第八十四話 翻弄
「——えいっ!」
「ひゃあ、危ない! いいパンチですねぇ!」
「——はぁっ!」
「おお、今のは惜しい! 90点です!」
「——ふんっ!」
「いい感じです! ファイト!」
「……ちょっと!? マジメに戦う気はあるの!?」
「最初からずっとマジメですとも! おーほっほ!」
いかにも楽しそうに笑い声を上げるピエロ姿の怪人……道化師のことを、マギア・ローズはキッ!と睨みつけた。
彼女は苛立っていた。
これは気性が穏やかな彼女にしては実に珍しいことだったが、無理もなかった。
何せ、ローズが本気で繰り出したパンチやキックを、道化師は全て余裕で躱して見せるのだ。
それも、わざとギリギリまで引きつけてから、最低限の動きで回避してくるのである。
まるで闘牛の牛にでもなった気分だった。
それに加えて、道化師のふざけた態度もまた、ローズの苛立ちに油を注いでいた。
貶してくるのならまだしも、「ナイス攻撃!」「その動き、グッドです!」などと、逆にこちらの動きを褒めてくるのだ。ローズが苛立つのも、無理はないと言えた。
(……怒っちゃだめ! 相手は道化師、何をしてくるか分からない!)
しかし……ローズは決して、油断していなかった。
道化師の戦い方はふざけていたが、明らかに戦い慣れしている者の動きだった。
それに加えて、道化師は未だ、一度も反撃していない。
ローズの攻撃も全て回避しているので、文字通り、指一本触れることすらできていなかった。
——底が知れない。
それが、このわずかな交戦の中で、ローズが抱いた感想だった。
「おーほっほ! さすがは、原初の天導衞姫! 素晴らしい実力です!」
「もう! 私のこと、バカにして……!」
歯噛みするローズだったが、それだけ相手との実力が隔っていると言うことでもある。
このままでは勝てない。
何とか、隙を見つけなくては……。
そんな、ローズの折れない心を見てとったのか。
道化師は、嬉しそうな顔でニヤリと笑った。
「どうやら、まだやる気のようですね。……それでは、少し遊んであげましょう」
その言葉に、バッ!と身構えるローズ。
彼女のそんな姿を、道化師はニヤニヤ笑いながら眺めている。
「警戒しなくていいですよ? 貴女はもう、既に私の術に囚われているのだから……」
「……? いったい、何を言って——!?」
ローズの言葉が途中で途切れたのは、わずかな異変を感じ取ったからだ。
それは、強烈な違和感。
「何かが違う」というローズの感覚は、即座に確信に変わった。
なぜなら、次の瞬間。
彼女の視界が、ぐるりとひっくり返った。
最初は、自分が回転したのかと思った。
しかし、そうではない。
彼女の感覚は、自分がしっかりと前を向いていると訴えかけてきていた。
ローズの視界だけが、本人の知覚から切り離されて、勝手に動き回っているのだ。
それは、さながら視界占拠。
上下、左右、前後……。
明滅しながら次々と切り替わる自身の視界に、ローズは気分が悪くなってきた。
「〈乱回転する紅茶杯〉。しっかりとお楽しみくださいませ!」
「……そこだっ!」
「おおっと!? 惜しいですねぇ! おーほっほ!」
反射的に道化師の声が聞こえてきた方向に向かって拳を突き出すが、そのパンチは空を切る。
どうやら、避けられてしまったようだ。
このままではまずい。
視界が封じられ、敵の位置も分からない。
そんな状態では、道化師の攻撃に対してあまりに無防備だ。
今はその気がないようだが、いつ相手の気が変わるか分からない。
ローズが顔に焦りを浮かべた、その時だった。
彼女の頼もしいパートナーの声が、周囲に響き渡った。
「ローズ、すぐに助けるわ!……〈現実〉!」
直後、ぐるぐると回転していたローズの視界が、即座に元通りになった。
正常に戻ったローズの視界が、大切な仲間の姿を捉える。
「……ルーナ!」
「そういえば、ルーナさんもいたんでした! おーほっほ!」
道化師の幻惑攻撃を解除したのは、ルーナだった。
彼女の固有魔法は【幻想】。
こういった精神攻撃に対して、彼女は無類の強さと耐性を発揮する。
ローズにかけられた幻術を解除するぐらい、ルーナにとっては朝飯前だ。
「ありがと、ルーナ! 助かったよ!」
「お礼は後! 今は、目の前の敵に集中なさい!」
ネコのような身体に変えられてしまっているルーナは、身体能力に難がある。
つまり、純粋な戦闘に弱い。そのため、最初は隠れて様子を伺っていたのだが、ローズが幻術にかけられたのを察知して、飛び出してきたのだ。
ルーナは、ローズに向かって叫んだ。
「まずは動きを止めるわ! 〈多重・月楔十字〉!」
かつて、人狼と化したオリヴィアをも拘束して見せた、無数の光の十字架。
それが、雨のように道化師めがけて降り注いだ。
「おーほっほ! こんなもの、効きませんねぇ!
