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シェード・エプリコッド ─召喚者たちの異世界略奪戦争─  作者: 椋之樹
英雄への明示─Execution of ideal─【大陸樹編】
11/41

1-10 英雄たちの素顔



 離元空間自体を操作するという超常的な力が、ただ一般人に扱えないことは知っている。

 それを無理矢理行使するROCSの副作用が、下手をすれば自分を命の危機に陥れる可能性があることも知っている。

 それを知って尚、あのディアとかいう正体不明の人物にROCSを渡してしまったのは、流石に迂闊だったか。

 副作用として、身体の内側から這い出てくるように襲い掛かってくる激痛は、時間を増す度に悪化してくる。


「はぁッ、はぁッ……」


 次に目を覚ました時、何やら甘い香りが漂う柔らかい布団の中でうつ伏せになっていた。


 だが、身動きどころか、指先一つ動かすことも出来ない。


 痛みが増す度に、自分の精神が身体から引き剥がされていく……まるで、幽体離脱を体験しているかのような気分だった。

 あまりの不快感に意識が朦朧してくる。

 もしかして、本当に死んでしまうのではないか……そんな縁起でもない予感が脳裏を過った。

 だが。


「────ぷぅっ」


 今や聞き慣れた可愛らしい鳴き声が耳元で聞こえたと思ったら、背中の上を小さな何かが移動する。

 それはしばらく迷ったように右往左往と動き回っていると、モゾモゾとこちらの顔と腕の間に、無理矢理身体を捩じ込んできた。


「……リ、ノ……?」

「ぷぷぅ」


 目と鼻の先で、リノリスが鼻をピクピクと動かしながら、応えるように小さく鳴いた。

 その小さな小さな身体は、仄かな甘い香りと柔らかい体毛に包まれていて、傍に居ると認識しているだけで、不思議と心が安らいでいく。


「どう、やって……いや、どう、して……」

『────リノは、主様の付き人だから。心身共に衰弱している主様を癒すのは、当然の責務でしょ?』

「…………ッ!」


 気付けば、自分の身体は“リノリスの腕に抱かれていた”。

 それが精神的な幻覚であることは察していたが、ただ一つ問題として上げられるのは……この状態の彼女は、“服を着ていない”。

 つまり、首から豊富な胸元、そして足先まで何も包み隠さず露見された完全な裸体である、ということだ。

 普段ならば気恥ずかしくなって、こちらから注意を促すのだが……今は、この人肌の温もりと、穏やかに奏でられる心音が、何よりも心地良い。

 何も言葉を発せず、何も抵抗もせず、ただ彼女の柔肌と華奢な腕に包まれながら、静かに目を瞑った。


『大丈夫だよ、“吐き出しちゃっても”。リノが、全部受け止めるから』


 こうなった時は、リノを相手に隠し事は出来ない。

 いつもは、どれだけ身体を傷付けられようが、どれだけ恐ろしい出来事に遭遇しようが、決して弱気な言葉は口にしないように心掛けているのだが……緊張が解れていく心の奥底から、ポツリ、ポツリと、本音の雫が溢れ落ちていった。


「……情けなくて……頼りなくて……申し訳なさが半端じゃない……お前にも、トアにも……」


 未だ正体の掴めないヴーズダットのこと、滅亡が目の前にまで迫った大陸樹のこと……それに、ROCSが無ければそれらとマトモに太刀打ちすることすら出来ない自分のことも……。

 あの時、ヴーズダットが口にした言葉の通り、自分は演技とROCSでうわべを覆っただけの卑怯で弱い人間だ。


 だからこそ、どうしようもない不安に駆られる。


 本当に、明示録と埃の取り巻く問題を解決することが出来るのだろうか。

 本当に、トアと大陸樹を救済することが出来るのだろうか。

 冷静に考えてみれば、ただの一般人が背負うには値しない、とてつもなく重い役割を背負っていることが分かる。

 不安で、仕方がない。

 怖くて、仕方がない。

 やはり、自分みたいな存在は……最初から、世界の存亡等には関わるべきではなかったのではないか……そう感じずを得なかったから。

 しかし。

 リノリスは不安の色を一切見せない表情を浮かべて、優しい手つきで頭を撫で始めていた。


『人はたった一人だと、情けなくて頼りのない生き物……それは当然のこと。大切なのは、自分の弱さを認めた上で、強く成長しようとする気持ち。主様は、ちゃんと分かってる。だから主様は、大丈夫。主様は、まだまだ戦えるよ。リノは、そう信じているから』


