1話
人々の動きは整っていて、無駄がないように見える。
足を止める者はいても、流れが乱れることはない。
会話も少なく、表情も静かで、必要以上に関わろうとする者はいない。
誰も疑問を持たない。ただ、そういうものとして日々が続いている。
Xは駅の構内を歩く。
すれ違うのは、女ばかりだった。
それ以外の姿は、もう誰も思い出せない。
誰かがそう決めたわけではない。
ただ、世界が、そう設計されているだけだ。
数メートル先で、一人の女性が何かを訴えていた。
声は次第に大きくなり、言葉が荒くなる。
感情の発露は禁止されていない。
だが、制御された安定値を逸脱した瞬間、検知される。
この社会では、女らしくない振る舞いは異常とみなされる。
声の大きさや口調の乱れには、一定の制御値が定められている。
超過が検知された瞬間、逸脱と判定される。
その瞬間、その女の腕輪が赤く点滅し、
「制御値超過を検知しました。処理命令を送信しました。」という音声が流れる。
周囲の空気がわずかに緊張する。
Xは足を止める。
目を逸らさず、何も言わず、そのまま立っていた。
点滅の直後、視界の端で何かが動いた。
黒を基調とした、密着型の制服。
顔下半分は布で覆われ、足元は軽装の戦闘靴。
音もなく、女の方へと歩いていく。
セレクターが腕輪に指を滑らせた。
その動きとともに、刀は何の前触れもなく現れた。
空気が裂けるような一瞬の衝撃とともに、女性の胸元に刀が突き刺さった。
そのまま倒れる。
制服の人物──セレクターは、一言も発さず、視線すら向けず、立ち去る。血は、床に細く一筋だけ伸びていた。
数分後、数人の女たちが現れる。
無言のまま、倒れた体を持ち上げ、搬送用の黒い袋へと収納する。
床の血痕は液体処理剤で瞬時に消され、痕跡はすべて処理された。
彼女たちは、誰も言葉を発さず、その場を去っていった。
誰も何も言わない。
足音も、視線も、すべてがそのまま流れていく。
Xもまた、通り過ぎる。
Xの歩き方には、推奨される女らしさがなかった。
しなやかさも、曲線も、視線を和らげる工夫もない。
それでも、誰も何も言わなかった。
空が濡れていた。
いつのまにか、雨が降り始めていた。
Xは歩く速度を変えず、傘も差さず、ただ人々の流れに混じっていた。
Xは濡れていた。
傘も差さず、気にする様子もない。
それを見た誰もが、何も言わずに通り過ぎていった。
腕輪は一度も光らなかった。
見ていた者は、何かが違うと気づいていた。
それでも、誰も何も言わなかった。
監視網は、Xを“誰か”として認識しつつも、命令対象にはできなかった。
指令系統から切り離された存在。
それでも、都市の中では“人”として扱われている。
だが、“エラー”として処理されることはなかった。
Xは家に戻る。部屋の中は静かだった。
人工照明が、同じ色温度で淡々と空間を照らしている。
Xは服を脱ぎ、バスルームへ向かう。
シャワーの音が壁に反響し、やがて湯気が部屋の隅に薄く流れ込む。
水滴が肩をつたって床へ落ちる。
Xは目を閉じず、ただ静かに、髪と体を洗い流していく。
着替えを終え、Xはベッドに腰を下ろす。
都市の情報ネットでは、日々の統計が更新されていた。
治安は安定、健康指数も最適。死亡報告ゼロ。
セレクター稼働記録も低稼働状態。管理下にある社会は、今日も“平和”だった。
Xは腕輪に指を滑らせ、都市のマップを展開する。
そのなかに、一箇所だけ灰色のまま塗り潰された領域があった。
ラベルも、座標も、情報も表示されていない。
Xは初めてそこへ行こうと思った。




