第八十六話 離れる心
「……そうだよね? 七海ちゃん」
「……んー。そうなんじゃない?」
和花の言葉に対して、七海が返答する。
その言葉には、不可もなければ不足もない。
無視もせず、きちんとした受け答えをしていると言えるだろう。
しかし、その言葉は……どこか、空虚なものだった。
いつものギャルメイクに、可愛いネイル、セットされた明るい茶髪。
外見上は、いつも通りの七海に見える。
その顔に浮かんでいるのも、いつものような笑顔。
しかし和花には、その笑顔が、どこか無機質なものに見えていた。
これまでの七海の笑顔は、パッと咲く花のようだった。
彼女の人懐っこさと性格の良さが滲み出した、甘く華やかな笑顔。
しかし今、七海が浮かべている表情は、全くの別物だった。
笑顔というよりも、目と口元を歪めて作った、笑顔によく似た表情だ。
和花は、一生懸命、七海に向かって話しかけた。
しかし、彼女から返って来るのは、形ばかりの反応に過ぎなかった。
怒っている、というわけではなさそうだ。
少なくとも和花には、七海が怒りを抱いているようには見えなかった。
代わりに伝わって来るのは、どこまでも続く虚無。
これまでのように、言葉も笑顔も返してはくれている。
しかし、そこに乗っかっているべき感情が、そこには欠落していた。
仲良くなるために企画した、水族館へのお出かけ。
それが原因で、むしろ彼女との関係性が壊れてしまったような気がする。
無理もない、のだろう。
なぜなら和花は、七海のことを置き去りにしてしまったのだから。
和花は、マギア・ローズに変身して、道化師と戦った。
戦ったと言うより、いいように翻弄されただけのような気がするし、最後など見逃してもらったような形である。
しかし、道化師と交戦し、リ・ヴァースに追い返すことに成功したのは事実だ。
道化師を追い返した直後、和花は疲弊した身体を引きずって、急いでスカイタワーに戻った。
もしかしたら、まだ七海が待っているかもしれない。
そんな淡い期待は、木っ端微塵に打ち砕かれることになった。
七海はいなかった。
待ち合わせていたお土産物屋さんにはもちろん、ゲートの周辺にも。
スマホでメッセージを送ってみたが、七海からの返答はなかった。
和花が姿を消してから送信された「どこー?」という七海のメッセージに対して、和花は「勝手にいなくなってごめん」と返答したのだが……それ以降、未読のまま放置されてしまっていた。
彼女はSNSが好きで、よくスマホをいじっている。
こんなに長時間スマホを見ていない、ということはあり得ない。
もちろん、何か事情があるのかもしれないが、それよりも七海が和花のメッセージを無視している、と考えることの方が現実的だろう。
リブも水族館には戻っていなかった。
彼女はアルマジロ怪人と戦っていたが、消耗が激しく、スカイタワーまで戻ってこられるような体調ではなかったのだ。そのため彼女は、直接自分の寮の部屋へと帰っていた。実際、部屋に着いた瞬間、床で気絶してしまったというから、その判断は間違っていなかったと言える。
急いで学校の寮に戻った和花は、真っ直ぐ七海の暮らしている部屋へと向かった。
謝るにしても、直接、七海と顔を合わせて話したいと思ったからである。
しかし、七海はいなかった。
いや、部屋にいたのかもしれないが、ノックをしても出て来る様子はなかった。
顔を合わせたくないのかもしれない。
そう思った和花は、しょぼくれた顔で自室に戻るしかなかった。
流石に哀れに思ったルーナが励ます中、取り敢えず和花は、スマホで琴音と美香に連絡することにした。
もちろん、発熱して帰宅した美奈の体調を心配する気持ちもあるが、リ・ヴァース関連のことを報告しておかなくてはならない。
ひとまず、幼い美奈は無事であること、今はもう解熱してすやすや眠っていることを確認した和花は、怪人が出たのでリブが出撃したことや、和花自身も道化師と戦ったことを話した。
それを聞いた琴音と美香は、まず和花を労い、心配すると同時に、一緒に戦えなかったことについて謝罪の言葉を口にした。
しかし、近くにルーナもおらず、感知能力もない二人に、敵の襲撃を察知することなど不可能だ。
今回は仕方なかったということを、改めて和花はそのことを二人に伝えた。
まぁ、敵の幹部である道化師と一人で戦ったことについては、琴音から小言を食らったが。
最後に和花は、七海のことについても二人に相談した。
説明もないまま、彼女を水族館に置いていかざるを得なかったことについて、嘘偽りなく、正直に。
それを聞いた美香は「仕方ねーだろ、メチャクチャ謝るしかねえよ」とキッパリした口調で言い切った。
こういう時に、美香の竹を割ったような性格は、むしろありがたい。
しかし、琴音は口篭った。
席が近いということもあり、琴音は七海と仲が良く、休日は一緒に過ごすこともある。
そんな琴音から見て、七海という人物は、かなりアンバランスな人物だった。
人懐っこく社交的でありながら、どこか一線を引いている。
そんな歪さを、琴音は七海から感じ取っていた。
もし突き放したら、突き放した分だけ遠ざかってしまう人物。
琴音は、七海のことをそんなふうに認識していた。
翌日になって、ようやく和花は七海と顔を合わせることができた。
きっと怒っているか、そうでなくても、深く傷ついている。
そう思って、全力で謝った和花。