 リノリスの『主様』という言葉が心の中で反響し、自分の役割を、自分の中に蘇らせていく。

 これまでの経験の中で培ってきた、日陰舘雅人という人間の揺るぎない生き方を……誰にも譲れはしない、戦う理由という奴を……。


「……もう、辛い思いをするのも、させるのも、沢山だ……」

『うん』

「信頼も、絆も、同意も、貰えなくても良い……俺は、ただ、救いたい……トアを、沢山の人達が生きるこの異世界を……」

『うん』

「だったら……俺に、挫けている暇はない……他でもない俺自身が、俺自身の覚悟を無下にして堪るか……っ!」

『うんっ』


 顔を上げて、リノリスの柔らかい身体を逆に抱き寄せ、再起の決意と共に、彼女の額と自分の額を擦り合わせると……彼女は、満足げに笑った。

 それを境に、朧気だった視界が、目映い程の光に照らされていく。

 ────リノリス=トラントが有する、《汎現》の開放と共に。


『────それでこそ、リノの愛する主様だっ』



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



(身体……楽に、なってきた……)


 二度寝、してしまっていたのだろうか。

 再び気付いた時には、リノリスは目の前で兎の姿になって小さな寝息を立てていた。


「ぷぅ……ぷ……」

「ありがとう……リノリス……」


 その頃には身体の痛みやダルけの副作用はすっかり治まっており、これまで通りに動かせるようになった腕を動かし、彼女の小さな頭を指先で撫でる。


「あ……良かった。目、覚めたんですね、マサトさん」


 そこへ、部屋の入り口が開かれると、トア=ラィド・イザベリングが胸を撫で下ろすようにして声を掛けてくる。

 恐らく、看病の為に訪ねてくれたのだろう。その手には濡れた布が携えられた小さな桶のようなモノが抱えられていた。


「トア……」

「その子、リノって名前なんですか?あなたが倒れてここに運んだ後に、外を忙しく走り回っているのを見つけて……」


 どうやら、リノリスをここに連れてきてくれたのは、トアだったようだ。

 桶を脇の机に置きながら近付いてくる彼女を見ながら、まだ身体を起こす気力が湧かなかった為、横たわったままで言葉を返す。


「連れて来てくれて、助かった。それにしても、よくこいつが俺のペットだって分かったな?」

「いえ、実は見えない何かに急かされたような気がして……霊的な存在が取り憑いていたんでしょうか?」

「……霊、か……心当たりがないことも無いが……」


 確か屋敷の使用人である月影マヒナから、幽霊を始めとする精神体は、比較的世界間の行き来がし易い体質である、という話を聞いたことがある。

 もしかすると……リノリスがこの世界に居るのは、“彼女”が手を貸したから、なのかも知れない。


「ところで、その、リノのことなんですが……あなたのペットだというなら、えっと……触らせて貰うこととか、出来ますか?」

「それくらいなら、別に構わない」

「……!ありがとう、ございます」


 少し驚いたように目を見開いたトアはベッドの脇で屈み、ジッとリノリスの寝顔を眺めながら、その頬を指先で突っつき始める。


「ふぁっ、もさもさプニプニ……可愛い……っ」


 ぐっすりと眠っているリノリスは反応を示さないが、普段から動物と接することが出来ないというトアからすれば、この触れ合いは至福の時なのだろう。

 相変わらず笑顔を見せることは無いが、楽しんでいるのは間違いなさそうだ。

 それは良いとして……リノリスに顔を寄せるトアの視線の直ぐ先には、横たわっている自分の顔があるわけで……。


「あー、なんだ、どう言ったもんか……トア、少し顔が近くないか……?」

「ぇ、ぁ……っ!」

「……?」


 こちらの言葉でようやく事態を理解したのか、大慌てで立ち上がり、動揺した様子で顔を赤く染めながら硬直そして沈黙。

 そうやって妙な空気の中で互いを見つめあっていると、トアは大袈裟に呼吸してから、意を決したように口を開く。


「あの、マサトさん。私、あなたに言いたいことが……っ」

「ひゅーっ、今まで色気付いた噂を聞かなかったトアが、途端に大人びたっしょ」


 忽然と、トアの言葉を遮るかのように、何者かの陽気な声が聞こえてくる。

 自分もトアも、反射的に部屋の入り口に視線を移すと……そこには不思議なことに、“見覚えのある”人物が、戸先に背中を預けて立っていた。


(……!こいつは……ッ!)

