92 千紫万紅
街のあちらこちらから人々の忙しない声が聞こえ、今年もあと十日と少しとなった年の瀬の王都ミンチェスティ。昨夜の大雪は今は止み、思ったほどの積雪もなく、陽が昇り始める六時頃には市街地や商店街の人々が雪かきに精を出していた。
「ふぅ……やっと道ができたねぇ」
「さくら、これ楽しいにゃ」
「押すだけでどんどん雪をかけるね」
勿論さくらときなこも雪かきに参加し、隣の住人の建物や向かいの店の前まで手伝っていた。きなこは大工のジェイムズに作ってもらった『雪かきダンプ』のミニチュア版を懸命に押し、作業を捗らせている。
『向こう三軒まで掃き掃除をする』
商売人として店の外を掃除することは基本中の基本であるが、押しつけがましくならない程度に通り一帯を綺麗にするのは、心遣いであり店を構える者としてのアピールでもある。そうしたことの積み重ねで近所同士の良好な関係を保持すること。それこそが、店を長く続けさせる一つの秘訣でもあるのだ。
「おーい、そこ終わったらそれ貸してくれないか。子供が使ってみたいんだって」
「どうぞにゃ」
近所の気の良い父親がそう声をかけてきた。朗らかで近所の世話焼きとしても有名な男だった。その息子が、ネコにできるなら自分にもできると思ったのだそうだ。
「ありがとう、ネコチャン」
「お父ちゃんの手伝いにゃ?偉いにゃ。しかし我は猫ではない。神聖なる魔獣であるぞ」
「パパ~、あのネコチャン悪い魔族らしいよ~!」
「にゃにゃ!?」
わははと笑い合う『とんかつ さくら』周辺の住人たち。厳しい寒さが人々の体の芯を冷やし、早朝からの作業に疲れを見せていたが、こうした温かなやり取りで近隣との良いコミュニケーションを築いていくのだった。
「そろそろ買い物に行こっか」
「そうしようにゃ」
朝八時頃、さくらときなこは早朝から続いていた雪かきに一区切りをつけ、ようやく道らしい道が見えてきた頃、『グランデ・マルシェ』に向かう準備を始めた。車輪のついた押しカートと大きな帆布のバッグを背負い、二人は長靴を履いてマーケットへと向かった。
ミンチェスティ大聖堂を横切る際、二人は中央のメイン塔を見上げた。上の方では作業員たちが、鐘のある時計台の雪を降ろす作業の最中だった。塔のてっぺんから吊るしたロープを腰に巻いた男たちが、何人かでブラシや箒を手に積もった雪を払い落としている。命懸けの作業に、さくらときなこは思わず肝を冷やした。
「よう、さくらねえちゃんに先生!おはようさん!」
「おはようございます!昨日は大変でしたね」
「ああ、あんくらいの雪なんざちょちょいのちょいよ」
「さすが慣れていらっしゃるんですね。うちのリロちゃんも言ってましたよ、ミンチェスティ民は雪に慣れているって」
「そりゃそうよ、北国だもんな。ロシェリアほどじゃねえが、まあ毎年のことだ」
青果店の店主とさくらはいつもの朝の挨拶を交わし、あれやこれやと野菜や果物を選びながら、今日のお買い得品や特選品を紹介してもらっていた。
「今、バイトが三人もいるんだって?」
店主は帰り際のさくらに、ふと世間話を投げかけた。
「そうなんです。でも今朝連絡があって、少し様子を見させてほしいって」
雪かきをしようとした早朝、フリージア家から魔導ベルの着信があったのだ。昨夜あった出来事を告げられ、ノアとユイの二人が少し衰弱しているため、今日のランチともしかしたらディナーもアルバイトに向かえないかもしれないとのことだった。
「そりゃ大変だな。急に人手がいなくなるのは困るもんなぁ」
「そうなんですけど、なんとかやれるだけやってみます!」
さくらはそう言って、出そうにも出ない力こぶを作るようなポーズをとってみせた。
「おはようございます、さくらさん」
「あれっ、ミーシャちゃんおはよう。朝早くから偉いね」
青果店の娘、ミーシャ・マッシーライトが店の奥から顔を覗かせた。どうやら冬休みの間、たまに店の手伝いもしているとのことだった。
「配達だけにしてよ、お父さん」
「品出し終わったからもういいぞ、あとは母さんとやるから」
「……っていう感じなんです。冬休みは研究ができないから、あとの時間は暇なんですけどね」
ミーシャは腕と背筋を天に向かって伸ばしながら、大きなあくびをした。早朝から雪かきをし、店の品出しまで手伝ったのだから、細腕の少女には相応の疲れだろう。
「お金はもらえないんですよ」
「わりいな」
家の手伝いだから、ということだった。現在ミーシャは研究に没頭しているが、たまには友人と出かけたり観劇を楽しみたいと思う、普通の女子高生の一面もある。やりたいことと現実、家庭の事情など様々な理由があり、ミーシャはそれなりにティーンエイジャーらしい苦悩を抱えていた。
「じゃあミーシャちゃん、うちで少しバイトしない?」
「え?私がとんかつ屋さんで?無理ですよ、絶対」
