89 リゼロッテの切望
曇天の王都ミンチェスティ。メインストリートの王宮近くに林立する省庁、その中にある気象管理局から、本日ある予報が発令された。その旨を知らせる緊急の一報が掲示板に貼り出され、ミンチェスティ大聖堂前の広場には多くの人だかりができていた。
「うわぁ、今夜からかぁ」
「うちも早く帰って色々やんなきゃ」
「お役人様すまねえ、なんて書いてあるんだか分かんねぐて。読んでもらってもいいかえ?」
「ああ、いいぞ。『本日午後より、急激な気象変化あり。恐らく深い積雪となる。各人備えよ』と書いてあるぞ」
「ありがとうごぜえます」
人々は口々にその情報を伝え合い、それを知った者たちは急ぎ帰路に就くか、あるいはマーケットで買い出しを始める。
市街地では町会の班長が中心となり、樹木や畑などに藁を被せていく姿が見られた。王宮の付近でも街路樹や、獅子の姿をした守護神獣の彫刻に藁を掛け着せている。相当な身分の者たちでさえその作業に加わり、来たるべき悪天候に備える様は、その気象変化の深刻さを物語っているようだった。
ここミンチェスティは、北の大国『神聖ロシェリア帝国』ほど苛烈ではないものの、かなりの厳寒が訪れる北方の地である。冬の最盛期にはこうして緊急事態を報せる令がたびたび発せられるのだった。
そんな早朝から、やはりその知らせを受けていつもの買出しへと向かう二人がいた。
「どうりで寒さが違うと思ったにゃ」
「うふふ、ゆうべは特に冷え込んだもんねぇ」
さくらときなこも、この寒さには耐えかねていたようだった。昨晩のお風呂はいつもより熱い湯を張り、じっくりと身を温めてからすぐに寝床に就いたのだ。
「今夜はお湯に薬草を入れてみよう」
「そうするとどうなるにゃ?」
「もっと温まるの」
「そうなのにゃ」
二人はどれほど雪が降るのか不安を抱きつつも、未知なる体験に少しでも何か手を打とうと考えている。そして時折フリーゼから送られてくる、薬草を様々な形に加工した『サンプル』を、こちらもまたさくらなりに試行錯誤して使ってみようと画策するのだった。
「ようさくらねえちゃんにきなこ先生!おはようさん!」
「おはようございます!今日はいつにも増してお客さんが多いですねぇ」
「そうなんだよ。大雪が来るかもしれねえってんで、みんな買い込みにきてるらしいぜ」
年末という時期もあり、年明けてから手早く済ませられるよう保存食や常備菜を仕込むのは慣例だが、本日は悪天候に備える客も相まってグランデ・マルシェはごった返していたのだ。
「私達も沢山買った方がいいかなぁ?」
「ねえちゃんとこは地下になんだか色々沢山あんだろ?それがありゃ十分よ」
「そっか。なら普通よりちょっとだけ多めにお買い物します。今日のオススメはありますか?」
「ごぼうとニンジンだぜ。保存もきくし、買っていってくれよ」
「へぇ……ごぼうとニンジン……じゃあそれ全部ください」
「よっしゃ!毎度あり!」
今日もまたさくらは何か思いついたのか、いつも通り店主が大いに喜ぶほどの量を買い付け、二人は『とんかつ さくら』へと帰っていくのだった。
「魔導エネルギーが止まるかもしれんぞ」
「焚き木が必要になるぞ」
さくらときなこが買い物から帰ろうとする大聖堂前の噴水広場では、山から降りてきた働き者の男たちが簡易テントを建て、軒を連ねていた。どうやらその屈強そうな山男たちは、積雪によって『魔導商会』の巡回員が足止めを食らい、インフラが機能しなくなるのを懸念して、薪となる焚き木を売りに山から降りてきたとのことだった。
「そっか。止まっちゃったら大変だね」
「いくつか買っておくにゃ」
さくらときなこは一応の備えとして薪を5束ほど買い求め、店の地下室に保管しておくことにした。
「おはようございます、さくら様、きなこ様」
「おはよう、ノアちゃん、ユイちゃん」
「リロはどうしたにゃ?」
「リゼロッテお嬢様は奥様と一緒にエクレール女学院へ参りました。終わり次第すぐに駆けつけるとのことです」
「うぇ?この冬休みに?」
さくらときなこは少し顔を見合わせたが、ノアとユイの表情を見て察し、今はそれ以上追求しないことにしたのだった。
「今日はずいぶんと買い込みましたね」
「これほどの『ごぼう』をどうなさるのですか?さくら様」
ノアとユイは、客用のテーブルへ大量に積み上げられたごぼうとにんじんを目にして、度肝を抜かれているようだった。