「ヨ、ヨウ……っ!ノックも無しに人の部屋に入らないで下さいっ!」


 ヨウ=イルアウマー。

 『剪定の英雄』の一人にして、刀弓と射撃の達人。 

 現世にて、ヴーズダットの僕として現れ、〔英雄〕の属性を付与されたトアをも再起不能にした、最凶の刺客……だった人物だ。

 トアの警戒心の無い親しげな口調を聞く限り、少なくとも“今はまだ”、彼女の味方なのだろう。ヴーズダットに寝返るのは、ここから先なのか、もしくは既にそちら側なのか……いずれにせよ、警戒しておくに越したことはない。


「なにさなにさー。そっちの見知らぬ人は自分のベッドに寝かせているくせして、あたしは駄目とか納得いかないっしょー」

「自分の、ベッド…………って、え……?自分のって、誰の……?」

「マサトって言ったっけ?あんた、超幸運っしょ。女の子の、それも今や全世界で誰もが尊敬する英雄様のベッドで眠れるなんて。そんな機会、ここから先は一生無いかもよ?」

(……マジ?)


 今の今まで、一体何処で眠っていたのか分からないままだったが……ヨウの不敵な笑みを目撃し、何となく、理解してしまう。

 道理で、良い香りがすると思った。

 リノリスとスムーズに精神的共鳴を起こすことが出来たのは、間接的に彼女の存在がそれを促してくれたからなのかも知れない。

 ただ、当の本人は、事実を知らされてしまったことに、酷くご立腹の様子だが。


「ヨォォォウゥゥゥゥ……ッ!!」

「お、おぉ、殺気が迸っていらっしゃる。下手したら本当に殺されるかなぁ、これ……それでは、後はごゆっくり~っしょ!」


 ヨウが逃げるように退散すると、トアもその後を追うように、早足でこちらから離れていく。

 それから、肩越しに若干赤く染まった顔を見せると、視線を泳がしながらこんなことを口にしていた。


「……っ……無理にとは、言いません。だけど、出来れば、早めに起きて下さい……何だか、恥ずかしくなってきてしまったので……っ」


 部屋の扉が閉められ、再び静寂に包まれると……自身の腕で覆いながら、漏れ出そうになる欲望を心の中で押し殺すのだった。


(…………二度寝したくなったとか言ったら、流石に変態だよな、これ……)

「ぷにゅ……」



─※─※─※─※─※─※─※─※─※─※─



 商店などが立ち並ぶ大通りから、少しだけ外れた人気の少ない住宅街。

 その地域の入り組んだ路地裏を進み、大きな木箱やらが積まれる資材の山の、更に奥に隠された古ぼけた扉。それを開き、薄暗い地下への階段を降りてようやく到達するのは、トアたちが根城にしている隠れ家だ。

 日の光も差し込むことがない閉鎖的な空間といえども、とてもそこに密かに隠れ住んでいるとは言い切れない、清潔感に満ちた生活空間が広がっている。

 手前には二台の丸テーブルが並び、奥には多種多様な瓶が綺麗に陳列されたバーカウンターと、まるで酒場を思わせる雰囲気。ここは皆が集まるリビングのような空間であり、四方に設置された扉は、彼ら個々の自室がある廊下へと繋がっているようだ。

