第九十三話 脱出
道化師の創り出した、鏡の世界での戦い。
その相手は、コピーされた魔法少女そのものだった。
リリィ VS ミラーコスモス。
デイジー VS ミラーリリィ。
コスモス VS ミラーデイジー。
それぞれの敵に苦戦していた魔法少女たち。
その時、彼女たちは、同時にルーナからのメッセージを受け取った。
時を同じくして、ほんのわずか、鏡像たちの動きが停止する。
ルーナの【幻想】によって、一時的に魔法少女のことを“見失った”のだ。
魔法少女たちは、ルーナからのメッセージを正確に理解した。
これは、頭を使うのが苦手なデイジーでさえ、例外ではなかった。
それは、たった一言だけのメッセージ。
しかし同時に、ルーナが文字通り命をかけた一言。
その一言とは……。
((( スイッチ! )))
ルーナの作った好機を見逃すことなく……。
魔法少女たちは、一斉に動き出す。
そして“それ”は、一瞬で完了した。
魔法少女たちが実行したことは、単純明快。
ただ単に、“場所を移動しただけ”である。
だが、変わったのは、場所だけではない。
それは、対戦相手。
相性の悪かった相手から、逆に相性のいい相手へと変わる。
これによって、状況は大きく変化した。
マギア・リリィ VS ミラーデイジー。
マギア・デイジー VS ミラーコスモス。
マギア・コスモス VS ミラーリリィ。
実のところ、大したことはしていない。
しかし、いつの間にか、この危機的な戦況が、全てひっくり返っていた。
***
正面から突っ込んでくるミラーデイジー。
その鏡像に向けて、リリィは全力で凍結魔法を行使した。
「……〈蒼き猛吹雪〉!」
敵は腕をクロスして、リリィの魔法を防御する素振りを見せた。
しかし、それは悪手でしかない。
リリィの凍結魔法が直撃したミラーデイジーは……。
数秒の後、真っ白な氷像と化していた。
彼女の凍結魔法は、敵の防御力や耐久力に関係なく影響を及ぼす術式である。
どんなにミラーデイジーの身体機能が優れていても、こうなってしまえば意味がない。
「……ごめんね」
そう呟いたリリィが、凍りついたミラーデイジーへと氷弾を放つ。
高速の弾丸に穿たれた鏡像は、一撃で無数の破片となって砕け散った。
***
高速で繰り出される、ミラーコスモスによる連撃。
それを、辛抱強くデイジーはブロックし続けていた。
(まだだぜ……! チャンスを待つんだ!)
これだけ攻撃を受けても平気なのは、もちろん偶然ではない。
デイジーの持つ、頑健な身体機能と膨大な耐久力。
それが、一発一発の軽さを数で補うミラーコスモスの攻撃を完全に防ぎ切っていた。
やがて痺れを切らしたのか……。
ヒットアンドアウェイを繰り返していた敵が、一歩分だけ余計に、デイジーに向かって踏み込んでくる。
それは、敵に生じた、ほんのわずかな隙だった。
(……そこだ!)
