88 トロワとアン
さくらときなこ、リゼロッテにメイドのノアールとユイロージアを含めた五人での、押し迫った年末のとある日の営業終了後の『とんかつ さくら』。
この日も相変わらずさくらとリゼロッテは二階で晩酌を楽しみ、きなこは翌日の油作りに励む。そして二人のメイドはというと
「本当にいつも二人だけで帰って大丈夫?」
「ええ、私どもは訓練も受けておりますし」
「さくらさんのご心配には及びません。それよりもお嬢様にくれぐれも飲みすぎないようにとお伝えくださいませ」
ノアとユイは恭しく頭を下げ、スカートの裾をつまみながら別れの挨拶を交わすと、フリージア家への途についた。
いっそう寒さのつのるこの頃は、ちらりと雪の舞う日もあった。そんな時でもノアとユイの二人はきっちりとメイド服を着こなし、分厚いコートなども羽織ることなく外を歩く。二人の体温を奪うように木枯らしが吹き抜け、街路樹から舞い降りる枯葉が冬深き装いをあわただしく物語るような、そんな冷たさが肌に染みる夜であった。
「アン」
ユイがふとノアに呼びかけた。
「その呼び方はやめなさいと言ったでしょう、トロちゃん」
寒さに震えるユイに応えるノア。
「あはは、アンだって一緒じゃん」
「トロちゃんがそういうから私もつられるのよ」
二人は『とんかつ さくら』を後にし、あたたかな魔導ランプの光が照らすミンチェスティ大聖堂前、噴水広場を横切った。大聖堂から厳かな鐘の音が十回響き渡る間、ノアとユイの二人の会話は止まる。
最後の鐘の音が冷え切った冬の空に余韻を残し、永遠に残響が続きそうであった。
「アン、くっついていい?」
「いいわよ」
そう言うと嬉しそうにノアの腕にしがみつくユイは己の身体を寄せ、ノアの手のひらを両手でぎゅっと握った。
「歩きづらいわ、トロちゃん」
「いいじゃん」
歯をガタガタと鳴らしながら、ノアを見上げるようになにかをねだる顔をするユイ。仕方ないとため息を少し漏らすノアだった。
「コート、もらおうよ」
「私達にはそんな贅沢、言えません」
ユイはいい加減このメイド服のままではいつか風邪をひくと涙目でノアに訴えた。ノアはなぜかそんな厳しい言葉でユイの願いを拒む。
大聖堂前の広場を通り過ぎ、そこから南へ向かうと二番街へと繋がる。その道を進むといつもさくらたちが買い物に出掛けている『グランデ・マルシェ』があり、そろそろ閉店を告げる灯りが、ノアとユイの足元をやさしく照らした。
ゆっくりと歩む二人は思わずグランデ・マルシェの店内を覗き、売れ残った蒸した甘い芋を半額で買い、それを二人で分けた。
「あ〜、アンの方が大きい」
「同じですよ、トロちゃん」
「そっちがいいな」
「仕方ないですね」
姉のように振る舞うノアにユイはわがままを言う。それに対してノアも特に悪い気はせず、本当の姉のようにユイを可愛がるのだった。
「おいしいね」
「トロちゃんはさっきまでさくら様のお料理をたくさん食べてたじゃない」
「ううん、アンとこうやって食べるのは特別。…………思い出すね」
「ええ、思い出すわね」
二人はマーケット前にあるベンチに腰掛け、蒸した甘い芋が身体を温めたのか、寒さが幾分か和らいだようだった。
「さくら様……素敵な女の子だよね……」
「ええ、素晴らしい方だわ」
「アンはどう思ってるの?」
「なにがですか?」
「リゼロッテお嬢様がおっしゃっていたこと」
「ああ……そのことですか。変わらないわよ、私は何事もなかったように振る舞うのみ」
「私は知りたい。さくら様がどんな生い立ちだったのか」
「他人の過去に立ち入ってはだめよ」
「私達にもそれは言えるから、でしょ」
