第九十一話 鏡の世界
「おーほっほ! 当たらなければ、どうということもありませんねぇ!」
リリィの放つ、凍気を纏った打撃。
デイジーの鋼鉄をも砕く豪撃。
そして、高速で繰り出されるコスモスの連撃。
道化師は、それら全てを紙一重で躱し、いなし、捌き続ける。
時折、ルーナが【幻想】によるフェイントや認識操作を交えているのだが、それも即座に解除されてしまい、未だ何の効果も得られていない。
魔法少女たちが道化師と激突して、まだそれほど時間は時間は経っていなかった。
しかし、彼女たちの顔には、既にはっきりとした焦燥が刻まれていた。
理由は主に二つ。
まず一つ目は、最初に戦っていたトラ怪人のティーグルを逃してしまっていること。
そもそも最初は、動物園に出現したティーグルを倒すために魔法少女たちは出撃したのだ。
そして、それは途中までは上手くいっていた。
しかし、途中で道化師がしゃしゃり出てきたために、ティーグルの逃亡を許してしまった。
しかも悪いことに、ティーグルは傲慢かつ残虐な性格だ。
そんな凶暴なやつが今なお野放しになっているという状況は、彼女たちに少なからず重圧を与えていた。
そして二つ目だが……単純に、道化師が強すぎた。
四人がかりで挑んでも、全く勝てるイメージが湧かないのだ。
まともに攻撃を当てたのはコスモスだけだが……。
それも、結局は人形が身代わりになっていたので、ダメージを与えたとは言い難い。
これまでも魔法少女たちは、魔導十姫のルヴィアやヴェリエス、人狼に変身したオリヴィアなど、強敵たちと死闘を繰り広げてきた。
しかし、どんなに強敵が相手でも、勝ち目が全くない、などということはなかった。
事実、戦いの結末はそれぞれ異なるにせよ、最終的にはどの敵にも勝利を治めている。
だが、道化師は違う。
リリィ以上の魔法、デイジー以上のパワー、コスモス以上のスピード。
そして、ルーナの固有魔法である【幻想】でさえ、道化師は無効化してみせる。
相手の実力を測るのに長けているコスモスからしても、「底知れない」という印象しか受けないのだ。
この戦いも、道化師にとっては遊びみたいなものなのだろう。
実際、以前ローズと戦った際も、全く本気ではなかったらしい。
ローズは「何とか一撃入れた」と話していたが……。
それがどれほどの偉業なのか、彼女たちは身にしみて実感していた。
「……くそっ! 逃げんな!」
痺れを切らしたデイジーが、道化師に正面から突っ込んでいく。
「ばか! デイジー!」
リリィが叫ぶが、もう遅い。
「ほいっと」
「うおおおおお!?」
「……ッ! 危ない」
殴りかかった腕をそのまま掴まれて、ハンマー競技のように投げ飛ばされるデイジー。
彼女が地面に激突しないように、慌ててコスモスが割り込んでキャッチする。
「イッテェ……! 悪りぃ、コスモス!」
「このくらい、別に構わない」
コスモスはデイジーの謝罪に対し、こくりと頷いてみせる。
実際、彼女のスピードと身体能力があれば、この程度はどうということはなかった。
「大丈夫? デイジー」
「デイジー、怪我はない!?」
「おう! 大丈夫だぜ!」
そこへ、リリィとルーナが合流した。
リリィは呑気な返事をしたデイジーのことを軽く睨む。
「アンタは一人で突撃しすぎ。チームワークがないと、コイツには勝てないよ」
「チッ……わーってるよ」
舌打ちしつつも、気まずそうに頭を搔くデイジー。
彼女も今のは自分のミスだと分かっているのだろう。
そんな魔法少女たちの様子を笑顔で見守っていた道化師。
やがて道化師は、ポツリとこんなことを呟いた。
「ふむ。あちらもいい感じですね……あと5分ほど引き伸ばしましょうか」
「さっきから何言ってんだ、テメェ!」
「こちらの話です! おーほっほ! それでは……」
道化師が魔法少女たちを見下ろして、ニヤリと笑う。
その表情は、ゾッとするほどの狂気を孕んでおり、魔法少女たちは思わず身構えた。
「貴女方を、鏡の世界にご招待します! 〈鏡写しの魔導館〉!」
道化師の掌から、キラキラ輝く光の破片が次々に生み出されてゆき……。
直後、光の濁流となって、一気に魔法少女たち目掛けて押し寄せた。
「チッ! 避けろ!」
「分かってる!」
デイジーとリリィは素早く飛退って、これを回避した。
「……キャッ!」
「ルーナ!」
だが、身体機能で劣るルーナが一瞬逃げ遅れ……光の濁流に捕まってしまう。
慌ててコスモスがルーナの元へと向かうが、彼女は既に光の中に飲み込まれてしまっていた。
「ーーッ! コスモス!」
そして、ルーナを助けようとしたコスモスも同様に、光の中に消えていく。
「……くそっ! 避けきれねぇ!」
「……チッ」
高速で迫る光の濁流からは逃れられず……。
初撃は躱したデイジーとリリィも、すぐに二人の後を追うことになった。
キラキラと輝く光の破片の渦が、魔法少女たちを包み込む。
数秒の後、彼女たちは、跡形もなくその場から消滅してしまった。
一人になった道化師。
その手には、いつの間にかグレープフルーツ大の水晶玉が握られていた。
まるでダイヤモンドのように、キラキラとした光を放っている。
道化師は、その水晶玉を眺めながら、嬉しそうに笑った。
「おーほっほ! ようこそ、めくるめく鏡の世界へ……」
***
光の濁流に飲み込まれた後。
思わずギュッと瞑った瞼を、恐る恐る開ける。
「……なんだ? いったい、アタシはどうなったんだ?」
我に返ったデイジーが、慌てて周囲を見回した。
一見、そこは元いた場所と同じような景色に見える。
しかし彼女は、とある違和感に気付いた。
カラフルな看板や建物。
すぐ近くには、動物を入れておくための大きなケージが設置してある。
間違いなく、ここは上野にある動物園だ。
しかし、明確に異なる点があった。
目に映る全てが真逆なのだ。
看板の文字も全て反転しており、読むことができない。
まるで、悪い夢でも見ているかのようだ。
デイジーは、急激に不安が押し寄せてくるのを感じていた。
自分だけ、全く知らない異世界に飛ばされてしまったのではないか。
そんな馬鹿げた考えが頭をよぎり、ジワジワと恐怖が喉元まで競り上がってくる。
(……やべぇ! どこだここ!? アタシは一体、どこに来ちまったんだ!?)