 現代風に言えば、シェアハウス、といったところだろうか。

 話によると、十数年前に廃棄された地下室を皆で整頓かつ改良して使っている為、家賃等の料金は発生していないらしい。

 賃貸に暮らしている人からすれば羨ましい限りだろうが……それはこの異世界が、管理の行き届いていない無法地帯である、という事実を忘れてはならない。

 そんな仄かに危険臭の漂う空間でバーカウンターの一席に腰掛けていると、隣に座るヨウが楽しそうに笑みを浮かべながらこんなことを尋ねてきた。 


「それでそれで?結局のところ、二人はどんな関係なわけさぁ?」

「ヨウ……いい加減にしないと怒りますよ」


 向かい側に立ってせっせと食器を洗うトアが包丁を手にして、横目でヨウを睨み付ける。

 今までに彼女が剣を手にして大暴れする光景を幾度となく見ている為、刃物を持って脅しを掛ける姿が目の前にある状況は、何だか気が気でない。

 しかしながら、自分の肩にちょこんと乗ったリノリスが一度声を上げると……彼女の小さな鼻を指先で触りながら、骨抜きにされた表情で反応を楽しんでいるのだった。


「ぷっ、ぷー!」

「あっ、やっぱり可愛い……」

「クシュッ!」

「はぅ……っ」


 現世で話を聞いていた通り、今までもトアを前にした動物たちは、威嚇をするか、怯えるかして、彼女になつくことは一度たりともなかった。

 原因は相変わらずハッキリしていないが、彼女自身も動物たちに接することは、極力控えていたらしい。


「そう言えば、この隠れ家に居るのは二人だけ?他の仲間たちは別の場所を根城にしているのか?」

「……!」

(……あれ?)


 今、何か変なことでも聞いてしまっただろうか。


 トアとヨウが同時に口を閉ざしてしまい、忽然と空気が一変。


 リノリスですら、その雰囲気を前に大人しくなってしまい、後はこの重苦しい空気の中で黙って彼女らの言葉を待った。

 すると、意を決したように、短く呼吸をしたトアが小さく口を開く。


「私たちの他に、数人。同じくバラード王家再建の為に活動していた仲間たちが居ました。当初は、その仲間たち全員で一緒になってここに暮らしていましたね」

「当初、ってことは、何か事情があって離れることになったのか?」


 彼女たちにとって重要な分岐点となる『戴冠式』は、既に翌日まで迫っている。

 そこに備えて、準備をしなければならないことは多いだろうし、英気を養えておく必要もあるだろう。その為、この隠れ家には戻らず、各々で各地に赴いているというのならば、十分に納得出来る理由だった。

 しかし。

 まるで隠す必要はない、と言いたげにヨウが放った一言は、予想を遥かに越える衝撃な真実を告げていた。 


「────死んじゃったんだよ、あたしたち以外ね」


 再び沈黙を経た後、全員の視線はヨウの方へ向けられていた。

 自分は驚愕の余りに言葉を失って、トアはその配慮に欠けた発言に少し怒りを滲ませた様子で。


「ヨウ……!」

「あたしは、あいつらの死を無かったことにするつもりはないっしょ。喧嘩する時もあったし、そりが合わないこともあった……だけど、皆と過ごした日々は、それ以上に大切な時間でもあったんだよ。トアも、それは同じ筈っしょ?」

「……それは……」


 カウンター上に置かれた握り拳に力が込められ、トアの瞳がぎゅっと強く瞑られる。

 自分にはその無念や悲しみの気持ちに全面的に同情することは出来ないが、彼女たちが仲間たちとの絆や思い出を大切にしていることは、何も尋ねなくとも理解出来た。

 きっと、楽しかったのだろう。

 きっと、幸せだったのだろう。

 そうでなければ、ただ記憶を語っただけで、こんな苦しそうな表情を見せる訳がない。


「まぁ、そういう訳で。あんたも良かったら、覚えておいて欲しいっしょ。今はここには居ないけれど、あたしたちには、何物にも変え難い仲間が居たってこと。それだけでも、きっと報われるだろうからさ」


 やはり、現世で遭遇したヨウとは、大きくイメージが異なる。

 一見、何も考えていない楽観的な人物かと思いきや、目の前で微笑みすら浮かべて語って見せる彼女は、人として卓越した頼もしさをも感じさせた。

 それこそ、〔英雄〕のフィーネスとして召喚されたトアと似たような雰囲気だった、と言えるだろうか。


「……分かった。ところで、その他の仲間っていうのは、どんな人物たちだったんだ?」


 未だ場を取り巻く重苦しい空気を払拭する為、敢えて更に話題に踏み込んで思い出話を聞き出そうとすると……顔を上げたトアが、壁に掛けられた額縁を指差した。


「あそこに、『果々』の手で作って貰った、私たちの集合絵画が飾ってあります。まるで風景をそのまま切り取ったような精巧な出来映えで……あれを見ていると、当時の思い出が鮮明に蘇ってきますね」

