父猫との対話1:Chain of Destiny
「母猫ちゃん!」
「ああ……!さくらさん!」
秋風にたなびく雲の隙間から月が覗く夜、さくらときなこは王都の店を抜け出し、ブルーウッド地区へと足を踏み入れ、そのまま郊外の『あの丘』を目指していた。久方ぶりの訪問であるにもかかわらず、ふたりは難なく親猫たちの居場所を突き止めることができた。それはきなこの帰巣本能によるものなのだろうか。実際には特別なことではなく、かつて住んでいた洞穴へ向かったに過ぎないのだが。そんなさくらは懐かしいその姿を見かけた瞬間、飛び出すように駆け寄り、母猫の胸元へ飛び込んだ。
「ああっ……!なんてこと……!本当に……本当にさくらさんなの……!ああああ……!」
母猫の取り乱しようは、思わず目を覆いたくなるほどであった。今生の別れだと覚悟していたのだろう。再び巡り会えた奇跡に、母猫の激しい動悸はしばらく収まる気配を見せなかった。
「ふふ……苦しいよ、母猫ちゃん」
「だって……!だって、こんなに立派になって……!本当に……本当に会いたかった……!」
さくらと母猫は強く抱きしめ合い、再会の喜びを噛み締める。
「お母ちゃん、ボクも帰ってきたにゃ」
「ああ、きなこ……!あなたに会えることも、もう諦めていたわ……!あああ!」
「もうそのへんでよかろう」
ずっとその賑やかな様子を眺めていた父猫が、後ろから野太い声で場を収めた。
「うふふ、久しぶりだね、ふたりとも」
「うむ、よく戻ってきたな。健やかであったか」
「もちろんにゃ」
きなこは上腕二頭筋にぐっと力を込めてみせる。
「して、どうしたのだ?しかも、こんな夜更けに」
「特に『用事』があったわけじゃないよ。でもふたりに会いたかったし、温泉にも入りたいなって」
さくらは「あと、これ」と言いながら、大きな風呂敷を広げた。リゼロッテに「きなこの両親に会いに行く」と伝えたところ、「それなら、たくさんお土産を持っていきましょう」と勧められ、手持ちの材料で揚げ物を作り、持参したのだった。
「おお!」
「まあ!」
親猫たちは目を輝かせ、ふたりの仕事の結晶を喜び、ありがたく味わった。ひととおり土産を堪能した親猫たちは、膨れた腹を押さえながら、満足そうに口の周りをぺろりと拭う。
「変わらず、さくらさんのお料理は美味しいわ」
「お母ちゃん、揚げ物はボクが揚げてるんにゃ」
「あら、そうなの!きなこは偉いわねえ」
手放しで褒め、きなこの頭を撫でる母猫。やはり親というものは、活躍する我が子を宝物のように思うものなのだろう。
「さて、さくら。久方ぶりに、行くか」
「うん、行こう!」
そうして四人は連れ立って、『温泉地』へと向かった。
「ふぅ……気持ちいいねぇ……」
天にも昇るような久しぶりの心地よさに、さくらときなこは身体を蕩けさせる。
「我らは、よく来ているぞ」
「さくらさんが見つけてくれたおかげよ」
親猫たちは日頃からこの温泉を利用しているらしい。他の動物は寄りつかないようで、ほぼ親猫たち専用の場所となっていた。
「さくら、きなこ。王都での話を聞かせてくれ」
相変わらず父猫は、さくらの語りを好んでいるようだった。
「あら。私は先に、さくらさんのお歌を聴きたいわ」
親猫ふたりは、さくらを取り合うような様子を見せる。さくらはその姿を見て、どこか懐かしい気持ちになった。古い友人に再会したような感覚だった。ブルーウッドでの出来事、王都での暮らし、店が順調であることなどを語り、さらに母猫の願いに応え、夜空の下で心ゆくまで歌を歌い上げたのだった。
腹も満たされ、湯にも浸かって気分よく溜まり場へ戻ったさくらと猫の家族。しばらく焚き火を囲んで過ごしていたが、母猫ときなこが洞穴へ入り、親子水入らずで眠りについた頃、父猫が静かに口を開いた。
「さくら」
「うん」
「場所を変えるか」
「そうしよっか」
父猫とさくらのふたりは、まだ話し足りないことがあるらしく、わずかな言葉だけで意思を通わせた。そして、さくらがこの世界に初めて降り立った、ミンチェスティの夜景が見える小高い丘へと向かう。
