父猫との対話2:吹雪と紅焔
「さて……こんなところだ。聞きたいことは、聞けたか」
父猫はさくらへ向き、先ほどまで話していた時とは打って変わって、穏やかな眼差しを向けた。
「うん。だいぶ聞けたよ。ちなみにパルデス現国王以前のことはわかる?」
「さくらが知りたいような内容ではないと思うがな」
一拍置いて、父猫は続けた。
「前王、すなわちパルデスの父『ライテスイーボーン・センチュリオン』は、クーデターを起こし、その混乱の最中に帝王の座へ就いた」
「え!?」
さくらは、さすがに驚きを隠せなかった。
穏やかで柔和、朗らかな印象のライテスからは、到底想像もできない言葉だったからだ。胸を鈍器で打たれたような衝撃とともに、激しい鼓動を覚える。
「我が知るのはそこまでだ。どうやらセンチュリオン内部は、徹底した秘密主義らしいのでな」
「そうなんだ……」
さくらは衝撃と同時に、深い動揺を抱えていた。いまだ治まらぬ胸の鼓動を抑えるのは、容易ではなかった。
「そろそろ聞かせてくれ。さくらの話を」
「そうだね……うん……?」
さくらは父猫に向き直り、本題へ入ろうとした、その時だった。
「なるほど、こういうことであったか」
「はっ……!誰!?」
「なにやつ……!」
不意に、丘の下、崖の影に潜んでいたのだろうか、思いもよらない声が響いた。
それはさくらにとって聞き覚えのある、どこか冷たく、それでいて儚さを帯びた声だった。
「盗み聞きするようで悪かった。私だ」
崖の端を掴み、くるりと宙返りをして着地し、二人の前へ姿を現したのは、見慣れた白銀の髪。
店で着ていた服装とは異なる、黒装束の彼女だった。
「フリーゼ様……!どうしてここに」
「さくら、こやつはもしやセンチュリオンの姫ではないか」
「ふふ、お初にお目にかかる。お察しの通り、センチュリオン王国第一王女、フリーゼマジカルスウォーデン・センチュリオンである。お主はきなこ様の父君であるな」
フリーゼは両手に持つおよそ一尺たらずの妖刀を、逆刃で構え、吹雪を纏い、即座に戦闘体制へ移行した。
「さくら、さがっておれ」
父猫はその構えを見据え、全身に炎を纏わせた。爪を剥き出しにし、牙をも向ける。
「ちょっと待ってよ二人とも!どうして?フリーゼ様どうしてなの!?」
さくらは、なぜこのような状況に陥ったのか理解できずにいた。
突然フリーゼが現れ、即座に臨戦体制へ入り、それに応じるように父猫も構えを取る。あまりに急転直下な展開に、さくらは胸を押さえた。
「お主……やはり、そうか。まことしやかな噂ではなかったのだな」
「キャット・シーの末裔よ。お前はどちらだ。さくらをいかがするつもりだ」
「知れたこと。さくらを道具にはさせぬ」
「そうか。ならば、もはや言葉は無用」
フリーゼはそう言い放つと同時に、深く落とした重心から右足を蹴り出し、父猫の喉元へと飛びかかった。その俊敏さは、まるで隼のようだった。蹴った勢いをそのまま右手に乗せ、逆手に持った吹雪の妖刀を下段から一閃。
だが、その刃は空を切り、父猫の顔面すれすれを横切るに留まった。
その隙を逃さず、父猫はその巨なる身体を翻し、回避に遠心力を乗せ、力をそのまま左拳へと集約した。炎を纏った腕の一撃は、フリーゼの右上腕部を正確に捉え、確かな手応えを残した。
二人の交錯は、まさに瞬撃だった。フリーゼはデク人形のように転がった。
「くっ……!やはり歴戦の猛者……一筋縄ではいかぬな」
フリーゼは右腕を左手で押さえ、膝を折る。
「やめておけ、姫よ。お主は我に太刀打ちできぬ」
「ほざけ」
フリーゼは再び蹴り出そうとした。しかし、その前にさくらが立ちはだかった。
「はっ……!なにをしている、さくらちゃん!」
「もうやめて!なにをしているの!わけがわからないよ!」
「さくら、こやつはお前の知る姫ではない」
「え!?」
父猫はそう告げると、その一瞬の隙を突き、フリーゼの頭部を横からはたくように打撃を加えた。
耳と顎関節を直撃したフリーゼは白目を剥き、あまりの痛打に耐えきれず、その場に崩れ落ち、気絶した。
「ああ!父猫さん!なんてことを!」
「安心しろ。顎が外れ、鼓膜が破けただけだ」
「だけって……」
「後で妻が修復する。そう狼狽えるな」
その言葉を聞いて、さくらはようやく力が抜けたのか、脚を内側に折り、地面にへたり込んだ。
「なんで……こんな……」
「さくら、まずは、こやつを縛れ。また同じことにならぬとも限らん」
さくらは、その事実と父猫の言葉に動揺し、逡巡した。
あまりに非情だった。