「あれって確か、貴族派筆頭のクロスノート家と和解した時の奴だったっけ?あの時のトアと『果々』の戦いは見物だったなぁ。ホント、よく死ななかったって感心しちゃったっしょ」

「あれはマリドナが手を貸してくれたからこそ掴み取った勝利ですよ。私一人だったら、目を合わせた時点で殺されていたでしょうから」


 トアとヨウが思い出話に花を咲かせている間、額縁の中に飾られた絵画を眺める。

 確かに、絵というよりも写真と呼ぶべき程に、鮮明な景色と十人近くの男女が描かれていた。

 トアとヨウ以外の人物の名前は分からないが、誰もが満面の幸せな表情を浮かべている様子を見ていると、不思議とこちらまで穏やかに気分になってくる。

 だが。

 その中に一つ────不可解な人相の人物の姿が写っていた。


「……トア、ヨウ……一つ、聞いても良いか?」

「はい?」

「どしたの?」


 二人は何ら疑問に思わない様子で返事をするが……肩の上に乗ったリノリスは、明らかに怯えた様子でカタカタと震えながら『その人物』を見ている。

 もし自分の記憶が正しければ……これは、どう考えても異様だ。

 こんなこと、有り得る筈がない、あってはならない。

 だが、もしこの人物が、『奴』だったとしたら……今まで、自分の中で積み重ねてきた推測が、大きくうねり出すことになる。


「この、男……名前は?」

「えっと、タツミ、のことですか?見た目通りの優男、と言いますか……その容姿と紳士的な物腰から、異性からとても好意的な人物でしたよ。補足するならば、こちらのヨウと相思相愛の……」

「わーっ!わーっ!!トアぁ!?いきなり何でカミングアウトしちゃってんの!?」

「さっきまでのお返しです」

「うぅぅぅ……あんまりっしょぉ……」


 二人のやり取りを背中に耳を傾けながら、『タツミ』という名前の人物を睨み付ける。

 そこに写っていたのは……。


 あの時、トアを連れ戻す為に現世に現れた────『ヴーズダット』と瓜二つだった。


 だが、彼女らの言うには、この世界では既に故人の身。

 世界間を渡る術を持つヴーズダットだと言うのならば、あの日野原ゆちと同等に、死という概念は意味もないとも考えられるが……現時点で目の前に居ないのならば、その真意を尋ねることは出来ない。


「何故、タツミのことを?」


 女子同士のつばぜり合いで優位に立ったトアが、少しスッキリした様子で近寄ってきた。


「いや、何となく気になって……」

「もしかしたら何処か通ずる所があるのかも知れませんね。彼もあなたと同じ、少し変わった所がある人でしたから」

「どういうことだ?」

「この辺りでは聞かない珍しい姓名だったので。なんと言いましたか……確か、『ヒカゲダテ』、とか……」

「……何だって?」

「ですから、ヒカゲダテ、です。タツミ=ヒカゲダテ、それが彼の名前でした」

(ヒカゲダテ……日陰舘……っ!?)


 これは……一体どういうことだ。

 このタツミという男は、恐らく『ヴーズダット』となる人物なのだろう。奴等は明示録を埃で染め上げ、そこに記載されたフィーネスと異世界を消滅させる、日陰舘一族にとって仇敵とも呼べる者たちだ。

