞬間、あいつは自らの肉体から弾き出されたって訳だよ」
そう言いながら大陸樹の影から姿を現したのは、トア=ラィド・イザベリング……ではない。
彼女と瓜二つの容姿をしているが、その髪色は真っ白に染まっており、男勝りな口調はかつてのトアの清楚な雰囲気とは大きく異なる。
だが、その雰囲気は見覚えがあった。
現世のアミューズメントパーク、大陸樹の火災現場……それらの場で、自分を剣で貫いた時の『彼女』と同じ人物だ。
「お前、『ディア』か……?だが、ちょっと待て、少し整理させてくれ……剥離された魂?肉体から弾き出された?だとしたら……そもそも、お前とトアはどういう関係性になるんだ?」
「あいつは私であり、私はあいつ……つまり、多重人格って奴だよ。そこに居る神様の手で、概念級にまで昇華した改変人間の、哀れで、低劣な、成れ果ての姿だ」
「概念級……?改変された人間……?」
「そんな難しく考えなくても良いんだよ、お兄ちゃん」
その会話に割り込むように、ヒョコッと自分とディアの間に入ってきたベリュジードが、自身のこめかみを指先で叩きながら話を引き継いだ。
「人間という生物は、無意識の内に、本能に従い、理性を保ちながら生きているものでしょ?その本能部分を除外する代わりに、ある一つの『命令式』を埋め込んで、それの為だけに活動するように改造を施したんだよ。まぁ、もっと噛み砕いて言えば、『命令式』にだけ従う忠実な僕になってもらった、ってところかな」
まるでゲームのプレイヤーであるかのように平然と語っているが……その実は、極めて非人道的だ。
みてくれはただの幼子だが、彼女が口を開けば開くほど、その存在感がとてつもなく大きくなっていく。
彼女こそが、この空間の中心地。
彼女こそが、大陸樹の絶対的支配者。
そう思い知らされる気迫と威厳が、この少女にはあった。そんな、『神』と称しても間違いではない存在と、顔を合わせて対話しているのが信じられない程だ。
「……その命令というのが……もしかして、〔英雄〕の……?」
「そうだ。ベリュジードがトア(わたし)の本能を排除して埋め込んだのは────“何かの為”の英雄に成る、っていう『命令式』。それによりトア(わたし)は、“何かの為”の英雄でなくては平常心を保っていられない、人間兵器になっちまったって訳だ」
何処か他人事のように語るディアの様子に違和感を抱きながらも、過去にトアが起こした行動を思い返してみると……確かにこれまでも、彼女の言動が豹変する場面は、何度かあったような気がする。
それらはいずれも、『トア』と『ディア』の二つの人格と、ベリュジードが埋め込んだ『命令式』が引き起こしたモノだった。
とてもではないが……それは、幸せや安楽とは程遠いように見える。
きっと、異世界を越えた上でも、記憶が曖昧になった上でも、彼女は本能的に悩み苦しみ続けたことだろう。何故なら、いつなんどきも、何処に居ようとも────彼女の身体には、支配者の楔が打ち込まれていたのだから。
そして最終的には、『英雄』という概念の元に……大陸樹を、その手で滅亡させてしまった。
「……ディア、と呼んでも構わないか?」
「あん、何だ?」
「どうして、トアは『英雄』の概念を受け入れた?お前たちは、そこまでして……『英雄』になりたかったのか?そこのベリュジードの、奴隷に成り果ててでも?」
「……」
その問い掛けに対してトア(ディア)は直ぐには答えず、何故か視線を大陸樹の方へチラチラと向けながら頭を掻く。
すると、トア(ディア)に取って代わるように、楽しそうに笑うベリュジードがその小さな手で彼女の腕を撫でながら、こう答えた。
「奴隷なんて人聞きが悪いよ、お兄ちゃん。そもそもこれは、“双方の利害の一致により成立した契約”、なんだからさ?」
「利害の一致……?」
「私はね、別世界で命を落とし掛けていた彼女を助けてあげたんだよ────“異世界転生”という方法で、ね」
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異世界転生とは、数奇な異常現象という認識があるが……世界意志の存在、世界の規則と法則性……それに必要な条件さえ揃えてしまえば、簡単に起こすことが可能なのである。
故に、遥か昔から異世界に精通していた日陰舘一族は口を揃えて言った────「転生とは技術である」、と。
ただ、この場合の転生が発生した場合、前世の記憶を完全に残した状態での生まれ変わりになる為……極めて深刻な症状が起こってしまう。
