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とんかつ屋の悩みごと  作者: 藤沢春


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父猫との対話3:器の中のマリオネット

 まるでフリーゼの心の中にある鬱屈がすべて抜けていくかのように、パチパチと焚き火の炎が夜空に舞い上がる中、フリーゼは語り出した。


「大いなる戦神・キャットシーの末裔、あなたのおっしゃる通りだ。さくらちゃん、先ほどまでの私は貴女の知る私ではない。いや、正確に言うならば、私の内にはもう一つの私がいる。言い換えれば『二つの精神』が存在していると考えてもらって構わない」


(これだ……)

 さくらはすぐに察知した。かつてほんのわずかに覚えた『違和感』がこれだったのだと。


「私の片方の身体や人格は崩壊していると思う。いや、すでにそうなのだろう。これからするべきことをやりたくないと思う気持ちと、いやしかしなさねばならないと思う強い意志が、常に互いにせめぎ合っている」


 いまだ掴めずにいるさくらときなこ、そしてキャットシーの二人は、静かに佇んでいるだけだった。


「あぁ……よくわからないと思うが、私自身ももうよくわかっていない。何のためにそうしているのか。いや、何のために生きているのかすらわからなくなる瞬間もある」


 珍しく自嘲気味に笑うフリーゼの話に少し間ができたとき、さくらは膝を抱え、フリーゼと目線を合わせる位置に腰を下ろした。その傍らにきなこも座る。そしてフリーゼは言葉を紡いだ。


「ずっとそのようにして生きてきたんだ。王女であると同時に、私にはもう一つの『仕事』がある。むしろ王女という立場を超え、いや忘れ、そんなものはすでに関係ないとさえ思う。私にとってこのセンチュリオンは、もはやただの器でしかなかった。その器の中にある、たった一粒の雫でしかなかった。私に課せられたものはそれほど並大抵ではなく、私はそれを成すために、とうに王女という立場を捨てていた」


 フリーゼの唇が震えた。さくらはそれを見ようとせず、抱えた膝に顔を埋める。フリーゼは手を前に出し、そして胸に当て、再び語り出した。


「私は病を抱えている。治る見込みのない、根深いものだと思う。それは私が十歳の時にすでに発していた。その時から、私という人間は、その事実を知った瞬間から、別の精神へと移り変わっていった」


 フリーゼは痛みに耐えながらよろよろと立ち上がり、さくらときなこに向き合った。さくらも同じように立ち上がり、目を細めてフリーゼに対峙する。きなこは眉間に力を入れ、拳をぐっと握りしめた。二人は次に紡がれる言葉に覚悟し、静かにその時を待った。



「私は暗殺者だ」



 突然の風とともに、遠き空で雷鳴が轟いた。さくらときなこは立ち尽くし、その言葉の意味を噛み締める。

 フリーゼは続けた。


「ある時から、そのように育てられたのだ。組織の隊長として。そして終わりのない戦いが、その時から始まった。いや、すでに終わることのない戦いになってしまっている」


 さくらにはその違いはわからなかった。わかるはずもなかったが、それでもフリーゼを理解しようとする気持ちはあった。なにがどうなっているのか、まずは受け止めようと思った。


「発端は残酷なものだった。しかし普通の人間ならば、その出来事は事もなげに終わってしまっていただろう。だが私たちは違った」


 フリーゼの震える頬に雫が光る。それをフリーゼは乱暴に拭った。真意をなかなか語ろうとしない話し方に、父猫は苛立ちを覚えていた。

 それでもフリーゼは語り続け、さくらは黙ってその言葉を待った。


「もともとここセンチュリオン王国は、強大な国家ではなくなっていた。先ほどキャットシーの末裔に聞いたと思うが、北の大国『帝政ロシェリア』との停戦前は、複数の小国家を統べ、まとめ上げた『帝国』だった。それを祖父の時代に割譲し、それぞれ独立した国家となった。なぜか。それは戦争そのものをなくすためでもあった。その結果、センチュリオンは徐々に闘争心を失っていった。人間というものはやはり一枚岩ではなく、そう簡単なものではないのだろう。散らばった小国家には、それぞれ小さな火種が生まれ、やがて燻りとなり、次第に大きくなっていった。それゆえセンチュリオンは、再びそれら小国家をまとめようと動いた。そのためには当然、資金が必要だった」


 フリーゼは小さくため息をついた。未だ癒えぬ強打した頭を抱えながら目を閉じ、しばらく口を閉ざす。

 さくらは少しのあいだ考えた。今この国はどのような状況なのかと。フリーゼの語りから、わずかに想像できることを頭の中で整理していた。

 センチュリオンはその頃から、大掛かりな事業計画を、ある人物を中心に進めていた。その結果、軍備は拡充した。ここで普通の国家ならば戦争は起こさず、軍備があることを対外に示し、攻め込む余地がないことを誇るのが、通常の軍事外交のはずだ。

