第40話 上野駅と『自由』
祖父は上野駅に来るたび、中央改札の前で足を止めて大壁画を見上げる。
「おじいちゃん、その絵、好きだね」
僕が尋ねると、祖父は笑って言った。
「昔はな、嫌でも毎日眺めていたよ」
「えっ?」
「スマートフォンなんてない時代だ。切符を買うのに一時間くらい並んだからな」
「一時間も?」
僕は驚いた。
「だからな、待っている間、皆この絵を見上げていたんだ」
祖父の言葉につられて壁画を見上げた。
画家・猪熊弦一郎の壁画『自由』。いろんな人や動物が描かれていた。
スキー板を持つ人。
牛に乗る人。
傘をさす子供。
馬に乗る人。背後にはなぜか逆さまの馬もいる。
木こりだろうか。その近くには大きなノコギリもある。
気になったのは中央の真下に描かれた二匹の犬だった。向かい合い、鼻と鼻を寄せ合っているように見えた。
「あの二匹の犬、夫婦かな?」
僕が尋ねると、祖父は言った。
「きっと、そうだろう」
「えっ? そうなの?」
「この絵は戦争が終わって間もない頃に描かれたんだ。帰る家がある人も、帰る場所を失った人も、皆この駅を通った。そんな時代に、寄り添っている犬を描いたんだからな」
もう一度二匹の犬を見上げた。
「じゃあ、夫婦かもしれないね」
僕の言葉に祖父は頷いた。
「七十年以上、一緒にいるんだ。もう夫婦でいいだろ」
「テキトーじゃん」
僕が笑うと、祖父も笑った。
改札の上で『自由』は今日も何も語らない。
それでも、急ぎ足で通り過ぎる人には見えないものを、立ち止まった人にだけ見せてくれる。
僕はいつの間にか上野駅が好きになっていた。
2026/07/11
猪熊弦一郎先生の『自由』の修復が終わったので、先月上野駅まで観に行きました。
無料でこんな大作鑑賞出来るのに、ほとんどの人が無関心で通り過ぎてた。
勿体ない……。
あの二匹の犬はたぶん夫婦やと、私は思ってる。
この後、大ゴッホ展に行くつもりやったけど、体力なくてキャンセルした。
でもゴッホの絵より、猪熊弦一郎先生の絵の方が好き。
だって猫好きやから~。