『不永合現象』。
俗に人格解離、解離性同一性障害、それらと若干類似しているが……生まれ持つ前世の記憶の鮮明さにより、精神だけでなく、肉体までもが乖離し、一個体として独立してしまうという現象である。
この症状の最も恐ろしい所は、一度は乖離した肉体と精神が────再び一つに戻ろうとして、片方の人格を喰らってしまうことだ。
結合というよりも、吸収もしくは征服。
喰われた人格は二度と蘇ることは無く、それは命を持つ人間の感覚で言えば、死ぬことと同等なのかも知れない。
そして、不永合現象の末期、片方の人格を喰らって残った存在は────他者の命を奪うことを躊躇もしない、残虐的な性格を持っている傾向が強い。
「ちょっと待て……一先ず、話は理解した。日陰舘辰巳と埃が、不永合現象とやらで生じた『同一人物』である、ってことはな。だけど、一つハッキリさせておきたい。埃は……日陰舘一族のあんたなのか?それとも、大陸樹のあんたなのか?」
日陰舘一族には、永年の『悲願』がある。
『明示録』の創作はそれを達成する為に最も重要な手段であり、日陰舘一族はとてつもなく長い長い年月の中で、『明示録』の完成に全身全霊を注ぎ続けた。
日陰舘辰巳も、その内の一人だった。
書き手の任を担った『四つ部』と呼ばれる存在として、異世界に渡り、大陸樹についてあらゆる事柄を記録し続けた。
全ては、『明示録』の完成の為に。
それを成し遂げる為ならば────例え一つの世界が犠牲になろうと構わない。
埃の恐ろしさは、誰よりも理解している。
当然だろう、あの飽くなきまでの執念、あの命をも踏みにじる残虐さ……あれらは全て、かつての日陰舘辰巳が培ってきたものなのだから。
だからこそ、今更になって強く思うのだ。
せめて、大陸樹ででも残虐のままで居られたら……不永合現象に翻弄されることが無ければ……。
“こんなに苦しむことはなかった”のに、と。
そして、それはきっと……この異世界のフィーネスも、同じ気持ちだったのかも知れない。
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日陰舘雅人、ベリュジード、そして実質的には自身と対の関係となる人格のもう一人の自分、ディア。
今にも爆発でも起こしそうな一触即発の三人の対談を背中にして、大陸樹の影に隠れて腰を下ろし、両膝を抱えながらそこに顔を埋める。
勿論、最初から隠れる必要はないし、声を殺す意味もない。
だだ、どんな顔をして日陰舘雅人の前に出ていけば良いのか分からなくなってきた。大陸樹で生きていた時のこと、世界滅亡のきっかけを作ったこと……人間である身として、忌み責められるべき真実を彼に知られてしまっては、どう振る舞っても威厳を示すどころじゃない気がしたから。
そう────全て、思い出した。
自分は何を考えて生きてきたのか……自分は何を抱えて戦ってきたのか……それは、決して“許されざる感情”だった。少なくとも、今までの自分の生き方を、全て自分で否定するような、馬鹿で愚かで、下劣な考えだった。
そう考え始めたら、もう、自分ではどうしようもなかったのである。
(そんなに顔だすのが嫌だったらお前は黙って見てろ、トア)
「…………っ……っ」
そう言って彼の前に出ていったディアの言葉が脳裏で蘇り、思わず両手で耳を塞いで、小さく首を横に振る。
人知れず、一人で勝手に苦悩を抱えて、身動きが取れずにいると……背後では、ディアとベリュジードの口から新たな真実が語られ始めた。
トア=ラィド・イザベリング……その始まりの物語について。
「転生する前の記憶は殆ど残ってねぇ。ベリュジードの言う通り、死にかけの危篤状態だった……それだけは覚えている。理由も原因も覚えてねぇけど、痛くて、苦しくて……ただただ、助けて欲しかった。この苦しみから解放されるなら、何でもするからって……そう願うばかりだった」
「……それを聞き入れたのが、ベリュジードだった?」
「そっ。こっちは大陸樹の繁栄と平穏を『内域』から働き掛けてくれる者を決めあぐねていたからね。そこで、偶々察知した死に体のお姉ちゃんを召喚したってわけ。そして、提案したんだよ。命を助けてやる代わりに、〔英雄〕に転生してみないか、とね」
その瞬間、他に選択肢はなかった。
だって、死にたくなかったのだから。
だって、生きたかったのだから。
