第八十三話 道化師
「ルーナ、敵の位置は!?」
「この通りを直進して右側! 急いで!」
「分かってる!」
ギュン!と凄まじい速度で、マギア・ローズが空を翔ける。
慌ててスカイタワーを飛び出してきた和花。
既に魔法少女への変身は完了しており、今はルーナのガイドに従って、現場に急行している真っ最中だ。
ルーナも【幻想】による隠蔽を解いているので、街の人々にも、彼女たちが上空を飛翔する様子が見えていた。
窓ガラス越しにローズを目撃して腰を抜かす者や、中にはカメラを向けている者までいる。
しかし、そのような人々の様子すら、今のローズの目には入っていなかった。
ローズは、ひどく動揺していた。
それは、大切な友人である七海のことを、水族館に置き去りにしてしまったからである。
事情を話すこともできずに、放置してきてしまった彼女のことを思うと、ズキズキと胸が痛む。
置いて行かれた七海の気持ちのことを考えると、自分のことのように辛かった。
(ごめんね、七海ちゃん……。傷つけちゃったよね……)
もちろん、客観的に見れば、今回は仕方なかったと言える。
リブは既に出撃してしまっているし、琴音と美香は感知能力を持っていないので、そもそも敵の出現に気づけない。何よりも、発熱している幼い美奈のことを放置させるわけにはいかない。
ルーナもいるが、純粋な戦闘タイプではない彼女を単独で出撃させるなど論外である。
あの場では、和花が対応する他なかった。
それが分かっていても、彼女はどうしても割り切ることができなかったのだった。
ローズは、小さく頭を振る。
そして、胸の痛みを押し殺しながら、無理やり七海のことを意識から追いやろうとした。
残酷なようだが、今は七海のことを考えている場合ではない。
これからローズは、戦うことになるのだ。
それも、おそらく強敵と。
今日のお昼過ぎに出現した怪人。
その怪人の元へは、既にリブ……マギア・コスモスが向かっており、現在も交戦中だ。
しかし、それとは別に、リ・ヴァースの敵が出現した。
そしてそれが、リ・ヴァースの幹部の一人……道化師だと言う。
ローズは、道化師のことは画面越しにしか見たことがない。
世界的な電波ジャックを行い、各国に宣戦布告した人物であることは、ローズも知っている。
しかし、それだけだ。
道化師については、ピエロの格好をしていると言うこと以外、何も分からないのだ。
聞けば、かつて魔導十姫の一員だったルーナですら、道化師のことはよく分からないと言う。
魔皇に重用されているらしいと言うことと、他の幹部でさえ道化師に対しては慎重な態度をとると言うことぐらいしか、彼女も知らないらしい。
時には意味の分からない行動を取ったり、非合理的とも言える判断を下したりするらしく、その目的も不明。
さらに、先日リブに聞いたところによると、「面白くなりそう」と言うだけの理由で、彼女に魔導十姫・序列二位の研究室の鍵を手渡したのだという。
もしそれが本当なら、道化師はリ・ヴァースにさえ害を為す存在、と言うことになる。
そんな人物が魔皇陛下に徴用されていると言うことも不可解だ。
魔神や魔皇のメッセンジャーであるということ以外は、一切が謎に包まれている怪人物。
それが、道化師と言う人物なのである。
ローズは改めて気合を入れ直すと、さらに加速した。
耳元でびゅうびゅうと空気が流れていき、彼女のバトルドレスが激しくはためく。
「あの建物を右! 近いわ!」
ルーナの言う通り、角を曲がった向こう側から、自動車のクラクションや、逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえてくる。
ローズはきゅっと表情を引き締めると、悲鳴の聞こえてくるところへと飛び込んでいった。
***
ピエロのような、不気味なメイク。
そして、カラフルでケバケバしい、派手な衣装。
そんな怪人が、江戸川区の某所を闊歩していた。
自動車が行き交う道路のど真ん中を、まるで散歩でもしているかのように、てくてくと歩いている。
最初は、頭のおかしな人間が車道を歩いていると思われていた。
通行人は、ピエロ姿の奇妙な人物に、眉を顰めたり、くすくす笑ったりしている。
しかし、車を運転している側からすれば、たまったものではではない。
邪魔なピエロのことを大きく迂回して避けたり、その場に留まって様子を見たりしている。
そんな中、一人のドライバーが痺れを切らせたのか、ピエロの近くまで自動車を走らせた。
そして、窓から身を乗り出して罵声を浴びせながら、激しくクラクションを鳴らす。
「おい! 邪魔だよ、このボケ!」
しかし、当のピエロは、ニヤニヤと笑うだけだ。
その姿に堪忍袋の尾が切れたのか、そのドライバーは車内から飛び出してきた。
そして、ピエロに向かって掴みかかろうとする。
その時だった。
不気味な沈黙を守っていたピエロが、ようやく口を開いた。
「おーほっほ! 全く、やかましくて敵いませんねぇ……どれ」
そう言うが早いが、ピエロ姿の怪人が、開いた手をスッと構える。
そして、無人の自動車へと向けた。
次の瞬間、自動車が空中へと浮き上がった。
何トンもある鉄の塊が、まるで風船のように宙に浮遊している。
