87 新たな出発
センチュリオン王国、王都・ミンチェスティ。晩秋の釣瓶落としのようにとっぷりと陽が暮れる夕暮れ模様から、ここ最近はめっきり冷たくなった風が木枯らしとなって王都の石畳の道を吹き抜けていた。さくらときなこの『とんかつ さくら』から立ち上る湯気も人々の吐く白い息と混ざり合って、いよいよ厳しさを増す真冬の空へと消えてゆくのだった。
「さくら、そろそろ開店だにゃ」
「うん、リロちゃん、暖簾お願い」
「かしこまりましたなのです」
熱気と油煙が立ち込める暖かい店内、三人は声を掛け合い、息を合わせて営業を続けていた。フリージア家のメイド、ノアールとユイロージアのうち、必ず一人は手伝いに回され、ここ最近はすっかり手慣れてきたようで、うまく店が回るようになっていた。
「ユイ、わたくしは二階を任されましたので、リゼロッテお嬢様のサポートをしっかりなさるのですよ」
「ノア、わたくしも二階がいいですわ。代わっていただけませんこと?」
「うふふ」
しかし今は年の瀬、年末の慌ただしい真っ只中で、ついに人手が足りなくなり、ロレンツォからの嬉しい申し出もあり、二人ともこのディナータイムに手伝いに来るようになっていた。さくらは恐縮しながらもありがたくその申し出を受け、手伝ってもらうことになったのだ。
「こんばんは、さくらさんや」
「いらっしゃいませ。ライテス様、いつもありがとうございます」
「毎日お邪魔して悪いのう。忙しいのに」
「いえいえ、いつも来ていただけて本当に嬉しいですよ」
ライテスはあの騒動以来、一時は身を潜めるようにしていたが、さくらときなこが必死に説得し、どうにか以前と同じように晴れやかな笑顔を見せてくれるようになっていた。
「どうも、今日は私も同行しております」
「お、エリック。もう謹慎は解けたのかにゃ?」
「え、ええ。お恥ずかしいですが、降格免除試験にどうにかパスいたしまして。元の職に復帰できました」
エリックもさくらたちへの情報漏洩について一応の咎めは受けたものの、上司の取りなしにより、試験という形で周りを納得させ、晴れて復職できたようだった。
「ではライテス様、お二階へどうぞ。ユイちゃん、よろしくね」
「かしこまりました!」
「こんばんは。予約していたハイドライトとザナディアです」
「あ、アオくん、カナタくん、いつもありがとうございます」
「さくらさん、いつも通りお元気そうで安心しました」
「うふふ、私はもう大丈夫。これからもずっと元気で続けていくよ」
「僕もアオもずっと食べて応援します」
「ありがたいにゃ」
こうして『とんかつ さくら』はあるひとつのことだけを除き、以前と変わらぬ賑やかで温かな営業を続けるのであった。
そんな年末のある朝。
王都最大級のマーケット『グランデ・マルシェ』へと向かうさくらときなこ。この日は一段と冷え込んでいて、二人はリゼロッテ特製の手袋をしつつも、両手を擦り合わせながらミンチェスティ一番街を歩いていた。
「寒いねえ」
「寒いにゃぁ……」
キャットシーの末裔ではあるものの、猫科特有の寒がりを発症していたきなこ。さくらよりもさらに寒がっている。きなこには天然の毛皮があるが、冬用のコートを羽織っていてもまだ寒さに震えていた。
「お、さくらねえちゃんにきなこ先生!おはようさん!」
グランデ・マルシェ内、青果店の店主『イヴァン・マッシーライト』がいつものように威勢のいい声でさくらたちに声をかけていた。店主も店主で白い息を吐き出しながら、大きな体に満面の笑みを浮かべていた。
「おい、先生ってなんだにゃ」
「いやな、こないだ店に行った時に改めて感心したんだよ。うちの食材をあんなに見事に仕上げるんだから、こりゃ『先生』って呼ぶべきだなってな」
「料理のアイデアは全部さくらだにゃ。ボクはただ作ってるだけだにゃ」
「それでも大したもんじゃねえか」
「うふふ」