このまま苦しんで死を迎える位なら……全く別の世界といえども目の前に生きられる選択があるのなら……手を取るしかなかった。
それが結果的に、永遠的に支配者の手で縛られることになると、分かっていた上でも。
そして、ベリュジードの手により、自分は本能を失い、“人の為”に戦う『英雄』という概念を背負って、大陸樹で新たな生命を持って転生したのだ。
「大陸樹での人生は、まぁ悪いものじゃなかった。ヨウやマリドナを始めとした仲間たちと出会って、世界復興の為に働き掛けたりしてな。ただ……今までは『命令式』を守る為ならば、暴力行為だろうが人殺しだろうが、何をしようが、それをオカシイ等と思ったことはなかったのに……あろうことか、私は────“人としての良心を取り戻しちまった”んだよ」
「良心……?それはつまり……ベリュジードの手で埋め込まれた『命令式』に対しての疑問が生まれた……そういうことか?」
『自分のやっていることは正しい』……それを信じて疑わない、妄信的な考え方を持って生き続けていた。
実際、それは人間的観点から見ても、間違っていなかったと思う。
“人の為”の『英雄』として、誰もが尊敬と信頼を向けてくれるような、隙も落ち度もない完璧かつ理想的な思考だったのだから。
目的を果たす為には、時に非情な決断を下さなければならない。感情豊かで、人情で溢れている人間には、簡単に実行することが出来ない残酷な行為を……時には、代わりになって実行したこともあった。
その結果、大陸樹全土において必要不可欠の存在となっていた。
沢山の称賛と歓声と応援を貰うようになり、ベリュジードの望んだ通りの、本物の〔英雄〕に。
だが。
その度重なる称賛と同意が次第に……「トア=ラィドが言うならばそれは正しい」、「トア=ラィドのやることならば間違いない」、「トア=ラィドがやったのならば仕方がない」と……“誰から見ても自分のやることならば絶対に正しい”、という認識と許容が生まれるようになっていたのだ。
「……ただ一言、『それはオカシイ』と声を上げることは出来なかったのか?」
「食欲、睡眠欲、性欲……人は、それに抗うことが出来るか?今お前が言った言葉は、私にとってはこれと同等の意味を持つ。まぁ、何もそれだけが理由って訳じゃねぇけどな」
「……!」
苦悩した……いいや、苦悩するしかなかった。
もし、ここで心のままに『良心』に従ってしまったら、それは『英雄』として、この世界で自らが築き上げてきたモノを全否定することになる。
それは、自分の存在意義と概念を捨てること……言ってしまえば、死ぬも同然の裏切り行為だったから。
きっと、ベリュジードも分かっていたのだろう。
もしも『英雄』に対して反逆的な思考を芽生えさせてしまっても、結局のところトア=ラィド・イザベリングという概念の奴隷には何も出来ない、ということを。
「本当に、人間って厄介な生き物だよね。少し疑問に思うことがあれば、徹底的に疑って解き明かそうとする。悪いことがあれば、嫌だと口にして抗おうとする。運命とは、巡り合わせ。それを定めるのは、運命(私)の役目。何をどう足掻いたところで、非力な人間は運命(私)に敵う筈がないのに。あなたもそう思わない、お兄ちゃん?」
「……ッ……」
ベリュジードの残酷なまでに正当な言葉が、胸に突き刺さる。
人は、時には困難にぶつかり、それを乗り越えることもあるだろう。人は、不可能であったことを、可能にすることもあるだろう。
人が、自らで運命とも呼ぶその壁を、人は、乗り越えるだけの力を見出だして幾度となくそれを打ち破ってきた。
だが、それは所詮、人の自己満足に過ぎないのだ。
真に運命と呼ばれるモノは……真に支配者の座に居座る者は……全てを手のひらの上で転がし、世界を動かしている。時に人が困難に打ち勝つことも、時に人が不可能を乗り越えることも、時に人が自らを倒すことさえも……全て、織り込み済みで。
英雄でも、悪魔でも、天使でも、神でもない。
『世界意志』と呼ばれる支配者が遣わした『運命』の通りに、世界の事象は回されているのだから。
自分は、運命に敵わなかった。
自分から運命に従い、勝手に運命に翻弄され、最後には運命に殺害された。
困難の果てに、不可能の果てに、幾度の苦悩の果てに……全てが、『世界意志』の運命通りだった、と知ったら……。
そして、そんな絶対的支配者すら退けた『埃』が、その先で待ち受けている、と知ったら……。
もう、誰にも運命は止められないし、変えられない。