突如として発生した超常的な現象に、ドライバーも含め、それを見ていた人々がギョッと立ちすくんだ。
「おやおや? こんなところにゴミが!」
ピエロは、そんなことを言いながら、開いていた手をギュッと閉じた。
それと同時に、まるで巨大な見えない手で握り潰されたかのように、自動車がグシャリと押しつぶされる。
まるで紙を丸めるかのように、見えない力で圧縮されていく自動車。
数秒の後には、自動車は不恰好なボールのようになってしまっていた。
「あらら……これじゃあ、帰りは徒歩ですねぇ! おーほっほ!」
ピエロはそんなことを言いながら、スクラップと化した自動車の残骸を、脇に放り捨てる。
不気味な笑顔で高笑いをするピエロを見て、人々の間に動揺が広がった。
「く、車が……」
「ば、化け物だ!」
「おい、あれって、電波ジャックのやつじゃないか?」
「ってことは、リ・ヴァースか!?」
「やべえぞ! 逃げろ!」
誰からともなくそんな声が上がると、人々の間でパニックが伝播していった。
ドライバーだけでなく、遠巻きにこの様子を眺めていた通行人たちも、一斉に逃げ惑う。
そんな中、逃げ遅れた者がいた。
それは、一人の少女。
年齢は中学生くらいか。
平均より少し小柄な体格で、ひどい猫背だ。
前髪で目元を隠しているため分かりにくいが、それなりに整った容姿をしているようである。
彼女だけは、ピエロの怪人が近づいてきても、その場に留まっていた。
ピエロから遠ざかろうと必死に地面の上で踠いているが、逃げ出せずにいる。
どうやら、腰が抜けてしまっているようだ。
ピエロの怪人は、その少女の襟首を掴み上げた。
そして、高らかに笑い声を上げる。
「おーほっほ! 見つけましたよぉ、魔法少女!」
「ひぇっ!? ち、違います! 人違いですぅ!」
猫背の少女は、ピエロの怪人からそんな声を掛けられて、必死に否定を繰り返している。
事実、彼女は魔法少女に変身したことはなかった。あるはずがない。
「おーほっほ! 誤魔化そうとしても無駄ですよぉ?」
「ほ、本当に違うんですぅ! ボクは魔法少女じゃ……!」
「いえいえ! 貴女は魔法少女です! その証拠に……」
ピエロの怪人がそう言いかけた、その時だった。
ヒュバッ!と言う風切り音と共に、道化師の手から少女の姿がかき消える。
「……おんやぁ?」
ピエロの怪人が、少々わざとらしく周囲を見回した。
猫背の少女もまた、混乱していた。
先ほどまでピエロに掴み上げられていたのだが……どうやら今は、誰かに抱き抱えられているようだ。
少女が顔を上げると……。
「キミ、大丈夫? 怪我はしてない?」
「マ……マギア・ローズ!?」
ピンクのドレスと、メタリックな装甲に身を包んだ魔法少女……マギア・ローズと目が合った。
マギア・ローズは、安心させるようにニッコリと笑うと、抱え上げていた少女を、そっと地面に下ろした。
「もう安心だよ。……さぁ、今のうちに逃げて!」
「は、はい! ありがとうございました! マギア・ローズ!」
猫背の少女は、ぺこりと頭を下げると、ワタワタと駆け出していった。
「おーほっほ! 現れましたね、マギア・ローズ!」
「もう貴方の好きにはさせないよ、道化師!」
ローズは、道化師に対して、ビシッ!と指を向ける。
それを見て、道化師は愉快そうに言った。
「おーほっほ! ようやく会えましたねぇ? ワタクシ、楽しみにしていたんですよぉ?」
「何しに来たの、道化師!」
「いえね、ちょっと野暮用にね? ま、たいした用事じゃありませんよぉ? おーほっほ!」
ローズの詰問に対し、韜晦混じりに返答する道化師。
ふざけた態度の道化師に、ローズがキッと眦を釣り上げる。
そんなローズに対し、今度は道化師が問いかけた。
「貴女ひとりですかぁ? お仲間はご不在で?」
「私ひとりで充分だよ! やっつけちゃうんだから!」
「おーほっほ! それは、恐ろしいぃ〜!」
道化師はオーバーな身振りで、ブルブルと身体を震わせて見せた。
そんな相手のことを正面から見据えながら、ローズはギュッと拳を構える。
「こっちからいくよ!」
「かも〜ん、マギア・ローズ!」
クイクイ、と手招きして見せる道化師のもとに、ローズは猛スピードで飛び込んだ。
そして、近距離から凄まじい勢いでパンチを放つ。
「ひょえ〜!?」
道化師は、わざとらしい悲鳴をあげながら、ギリギリでローズの攻撃を躱した。
その拍子に躓いたのか、道路の上で転び掛け、「おっとっと!」などとタタラを踏んでいる。
その間抜けな姿は、とてもではないが強そうには見えない。
しかし、ローズは油断していなかった。
それどころか、これまでのどの敵を相手にしている時よりも緊張していた。
なぜなら、道化師の戦闘能力は未知数。
聞けば、ルーナも道化師が戦っている姿を見たことがないと言う。
しかし、実力主義のリ・ヴァースで、何百年、何千年も魔皇に仕えていると言うだけで、その実力は推し量れると言うもの。
今のローズの一撃を軽々と回避して見せた点からも、油断ならない相手だとローズは確信していた。
彼女は、きゅっと表情を引き締めると、正眼に構えた。
「……ここからは、本気でいくよ!」
「お手並み拝見! おーほっほ!」
道化師とローズが激突した。




