第八十二話 置き去り
土曜日、スカイタワーの水族館に遊びに来ていた和花たちであったが……。
幼い美奈が発熱してしまった。もちろん、彼女に責任はない。
しかし、姉の美香と、その付き添いのため、琴音も一緒に帰宅することになった。
そこへタイミングの悪いことに、リ・ヴァースの怪人が出現。
敵を感知でき、かつ戦闘能力も高いリブが現場へ向かうことになり、残ったのは和花と七海だけになってしまった。
もちろん、和花と一緒にルーナも残っているのだが、【幻想】で姿を隠しているので、七海はその存在を知らない。
友人同士で親睦を深めたい、という和花の願いは、途中までは上手くいっていた。
しかし、今、ここに残っているのは、二人だけ。
和花としても、どこか物悲しい気分になってしまうのは避けられなかった。
「最後のコーナー、アシカのショーだってさ! 楽しみだねー!」
和花に向かって、笑顔で話しかけてくれる七海。
その表情は、底抜けに明るい。
印象の強いギャルメイクも相まって、傍目にはただ笑っているだけに見えるだろう。
しかしそこには、どこか無理をしている感じというか、空元気に近いものがあった。
ポーカーフェイスの琴音と一緒にいることの多い和花は、相手の表情を読む能力に長けている。
そんな和花の感覚は、七海が自分の感情を押し殺しているような、そんな印象を彼女に与えていた。
「ほらほらどしたのー? 早くいこー!」
「あ……うん。次はアシカだったよね。楽しみだね!」
七海に手を引かれて、和花は歩き出した。
目の前の違和感には、気づかないフリをして。
この時、きちんと七海と話していれば……。
やがて彼女は、そんなふうに後悔することになる。
それほど、遠くない未来に。
***
傍目には、二人っきりの和花と七海。
少しだけぎこちない雰囲気のまま、二人はアシカのコーナーへと向かった。
想像よりも意外と大きかったアシカは、どこか惚けた表情を浮かべている。
そんな彼らは飼育員の指示に従って泳いだり、芸をしたりして、観客たちを盛り上げていた。
しかし和花はというと、気もそぞろといった様子だった。
まぁ、無理もないだろう。
先ほどリブのことを、一人っきりで出撃させてしまったのだ。
こうして呑気にショーを見ている間にも、彼女は敵と戦っているかもしれない。
5分もないくらいのショーだったが、そんなふうに色々と考えてしまったせいで、和花は全くショーに集中できなかった。
「やー、すごかったねー、アシカ!」
「う、うん。可愛かったね」
和花は形だけの返事をしたが、実のところ、ほとんどショーの記憶はなかった。
周囲に合わせて歓声を上げるふりをしたり、拍手したりしてはいたものの、今も一人で戦っているであろうリブのことが気になっていて、それどころではなかったのだ。
やがて二人はアシカのエリアを抜けて、お土産物コーナーにやってきた。
お土産物コーナーと言っても、もちろん小さな売店ではない。
ほとんどワンフロアを使用した、かなり大きなスペースになっていて、小さなストラップから大きなぬいぐるみまで、水族館に関連するお土産がどっさり売っている。
海外からの観光客に向けてか、東京グッズや日本土産まで売っており、まるで小さなデパートだ。
時刻は午後過ぎということもあって、お店はやや混み合っていた。
和花と七海は、二人でお土産物屋さんを巡った。
とはいえ、リブのことが心配だった和花は、ずっとチラチラとスマホを気にしていた。
そのため、あまり集中できていたとは言えない。
リブと怪人の戦いは、早速ネットニュースになっていた。
テレビでも放送されているようだし、有名掲示板である7ちゃんねるでも、その様子が実況されている。
それによれば、今回の戦いは、長期戦になっているようだ。
どうやら、あまり今回の敵との相性が良くないらしい。
リブ自身も言っていた通り、このまま戦っていても負けることはないだろう。
ただ、気がかりなのは確かだった。
一方、七海は、そんな和花の姿に少しだけ悲しそうな顔をしながらも、せっせとお土産物を買っていく。
自分の分はもちろん、途中で帰ってしまったメンバーの分まで買ってやっている。
ペンギンが描かれた小さなコップや食器類など、まだ幼い美奈の分については、特に重点的に購入していた。
お土産選びが済むと、紙袋を持って、二人はゲートへと向かった。
その途中で七海が立ち止まったので、和花は首を傾げる。
そんな七海は、イタズラっぽい笑顔を浮かべていた。
「七海ちゃん、どうしたの?」
「にしし……ちょっち待っててー!」
「え? どこ行くの?」
「いーからいーから!」
そう言うが早いが、七海は出てきたばかりのお土産コーナーへと戻っていった。
もしかしたらトイレかもしれないので、素直に和花はその場で待つことにする。
リブの様子を確認しようとスマホを取り出した、その時だった。
『……敵よ!』
ルーナがいきなり大声をだしたので、和花は危うくスマホを取り落としかけた。