「簡単だよ。配膳してもらうだけでも助かるの」
「私が接客なんてできるかなぁ……」
「頼むにゃ、ミーシャ」
さくらときなこはミーシャに向かって懇願した。今は猫の手も借りたい、そんな思いの二人だった。
「いいじゃねえか。社会勉強だ、行ってこい。頼むな、さくらねえちゃん」
「はい!助かります!ありがとうございます」
「はぁ……じゃあ頑張ります……」
こうしてさくらときなこは思いがけず人手を確保することができ、早速ミーシャの短期バイトの修業が始まるのだった。
そんなランチタイム前の『とんかつ さくら』にて。
「ちょっとちょっと!こんな重いの持てませんって!」
大きなお盆にご飯やおかず、味噌汁などの空の器を乗せ、それを二つ両手に抱える者がいた。
「うるさいにゃあ、ミーシャは」
「いきなりこんな大きいお盆をふたつも持てませんって!」
急遽臨時バイトとして雇われた青果店の娘、ミーシャ・マッシーライトの、絶賛修業の時間となっていた。接客どころか普段はペンより重いものを持つことなど全くないミーシャが、いきなり皆と同じように扱われているのだから騒ぐのも無理はない。
「リロちゃんは軽々持ってるよ?」
「リーゼロッテ様はもうベテランじゃないですか」
「うふふ、ミーシャちゃんもそのうち慣れるよ。頑張って」
簡単に言ってのけるさくらだった。しかし物事というのは思い切りが大切であったりもする。チョロチョロと細かくやるよりも、大雑把に大きく挑んでみる方が時には良い方向へ向かうものだ。
「ミーシャちゃん、わたくしのことはリロちゃんって呼んでほしいのです」
そんな大汗をかきながら修業しているミーシャに、この店の慣わしのようなものを教えるリゼロッテ。
「リーゼロッテ様にそのような軽々しい口なんてきけませんよ……」
「わたくし『リゼロッテ』なのです。リーって伸ばさないのです」
「あ、そうなんですか。私のクラスにも同じお名前の方がいるんですよ」
「出身が違うのです。エクレール女学院は各地方から越境なさって下宿されている方もいらっしゃるので、その辺りは様々なのです」
「へぇ、そうなんだ。じゃあもしかしたら『ウルカリア王国』っていう国の出身の方もいらっしゃる?」
「さくらちゃん、よくご存知なのです。ええ、いらっしゃいますよ。とても小さいお国ですし、以前は絶対王政の政治体制でしたけれど、今はとても治安が良いそうなのです。そして聖女様が中心となってお国をお守りになっている『神聖なる』国家なのですよ」
リゼロッテはいつも、この手の話になると饒舌になるところがあった。さくらはそんな話を聞いているのかいないのか、興味があるようなないような素振りでリゼロッテの表情を伺いながら、話の方向を変えた。
「こないだミーシャちゃんのお父さんがおっしゃっていたの。『この実はウルカリア王国から取り寄せた』って」
「そういえばその日の晩にお父さん言ってました。『さくらねえちゃんが全部買い取ってくれたぜ!』って大喜びでしたよ」
「交易品もこれからたくさん入ってくるってお父様も言っていましたのです」
ウルカリア王国はかつてセンチュリオン王国の属国であったが、ライテスイーボーン・センチュリオンの代で割譲し独立させた国の一つである。今は国の情勢も安定し、主に穀物を中心とした農作物や酪農が盛んに行われている。先のウルカリア王国内であった『お家騒動』も収束し、これからは船舶による貿易航路を発展させていく方針をとったのだった。
「それは楽しみですなぁ。旅行者も増えるだろうし」
「たくさんとんかつを食べてもらいましょうなのです」
貿易が活発になり航路が行き交えば、自ずと旅する者も増える。文化や芸術の発展に寄与する活動も行われ、ますます国は栄えていくのだ。
「私はまず色々覚えないと……」
「ミーシャちゃん、ゆっくりでいいからね」
「ミーシャは研究が本業にゃ。あまり無理するにゃ」
「せっかくやるんですから本気でやりたいと思って。お金もいただけますし……」
思惑はお互いにある。ミーシャにとって研究にも遊びにも、金があって困ることはないのだろう。
「申し訳ないけれど、メイドさん二人が帰ってくるまでの繋ぎなの。ごめんなさい、ミーシャちゃん」
「いえいえ、お役に立てるよう出来る限り頑張ります。ただ私って案外、力がないんだなって思いました」
「わたくしも力はないのですよ」
ではなぜ重いお盆やエールジョッキを一度にいくつも持てるのだろうと、はてなマークを浮かべるミーシャであった。
「そろそろランチが始まるにゃ」
「そうだね。リロちゃん、暖簾をお願い」
「かしこまりましたなのです」
「うう……緊張する……」
「もう一度練習しよっか。はい、『いらっしゃいませ!』」
「い、いらっしゃいませ!」
こうしてミーシャは、立派にアルバイトとしての初日を迎えるのだった。