涙を呑んで、頭を抱えて、痛みを、苦しみを、生き続ける限り背負い続けるしかない。
だから……だからもう、諦めるしか他に、方法はないではないか……。
─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─
「ヨウ……っ!離してッ、下さい……っ!」
「本っ当に、余計なことをしてくれたっしょ、マリドナ……これ以上暴れるようなら、五体満足で済むとは思わないことだよ……」
身体の後ろで両腕を捻り上げるようにして拘束するヨウが、耳元で恐ろしげな口調で囁く。
怒りを滲ませた彼女から脅し文句を喰らうことは何度かあったが……今回はその比では無い。
完全な敵意と憎悪。
まるで仇を前にしているかのような闇の如くどす黒い執念が、全身から迸っている。
彼女の強さと聡明さは、身を持って知っている。今までも幾度と無くその力に救われてきたからこそ、それが敵に回った時、どれだけ恐ろしい目に遭わされるのか……容易に想像が付いてしまう。
しかし、それと同時に。
彼女ともあろう人物が、一時の感情に流されて仲間に仇なすことはしない……ということもよく分かっている。
「……“何を思い悩んでいる”、のですか?」
「……!」
「今からでも、遅くはありません。この再現世界では、わたくしは手遅れかも知れない……だけど、埃に繋がっているあなたならば、まだ希望はあります。だから……」
一抹の希望を持って背後に立つヨウへと語り掛ける。
しかし、ほんの一瞬だけでも動揺したように見えた彼女は、殆ど言葉を詰まらせることも無く、それをアッサリと切り捨てた。
「それは、諦めてよ。あたしは、何があってもそちら側に着くつもりはないっしょ」
「どうして……どうして、そこまで頑なに拒むのですか……!?今までわたくしたちは共に、何度も困難にぶつかっては、それを何度も何度も乗り越えてきました!此度の事変も、わたくしたちが力を合わせれば……ッ!」
きっと、乗り越えられる。
そう口にしようとした言葉を……突如目の前に現れた人物に、遮られてしまう。
「────無理かな。僕が居る限りは、ね?」
「タツ、ミ……様……ッ!」
それは、かつてトアやヨウと共に、バラード王家復興に働き掛けてくれた人物……タツミ=ヒカゲダテ。
いいや、正確には違う。
この再現世界で自分を精神の檻に閉じ込めた張本人であり、かつての現世に存在していた大陸樹に埃を積もらせ、かの守護者ベリュジードすらも退けた……埃その人。
そう……同情をすべき相手では無い。
例えそれが、ヨウの愛人と同じ姿形をした人物だったとしても。
「埃……ッ!ヨウ=イルアウマーを……わたくしの大切な友を返しなさい……ッ!この人は、あなたのような外道の道具ではありません……ッ!!」
顔を精一杯に強張らせて、敵意を剥き出しにしながら、目の前の仇敵を睨み付ける。
すると、彼は首を横に振りながら視線を落とし、小さく呟いた。
「悲しいな……もう、誰も僕の名前を呼んでくれないんだね……」
「え……ぁ……っ」
「現世の記憶がある君ならば、僕の気持ちも理解してくれると思ったのだけれどね。僕だって、最初から望んで事を起こした訳じゃないのに……」
「そ、それは……」
深刻そうな口振りに、思わず肩が震えた。
かつての仲間からこんなことを言われては、正直に胸が痛む。
しかし。
「……ククッ」
「……!」
「同情したぁ?同情しちゃったってかぁ?クククッ、僕にどんだけ同情した所で、この惨めな世界が蘇る訳じゃねぇけどねぇ?」
「こ……の……ッ!!」
あからさまに嘲るような笑みを浮かべて語るそいつを見ていると、途端に猛烈な怒りが込み上げてきた。
思わず殴り掛かろうと足を前に出すが、腕を拘束するヨウがそれを許さず、首に腕を回されてガッチリと固定されてしまう。
「おぉ、怖いねぇ。ヨウ、しっかり抑えといてよ?これから彼女に、『面白いショー』を見せてあげるんだからさ」
「……まぁ、うん、分かった」
「ヨ、ウ……ッ!お願い……ッ!目を、覚まして下さい……ッ!」
必死に抵抗しようと声を上げるも、それ以降、ヨウが口を開くことはなかった。
その反面、目の前で踊るような足取りで距離を開けた埃が、ニヤリと笑ってから指を鳴らす。
パチンッ、と乾いた音が木霊すると、彼の足元に埃が収束していき……その塊が、次々と人間の姿になって現れ出てきた。
「な、何だ……どうなってる……?俺、さっきまで家の中に居た筈じゃ……?」
