第八十七話 動物園
「おはよう、七海ちゃんっ!」
「……おはよ、和花」
朝から元気いっぱいの和花。
そんな彼女に対して、七海のテンションはどこか平坦だった。
外見上は、いつも通りの七海に見える。
いつも通りのバッチリ決まったギャルファッションに、いつも通りの明るい笑顔。
しかし、七海とそれなりに付き合いのある和花からしてみると、彼女の反応は、いささか距離を感じさせるものだった。少なくとも、七海が今日の外出をあまり喜んでいない事は明白だ。
しかし、和花はめげなかった。
七海との友情を取り戻したい一心で、健気に彼女に話しかける。
「30分も早く来ちゃった、えへへ」
「……早く来過ぎじゃね?」
「だって、楽しみだったんだもん! ……早く行こ、七海ちゃん!」
「……うん。行こっか」
そんな和花の姿勢に絆されたのだろうか。
七海は、心なしか最初よりも穏やかな顔になって、和花と一緒に歩き始めた。
***
微妙な距離感で歩いていく和花と七海。
そんな二人の後ろを、コソコソとついていく集団がいた。
『……あんまり押さないでよ』
『わりぃ、白石! ……でも、和花のことが心配でよ……!』
『なんとかなる。モーマンタイ』
『あんまり大声出さないで……。【幻想】を貫通しそうで怖いわ……』
琴音、美香、リブ、ルーナ。
言うまでもなく、和花の愉快な仲間たちである。
今日の外出のことは、もちろん彼女たちも把握していた。
和花が七海を誘ったその場に一緒にいたのだから、まぁ当然であるが。
最初は、寮で大人しくしていようと考えていた彼女たちだったが、美香がいてもたってもいられずに飛び出したのを皮切りに、二人の後を追いかけることになり……。
結局、和花と七海のことが気になって、今もこうしてこっそり着いてきてしまっている。
もちろん、そのまま着いていったら二人に気づかれてしまう。
そのため、十数m程度の距離を置いた上に、ルーナの【幻想】で周囲に彼女たちの存在を認識できないように偽装していた。
だから、万が一にも七海に気づかれる事はないのだが……。
これだけ大騒ぎすれば、安心と分かっていてもヒヤヒヤする。
ルーナの言葉は、そんな意味合いを含んだものだったが、美香は聞いていなかった。
と言うよりも、彼女にそんな余裕がなかった、と言うのが正解だろう。
『な、なぁ……アイツら、大丈夫だと思うか!?』
今も美香は、自分のことのように狼狽えていた。
見た目は不良そのものだが、彼女は意外と友だち想いなのだ。
七海とはそれほど仲がいいわけではないが、和花とは妹も交えて、休日を一緒に過ごすことも多い。
美香にとって和花は、一番の親友なのである。
『さぁ、わからない。ナナミは意外と頑固』
美香の言葉に対して、リブが普段通りのポーカーフェイスで返答する。
表情が薄いので興味がないように見えるが、この場にきちんと来ている時点で、彼女なりに二人のことを心配しているのは間違いなかった。
だが彼女の手には、ドラマの張り込み刑事のように、アンパンとパック牛乳が握られている。
……もしかしたら、このイベントを彼女なりに楽しんでいるだけかもしれなかった。
『くそ……! 上手くいかなかったら、アタシはどうしたらいいんだ……!』
『応援するしかない。頑張れノドカ』
『頑張れ、和花!』
『いけいけノドカ』
『うるさいよ、アンタたち……』
頭を抱える美香と、どこまでもマイペースなリブ。
そんな二人のことを、琴音が呆れを多分に含んだ声で注意した。
彼女は二人と対照的に、非常にクールな態度であるが……。
しかし、もちろん琴音も親友である和花のことを心配していた。
こんなところにまで一緒に着いてきている時点で、それは明らかだった。
『ああ、くそ! もう耐えられねぇ!』
とうとう我慢できなくなったのか、美香が大声で叫び出した。
『ファイトだ、和花! いっけぇぇぇ!』
『ちょっと! ミカ、あんまり騒がないで!』
流石にルーナが嗜めると、美香は勢いよく振り返った。
なぜかまっすぐ見つめ返され、思わずルーナがたじろぐ。
『おい、なんで他人事みたいな顔してんだ!? ルーナも応援しろ!』
『えっ!? わ、私も!?』
『たりめーだろ! 早くしろ!』
『え、えっと……が、頑張って、ノドカ!』
美香に無茶振りされ、少し恥ずかしそうにルーナが叫ぶ。
彼女には、こういう押しに弱いところがある。
『ルーナまで……』
【幻想】を使っているとはいえ、あまりに騒がしい仲間たちを見て、琴音が呆れ返る。
そんなこんなで、歩いていく二人の後を、この騒がしい一行は追いかけていくのだった。
***
「うわぁ! 可愛いね、七海ちゃん!」
「……そーだね」
もふもふのウサギを愛でながら、和花がにこにこと笑う。
それに釣られて、つい七海も笑顔になっていた。
ここは、上野にある動物園である。
和花たちの暮らす学校寮からも遠くないので、今日はここに来ることになったのだ。
二人が今いるウサギのコーナーには、他にもチンチラやモルモットなどのケージがある。
そのため、ここは特に女児に人気のあるコーナーだった。