デイジーは、それを見逃さなかった。
突き出されたミラーコスモスの拳。
それを彼女は、正面から掴み取った。
慌てて逃げようとする相手を見て、デイジーがニヤリと笑う。
ギリギリと握りしめられた敵の腕は、既にガッチリと固定されている。
「もう離さねぇぞ?」
そう言うが早いが、デイジーは相手を掴んでいるのとは反対側の拳に、全力で魔力を集中させた。
直後、鮮やかな黄色の光が、硬く握られた拳へと収束していく。
「喰らえ! 〈黄の鉄拳〉!!」
凄まじい威力で突き出された拳が、ミラーコスモスを直撃する。
ぶっ飛ばされた鏡像が、空高く打ち上げられ……。
黄色い光と共に、轟音を立てて爆散した。
「……悪ぃな」
敵の爆発を見上げながら、デイジーは小声でそう呟いた。
***
目にも止まらぬ速度で疾走するコスモス。
その姿は、さながら戦場を翔ける緑の風だ。
そのすぐ近くを、ミラーリリィから放たれた氷の弾丸が通り過ぎた。
しかし、コスモスは止まらない。
縦横無尽にミラーリリィの攻撃を回避しながら、凄まじい速度で距離を詰めていく。
その距離が数mまで近づいた時、ミラーリリィが大きく手を広げた。
(……くる)
直後、凄まじい冷気が、蒼い吹雪となってミラーリリィから放たれた。
もし直撃すれば、一瞬で身体の芯まで凍りつくだろう。
しかし、コスモスは焦らなかった。
「……〈旋風鎧装〉」
彼女の身体を、圧縮された暴風の鎧が包み込む。
その荒れ狂う風の鎧は、ミラーリリィの凍結術式を吹き散らし、完全に遮断した。
相手が反応する隙も与えることなく。
コスモスの掌が、ミラーリリィにゼロ距離で添えられた。
「……〈翠の暴風撃〉」
直後、吹き荒れる緑の竜巻が、ミラーリリィを直撃した。
暴力的なまでの飄風に晒された鏡像が、一撃でバラバラに引き裂かれる。
「……なんか、ごめん」
かつてミラーリリィだった残骸を眺めながら、コスモスはちょっと気まずそうに、そう呟いた。
***
「ルーナ! ……〈蒼き猛吹雪〉!」
リリィの放った凍結魔法が、ミラールーナを直撃した。
敵は反射的に結界術式を張ろうとしたようだが、ルーナへの攻撃にリソースを割いていたためか、不発に終わる。
ルーナの姿を模した鏡像は瞬時に凍りつき、やがて無数の破片となって砕け散った。
「……大丈夫か! おい!」
ぐったりと横たわるルーナの身体を、慌ててデイジーが抱き起こした。
「おい! ルーナ! 気をしっかり持て!」
呼びかけても、ルーナからの反応がない。
焦ったデイジーが彼女をガクガクと揺さぶると、ようやくルーナはうっすらと目を開けた。
「……あんまり、揺らさないで」
「無事だったか! よかったぜ!」
嬉しそうなデイジーの顔を見て、ルーナは苦笑する。
やり方は乱暴だが、彼女なりに心配してくれていることが分かったからだ。
ルーナが無事だったことで、周囲に弛緩した空気が流れる。
「とりあえず、無事でよかった。……鏡像がバカで助かったね」
クールな表情を浮かべながらも、リリィは内心ホッとしていた。
幸いなことに、鏡像たちは「目の前の敵を攻撃すること」以外の行動をとらなかった。
もし相手が変わっていることに気づいて、何らかの対応をされていたら、勝機は薄かっただろう。
何せ、相手はコピーとはいえ魔法少女。
手前味噌にはなるが、普段から相手にしている怪人たちとは、明確に格の違う相手だった。
「……ッ」
「……大丈夫? リリィ」
激戦を潜り抜けて力が抜けたのか、リリィの身体がフラつく。
それを見て、隣にいたコスモスが慌てて支えた。
「ありがとう、コスモス。……流石に、ちょっと疲れた」
「……それは私も。正直、立ってるのが限界」
「そうか? アタシはまだいけるぜ! ……おっとと」
デイジーは強がりを言っていたが、リリィと同じようにフラついている。
どうやら、彼女も限界に近いようだ。
——ガシャン!