「おい何者だ!?我らの敷地内に土足で踏み入れた不届き者は!?」
「あれは……マリドナ様とヨウ様?私たちを呼んだのは、お二方なのですか?」
誰も彼も、見覚えのある顔ぶれだ。
時に対立したことも、時に協力したことも、時に称えられたこともあった、エルミナノーグの愛すべき市民達……計三十人程度。
自分たちは、彼らの生きる都市と平和の為に、自らの命を張ってきたと言っても過言では無い。
「平民派と、貴族派、それに都市の人々を……?な、何をするつもりで……」
「……」
現状の意図が読み取れずに眉を潜めていると……彼らの中心に立つ埃が、大きく両手を広げて、高らかにこう切り出した。
「これから先は、フィクションです。閲覧の際は、面白半分でご覧くださーい」
「え……ぁ、が……ッ!?」
「なん、だ……苦し……ぐっごッ……!」
「あぁ……っ!あぁァァァァ……ッ!痛い痛い痛い、イタイイタイ……ッ!!マリドナッ、様ッ……たすッ、たすけて……ッ!」
その言葉に呼応するように……突如、市民たちが首を押さえて、苦痛の声を上げ始める。
例外なく、三十人全員が、だ。
何が起きているのか、一瞬理解することが出来ずに声が詰まるものの……よく目を凝らしてみると、彼らの口へと流れるように埃が注ぎ込まれているのが分かった。
彼ら自身でも気付かない程度ではあるが……もしあの埃が、“彼の意のままに動かせる”のだとしたら……。
「…………ま、まさか……ッ!!待ってッ!!待って下さいッ!!その人たちは関係ありませんッ!!“あなたの目的はわたくし”でしょうッ!?だからッ、どうかッ、どうかそれだけは……ッ!!」
目の前で、最悪の大虐殺が行われようとしている。
そう直感して、思わず声を荒げるようにしてヴーズダットに懇願の言葉を投げ掛けた。
すると、彼は小さく首を傾げてから、不思議そうな表情でこう尋ねてくる。
「辞めて貰いたいのかい?」
「……は……い……ッ」
「なら、取るべき態度ってものがあるよね?」
「……ッ……辞めて、下さい……お願い、致します……ッ」
頭なら、幾らでも下げられる。
プライドなら、幾らでも捨てられる。
だけど……いくらこの世界が偽物だとしても、ここで生きる人々の、自らが守るべき命を無下にすることは、絶対に出来ない。
その一心で、必死に懇願を述べた。
自分はどうなっても構わないから、市民たちに手を掛けるのだけは辞めてくれ、と。
しかし。
まるで待ちかねていたと言わんばかりに……ヴーズダットは、一層深く笑った。
「────嫌だよ、ばぁか」
次の瞬間。
バズンッ、とタイヤに空いた穴から空気が抜けるような、鈍い音が響いたと思ったら……。
目の前で────一斉に、市民たちの頭が消し飛ぶ。
それが、生物として致命的な損傷となったことは、わざわざ語るまでもない。
首から上が無くなった市民たちは、まるで糸が切れた操り人形のように、バタバタと倒れていった。
「いや……い……や……────いやぁぁぁぁァァァァあああァァァァアアアアぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「クヒヒヒッ!あぁ、これだよ、これなんだよマリドナ……他者を支配する喜びは、何物にも勝ることはない……だから、敢えて宣言しておこう────この世界は、僕だけのモノだぁッ!!」
どうして……どうして、こんな惨い真似が出来るのか……いいや、もう、それどころではない。
止められなかった……。
どうすることも出来なかった……。
何が王女だ、何が継承者だ……愛する市民たちが命の危機に晒されている時に、ただ命乞いをすることしか出来ないなんて……一体何処まで、自らの無能さを晒せば気が済むのだ……。
ヨウの拘束すら振りほどくことも出来ず、ボロボロと涙を溢しながら、震える口を辛うじて動かす。
「……ァッ……ヒッ……ゥッ…………んな……で、すか……ッ」
「んん?」
「目、的はッ……あなたの目的はッ、何なのですか……?」
「僕らの目的は……明示録の完成、ただ一つ。その為にも、君という名の『至宝』をより洗練させて、かの者に成って貰う必要があるのさ────我らの、『代行者』にねぇ」
この世界は、埃に染まり切っていた。
それを振り払う為には、どんな手段を用いてでも奴を世界から除外する必要がある。
だが、そんなこと誰が出来る?
英雄でさえも、神でさえも、止めることが出来なかったのならば……一体、誰ならば……この怪物を止められるというのだろうか。