ふたりは適当な場所を見つけると、さくらは土産を包んでいた紙風呂敷を地面に敷いて腰を下ろし、遠くの景色を眺めた。ここにしようと決めていたわけではないが、自然と足が向いていた。道すがら考えを巡らせていたさくらは、しばらく目を閉じていたが、意を決したように口を開く。
「私がこの国……この『世界』に降り立ってから、色んなことがあったんだなぁって、最近思い出してさ」
父猫は、ただ静かに耳を傾けている。
「最初に父猫さんに出会えたのは、本当に幸運だったと思う。何も知らない世界であなたに話を聞いてもらえたのは、奇跡みたいなことだった」
父猫は一瞬だけさくらに視線を向け、すぐにまた目を閉じた。
「もしあの時、王都のど真ん中に落とされていたらと思うと、今でもゾッとする。きなこに導かれるようにあなたたちと出会えて、すぐに言葉を交わせて、自分の素性を正直に話せた。そして、あなたはそれを受け入れてくれた。そんなこと、きっと他の人にはできなかった。少しでも状況が違っていたら、私は……今この場所にいなかったと思うんだ」
さくらは少し俯き、膝を抱えて地面を見つめていた。父猫はわずかに眉間に力を込め、短く息を吐いた。
「それから一緒に暮らしてくれて、王都へ出る手助けをしてくれて、きなこを連れて行かせてくれて……気がつけば、何もかもがうまく進んでいる。ほんの少しでも歯車がズレていたら、こんな今はなかった。本当に、ありがとう」
さくらは影を落としていた表情からパッと明るい笑顔を父猫に向けた。父猫はどこか安堵したように、わずかに口角を上げただけだった。
「教えてほしいの」
さくらの表情が一変し、月明かりは雲に隠された。
「うむ」
「この国の……センチュリオンの歴史を」
さくらはこれまで、地球のことや日本の歴史を父猫に語り続けてきた。父猫は少し天を仰ぎ、次の言葉を待った。
「そして、この世界の歴史を教えてほしい」
さくらは目を閉じ、胸の奥でかすかに揺れる小さな炎を抑えたそのとき、覆っていた雲が晴れ、月明かりがさくらの顔を照らした。
「知って、どうする」
父猫はさくらの質問の意図を、理解しているのかいないのか、そんなはぐらかすような言葉を吐いた。
「私は、自分自身の……運命を」
さくらは目を開き、まっすぐに父猫を見据えた。
「断ち切りたい」
夜空の下、さくらの頭上を一筋の流れ星が静かに輝いていた。
「ふむ……」
父猫はしばし思案した。その時間は、束の間の永遠のように感じられた。さくらときなこがここに再び訪問する理由は、大体はもうわかっていた。いや、この瞬間を待ち望んでいたのかもしれない。ようやくかと。父猫はそのまま瞼を閉じ、一呼吸ついてから決心したようにさくらへと向き合った。
「まずその前に、さくらの耳に入れておきたいことがある」
「うん?なぁに?」
急な空気の入れ替わりに、さくらはほんの少しだけきょとんとし、父猫を見上げる。
「うむ。先日『レオニウス』がここへやってきた」
「え!?レオくんが?」
さくらは驚いた。まさか、あの姿のままでここへ来たのかと。
「我もさすがに仰天した。少し成長した、我らと同じ容姿だ。さくらが心配するような格好ではなかったはずだ」
父猫はさくらの心情を読み取り、以前『とんかつ さくら』に訪れた際のような、端正な服装ではなかったことを補足する。
「そっか。それで?レオくんは何をしに来たの?」
「ああ。やつは今、ベルガードの貴族家庭にいるようだ。現在は家族以外にはその素性を伏せ、大学にも通っているらしいな。さくらの店にも行ったと言っていた」
整合性は取れている。さくらときなこ、そしてフリーゼが聞いた話と相違はなかった。別の何者かではないようだ。
「私たちが聞いた話と、間違ってないよ」
「そうか。それでだな、やつは我にあることを伝えに来たのだ」
——ベルガード王国の、とある貴族に動きがあるようです——