「そう。私達だって……そう……」
ノアは少し沈んだような表情になる。金色に輝くセミロングの髪がノアの横顔を隠すように垂れていた。それをユイはすっとかき分けてノアの顔を無理に見ようとした。
「ごめんね、アン」
「いいわよ」
ノアはそう言うと、心配そうに見つめるユイに微笑んでみせた。
「私は今とても幸せ。ロレンツォ様とベアトリーチェ様はとてもお心広く、リゼロッテお嬢様はとてもお優しい。なにより……トロちゃんと離れ離れにならずに済んだのですし」
「アン」
ユイはまたノアにしがみついた。先ほどの暖をとるようなものではなかった。ユイの目には涙が浮かんだ。
「本当に……よかったね」
「ええ、だから……私達に願いなど、これ以上持ってはいけないの」
二人はどれくらいそうしていたのか、しばらく二人であたため合いながら、またフリージア家の屋敷へと小走りで向かう。二人の背中のむこうには、ひとつの影が佇んでいたのだった。
「ただいま戻りました」
ノアとユイがフリージアの屋敷に着いたのは、さくらの店を出てから三十分ほどが過ぎた頃だった。ノアールが先にダイニングのある部屋の扉を叩いてから入室した。
「やあ、ノアールにユイロージア。お疲れ様」
この屋敷の主人である『ロレンツォ・フリージア』は、暖炉の前でロッキングチェアに座りながら『さくらウイスキー』を味わっていた。ロレンツォはいつもよりもほんの少しだけ遅い帰宅のメイド二人を迎え、すぐに暖炉の前を譲った。
「ありがとうございます、ご主人様」
ユイはそう言うと暖炉の前に屈むようにしてから、手を炎に近づけて暖をとった。
「リロはまたさくらさんと飲んでるのかね?」
「ええ、本日は『おそば』なるものを頂きまして。それを少しアレンジしたものを肴に飲むとおっしゃっていました」
「ほう?さくらさんはまた新しいものを生み出したのか。あの方の発想とセンスにはとことん脱帽する」
「まったくでございます」
屈んで暖まるユイの頭上で、ロレンツォとノアはそんな言葉を交わしていた。
「さ、わたしは風呂に入って寝るとする。準備してくれるか」
「かしこまりました、ご主人様」
ロレンツォは肩を回しながらノアールに言った。このところ年末で仕事が忙しいらしく、食事も外で済ませることが多くなっていた。付き合いもあるし、商人として多くの人と関わることも多い。年内のうちにこなしておかなければならない取引などもあり、ノアとユイが屋敷にいなくとも、ロレンツォとしてそれほど困らないのはこういった理由からだった。
「お風呂は私が準備しておきましたよ」
そこへ急に妻のベアトリーチェがそんなことを言いながら入ってきた。
「ああ奥様、大変申し訳ございません」
ノアはすぐに頭を下げて謝罪し、ユイは立ち上がって同じようにお辞儀をした。
「いいのよ、あなたたちはたくさんやることがあるんですもの。私もたまには力仕事しなくっちゃ」
ベアトリーチェはそう言うと、力こぶをぐいっと出すように腕を折り曲げるのだった。
「ありがとうございます、奥様。本当に感謝しております」
ノアはそれはそれでまた恐縮した。
「そんなにかしこまらなくていいわ。それより、私に紅茶をいれてちょうだい?」
「はい!」
ユイはいつもベアトリーチェの紅茶の好みの濃さを把握している。すぐに茶器を運び、魔導ポットに沸かしてある湯でカップを温め出した。
「ノア、ユイ」
ベアトリーチェはソファに座ると、作業中の二人の名を呼んだ。
「はい、奥様」
香りが漂う茶器から湯を捨てたカップにゆっくりと紅茶を注ぎながら、少し怯えながらユイはこたえた。
「あなたたち、学校に通うことになったから」




