第九十六話 東海林七海という少女
「いやぁぁぁぁ! 和花ぁぁぁぁ!」
身を挺して、七海を守ったのは……。
先ほど女の子を連れて逃げたはずの、和花だった。
「和花っ! 和花ぁ……っ!」
七海は、必死な顔で和花に縋りついた。
今は、砕かれた足の痛みも、目の前のティーグルへの恐怖も、一時的に忘れていた。
和花は、ぐったりと動かない。
その背中には、見るも無惨な傷跡が刻まれていた。
ティーグルの爪による一撃が、彼女の華奢な背中を深々と抉っているのだ。
それは、明らかに致命傷だった。
(ど、どうしたらいーの……!? )
その時だった。
ぐったりと倒れていた和花が、微かに目を見開いた。
そして、今にも消え入りそうな声で、七海に向かって話しかける。
「なな、み……ちゃん……。無事で、よかった……」
「……和花っ!」
血まみれの和花に、七海が縋り付く。
彼女の服も血を吸って、真っ赤に染まっていった。
「何で……!? 何で、こんなこと……っ!!」
「ごめん……ね、七海ちゃん……。身体が、勝手に動いたの……」
「ウチなんて置いて、逃げればよかったのにっ! なんで……!?」
「言ったでしょ……。置いて……いかないって……」
「————ッ!?」
「だから……七海ちゃんを、一人には……」
その時、和花の身体から、ふっと力が抜けた。
血液がこぼれ落ちるのと同じ速度で、和花の身体が熱を失っていくのが分かる。
「……和花ぁ! イヤだ! 和花っ!」
七海は、和花の血で真っ赤に染まった手を見た。
その赤色は、彼女にある日のことを思い出させた。
***
七海は、一般家庭に生まれた。
いや、一般家庭というと、やや語弊があるかもしれない。
彼女の母親は、いわゆる教育ママだった。
学歴にコンプレックスのあった母親は、幼い頃から彼女を塾に通わせた。
幼稚園にも行かない年齢から九九を覚えさせ、英単語を教え込み、有名な音楽を聞かせる。
その甲斐あって、七海は常に学校では成績トップだった。
ただし、習い事で忙しく、母親も遊びに行くのを認めなかったので、友人はできなかった。
塾に通い、英会話教室に通い、音楽教室に通い……。
やがて七海は、自分のしたいことが分からなくなっていった。
自分が母親の操り人形になっているような気さえした。
別に習い事が嫌だったわけではない。
ただ、これが自分のやりたいことだとは、とても思えなかった。
そんな折、彼女は友人から借りたファッション誌を見て、あるものにハマった。
ギャルファッションである。
明るい髪色や、短いスカート。
派手なメイクに、カラフルなネイル。
それら全てが、彼女を魅了した。
彼女は、ギャルファッションに傾倒していった。
髪を染め、ネイルを付け、スカートの丈を短く折って履いた。
それが、彼女なりの抵抗であり、自己表現だった。
日に日に派手になっていく七海のことを、はじめ母親は激しく咎めた。
エリートになるために育ててきた娘の変節を、彼女は認めようとしなかったのだ。
おさげに、黒縁メガネ、既定通りのスカート。
それが、母親が娘に求めた服装だった。
当然、七海と母親は衝突した。
娘の全てをコントロールしたい母親と、それに反発する娘。
互いに爆発しかねない状況であったが、ある時、転機が訪れた。
両親の離婚である。
穏やかだが意志の強い父親と、ヒステリックで自己主張の激しい母親。
そんな二人が、長く一緒に過ごせるはずもなかったのだ。
やがて離婚が決まると、財産や親権など、様々な事柄の取り合いになった。
最終的には、父親の方には七海が、母親の方には歳の離れた弟が着いていく事になった。
弟の方も成績優秀だったので、今度はそちらを育成することにしたのだろう。
そのことを少し心配していた七海だったが、弟の方は別に習い事が苦ではないらしく、それなりに上手くやっているようだった。
七海は母親の束縛から逃れる事に成功したが、ギャルファッションは止めなかった。