「現状では大したことではないようだ。ただ、今のセンチュリオンにとっては少々厄介な話のはずだ」
「ベルガード王国の貴族……それは誰なの?」
「どうやらレオニウスの親戚らしい。バーンスタイン家の祖父方の兄弟だという」
「名前は?」
「『アレクセル家』」
「ふぅん……多分、私は知らない名前だね。有名な貴族なの?」
「いや、我も昨今の細かな情勢までは把握できていない。国家間レベルのことなら、ある程度は知れるのだが」
父猫はほんの少し目を閉じ、夜空を仰いだ。話し疲れた喉を休めているようだった。さくらもその合間に同じように目を閉じ、足を伸ばす。やがてさくらは目を開き、再び父猫に問いかける。
「レオくんは……今、どういう立場なんだろうね」
「あやつはバーンスタイン家に懐柔されてはおらんようだ。少なくともやつ自身、心酔している様子はなかった」
「何をしたいんだと思う?」
「わからんな。ただ、それだけをあえて我に伝えに来るということは……まあ、『そういうこと』だ」
「ちょっと待って。話はそれで終わったの?」
「ああ。そこで、やつの時間制限が来たようだった」
キャット・シーから人間へ戻るタイムリミットがあったのだろうか。その変身がきなこにもできるのだろうかと一瞬思案したさくらだった。
「そっか。それで、『そういうこと』っていうのは?」
「うむ。その話と併せて、この国の歴史について話し始めようか」
父猫は少し座る位置を変え、前足を伸ばし、丸まっていた背をわずかに伸ばす。さくらもそれに応じ、姿勢を正して聴く構えを取った。
「ここセンチュリオンは、遠い過去、約三百年前に、北方の大国『帝政ロシェリア』との対立を深めていた。まだ戦闘魔法が存在していた頃、お互いの戦禍は凄惨を極めていた」
父猫は少し眉をひそめる。
「我は、その頃の戦争『ダルテニア南北戦争』に参戦していた。どちらにつくでもなく、我らキャット・シーは、その愚かで無益な争いに、言うなれば『とりなし』という形で関与していた」
「父猫さんは、そんな頃から生きているんだ……」
さくらは戦争の話だけでなく、長い時を生き、この国の歴史を見続けてきた存在としての誇りと哀しみを、父猫の中に感じ取っていた。
「少し話が逸れるが、我のように人語を話す種族は、キャット・シーの中でも少数派だ。そして何の因果か、長命種でもある」
さくらは、わずかに目を細める父猫の横顔を見る。そこには寂しさと、数え切れぬ経験を重ねてきた者の深みが同居していた。
「結局、我らの介在も虚しく、この大陸の約半数に犠牲者を出し、ダルテニア南北戦争は終結した。終結と言っても停戦だ。一時凌ぎに過ぎんな」
父猫は、口惜しげに軽く歯噛みする。
「停戦協定はベルガードが仲介した。ロシェリア側は四カ国、センチュリオン側は一カ国と、ある地域を含め、それぞれ独立を認めた。ロシェリアとセンチュリオンの国境線上に、それらの国は存在する。そして、ミンチェスティ北部、ロシェリアの首都『サンデスハイム・ペトラドルク』南方に広がる国境の空白地帯が、今なお紛争地域となってしまっている」
父猫は爪で地面に地図を描く。さくらはその図を眺め、初めてこの惑星の大陸図を目にして息を呑んだ。すぐさま、揚げ物を包んでいた紙に、その地図を写し取っていく。
「そして、その停戦から約三百年後、現在の王『パルデスブレイディオ・センチュリオン』が台頭した。前王から譲位という形で王位に就き、今日に至る」
「ということは、もう三百年以上、大きな戦争は起きてないってこと?」
「小規模な紛争は各地で起きている。ただ、すぐに鎮圧され、主導者は打首か拷問に処されている」
「センチュリオンでも、ロシェリアでも、同じようなことが起きてるの?」
「うむ。現王政に反旗を翻す者は、どの時代にも必ず現れる。しかし、それが他の国民へ広がる前に、必ず粛清される。人の世では、珍しいことではない」
さくらは、どこか遠い目をした。