そんな軽妙なやりとりも、さくらときなこ、そしてこの店主の良好な関係性をよく物語っていた。商売というのはこういった横のつながりがとても大切なものなのである。
「ところでねえちゃん、今日はおもしろいもんが入ったんだけどよ」
「あら?なんでしょう?」
「これだよ。ちょっと見てくれ」
店主がゴソゴソと箱の中から取り出したもの、それはたくさんの『実』のようなものだった。
「わわ!これ、もしかして『おそば』の実じゃないですか?」
「なんだそりゃ?よくわかんねえけどよ、ある行商が持ってきたんだよ。『ウルカリア王国』ってところから仕入れたんだと」
「へえ?ウルカリア王国?ですか?」
「ああ、最近センチュリオンと航路を結んだ西の方の小国らしいぜ。そこの聖女様とかいう人が森の中でいろんなもんを栽培してるらしいんだ」
「なるほど……それなら私の農場とかヴァンデンバーグ地方で栽培して増やせるんじゃないかな?」
「たぶん無理だぜ。その聖女様がなんだか特殊なやり方で育ててるらしい」
「なるほど……それは残念。でも教えてくれてありがとうございます!その袋ごと全部ください」
「マジかよ。大丈夫か?」
「ええ。ちょっと思いついたことがあるので」
「そっか。まあうちとしてはありがたいけどよ」
「今年最後の日にはこれを使ったあるものをみなさんにも振る舞えると思いますよぉ?」
さくらは横目で店主をニヤリと見やった。これはまた新しい試みが出来ると閃いたのだ。
「おお、そりゃ楽しみだ。毎度あり!」
こうしてさくらは不思議な形をした実を青果店で仕入れることができ、他にもいつも通りの食材を大量に買い付けたあと、店へと戻るのだった。
「おはようございますなのですぅ……」
「リロちゃんおはよう。中に入っていればよかったのに」
「いえ……今到着したばかりなのですぅ……」
「相変わらずリロは寝坊助だにゃぁ」
さくらときなこが買い物から店まで戻ると、リゼロッテとメイドの二人が、さくらときなこの二人を待ちわびるような姿で立ちすくんでいた。三人はどうやら眠気まなこのままのリゼロッテをなだめすかして連れてきたようだった。
「学校も冬休みなんでしょ?」
「はいなのです……でもたっぷり宿題が出されていて、毎晩夜なべしているのです……」
リゼロッテには毎日複数の課題がある。学園の勉強、チェスの棋譜並べ、淑女としての嗜み、家族との団欒。商家だが貴族の家系に匹敵するフリージア家としての多忙な毎日があるようだ。
「ともかくあったかいお店に入りましょ」
さくらが鍵を差し込み引き戸を開けると、魔導設備によって焚き続けられている『出汁』の香りがふわっと入り口にいるさくらたちの鼻腔をくすぐり、その熱気によって店内もいくらか暖められていた。
「はぁ……天国だにゃ」
「まったくです」
きなこと同じくらい寒がりな様子のメイドの一人・ユイロージアも思わずそんな声をあげた。シャカシャカと絶えず手を擦り合わせているユイだった。
「だらしないですわよ、ユイ」
「そういうノアも厚着しているではないですか」
ミンチェスティに訪れた冬将軍。今年の寒気は一段と厳しいようだった。
「さくらさん、これはいったい」
「今日の仕込みはちょっと大変だけど、いいかな?」
さくらは少々申し訳なさそうにノアとユイにそう持ちかけた。いくら手伝いに来て時給が発生しているからといって、無茶をさせていいわけではない。さくらはそういった気配りを二人に向けたのだった。
「いえ、わたくしたちにできることであれば、何なりとお申し付けくださいませ」
「そうですわ。でなければこちらで修行している意味などありませんもの」
ノアとユイの意気込みは誰よりも強いのかもしれない。主人である『ロレンツォ・フリージア』からさくらの料理の秘密を探ってこいとの指令があるものの、実際はさくらとのやりとりが何より楽しいのだった。