 しかしフリーゼは、さくらのそんな想像を打ち消すように言葉を続けた。


「その時に、ことは起こったのだ」


 さくらときなこは思わず冷や汗が背中を伝うのを感じた。喉の奥の唾を飲み込むのも苦しい。握りしめた指は、血が滲むほど手のひらに食い込んでいた。



「祖母が何者かに殺された」



 さくらは心の中でどれほど大きな声で「嗚呼」と呟いたのだろうか。これまでのセンチュリオンの成り行き―と、つい先日見たブルーウッド王立公園の戦没者慰霊碑の前に置かれていた追悼の碑文に刻まれた名前、それらの点と点が線で繋がった。


「私が五歳の頃のことだったそうだ。急にお婆さまがいなくなり、子どもながらにおかしいと思っていた。盛大な葬儀も行われたが、幼い私にはそれが理解できなかった。それから私はお婆さまを探すようになり、いないとわかると泣き出し、夢で祖母の幻影を見る日々が続いた。私の心は徐々に歪んでいった。その頃から私には特殊な訓練が施されるようになった。それが今の私を作り上げた」


 フリーゼは身に纏う黒の装束に手を当て、どこか誇るような仕草を見せた。その表情は固く、どこか覚悟を決めた目をしていた。


「そして十歳になる頃、私は病を発した。その時期に同時に真実を知った。お婆様が何者かに殺されたこと、それが敵国ロシェリアの諜報員によるものだということ。それを知った私は修羅として生まれ変わらされた。復讐の鬼と化した私は、自分自身を制御できず、ある者の命令に従って動く兵器となった」


 さくらは、いまは冷静に語るフリーゼの眼差しを受け止めることができずにいた。次々と突きつけられる衝撃に、今にも足が崩れそうだった。


 フリーゼはそんなさくらから目を外し、自分の手のひらを見つめる。


「私はこの手で何人もの人間を殺め続けてきた。古代の戦闘魔法を一部解析した者から訓練を受け、それを身につけさせられた。人を殺すための兵器として、私は働き続けた」


 さくらは、笑みとも取れるフリーゼの震える唇を見つめた。


「半分の私は敵国ロシェリアの諜報員と思われる者たちを、何人もこの手にかけた。緩衝地帯を越え、直接敵地で作戦を実行することもあった。私は復讐のためならば、何人殺そうが構わなかった。誰一人として、私の目の前で生きることを許さなかった。無惨に殺された祖母を思えば、のうのうと息をしている者の存在が許せなかった」


 わなわなと震える手を、フリーゼはもう片方の手で押さえる。しかしその震えは収まらない。


「復讐が復讐を生むというが、精神を失っていた私にそんなことは関係なかった。逆らうものは敵であろうが味方であろうが斬って回った。そんな暴虐とも言える行為を、私は自覚なく繰り返していたのだ」


 さくらはそのあまりに残忍な言葉に、思わず耳を塞ぎたくなった。しかしふっと我に返り、再びフリーゼの言葉に耳を傾けた。


「私は操られていたんだ。心を。体を。思うままに、何かに操られていた。半分の私は、なぜこれほどまでにいつも疲弊しているのかすらわからなかった。昨日の自分が、自分で理解できなかった。そうしているうちに、もう半分の残虐性は徐々に薄れていった」


 フリーゼは少し落ち着きを取り戻した様子で、「少し座ってもいいか」と疲れた声で言った。さくらときなこが頷き、三人は再び焚き火のほとりに腰を下ろした。


「私はもうやめたい。これ以上人を殺して、何になる。お婆様はどうしたって戻ってこない。あんなに大好きだったお婆ちゃんの顔が浮かぶたびに思った。『これは無駄だ』と。お婆ちゃんは望んでいない。こんな私の姿を見たくもないし、見せたくもない。そう思い、そのまま私はSSSから自ら遠ざかった」


 『心は病んだままだが』と、その口の動きがさくらたちに伝わった。そして顔を伏せる。


「だが、その後の私はもうお察しの通りだ。学院にも通えず、同学の者との交流もできない。勉学に励むこともできず、片方の私は心を閉ざす一方だった。でも」


 フリーゼは不意に顔を上げ、言葉を続けた。


「そんな時、あなたに出会った」


 ほんのわずかだが、フリーゼは微笑んだ。さくらはその表情を見て、思わず目を見開いた。


「おじいさまは素性を知られぬよう行動しているつもりなのだが、あの通り奔放でな。私の役目はおじいさまを監視することだったのだが、少し手を焼いていたところに、あなたたちに出会った。私の心は、花が咲いたようだった。目の前がぱっと明るくなった。こんなにも胸が高鳴る瞬間があるのかと、心から驚いた」


 フリーゼは少しそわそわし、恥ずかしげに顔を背けた。その姿に、さくらは少しだけ安堵した。


「なぜかはわからない。しかしあなたに惹かれた。ずっとそばにいたいと思った。押しかけてでもあの店で働かせてもらいたかった。あなたの、さくらちゃんの側にいたかった」


 フリーゼは静かに瞼を閉じ、「黙っていてすまなかった。これで終いだ」と言って語りを終えた。

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