つい昨日まで、共に店を切り盛りし、苦楽を分かち合った相手だ。立場を超えた存在であるフリーゼを前に、さくらは悲しみを堪えきれなかった。
「あれ……?なんで……」
「む、どうしたのだ」
さくらは一瞬、考え込んだ。
こんなにも『悲しい』と感じたことが、これまであっただろうか。忘れていたこの『感情』はいったい何なのだろうか。しかし涙はにじみもしなかった。
「ううん……なんでもない」
さくらは藤のつるを木から引き抜き、それをフリーゼの身体に丁寧に巻きつけた。
父猫はフリーゼの襟元を咥え、そのまま洞穴の近くまで運んでいった。
洞穴近くの広場へ戻ると、さくらと父猫、そして気絶したままのフリーゼを地面へ下ろした。その物音に気づき、母猫ときなこも洞穴から姿を現し、合流した。
「もう……少しは丁寧に扱ってよ。王女さまだよ?」
父猫の荒っぽさに、さくらは思わず睨みつける。
「こやつは先ほどまで我に刃を向けておったが?」
因果応報だと言わんばかりに、父猫も言い返す。
「にゃにゃ!フリーゼ!どうしたのにゃ!」
さすがのきなこも、このフリーゼの状態には驚愕した。先ほどの入浴からいかほどの時間も経っていなかった感覚だっただけに、きなこはこの短い間に何があったのか、考える余地もなかった。
「それよりも、こやつの耳と顎を治してやってくれ」
「まあまあ……大変なこと……どれどれ……」
母猫は一瞬、目を背けたが、すぐに横顔と両耳の鼓膜へ治癒魔法を施した。
「これで安心よ。一体、何があったの?」
「うむ。一度状況を整理しておこう」
父猫は先ほどまでの出来事、さくらとの会話、そこへ突然現れたフリーゼ、そして戦闘に至った経緯と会話の内容を、きなこと母猫へ順を追って説明した。
同時にさくらと父猫自身も、思考を整理していく。
「フリーゼ様……どうしちゃったんだろう……」
「なんでこいつ、こんなことになってるにゃ?」
さくらときなこは顔を合わせ、心配な様子を確かめ合った。
「まあ待て。お前たちがこの姫を庇いたい気持ちはわかる。だが、自らの口で語らせるのがよかろう」
狼狽えるさくらときなこを嗜め、父猫は静かに言った。
母猫は父猫の半歩後ろに控え、成り行きを見守っている。
「おい、フリーゼ。起きるにゃ」
「ちょっときなこ。大怪我してるんだよ?ゆっくり寝かせてあげよう?」
「もう完治しておる。叩き起こせばよい」
そう言うと、父猫は爪でフリーゼの服を引っ掛け、少し持ち上げ、そのまま落とした。
「もう!なんてことするの!」
さくらは再び抗議し、父猫の大きな胴体をボカボカと両手で殴る。父猫は何が悪いのだ、と言わんばかりに顔を背けた。
「う……うぅ……」
「あ、起きたにゃ。おいフリーゼ!起きろにゃ!」
きなこはフリーゼの身体を揺さぶり、微睡から覚醒させた。
「うう……身体中が痛い……ここは、どこ……」
「フリーゼ様。申し訳ございません。ここはブルーウッドからほど近い、丘の上の森です」
「丘……森……?なぜ私はそんなところに……」
案の定、フリーゼは直近の記憶を失っているようだった。さくらはすぐに感じた。これはただ記憶を失っているだけではない、と。
上体を起こす彼女を、さくらは支え、この肌寒さの中でも少しでも安らげるよう、焚き火の熱が伝わる位置まで導いた。
「なぜ私は縛られているのだ……」
「ごめんなさい、フリーゼ様。まずは説明します」
さくらはこれまでに起きた出来事を、できるだけ穏やかな言葉を選びながら語った。父猫に得物を向けたこと、鼓膜を傷つけられたことも、極力柔らかく表現した。
そして、すべてを語り終えた。
「……………」
フリーゼは俯き、さくらとは反対側へ視線を落とした。口を閉ざしたまま、その内に何かを抱えているのは明らかだった。
やがて眉をひそめ、瞼を伏せ、静かに目を閉じる。
「フリーゼ様。できればお聞きしたいです。私、以前から感じていたことがあるんです」
さくらは、フリーゼの横顔に語りかけた。フリーゼの表情は変わらない。
「ずっと前から思っていたことを、なぜか言葉にできませんでした。訊くのが怖かったのかもしれません。でも、もしかしたら……フリーゼ様が話してくれるかも、そんなことも思っていました」
さくらは目を細め、フリーゼの肩にそっと手を置いた。フリーゼの身体が、わずかに反応する。
「本当の違和感を覚えたのは、春頃だったかな。フリーゼ様、ずっと学校に行っていませんでしたよね。うちで働いてもらえるのは嬉しかったし、『特待生』だと仰っていたから、特別なんだと思っていました。でも、違ったんですね」