ノアール・クラウディア、そしてユイロージア・ミスティリア。二人の生い立ちは恵まれたものではない。学年で言えばまだ中学二年生にあたる二人にとって、まだまだ遊びたい盛り、学びたい盛りの年頃にもかかわらず、こうしてフリージア家でメイドとして勤めている。彼女たちの思いには様々なものがあるが、今はロレンツォに感謝しつつも、さくらときなことの交流も大切にしたいと考え、今はこうして『修行』という名目を得た上で外での活動を心から楽しんでいたのだった。
「じゃあ遠慮なくお願いしちゃおうかな?この『実』をゴリゴリとすりつぶしてくれる?」
石臼の中に実を適量入れ、これを挽いて、とさくらはノアとユイに言った。それを二人は交代で熱心にすりつぶしていく。
「できたものを今度は私とリロちゃんでふるいにかけて粉にするよ」
「ひぃ……これは大変ですわね」
「ノア、励むのですよ」
「疲れたら私も代わるからね」
仕入れた大量の実はやがて大量の粉となっていった。
「きなこはお味噌汁用のお出汁を使って『おつゆ』をつくってくれる?」
「まかせとけにゃ」
さくらはきなこに『つけつゆ』の用意をしておくようにお願いした。味噌の工程の途中で抽出される『醤油』を使って濃いめのつゆを煮込んでいく。
「ではいよいよ、この粉を小麦粉と混ぜ合わせてこねるよぉ」
ようやくすりつぶし終わった粉と小麦粉を8:2の割合で混ぜ合わせ、水を調整しながらこねあげていった。
「さくらちゃん……これすごく体力を使うのです……」
「体重を乗せるのがコツだよ」
慣れない作業は力の加減がうまくいかないものだ。最初から何事もうまくいくはずはない。こういった作業は頭で考えるより身体に染み込ませて覚えていくものなのだ。
その後、麺棒を使って平たく伸ばし、打ち粉を振り、何層にも畳んでいった。
「ではこれをまとめて折りたたんだら、包丁で切ります」
ノアとユイはさくらの手元を真似て、出来上がった生地に包丁を差し込んでいった。やがて大きくなった生地は細い麺へと変わっていった。
「できたぁ」
「できましたぁ!」
ようやく出来上がったそれを前に、さくらたち全員で両手を挙げて喜びを全身で表現するのだった。
「さくら、何分茹でるにゃ?」
「まずは5分くらいで様子を見ようか」
大きな釜に張った大量の湯の中に今日の人数分ほどの麺を入れ、ゆっくりと泳がせながらきなこは茹で上げていった。
「いい匂いなのです」
「ええお嬢様、なんとも芳しい香りですね」
「身体に良さそうな香りですわ」
リゼロッテとメイド二人はいままで感じたことのない素朴な風合いを感じさせる匂いに、思わず瞼を閉じてうっとりと鼻を鳴らした。
「今日はお水でしめよう」
さくらは冬の厳しい冷水で茹で上がった麺を洗い、力強く握るように引き締めていく。
「ふぅ……冷たいぃ……」
さくらはあまりの冷たさに手が痺れ、思わず悲鳴をあげた。その後はノアとユイも交代で麺を洗っていった。
「たくさんできたね」
「さくらさん、これはどのように食べるのでしょうか」
引き締めた麺を木のザルにあけ、しっかり水を切ってテーブルに並べた。同じ頃出来上がったつけつゆを小さなカップに人数分用意し、きなこがテーブルに運んだ。
「こうやって……少しずつ麺を掬って、ちょんとおつゆにつけて……一気にすすって!」
ゾゾゾ、ズルズルズルといった威勢のいい音が『とんかつ さくら』の店内を支配した。さくらときなこ、リゼロッテにメイド二人の5人はテーブルを囲み、その後は無言で麺を掬い、またつけつゆにつけては一気に啜る。まるで何かの儀式のようにみな夢中で啜った。
こうしてこの世界でまたひとつさくらの料理が誕生した。『そば』の出来上がりの瞬間であった。
「さくらちゃん、これ、とても美味しいのです」
「ああ……なんて深みのある味なのでしょう」
「わたくし、こんな美味なものならいくらでも食べられちゃいますわ」