「うふふ、ほとんどは保存しておくけどね。昨日のおそばに乗せるお料理を思いついたんだ」
「なるほど、それは楽しみですわね」
「ええ、私達もぜひお手伝いさせてください」
ノアとユイも乗り気で、また新たな料理を目にし、その手際を学び、そして味わうことができるという嬉しい機会に胸を躍らせていた。
「きなこは『えび油』をお願いね」
「まかせとけにゃ」
エビフライ用のエビの殻から出汁を煮出した濃厚な『えび油』を、きなこは揚げ鍋で温め始めた。
「今日のお料理は簡単だよ」
さくらはそう言うとごぼうを水で洗い、それを三人で割くようにしてささがきにする。大量にできたごぼうの細切りを水にさらした。
「ごぼうはこうするとアクが抜けて、さらに食感も良くなるの」
なるほどと感心するメイド二人は、さらにさくらに指示されるがまま玉ねぎとにんじんを刻む。一見単純そうに見えて実は手のかかる工程に、ノアとユイは汗を浮かべつつも楽しげに作業を進めた。
その間にさくらは衣用の小麦粉を水で溶き、準備を整えた。
「小さいエビも入れちゃおっか」
こうして揚げ油の準備が整い、さくらはまず試作を一つ揚げる。それを真似てきなこが次々と揚げていった。
「できたぁ!」
「できました!」
大勢でかかれば存外あっさりと出来上がったそれは、なんとも具沢山で贅沢な『かき揚げ』であった。
「ふいぃ、遅くなりましたのですぅ」
「あ、リロちゃん、いいところに来たね。みんなで食べよう?」
「わわ、絶好のタイミングに来ましたのです。今日の朝まかないごはんは何ですか?」
ちょうど仕上がったところへリゼロッテが所用を済ませ、大きな荷物を持って出勤してきた。にぎやかな試食会となり、テーブルを囲んだ一同は目の前の揚げ物を前に唾を呑み込んだ。
「塩で食べてみよう」
さくらはそう言って、一つに塩をぱらりと振りかけた。それに倣い、きなこやリゼロッテ、メイド二人も同じように塩を振って口へ運ぶ。
「サクサクで美味しいのですぅ」
「はぅう……ほっぺが落ちそうですわ」
「お野菜をこんなにも美味しくいただけるなんて僥倖ですわね」
「美味しいにゃぁこれ。醤油でもいけるんじゃないかにゃ?」
「おそばに乗せたらどうなると思う?」
サクサクのかき揚げが、温かい汁を吸ってしっとりと馴染む様を皆で想像する。
「じゅるじゅるで、それはそれで美味しそうなのです」
「そう!おつゆの旨みを美味しく吸い取ってくれるんだよぉ?」
「最高なのです」
さくらは野菜嫌いのリゼロッテに対し、これならどうかと言わんばかりの献立を提案する。おかげでリゼロッテの偏食も和らいだとか、そうでもないのだとか。
「お母さん、おうちでもこれ作ってよ」
「ああ……私にもさくらさんのような腕前があれば」
「パリパリでうめえなぁ」
「つまみにぴったりだぜ」
年末限定メニューとなった『かき揚げ』。いよいよ大晦日まであとわずか。客たちで大いに賑わう『とんかつ さくら』では、誰もが思い思いにランチを楽しんでいた。
「さくら、ちらほら雪が降ってきたにゃ」
「ほんと?やっぱり予報通りだったねぇ」
困ったね、と『とんかつ さくら』の従業員たちは顔を突き合わせた。ランチタイムの終了後、厨房の脇にある小窓から外の様子を覗いたきなこが、現在の模様を店内にいるさくらやリゼロッテ、メイド二人へと伝えたのだ。
「今夜の営業は早仕舞いかも」
「早めに決断するのが賢明かもしれませんね」
「ええ、まずは身の安全が第一ですわ」
さくら店長の言葉にノアとユイも同調した。リゼロッテだけは横目で恨めしそうに、口を真一文字に結んだままさくらを見つめている。「お酒が飲めないのか」と心の声が聞こえてきそうなほど眉を下げていた。
「よし!じゃあ今日のディナータイムはお弁当のみにしましょう!」
「そうと決まればお弁当作りですわね」
「わたくし、さくら様ときなこ様のお弁当、大好きですわ」
「………………」
ノアとユイが張り切って袖を捲り上げ、即座に気持ちを切り替えたすぐその横で、ガックリと首を垂れ、肩を落とす者がいた。
「酒が飲みたい」
それだけの願いがなぜ、叶わないのか。どうして、なぜ、雪などというものが降り積もるというのか。
そんな彼女の独り言が、呪詛のように『とんかつ さくら』の店内の隅で静かに響き渡るのだった。




