第九十四話 迷い子
このエピソードも、当初は一話にまとめるつもりだったのですが……。
7千字を超えてしまったので、分割します。
ただ、内容的に少し薄いです。許して……。
時は、わずかに遡る。
魔法少女たちが鏡の世界を脱出する、その少し前。
動物園は、大パニックになっていた。
園内にリ・ヴァースの怪人が現れたという知らせがあったのは、ほんの数分前のこと。
あちこちのスピーカーから警報が鳴り響き、係員が大慌てで客を誘導していく。
逃げている人々も必死だ。
もし逃げ遅れれば、一切の誇張なく、自身の命に関わる。
中には、悲痛な声で我が子を呼ぶ母親の姿もあった。
きっと、この混乱の中で、子どもとはぐれてしまったのだろう。
逃げ惑う群衆が、一斉にゲートに向かって駆けていく。
その中に、中学生くらいの二人の少女が混じっていた。
片方はやや小柄で、黒のショートカット。
可愛らしく愛嬌のある顔立ちだが、今はその顔には真剣な表情を浮かべている。
もう片方は、ウェーブのかかった明るい茶髪。
カラフルなネイルに長いまつ毛の、いわゆるギャルファッションだ。
黒のショートカットの少女……和花が、心配そうな顔で振り返った。
その後ろを走っていたギャルファッションの少女……七海が、和花の眼差しに気づいて、わずかに首を傾げる。
「……七海ちゃん、大丈夫? まだ走れそう?」
「う、うん。まだ、だいじょーぶ……」
和花と七海は、先日のスカイタワーの一件から、少しだけ気まずい時期が続いていた。
不仲とまではいかないが、いささか関係がぎこちなくなっていたのは事実である。
今日の外出も、和花が「七海ちゃんと仲直りしたい」と考えて企画したものだ。
しかし、動物園を一緒に巡り、一緒に食事をし、一緒に過ごすことで、無事に仲直りをすることができた。
今では、すっかり元の関係性に戻ることができている。
それどころか、むしろ前よりも仲良くなったかもしれない。
まぁ、仲直りと言っても、壁を作っていた七海の方が根負けした、というのが正しいだろう。
とはいえ、七海も嫌々と言うわけでもなく、決してまんざらではないようだ。
和花という友人を持てたこと自体は、素直に喜んでいる節があった。
実際、動物園にリ・ヴァースの怪人が出現して、今まさに必死に逃げている状況だというのに……。
和花に手を引かれて走る七海の表情は、少しだけ嬉しそうだった。
***
「ごめん、もー限界、ムリ……!」
しばらくは和花に手を引かれて走っていた七海。
しかし途中で、とうとう走れなくなってしまった。
これは七海に体力がないというより、和花が体力オバケなのである。
和花の正体は、リ・ヴァースから世界を守る魔法少女の一人……マギア・ローズだ。
魔法少女に変身できるようになってから、彼女の身体能力は明らかに向上していた。
一度、試してみたことがあるのだが、10km以上走っても全く息切れしなかったほどである。
そんな和花のペースに合わせて走り続けていた七海は、むしろ体力がある方だろう。
今更ながらそのことに気付いた和花は、慌てて七海の背中をさすった。
「ご、ごめんね! ちょっと休もっか」
「……いや、和花は先に行ってて。すぐに追いつくから……」
この七海の言葉は、「和花だけでも先に逃げてほしい」という気持ちを含んだものだった。
今は、動物園内にリ・ヴァースの怪人が出現したと言う緊急事態。
こんな状態では、とてもではないが、ゆっくり休憩している暇などない。
自分に付き合わせてしまって、それが原因で逃げ遅れたら……。
きっと七海は、決して自分のことを許せないだろう。
「ダメだよ!」
さっきの言葉は、七海なりの思いやりだった。
だからこそ、和花に思いのほかキツい口調で注意され、思わず彼女は驚いてしまう。
叱られた七海は、おずおずと和花の方を見た。