〈道化師の大道芸・傘回し〉!」
道化師が手を一振りすると、その手の中にカラフルな傘が出現した。
そして、その傘をパッと開くと、頭上でくるくると回転させ始める。
ルーナの放った光の十字架は、回る傘に弾かれて、道化師には届かない。
「おーほっほ! 甘いですよぉ、ルーナさん!」
「……ふん! 最初から、こんなものが当たるとは思ってないわ」
「おんやぁ? 負け惜しみですかぁ?」
「はっ! 言ってなさい! ……だけど、いいのかしら?」
「何がですかぁ?」
「アンタ、彼女から目を逸らしたわね?」
「一体、何を……ッ!?」
道化師の言葉が途切れたのは、その目の前に、いきなりローズが出現したからだ。
「まず……ッ!?」
「どりゃああああああ!」
勇ましい叫び声と共に放たれたローズの拳が、道化師の頬をとらえた。
ドガン!と言う轟音が周囲に響き、道化師の身体が錐揉みしながら飛んでいく。
ローズは、別に瞬間移動したわけではない。
真っ直ぐ道化師のところまで飛んでいっただけだ。
ただし、そこにはルーナによるサポートがあった。
彼女の固有魔法、【幻想】。
それは、対象の意識に干渉して、認識そのものを操る術式だ。
ルーナは道化師の意識を一瞬だけ逸らして、ローズのことを認識から除外したのである。
そのため、ローズのことを一時的に認識できなくなっていた道化師は、ローズの攻撃をまともに食らった、と言うわけだった。
「やったね、ルーナ!」
「バカ、油断しない!」
ピースしながらにっこり笑うローズを、ルーナが叱責する。
その背後では、殴り飛ばされた道化師が、体勢を整えつつあった。
それを見て、ローズが慌てて再び身構える。
道化師は、先ほどのダメージなど微塵も感じさせない様子で、いかにも楽しそうに高笑いした。
「……おーほっほ! 今の一撃、お見事です! そのご褒美に……」
道化師が、笑うのを止めた。
そして、先ほどまでの様子とは一転して、ゾッとするような無表情で、ローズのことを見る。
「……少しだけ、本気で戦って差し上げましょう」
道化師がそう言った直後。
その姿が、突如としてかき消えた。
(——ッ!? これは……っ!?)
ローズが直感に従って、自分の背後へと振り返った。
——ゴキン!
「……うぐっ!?」
なんの気配もなく、彼女の背後から放たれた攻撃。
それを、ローズは危ういところでブロックすることに成功していた。
「おーほっほ! 今のを止めるとは……やりますね!」
背後から放たれた道化師の蹴りを、何とか腕をクロスして受け止めたローズ。
しかし、思わず苦痛の声を漏らしてしまう。
ギシギシと腕の骨が軋み、頑丈な手甲にピシリとヒビが入る。
ローズがこれまで喰らってきた攻撃の中で、最も重い蹴りだった。
それだけではない。
(これは……転移!?)
今の道化師の一撃は、間違いなく転移によるものだった。
それは、かつてオリヴィア・ユースティティア……つまり、リブが得意としていた術式だ。
「おーほっほ! これだけでは終わりませんよぉ? 〈獄炎〉!」
「——ッ!?」
至近距離から放たれた巨大な火球を、ギリギリでローズは回避した。
掠めただけでドレスの端が焦げ付き、ジリジリと肌が焼ける。
ローズは苦痛を堪えながら、慌てて道化師から距離を取ろうとする。
(今のは、ルヴィアさんの……!)
【焔】の銘をもつ魔導十姫の一人、ルヴィア・マルストゥルム。
〈獄炎〉は、彼女の得意とする術式だ。
何度か戦ったがあり、実際に食らったこともあるローズは、そのことをしっかりと覚えていた。
「まだまだ行きますよぉ? 〈怪力無双〉!」
「がはっ……!?」
道化師の細腕から放たれた、一発の拳。
ローズはそれをブロックしたが、防御ごと殴り飛ばされ、コンクリートに叩きつけられた。
ドガン!と言う轟音と共に粉塵が舞い上がり、道路が大きく陥没する。
(今の……まさか、ヴェリエスさんの……!)
とてつもない剛力と速度とを兼ね備えたパンチ。
それは、かつてローズが新宿で戦った魔導戦姫、ヴェリエス・インペラトールの一撃そのものだった。
「ぐっ……! ぐぐぐ……!」
ローズは、全身を襲う痛みを必死に我慢すると、無理やり立ち上がった。
そして、頭上でふわふわと漂っている道化師のことをギン!と睨み上げた。
彼女の目には、未だ消えない闘志が宿っている。
そんなローズの姿を見て、道化師は嬉しそうに笑った。
「ふふふ……。それでこそ、魔法少女。やはり貴女こそ、この物語の戦乙女に相応しい……!」
「何を、言ってるの……!」
「おーほっほ! 何でもありませんよぉ?」
道化師は、ローズのことを見た。
その狂気に満ちた視線に、彼女の身体がブルリと震える。
道化師は言った。
「今日のところは、これでお開きといたしましょう。もう目的も果たしましたし!」
「目的……!? うぐぅ……!」
「ローズ、大丈夫!?」
肩で息をしているローズを庇うように、ルーナが立ち塞がった。
そして、ニヤニヤと笑っている道化師に対して、強い口調で問いかける。
「アンタ、結局のところ、何しにきたのよ!」
ルーナの詰問に対して、道化師はニヤリと笑った。
「そうですねぇ……今、この状況こそが、私の望んだもの、とでも言いましょうか」
「はぁ!? どう言う意味よ!」
「貴女たちと、ここで戦うこと。それ自体が、私の目的だったのですよ!」
「何を言って……!」
こちらを煙に巻くようなことを言う道化師に対して、ルーナが歯噛みする。
しかし、次の瞬間、道化師の発した一言に、彼女は全身の血が凍りつくような心地を覚えることとなった。
「……水族館は、楽しかったですかぁ?」
「——ッ!?」
「折角のお友達とのお出かけを、邪魔してしまいましたねぇ?」
「アンタ……どこまで知って……!?」
ルーナの質問に答えることなく、道化師は再び哄笑を上げた。
「おーほっほ! それでは、また会いましょう! おーほっほ!」
道化師の姿が、宙に溶けるようにして消えていく。
取り残されたローズとルーナは、敗北感に打ちのめされながら、それを見送ることしかできなかった。