それは既に彼女のアイデンティティの一部になっていたし、七海もギャルとしての自分が好きだった。
父親は七海に甘かったので、娘が好きな格好をすることを咎めなかった。
それどころか、今の成績さえ維持していれば、好きな化粧品を買い与えることさえした。
ただ、派手なギャルファッションは、ある種の弊害も産んだ。
それが、学校における人間関係の不和である。
派手な服装をしていると不良だと思われるらしく、自然と人間との関わりは疎遠になっていった。
それでも七海は、ギャルファッションをやめなかった。
中学進学にあたっても、わざわざ「服装自由」のところを選んだ。
校則で服装を規定されるなど、真っ平ごめんだったからである。
それに、「自分と同じような子がいるかもしれない」という淡い期待もあった。
ただ、入学してみると、彼女ほど派手な服装をしている子はおらず、七海のギャルファッションはひどく目立った。
ここでもかー、と彼女はひどくがっかりした。
そんな時。
七海の元に、隣のクラスから一人の少女が尋ねてきた。
話を聞くと、その子も七海と同じく、ギャルファッションの愛好家だという。
ただ、実際にメイクする勇気が出ないので、教えて欲しいとのことだった。
七海がプロデュースしたことで、次の日から同じ学年のギャルは、二人になった。
それをきっかけに、七海は彼女と仲良くなった。
やがて、すっかり意気投合した二人は、大の親友になった。
休日も一緒に出かけ、テスト前は勉強を教えてやる。
平凡だが、心を許せる友人と一緒に過ごす毎日。
習い事漬けだったり、ギャルファッションのせいで敬遠されたりで友人のいなかった七海にとっては、それが何よりも幸せだった。
しかし、そんな幸福も長くは続かなかった。
とある夜。
一緒にショッピングを楽しんだ二人が、暗い道を帰っている時に、そいつは現れた。
数mもある巨体に、歪な頭部、膨れ上がった両腕。
そして、緑色に光る不気味な目玉。
リ・ヴァースからの侵略者……魔獣兵である。
いきなり闇の向こうから怪物が出現し、七海は硬直した。
逃げようと思っても、足が動かない。
その時だった。
——ドンッ!
七海の視界が、急激に傾いた。
横合いからの衝撃によって、勢いよく身体が横倒しになる。
何が何やら分からぬうちに、彼女は盛大に転倒していた。
そして転んだ拍子に、近くの電柱に頭を強かに打ち付けてしまう。
ぶつけた額がぱっくりと切れ、視界が赤く染まっていく。
頭を強く打ったためか、視界がグラグラと揺れた。
親友に突き飛ばされたのだと、遅まきながら彼女は気が付いた。
信じられない思いで、隣に視線をやる。
しかし、そこに親友はいなかった。
既に彼女は、その場から逃げ出していたのだ。
地面に倒れ込んだ七海のことを、怪物の前に置き去りにして。
「——待って!」
必死に叫ぶ七海。
しかし、親友は待ってはくれなかった。
怪物への囮に使われたのだと、七海はようやく理解した。
それでも、一縷の望みをかけて、その背中に向けて叫ぶ。
「——置いていかないで!」
七海の叫びは、彼女に届かなかった。
いや、きっと届いてはいたはずだ。
ただ……彼女は、七海よりも自分の命を優先した。
親友は、七海のことを裏切ったのだ。
残酷ではあるが、それが真実だった。
あまりの絶望感に、七海は高いところから突き落とされたような感覚に陥った。
ひたひたという足音。
怪物の荒い息遣いが、首筋にかかる。
七海が死を覚悟した、その時。
怪物が、勢いよく跳躍した。
そして、七海のことを無視して走り出す。
向かった先は……七海を突き飛ばして逃げた、親友のところだった。
怪物の巨大な手が、逃げる親友を鷲掴みにする。
そして……。
親友の絶叫と、ばりばりという悍ましい咀嚼音が、夜の裏通りに響き渡った。
「だめぇぇぇぇ!!」
七海は必死に叫んだが、頭を打ち付けたせいか、身体が痺れて動かない。
彼女は、目の前で親友だった人物が生きたまま貪り食われるのを、見ていることしかできなかった……。