デイジーはリリィとは違い、それほど魔法が得意ではない。
身体強化魔法については魔法少女の中でも随一だと自負しているし、事実その通りだ。
飛行術式や防御術式などについても、特に練習はしていないが、戦闘用の魔法なら一通りは使える。
だが、複雑な術式についてはサッパリだった。
リリィは術式を組むことに長けているし、コスモスやルーナはリ・ヴァースにいたおかげで、魔法には詳しい。
仮にどこか別の世界にでも転移させられていたら、デイジーひとりでは戻ることは無理だろう。
彼女の頬をダラダラと冷や汗が伝う。
その時だった。
「デイジー、怪我はない?」
「うおおおお!?」
「……いや、驚きすぎでしょ」
すぐ側からリリィに声をかけられ、デイジーは飛び上がった。
そんな彼女の姿を見て、リリィが呆れた声を出す。
デイジーも恥ずかしかったのか、顔を赤面させて反論した。
「う、うるせぇな! いきなり声かけられたら、誰だってびっくりするだろーが!」
「デイジーは臆病」
「ひとまず、全員無事みたいね」
そこへ、コスモスとルーナも合流した。
ルーナの言う通り、取り敢えずは全員無事らしい。
仲間たちが一緒にいてくれたことで、デイジーは見るからにホッとしたようだった。
少しだけ冷静さを取り戻した彼女は、照れ隠しからか、ガリガリと頭を掻きながら尋ねた。
「ってかよぉ……どこだ、ここ? 誰か分かるか?」
「多分、道化師が作った結界の中よ」
デイジーの疑問に答えたのは、やはりルーナだった。
彼女は、結界術式を種族特性とする妖魔族だ。
当然、自分たちが置かれている状況についても、彼女は正確に把握していた。
「結界? ってことは……端っこまで行ってぶん殴れば壊せんのか?」
デイジーの脳筋な疑問を聞いて、ルーナが呆れたように言った。
「壊せるわけないじゃない……。少なくとも、力技じゃ無理ね。おそらくここは、道化師の作り出した思念空間の中よ。特定の条件を満たさない限り、ここからは出られないわ」
「条件? どうすればいいの?」
リリィの質問に対して、今度はコスモスが回答した。
「大抵の場合は、術者を倒せば抜け出せる」
それを聞いて、リリィとデイジーは顔を見合わせた。
「だけどよ……ここにゃ道化師はいないぜ?」
デイジーの言葉は、事実だった。
どこを見回しても、道化師は影も形も見当たらない。
ルーナもそれが分かっていたようで、少し嫌そうに顔を顰めた。
「そういう場合は、ちょっと面倒よ。術者が設定した何らかのギミックを解除しないといけないわ」
「……ギミック? それって、どんな……」
リリィが言いかけた、その時だった。
どこからともなく、周囲に道化師の声が響き渡った。
「おーほっほ! ご機嫌いかがですか、魔法少女の皆さん!」
慌てて周囲を見回すが、道化師の姿はどこにもない。
どうやら、どこからか声だけを届けているようだ。
姿の見えない道化師は、そのまま言葉を続けた。
「そこはワタクシの創り出した、鏡の世界です! 見るもの全てが真逆で、ちょっと面白いでしょう?」
「おい、テメェ! ここから出しやがれ!」
デイジーが眦を釣り上げて、大声で怒鳴った。
しかし、道化師は意にも介していないようだ。
耳障りな声で笑いながら、デイジーに返答した。
「ワタクシの与えた試練をクリアすれば、すぐに出られますよ〜! おーほっほ!」
「……試練?」
コスモスが小声で嫌そうに呟く。
それを耳聡く聞きつけた道化師は、どこか面白がっているような声で回答した。
「すぐに分かりますとも!……〈鏡写しの同一存在〉!」
道化師が、そう叫んだ瞬間。
魔法少女たちは、四方に強烈な存在感が出現するのを察知した。
コツ、コツというアスファルトを叩く金属音が響く。
どうやら、何者かがこちらに向かって歩いてきているようだ。
慌てて身構える魔法少女たち。
その視線の先にいたのは……。
「これって……」
「おい! どうなってんだこりゃ!?」
「……これは面倒」
「やってくれるじゃない……!」
そこにいたのは……。
リリィ、デイジー、コスモス、そしてルーナ。
彼女たちに瓜二つの、もう一人の自分だった。
「もうお分かりですね? 貴女方の相手は、鏡の世界から生み出された、貴女自身です! どうぞ、存分に戦ってくださいな!」