周囲の人間には聞こえていないが、和花にとっては耳元で大声を出されたのに等しい。
和花は軽くルーナを睨むと、小声で抗議する。
「もう! 敵が来てるのは分かってるよ! リブが戦ってるでしょ!」
しかし、ルーナが言っているのは、そう言うことではないようだった。
必死な様子で、和花に向かって言い募る。
『違うの! そいつじゃない! ここから南東の方角に、別の気配があるのよ!』
「ええっ!?」
思わず大声を出してしまい、周囲から好奇の視線が集まる。
慌てて和花は顔を伏せると、ヒソヒソとルーナを問い詰めた。
「……別の気配!? どう言うこと!?」
『だから、リブと戦ってる怪人とは別のやつがいるの! それも、ものすごい気配よ!』
「そんな……!」
次第に状況が読み込めてきた和花は、思わず息を呑んだ。
「まさか、この間のルヴィアさんじゃないよね……!?」
もしや、先日のリベンジに現れたのではないか。
そんな和花の質問に対して、ルーナは間髪入れずに返答した。
『違うわ! ルヴィアじゃない! この気配は……!』
「知り合いなの!?」
どうやら、ルーナには心当たりがあるようだ。
彼女は、どこか苦々しげに言った。
『こんな気持ちの悪い魔素圧を発しているような奴は、あいつしかいない。
……道化師よ!』
「道化師……? あの、テレビで喋ってた、ピエロみたいな人だよね?」
『そう、そいつよ。……何でこいつまで地 球に来るのよ……!』
怪人が出現することは、これまでもあった。
それだけでなく、ルヴィアやヴェリエスのように、魔導十姫クラスの敵が現れることすらあった。
しかし、ルーナが記憶している限り、道化師がこちらの世界に来たことはない。
そもそも道化師はメッセンジャーであって、戦闘員ではないのだ。
ライト・ヴァースにわざわざやってくる意味がない。
それに加えて、怪人と同時に幹部クラスの敵が出現したこともなかった。
一緒に現れたのなら目的は一緒だと考えられるが、別々に出現したとなると、敵の狙いさえ分からない。
ことによれば、今、リブが戦っている敵が陽動の可能性さえある。
オロオロとした様子で、和花がルーナに問いかけた。
「ど、どうしよう?」
『早く止めなきゃ……! 何を企んでるか、分かったもんじゃないわ!』
「え、でも……七海ちゃんが……」
和花は今、七海のことを待っている最中だ。
彼女は行き先を告げていなかったので、どこにいるのかも分からない。
しかし、今は七海のことを探している場合ではなかった。
『……確かに、ナナミには可哀想なことをしてしまうわね。でも、人の命が懸かってるかもしれないのよ! 彼女には、後でたくさん謝るしかない。とにかく今は、急ぎなさい!』
ルーナの言葉は、少しキツイものだったかもしれない。
しかし、どこにいるか分からない七海を探していては、もしかしたら手遅れになる可能性もある。
一瞬だけ、琴音や美香に連絡しようかとも思ったが、発熱している美奈を残して出撃させるわけにはいかない。
それに、敵の位置を感知できるのは、リブを除けば、和花と一緒にいるルーナだけだ。
それならまだ、すぐに動ける和花が行ったほうがいい。
どんなに苦しくても、今は決断するほかなかった。
「……分かった。……ごめんね、七海ちゃん……!」
そう呟くと、和花は駆け出した。
戻ってこない七海のことを、置き去りにして。
***
「おまたー、和花……。って、あれ? どこいったんー?」
きょとんとした顔で、七海が目を瞬かせる。
キョロキョロと辺りを見回したが、和花らしい人影は見当たらない。
彼女は、自分の手元を見下ろした。
そこには、可愛らしいアシカのマスコットが握られている。
いきなり二人っきりになって、和花と一緒に見た動物。
それがアシカだったのだ。
そのとぼけた表情がどこか和花に似ていて、一目で気に入ったのである。
ギャルメイクの自分にも、色眼鏡を使わないでいてくれた和花。
こんな自分と、もっと仲良くなりたいと言ってくれた和花。
七海は、そんな和花に驚いてもらいたくて、こっそりお土産物屋さんでこのマスコットを買ってきたのだった。
しかし今、和花はいない。
七海のことを置いて、どこかへ行ってしまった。
一応、頑張って七海も周囲を探してみたが、和花の姿は見当たらなかった。
スマホにメッセージを送ってみたが、既読がつかない。
その後もしばらく出口ゲート周辺で待ってみたが、結局、和花は現れなかった。
「……帰っちゃったのかな」
七海は、ぼんやりと天井を見上げた。
その目が潤んでいるように見えたのは、決してギャルメイクのせいではないだろう。
「……そっか。ウチ、置いてかれちゃったんだ……」
七海は、力無く呟いた。
新しい学校で、仲良くなった友だち。
そう思っていたのは、自分だけだったのだろうか。
「和花も……こんなモノもらっても、きっと迷惑だよね」
七海は、手に持っていたマスコットを、そのまま無造作にポケットに突っ込んだ。
その黒いビーズの目は、どこか泣いているように見えた。