「よかったぁ。こうやって『ざる』で食べると本当にどんどん食べちゃうよね」
「さくら、ボクこれ噛まずに飲んで食べちゃうにゃ」
「うふふ、それでいいんだよ」
そう語り合いながら相変わらずそばを掬う手は皆止まらず、今日作った分の蕎麦粉は一気になくなってしまうのだった。
「最後に茹で汁を入れて飲もう」
蕎麦湯をこれもまたみなのカップに注ぎ、それをごくりと喉に通していった。
「はぁ……落ち着きますわ……」
「なんとも言えない心地よさですわね……」
メイド二人は感極まったように首をうなだれ、胃袋に染み渡る温かいスープに感嘆の声を漏らした。
「とても美味しいのです」
「お蕎麦はね、とっても体に良いんだよ」
初めて味わった料理にそれぞれが感想を言い合っている間に、きなこが密かに取っておいた数本のそばを揚げて塩を振ってテーブルに出した。
「こういうのはどうかにゃ?」
「きなこぉ、だめだよぉ」
「なにがにゃ?」
「お酒が欲しくなっちゃうじゃん」
時刻はまだ午前10時。ディナーどころかランチも始まってすらいない時間帯。きなこが作った塩気の効いた『そばスティック』を恨めしそうな目つきで、さくらとリゼロッテはポリポリと貪るのだった。
「さくら、これはレギュラーメニューにするのかにゃ?」
「う〜ん、専用の道具を作ってもらえたらそれも考えるかな。今は年末限定にしよう」
あまりに手間がかかる工程にさくらは慎重な姿勢を見せた。ただでさえさくらの作る料理はいまや多岐に渡っており、蕎麦打ちまでは到底手が回らない。
「今年最後のスペシャルメニューにしよっか」
「なぜ最後の日なのですか?」
「そういう決まりものなんだよ」
「そうなのですか」
説明になっていないさくらの言葉に、「まあいっか」と納得するリゼロッテであった。
「『大晦日』と呼びましょう」
さくらは聞き慣れない名称を高らかに宣言し、来る年末の節目、大晦日への特別な思いを胸に抱いた。
「なにぃ?アオとカナタがまた変なもん設計したものを形にしろだと?さくらてめえまた無茶いいやがってそんな複雑なものつくれるわけ…………なに?周辺の人々に飯を配る?無料?子供の笑顔?おい!鉄を持って来い!」
鉄鋼職人のバレットにはそばの実を粉砕するための手動ミキサーを注文した。アオとカナタには概要を説明して設計してもらい、それをバレットに制作依頼したのだった。
「嬢ちゃん、そんなもん俺っち達に任せとけって」
大工のジェイムズが今年の仕事を納めたとかで、納会と称し、大工連中全員と飲み会を『とんかつ さくら』の二階にて開いていた。
「本当ですか?それは本当に助かります。ありがとうございます」
「なんだよみずくせえ。そんな粋な計画を聞いたら黙ってらんねえって」
さくらは大晦日に向け、計画を着々と進行していた。たくさんの木の器をジェイムズに頼み、そのことを相談していたのだ。
ジェイムズたちは粉を練ってこねて平たく伸ばす工程を引き受けてくれるということだった。力仕事は任せろと頼もしい言葉をもらい、さくらはほっと胸を撫で下ろした。
「かしこまりました。夕方でよろしいのですね」
「ええ、とんかつ屋さんを始める時間は少し遅くしますので、できれば多くの人に食べてもらいたいので」
さくらがエリックに依頼した内容は、ミンチェスティ大聖堂前の噴水広場にて配給活動をするための場所使用許可を警察に届けるためだった。
大晦日のそばの無料配給。その活動自体がどういった意味を持つのかなどは市民にはわからないだろう。しかしさくらはその意味合いなど深く考えてはいなかった。ただその日に蕎麦を食べるという、それだけで心が通じ合うのではないかとさくらは考えていた。ただそれだけだった。
特別な何かではない。しかし心に深く染み渡る暖かさが欲しい。一年を振り返り、さくらは小さな灯火を心に燃やし続けるのだった。