しかし、七海はいつも通りだった。
少なくとも、その場では、彼女は気にしている素振りを見せなかった。
「ごめんね、七海ちゃん! 実は、急用ができて……連絡する暇もなくて……!」と謝り倒す和花に対して、七海は「気にしないでいーよ、ウチも気にしてないしー」と軽ーい口調で言った。
その時は、和花はホッと胸を撫で下ろした。
しかし、七海と話していくうちに、違和感に気づいた。
彼女は、どこか余所余所しい。
決して態度が冷たい、などという事はない。
見かけ上は、普段通りだ。
和花は何度も謝罪を口にしたが、七海の態度は変わらなかった。
彼女は繰り返し、「気にしないでー」とだけ口にする。
そうやって、時間だけが過ぎていった。
一見、いつも通りに見える日々。
しかし……何かが、決定的に壊れてしまっていた。
その週の木曜日。
いつも通り一緒に授業を受けて、いつも通り一緒に食事を摂り、いつも通り一緒に入浴する。
その帰り道で、和花は思い切って、部屋に戻ろうとする七海の背中に声をかけた。
「……七海ちゃん!」
「……どーしたん? 和花」
七海は、笑顔で振り返った。
感情を感じさせない、乾いた笑顔で。
「ねぇ……今週の土曜日、空いてる?」
ぴく、と七海の笑顔が強張る。
あんな出来事があった直後に、また外出に誘う。
それは、きっと七海の気持ちを逆撫でする行為だろう。
しかし、和花はめげなかった。
七海のことを諦めてしまうのは簡単だ。
無視をされているわけではないから、今後も会話くらいならできる。
これからも、単なるクラスメートとしてなら、上手くやっていく事自体は可能だろう。
しかし、そんなのは嫌だった。
和花は、七海と仲直りしたかった。
大事な友人だと思っているのだということを、彼女にも分かってほしかった。
そして……傷つけてしまった彼女の心を、どうにかして、癒してあげたかった。
だからこそ、和花は勇気を出していた。
人柄の良い和花は、こうして人を深く傷つけてしまった経験がない。
こうして人間関係に悩むことも、これまでほとんどなかった。
ある意味、怪人と戦う時よりも怖い。
逃げ出したい気持ちをグッと抑えて、和花は、七海の目を真っ直ぐ見つめた。
七海は、笑顔で答えた。
「……土曜日は、部屋で勉強しよーかなって」
それは遠回しな拒絶。
しかし、和花は食い下がった。
「お願い、七海ちゃん! この間の埋め合わせをさせて!」
「……埋め合わせとか、そんなこと考えなくていーし。ウチ、別に気にしてないしさー」
「ね、お願い!」
七海は、少しだけ逡巡した。
和花が、すがるような目で彼女を見上げている。
二人の会話を、一緒にいた仲間たちも聞いていた。
ルーナは和花のことを労るような気持ちで見つめていたし、クールな琴音も、心なしか緊張した面持ちだ。
リブはいつも通りのポーカーフェイスだが、その表情がわずかに固い。
美香に至っては、あからさまにハラハラした表情で、ことの行く末を見守っている。
張り詰めた空気を感じ取ったのか、七海が苦笑いした。
それは苦笑ではあったが、久しぶりに見る、彼女自身の感情が滲んだ表情だった。
「……分かったし。今週の土曜日ね?」
「……! うんっ! ありがとう、七海ちゃん!」
「……じゃ、ウチは寝るからー」
「うんっ!」
笑顔を浮かべる和花。
その背中を、祝うように琴音と美香が小さく叩く。
リブとルーナも、どことなくホッとしたような表情を浮かべていた。
***
「はぁ……はぁ……! ヤだ……ヤだよ……!」
七海の部屋。
その夜、彼女は魘されていた。
夢の中で、彼女は必死に手を伸ばしていた。
その手の先で、かつて友人だった人物の背中が、どんどん小さくなっていく。
——待って!
——置いていかないで!
「——いやぁぁぁぁ!?」
七海は、自分自身の悲鳴で飛び起きた。
やがて思考がはっきりしてくると、今のがただの夢であったことに気付く。
彼女の可愛らしい寝巻きは、気持ちの悪い汗でぐっしょりと濡れていた。
「……なに? 東海林さん、どうかした?」
今の声で、ルームメイトのことも起こしてしまったらしい。
どうやら、夜中に叩き起こされたと言うのに、七海のことを心配してくれているようだ。
こちらを慮る声に対して、七海は無理やり明るい声で返答した。
「……ううん、ごめん! なんでもないし!」
「……そう。具合が悪かったら、ちゃんと言うんだよ?」
「うん、ありがとー!」
「……おやすみ」
そう言ってルームメイトは寝返りを打つと、再び眠りについた。
ルームメイトの寝息が再び聞こえてきてもなお、七海は同じ姿勢のまま、ジッとしていた。
身体がだるいのに、もう眠るつもりにもなれなかった。
ここ最近、再びこの夢を見るようになっていた。
新しい学校に来て、和花たちと出会ってから、この夢を見ることは無くなっていた。
きっかけは間違いなく、先日の水族館での出来事だろう。
和花、私の友だち。
彼女もまた、私のことを置いていってしまうのだろうか……。
ぽたり、ぽたりと、寝巻きに雫が落ちる。
そしてそれは、決して汗などではなかった。
「……イヤな夢、見ちゃったなー」
七海は小さくそう呟くと、ゴシゴシと服の袖で目元を拭った。
そして、硬直していた身体を無理やりベットに横たえる。
ぼんやりとする脳裏に浮かんだのは、和花の顔だった。
(土曜か……。ちょっとだけ、怖いな……)