和花は、腹を立てているようだった。
彼女は七海の目を正面から見つめると、キッパリと言い切る。
「七海ちゃんのことは、置いていかない。絶対、一緒にいるからね」
「でも、それで和花が逃げ遅れたら……」
「関係ない! 置いていかないんだから!」
「……ありがと。でも、ホントに大丈夫。先に行ってて……」
頑なにそう主張する七海。
和花は反論しようとして……ふと、あることに気がついた。
「……ちょっと待って、七海ちゃん」
「……ん? どったの、和花ちゃん……」
七海は、びっしょりと汗をかいていた。
確かに、慣れないペースで走っていたら、汗もかくだろう。
ただ、七海は息切れしていない。
つまり、この汗の量は、「単に疲れた」というだけでは、説明がつかないのだ。
よくよく見てみると、どことなく顔色も悪いように見える。
「もしかして……どこか具合が悪いの?」
「そ、そんなことないし! 別にヘーキだし!」
はぐらかそうとする七海。
しかし、和花の目は誤魔化せなかった。
「……ごめんね、七海ちゃん」
「あっ、ちょ……!」
和花は七海の抗議に耳を貸さず、彼女のデニムをわずかに捲り上げた。
すると、青い生地の向こう側から現れたのは……。
痛々しく、紫色に腫れ上がった足首だった。
七海は、走り疲れたのではない。
怪我しているのを我慢して、走り続けていたのだ。
「……ちょっと触るよ」
「……ッ」
和花がそっと手を添えると、七海が小さな声で呻いた。
どうやら、かなり痛むようだ。
「……いつから?」
ちょっと怒ったような口調で問いただす和花。
それを見て七海も、観念したように白状する。
「……さっき。走ってる時に、グネッちゃって」
「……もう。何で、もっと早く言わないの」
和花がジト目で七海を睨むと、彼女はふいっと視線を逸らした。
ちょっと気まずそうな様子で、もごもごと言い訳する。
「……だってさー。それどころじゃなかったし……」
そんな七海を見て、和花は小さくため息をついた。
「……全くもう。仕方ないから、休みながら逃げよう」
和花のこの提案は、少し緊張感に欠けているかもしれない。
しかし、和花は魔法少女だ。最悪、変身して怪人と戦うこともできる。
もちろん七海は、そんなことは知らない。
だからこそ、これ以上ないくらい真剣な顔で、和花のことを見た。
「……むり。これ以上は、走れないや」
「七海ちゃ……」
「だからさ……。ウチのことを置いていって。割とマジで」
七海は、真剣な声音でそう言った。
ただ……その身体は、微かに震えている。
口では「置いていって」などと言っていても、彼女が怯えているのは間違いなかった。
しかし、和花がそんなことを許すはずもない。
先ほど同様、和花はキッパリと言い切った。
「だめ。そんなことできない」
「で、でも……リ・ヴァースが……」
「だったら尚更、放って置けないよ」
どこまでも本気な和花。
その表情を見た七海は……それ以上、もう何も言えなかった。
***
動物園内には、もう誰の姿も見当たらない。
聞こえるのは、スピーカーから流れてくる警報と、それにざわつく動物たちの鳴き声だけだ。
そんな中、和花と七海は、近くの休憩所の中に隠れていた。
休憩所とはいえ、それなりに広い。
無数のベンチが並び、壁際には自動販売機が置かれている。
二人の間に、会話はない。
普段なら雑談でもしているところだが、リ・ヴァースの怪人が出現していると言うこの状況では、とてもではないがそんなことをしている余裕はなかった。
神経が過敏になっていたから、だろうか。
ここで七海は、あることに気がついた。
「……ちょっと待って」
「ど、どうしたの?」
真剣な声色の七海。
思わず和花は、彼女の顔を見た。
「子どもの声がする」
「えっ?」
今、微かに泣き声のようなものが聞こえた気がしたのだ。