子どもたちに混じった和花は、夢中になって可愛い動物たちを眺めている。
最初は一緒にウサギたちを見ていた七海も、時間が経つにつれて、次第に呆れ顔になっていった。
「……もー。ほら、そろそろいくよー?」
「あああ……もうちょっと! もうちょっとだから!」
「1日で回るんでしょー? このペースじゃ無理だよー?」
「うう……わかったよぅ……」
その手を強引に引きながら、七海は和花をウサギたちから引き剥がした。
それでも名残惜しそうに振り返りながら、和花はウサギたちのゾーンを離れるのだった。
ここはスカイタワーの水族館とは違い、敷地もかなり広大だ。
ゆっくり見て回ろうとすると、ゆうに数時間はかかるだろう。
そのため、少しペースを上げて回ろう、という話になっていたのだが……。
和花はそれを忘れて、初手から夢中になってしまっていたのである。
その手を引いてやりながら、七海は心の中で小さく呟いた。
(……全く。なんでウチが、こんなこと気にしてんだか)
七海は和花に誘われた方であって、元々、今日の外出については、それほど乗り気ではなかった。
しかし今は、なぜか和花を先導する立場になっている。
それが何だか可笑しくて、七海は思わず小さく笑った。
「……? どうしたの、七海ちゃん?」
「なんでもないよ。……ほら、早くいこ」
「うん!」
二人は、次のゾーンへと歩き出した。
***
この動物園は、大きく分けて東園と西園に分かれている。
東園にはゾウやクマ、ゴリラなどがおり、この動物園のメインゾーンと言えるだろう。
西園にはウサギやワニ、キリンなどが暮らしていて、和花と七海が入ったのはこちら側からだった。
和花と七海は、不忍池に沿うようにしながら、動物園を巡っていった。
ちなみに、目玉の一つであるパンダは、今はいない。
カイナ人民共和国から供与されていたパンダだったが、リ・ヴァースが攻め込んできたことを発端に、本国へと戻されていた。
ちなみに、その時のカイナは「パンダを再び供与して欲しければ、魔法少女を引き渡せ」と主張したのだが、あまりにくだらないので、礼儀正しい国民性の日本にすら黙殺されている。
リ・ヴァースとの戦争が終わらない限り、日本にパンダが来ることはないだろう。
閑話休題。
二人が次に出会ったのは、鳥たちだった。
もちろん普通の鳥ではない。
フラミンゴやハシビロコウなど、ちょっと変わったタイプの鳥たちだ。
フラミンゴの真似をして片足で立ってみたり、ハシビロコウと睨めっこしたり。
そんなことをして楽しみながら、二人はこのゾーンを通過した。
お次は、サルたちの暮らすゾーンだ。
こちらも、所謂ニホンザルのような普通のサルではない。
キツネザルやアイアイ、マーモセットなど、ジャングルに住むような小型のサルたちが主役だ。
そんなサルたちのゾーンで……。
和花は、盛大に顔を引き攣らせていた。
「うえ……アイアイって、何か……」
「ちょっち怖いねー」
実はアイアイは、童謡にあるような可愛い「お猿さん」などではない。長い爪やギョロリとした大きな目を持ち、現地でも「悪魔」と呼ばれているような、そんな不気味な生き物なのである。
「は、早く次に行こ!」
「えー、もーちょっと見てかない? ほら、あの鉤爪のついた指とか……」
「ひえっ……」
「ちなみに現地では、“アイアイに指差されると死ぬ”って言い伝えがあるらしいよ」
「なんで今そんなこと言うの!?」
いいリアクションを返してくる和花を見て、七海はケラケラと笑った。
……彼女には、ちょっとSなところがあるのかもしれない。
今度は七海の手を引っ張るようにして、慌てて和花はこのゾーンを離れるのだった。
次のコーナーにいたのは、カメやワニなどの水性爬虫類だ。
カメはともかく、ワニもなかなか恐ろしい外見をしている。
ガバッと開いた大きな口と、そこに並ぶ鋭いキバを見て、和花は鳥肌を立てていた。
「これはイリエワニって言って、ヒトも襲うんだってー」などと怖いトリビアを披露してくる七海に追い立てられるようにして、和花はこちらも早々に切り上げて次に向かった。
次のエリアは、アフリカゾーン。
キリンやカバ、サイなど、アフリカに生息する動物が暮らしているエリアだ。
「カバのお尻って可愛いね。まんまるで」
「……知ってた? カバって、お葬式するんだってー」
「えっ? そうなの?」
きょとんとした顔で見上げてくる和花。
七海は、どこか笑みを含んだ表情で説明を続ける。
「仲間が死ぬと、その周りを囲んで見送るらしーよー」
「へぇ……仲間想いなんだね!」
かかった、と七海は内心ほくそ笑んだ。
「でもねー、この話には続きがあってねー」
「なになに?」
「実はこれは迷信で、仲間の死体を取り囲むのは……共食いするためなんだってー!」
「だから何でそんなことを言うの!? 知りたくなかったよ!」
「ちなみに、カバの汗は真っ赤」
「いやだ! もうワケの分からない知識はいらないよ!」
ムンクの叫びみたいな顔で叫ぶ和花を見て、七海はゲラゲラ笑った。
笑いながら七海は、ふと、あることに思い至った。
(なんだ……ウチ、いつの間にか楽しんでるじゃん)