***
気がつくと、七海は、はらはらと涙を流していた。
あの時とは、まるで真逆だ。
七海は置いていかれたどころか、和花に救われたのだ。
命の危険を顧みず、わざわざ自分の元へ戻ってきてくれた和花に。
七海は、ギュッと和花を抱きしめた。
彼女の生暖かい血が、七海の手を濡らしていく。
「……はぁ? 何だぁ、そのゴミは? 突然、飛び込んできやがって」
その呟きは、ティーグルによるものだった。
彼は、未だに状況が飲み込めていないようで、盛大に首を捻っている。
「和花……ありがとう……! 私を、守ってくれたんだね……!」
七海の呟きを聞いて、ティーグルはようやく状況を理解した。
「ゲハハハハ! お友達を守るぅ!ってかぁ!? ホントにバカだな! ゲハハハハ!」
和花のことを嘲笑するティーグル。
彼にとって、「友人」という存在も、「守りたい」という思いも、想像の埒外にあった。
ゲラゲラと笑うティーグル向かって……七海は、低い声で、唸るように言った。
これまでとは違う、怒りに満ちた声で。
「……黙れ」
「……ああん!? 聞き違いかぁ!? もう一度、言ってみろ、このガキ!」
瞬間、ティーグルが沸騰した。
彼は、圧倒的に不利なはずの七海が、自分に対してそんな口を利いていることが許せなかったのだ。
しかし、七海は一歩も引かなかった。
自分よりも大きなティーグルのことを睨みつけ、思い切り怒鳴りつける。
「黙れって言ったんだし! このゲス野郎!」
「ああああん!? 死んだぜテメェ! グチャグチャにして、食い殺してるぞぉ!」
ブチギレるティーグル。
しかし、七海は一歩も引かない。
そこには、先ほどまで彼女が感じていたはずの恐怖や苦痛は、どこにも存在していなかった。
七海は怒っていた。
和花のことを、馬鹿にされたことに。
そして、何よりも……自分の親友を傷つけられたことに。
七海から放射されているのは、凄まじいまでの怒気だった。
それは、もはや殺気に近い。
ピリピリとした気配が、周囲の空気を塗り替えていくようだ。
そのあまりの気迫に、思わずティーグルは後退ってしまう。
直後、こんな小娘一人に気押されたという事実に、思い切り舌打ちする。
そして、そんな自分を恥じるように、彼は言った。
「そのガキの死骸も、ズタズタに切り刻んでやる。服を剥いで、素っ裸にして、逆さまに吊るしてやるよ!」
「やってみろし……! 先にウチが、アンタのことを、ぶっ殺すから……!」
「……ッチ、ゴミが。何イキっちゃってんだぁ? テメェはここで死ぬんだよ!」
七海のことを威圧するように、大声を出すティーグル。
しかし、七海の目に、一切の怯えはない。
彼女はただ、燃えるような眼差しでティーグルのことを睨み返していた。
「くそっ! いい加減、死ねや!」
思い通りにならない七海を見て、激しく毒づくティーグルは……。
ゴウ!という音と共に、その右腕を全力で振り下ろした。
直後。
ばちんという、肉の弾ける音が響き渡った。
そして、肉片が地面に落ちる音と、びちゃびちゃと血液の滴り落ちる音が、それに続く。
ティーグルの一撃は、凄まじい威力を秘めていた。
女子中学生の身体など、一瞬でミンチになるほどの威力だ。
ティーグルの剛腕による一撃。
それは、間違いなく七海に命中していた。
ただし……。
血を流しているのは、七海ではなかった。
「……は?」
ティーグルが呆けたような声をあげる。
彼の自慢の右腕。
その肘から先が、ごっそり消滅していた。
「……うぎゃああああああ!?」
直後、情けない悲鳴をあげて、ティーグルが地面をのたうち回った。
連載に必死で、何度かランクインしていたことに気付いていませんでした。
これもご愛読いただいている皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。
拙作ですが、これからもお付き合いいただけますと幸いです。