さくらは何かを確信したように、わずかに目を見開く。フリーゼは唇を噛み締めた。
「フリーゼ様、あなたは何か特別な使命を背負っているんじゃないですか?学校では、その活動ができないし、言えないし……私たちになんて、なおさら。でもどこかで、私に気づいてほしかったんじゃないですか?」
その言葉に、フリーゼははっとして振り返った。
明らかな動揺が、その表情に浮かんでいた。瞳孔は開き、血走り、唇は震えている。頬を伝う一筋は、冷や汗なのか、それとも別のものなのか。
「どういう思惑かは知りませんでしたけど、『働きたい』と言ってくれた時はとても嬉しかったです。一緒に働く人って誰でもいいってわけじゃないんですよ。最初はびっくりしたけど、そのあとはすぐにフリーゼ様に来てもらえてよかったって本当に思っていました。働きたいと思ってくれて嬉しかったです」
さくらはフリーゼに笑顔を向け、あまりの恐怖感を抱えた彼女に、そっと瞼を閉じて優しい言葉をかけた。
「額に汗して楽しそうに働くフリーゼ様を、とても尊く思っていました。少しドジで、おっちょこちょいなところも、私は本当に愛おしく見ていました。私たちをあだ名で呼び、自分のことも執拗にあだ名で呼ばせる少し幼い少女らしさが、本当に可愛らしかった」
さくらはいつの間にか、フリーゼを王女としてではなく、どこか懐かしい存在として見ていた。
地球での家族、それは孫を見守る祖母のような、そんな感情さえ芽生えていた。
「私はそんなフリーゼ様が、大好きだった。ちょっと頼りない妹みたいに思っていました。そして、本当に、信頼していました」
「あ……あぁ……」
フリーゼは、そのまま涙に崩れ落ちた。身体を震わせ、顔を濡らし、子どものように嗚咽を漏らし続ける。
さくらはそんなフリーゼを、そっと抱きしめた。
やがて、藤のつるを解いてやった。
寒さで震え始めたフリーゼのために、さくらときなこは湯を沸かし、以前から置いてあった木の器で白湯を分け与えた。
フリーゼもようやく自我を取り戻したようで、白湯を一気に飲み干す。
「ゴホゴホッ!」
「フリーゼ様、ゆっくり飲んでくださいね」
「器官がまだ完全には戻っておらん。しばらくは耳の不調が続くだろう」
さくらと父猫は、フリーゼの体調を気遣う。
「……ああ、大丈夫だ……」
振り絞るように声を出しながらも、フリーゼは震える身体を抑え、正座をした。
「さくらちゃん、きなこ様、そして『大いなる戦神』キャット・シーの末裔よ。私のしたことは、取り返しのつかない過ちだ。どのような裁きでも、甘んじて受けよう」
そう言って、フリーゼは深く平伏した。
「フリーゼ様、そんな……」
「姫よ」
父猫は、静かに対峙した。
「……はい」
「我の使命が、わかるか」
「……存じませぬ……」
「お主らの戦を、止めるためだ」
フリーゼは顔を伏せたまま、押し黙っている。
「このダルテニア大陸において、無益な争いや人間どもの平定のためだけに、我らは存在しておる」
父猫は遠き星を眺めるように、夜空を見上げた。
「我ら魔獣キャット・シーは、人間の魂そのものなのだ」
「えっ……!」
さくらは、あまりの言葉に、強烈な衝撃を隠せなかった。
きなこは立ち尽くしていた。
母猫は顔を背け、目を閉じ、眉を伏せる。
フリーゼも顔を上げたが、声は発せず、ただ呆然としていた。
「この戦を傍観し続け、幾百年。我ら魔獣は何度となく人間を鎮めてきた。冥土へ向かう魂は、我らの血肉となり、それを貪り続けた。しかし十数年前、この世はようやく平常化し、我らの役目は終焉を迎えたかのように見えた。だが、その時……」
父猫は、そこで言葉を止めた。
一瞬、さくらへ視線を向ける。その眼差しを、さくらは見逃さなかった。
さくらは、それに応えるように口を開いた。
「わかった。わかったよ父猫さん。ようやく私の謎が解けたし、この『運命の鎖』も、ようやく理解できた。そして……」
さくらは、きなこを見下ろす。
突然視線を向けられ、きなこは一瞬驚いたが、すぐに何かを察し、小さく頷いた。
「きなこと私のことも……ようやく、わかったよ」
父猫は頷くことなく、夜空を見上げる。
きなこは眉間に力を入れ、さくらを見上げる。
母猫は目を閉じ、皆の様子を静かに見守っていた。
フリーゼはその言葉に、何かを感じ取ったのか、瞳を伏せ、膝を抱えた。
「私たちのことを話す前に……フリーゼ様、あなたのことを教えていただけますか?」
さくらは、まるで菩薩のような表情で問いかける。
その微笑みに吸い寄せられるように、フリーゼはゆっくりと口を開いた。
「わかった……話そう」