しかし、警報や動物たちの声に紛れて、かなり聞き取りにくい。
七海は、ウェーブのかかった茶髪を書き上げると、そっと耳をそばだてた。
「……っ!」
「聞こえたよね?」
今度は、はっきり聞こえた。
その声は、間違いなく幼い子どものものだった。
どうやら、ぐすぐすとべそをかいているようだ。
恐る恐る、休憩所の中を探してみると……。
「……いた」
「……女の子、だね」
休憩所のベンチ。
その裏側で、まだ幼い女の子がうずくまって泣いていた。
きっとまだ、小学校に進学もしていない歳だろう。
二人は顔を見合わせると、おずおずと女の子に話しかける。
「……お名前は?」
「……まな」
「まなちゃんって言うんだー。ウチは七海! こっちは和花だよー」
明るい声を出して、七海が話しかける。
しかし、女の子は泣き止んでくれなかった。
「ママがね、いないの……」
そういえば先ほど、子どもの名前を呼ぶ母親の姿を見かけた。
きっと、このパニックの中で、はぐれてしまったのだろう。
「まな、おいてかれちゃった……」
「……っ」
女の子の言葉に、七海の胸がズキンと痛む。
……置いていかれる。
その辛さを、彼女は誰よりもよく知っていた。
七海の心は、すぐに決まった。
「……ねぇ、和花」
「なに、七海ちゃん?」
「この子を連れて、ここから逃げて」
その言葉に、思わず和花がパッと七海の顔を見る。
彼女は、まっすぐ和花のことを見つめ返していた、
「えっ!? ……七海ちゃんはどうするの?」
「ウチは、ここに残る。この足じゃ、どのみち逃げらんないし」
「ダメだよ、そんなの!」
先ほどのように、和花が声を荒らげる。
しかし今度は、七海は意見を曲げなかった。
「この子をこの場に残しておけないでしょ。ウチはダイジョーブだし。ここに隠れてるから」
「でも……」
「あのさー、今は言い争ってる場合じゃないから。早く行ってくんねー? 時間のムダだし」
きっと……わざと、だろう。
普段よりもキツイ言い方をした七海のことを、和花はきゅっと口を引き結んで見つめた。
「……すぐに戻るから。約束する。……いくよ、まなちゃん」
和花はそう言って女の子を背負うと、休憩所を飛び出した。
***
「これで……ひとりかー」
遠のいていく和花の背中を見ながら、七海は呟いた。
休憩所の壁に寄りかかって、ふうと小さく息を吐く。
自分から提案したくせに、彼女の身体が微かに震え出すのを感じる。
——待って!
——置いていかないで!
フラッシュバックする、過去の記憶。
自然と、七海の呼吸が荒くなる。
それは決して、足の痛みが原因ではなかった。
“置いていかれる”ことに対する、本能的な恐怖によるものだ。
(……あーあ、ウチってば……マジでバカみたい)
七海は思わず自嘲する。
自分で「置いて行って」などと言ったのに、このザマだ。
迷子の女の子を助けたのは、決して優しさからではない。
それはあの子に、自分の過去を重ねて見てしまったから。
本当に迷子になっているのは、七海自身なのかもしれない。
(……ホント、情けない)
そんなことを考えていた七海は、ふと、周囲が騒がしいことに気がついた。
スピーカーから流れてくる警報の音は、先ほどまでと変わらない。
だが、動物たちの騒めきが、先ほどよりも明らかに大きくなっていた。
動物たちが妙な騒ぎ方をするときは、地震や台風といった災害が発生する前兆だという。
まるで、これから何か大きな災いが起こることを、予め分かっているとでも言うかのように……。
その時だった。
がりっ、と言う不吉な音が、周囲に響いた。
何か鋭いもので、壁を削るような音だ。
そう、例えば……鋭い動物の爪、とか。
七海の身体が、思わずぎゅっと強張る。
(き、気のせいだし……きっと、何かの物音に決まってる……!)
必死に、そう思い込もうとする七海。
しかし……現実は非情だった。