その時だった。
ガラスを割ったような音が、周囲に鳴り響いた。
慌てて上を見上げると、空が割れていた。
やがてそのヒビは広がっていき、氷河が割れる時のように、世界が砕けていく。
ピキピキと言う甲高い音を立てながら、空間に亀裂が入っていくのを見て、リリィは小さく呟いた。
「これは……」
「鏡像を倒したことで、条件を満たしたのよ! この空間は崩壊するわ!」
ルーナの言葉を聞いたデイジーが、思わず不安そうな表情を浮かべる。
「お……おい、アタシたちは無事なんだろうな!?」
「大丈夫。……そのはず。……そうであってほしい」
「不安しかねえぞ!?」
コスモスの言葉に、焦りを浮かべるデイジー。
そんな彼女たちを無視して、空間がどんどん砕けていく。
「……くるわ! 衝撃に備えなさい!」
ルーナが警告すると同時に……。
鏡の世界が、一気に砕け散った。
視界が眩いばかりの閃光に包まれる。
直後、魔法少女たちが目にしたのは、現実世界の景色だった。
リリィは反射的に周囲を確認するが、逆向きのものは何もない。
建造物の位置関係は正常だったし、看板の文字もきちんと読める。
どうやら、きちんと道化師の思念空間から脱出できたようだ。
「おーほっほ! コングラチュレーション! よくぞ鏡像たちを攻略しましたね! パチパチパチ!」
道化師が甲高い声で笑いながら拍手する。
「さて……改めて、ワタクシがお相手いたしましょうか?」
道化師はニヤニヤと笑いながら、そんなことを言った。
しかし、魔法少女たちの表情は晴れない。
それどころか、そこにはハッキリとした焦りの色があった。
「くっ……!」
思わず、リリィは歯を食いしばった。
トラ怪人との戦い、道化師との戦い、そして鏡像たちとの戦い。
連戦に次ぐ連戦によって、魔法少女たちは、ひどく消耗させられていた。
今では、立っているのが精一杯という有様なのだ。
道化師と言う強敵と戦うような余裕は、既に彼女たちにはなかった。
「おーほっほ! 皆さん、どうやらお疲れのご様子。ならば……」
魔法少女たちの様子を見てとった道化師は、邪悪な顔で笑った。
「……代わりに、彼らに相手をしてもらいましょう! ……出なさい、魔獣兵!」
道化師が、ピンポン玉大の黒い球体を、あたり一面にばら撒いた。
無数に地面に散らばった球体は、ボコボコと急激に膨れ上がっていき……。
数秒の後、そこには魔獣兵の群れが出現していた。
「……チッ! くそったれが……!」
思わずといった様子で、デイジーが毒づく。
正直に言って、リリィも同じ気分だった。
魔獣兵など、普段の彼女たちからすれば、ハッキリ言って敵ではない。
しかし、今の疲弊し切った状態では、苦戦することは必至。
加えて、この数だ。ざっと見積もっても、数百体はいるだろう。
物量で押し潰されることになるのは、目に見えていた。
(……どうする!? 何か方法は……!)
冷静なリリィにしては珍しいことに、彼女は焦っていた。
そして……焦れば焦るほど、思考が空転する。
しかし、どんなに考えても、この状況を打破できる手段が思いつかない。
(……くそっ! やるしかないか……!)
自分は、ここで死ぬかもしれない。
そんな悲壮な覚悟を決めて、魔獣兵の群れに対峙する。
デイジーとコスモスも、リリィの側に立った。
彼女たちもまた、覚悟を決めたようだ。
「おーほっほ! いい表情です! 行きなさい、魔獣……」
道化師が魔獣兵たちに命令しようとした、その時だった。
ズン!という音を立てて、“何か”が落下した。
あまりの衝撃にコンクリートが砕け、地面がグラグラと揺れる。
一瞬、何が起こったのか分からず混乱するリリィたち。
やがて、一拍遅れて、空中を飛んできた“何者か”が降り立ったのだと気付く。
もうもうと立ち込める土煙。
やがてそれが晴れた時、その向こう側から現れた人物を見て、リリィは目を見開いた。
「……えっ?」
呆然とした様子で呟くリリィ。
コスモスとルーナも、驚きを隠せないようだった。
デイジーに至っては、口をあんぐりと開けている。
道化師は、その人物を見て、ニヤリと笑った。
そして、なぜか少し嬉しそうな声色で問いかける。
「おやおや……いったい誰ですか、アナタは?」
わずかな静寂の後……。
その人物は、口を開いた。
「知らないなら、教えてあげる。ウチは……」




