第12話 落書き
その町には、美味しいパン屋さんがあった。
朝から行列ができ、住民たちは笑顔で挨拶を交わしながら順番を待っていた。
パン屋ができたお陰で、子供たちは通りでじゃれ合い、大人たちは近況を語り合う。町は活気に溢れていた。
ある日、店の主人が突然亡くなり、店はやむなく閉店した。
数か月後、閉じられたシャッターにスプレーで落書きが現れた。
最初は亡くなった主人の子供がペンキで消していたが、次第に手を止めるようになった。
やがて、パン屋の家族は新しい町へ引っ越していった。
落書きは増え、パン屋以外の空き家にも広がった。
警察の取り締まりはなく、町の人たちも次第に放置するようになった。
空き巣や強盗が横行し、住民が暴行に遭うことさえあった。
不安を覚えた人たちは次々と町を去った。
「――という事例があります。落書きの放置は危険です。必ず消してください」
公民館の会議室で自治会の説明が行われていた。
テーマは「繁栄と衰退」。私たちの町も決して他人事ではない。
私はこの町に引っ越してきたばかりだ。一軒家に住むということは自治会の当番にも当たる。
自治会への参加は義務ではないが、拒否すると嫌がらせを受けることもある。人口の少ない町ほど人間関係は濃く、嫌がらせがエスカレートして事件にまで発展することもある。それを避けるためにとりあえず参加した。
落書きの連鎖は「壊れた窓理論」(broken windows theory) と呼ばれる現象の一部として説明されることがある。
話を聞きながら思った。
――この連鎖は猫にも当てはまる。
かわいそうだと思って外にいる猫に餌をあげる。
猫が増える。
餌をあげていた人が突然死する。
猫はさらに増える。
増える。
増える。
増える。
増える。
ゾッとした。
自治会の話が終わった帰り道、一匹の猫と出会った。
見つめる瞳は空腹を訴えているようだった。
私は視線を無視して足早に家へ逃げるように帰った。
2026/03/10