 だが。


 そのヴーズダット本人が────『日陰舘』の姓名を持っていた。


 奴等がわざわざ日陰舘一族の名を語って、どんなメリットがあるのか……今のままでは、到底理解に及ばない。

 それとも……もしかすると……自分達は何か、“決定的な勘違いしていた”、のでは……。


「トア、トア、そろそろ出掛けた方が良いんじゃない?マリドナのこと、迎えに行くっしょ?」

「あぁ、そうでしたね。マサトさん、ごめんなさい。私たちこの後、少し用事がありまして……タツミさんのことは、また後程お話しします」

「あ、わ、分かった……」


 トアの言葉に思考の波から現実へ引き戻され、少し慌ててながら返事を返す。

 こちらの反応に少し不思議そうに首を傾げるトアだったが、特に言及することなく会釈すると、奥の扉へと消えていった。


「あ~……自分のことを話されるほど恥ずかしい仕打ちはないっしょぉ……」


 バーカウンターに突っ伏して羞恥心に悶えるヨウ。

 その無垢な姿を見ながら、ふと頭の中に浮かんだ素朴な疑問を、それを答えるに最も相応しい彼女へと尋ねてみる。


「タツミって、どんな人間だったんだ?」

「うぇぇっ、あんたも聞くぅ……?まぁ、何というか……誰にも優しいくせして鈍感。私たちと比べたら突出した身体能力は無かったけれど、正義感だけはいっぱしだった。その姿勢に背中を押されたことも……一杯、あったかな。多分、そんなところに惹かれて……」

「……」


 最初は乗り気ではなさそうだったのに、言葉を重ねる度に流暢な語りになっていく様は、まさに恋する乙女そのものだった。

 仲間として、恋人として、そして一人の人間として、ヨウから見たタツミの人間像が、少しずつ頭の中で形成されていく。

 すると、途端に口を止めたヨウが、思い出したように顔を赤くして声を荒げた。


「……ってぇっ!?何言わせんのさあんたまで!?」

「いや、中々興味深いと思って……」

「うぅぅ……あんたにも、若干あいつと同じ節があるなぁ……はぁ、今のはナシ、全部忘れて。あたしもトアと一緒に行くから。出掛けるのも、留守番するのも、後に好きに過ごしててっしょー」


 そんな会話をしている内に、出掛ける準備を済ませたトアが戻って来ると、一つ二つ言葉を交わしてから二人揃って外へ出ていってしまった。

 一人隠れ家に残った自分はテーブル席に腰掛けて頬杖をつき、遠目で彼女らの集合絵画を眺めながら、もう一度思考に耽る。

 自分一人だけでは、決して解き明かすことが出来ない謎に立ち向かう為に。


「タツミ=ヒカゲダテ……日陰舘、たつみ、か……あ、あれ?リノリス?」


 ふと我に返ってみれば、肩の重みが無くなり、そこに乗っていたリノリスの姿が無いことに気付く。

 この閉鎖空間でいつもの放浪癖がどうやって発症したのかは不明だが、馴染みもない異世界で、こうも音も気配もなく姿を消されると流石に心配になるものだ。

 仕方がなく、リノリスを探して辺りを見渡していると……『そいつ』は、唐突に姿を現した。


「────“彼女”は追い掛けていったよ、あの二人を」

「……ッ!?」


 気付けなかったとか、感じなかったとか、そんな次元の話ではない。

 たった一度のまばたき。

 コンマ一秒にも満たない、視界の遮断を終えた時には……既にそいつは、向かいのソファに腰掛けていた。

 そして、何食わぬ顔で片手を上げると、穏やかな笑みを浮かべながらこちらの『名前』を呼んだ。


「やぁ、“初めまして”だね。マサト……いいや────日陰舘一族の現当主、日陰舘雅人君」

「お前は……ッ!!」


 この異世界にて『タツミ=ヒカゲダテ』と名乗る、英雄の内の一人。

 一族の仇敵である『ヴーズダット』として、明示録を染め上げてきた化け物。

 現状、トア=ラィド・イザベリングの召喚に関わる者の中で、最も謎に包まれていた人物が……誰の目で見ても好青年の姿で、目の前に降臨した。

 そいつは少し考えるように口元に手を当てながら、ゆっくりと立ち上がると……。


「うん、ここだと場所が悪いかな。誰に聞かれているか分からないからね。少し、移動しようか────僕らの空間へ」

「う、ぉ……っ!?」


 突如として目に見えない何かに勢いよく胸を押された。

 そのまま、ソファごと後ろに倒れてしまうと思いきや、床に倒れることも出来ず……。


 真っ逆さまに、落ちる。


 自然も、生物も、命も存在しない、虚無で構成された、何処かで見覚えのある場所────『離元空間』とおぼしき闇の奥へ。

 どこまでも、どこまでも、落ち続けるのだった。

 

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