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とんかつ屋の悩みごと  作者: 藤沢春


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67 土と共に生きよう

 夏の到来を知らせるかのような未明の小鳥の調べを聞きながらさくらは目を覚ますと、空は半分が明るく、もう半分は紫色に染まっていた。時刻はまだ午前四時半で、店の引き戸を開ける音ですら気を使うような静けさが、ここミンチェスティ一番街のメインストリートにはあった。さくらは朝早く起きるのにめっぽう強いらしく、眠気などまるで感じさせない、しっかりとした身支度を整えていた。


「おいエリック。いくらなんでも早過ぎじゃねえか?」


 そんな文句を、この警視庁警部補であるエリック・ヤングに告げるのは、ここ「とんかつ さくら」を作った張本人、ジェイムズ・アームストロング、通称ジェイ・アーミーであった。この男は大工のくせに、朝には少々弱いらしい。


「ジェイムズさん、おはようございます。それに皆さんも。ええ、今日はですね、さくらさんのご希望のお時間でして。はい」


 エリックはそう言うと、ジェイムズ以下大工連中に爽やかな顔で応じた。


「うふふ、ごめんなさい。今日の作業は朝早くがいいかなって。その代わり皆さんには、美味しいお弁当をたくさん用意していますので」


 さくらは、まだ眠っているきなこを抱きながら、朗らかな笑顔を皆に向けた。


「本当か?そりゃ楽しみだぜ!」


 ジェイムズは美味い弁当があると聞き、大工連中とともに歓喜の声を上げた。


「わたくしたちも同行させていただいてもよろしかったのでしょうか?」


 おずおずとしながらも、格好だけはしっかり準備してきていたフリージア家のメイドたち、「ノアール・クラウディア」と「ユイロージア・ミスティリア」がそこにはいた。


「ぜひぜひ。たくさんのタネと苗を用意していますので、みんなでできたらって思ってリロちゃんに伝えておいたんですよ」

「ありがとうございます。わたくしたちもすごく楽しみにしてまいりました。どうぞよろしくお願いいたします」


 ノアとユイは恭しくお辞儀をすると、作業着の長靴のまま、嬉しそうに踵を浮かせていた。


「それではまいりましょうか」


 エリックの号令で皆が馬車のカゴに乗り込み、たくさんの道具や荷物を積み込む。馬車を操るエリックの横には、いまだ目を覚まさないきなこを抱いたさくらとフリーゼが並んで座った。


「しゅるるるるるる………………」




「そろそろ着きますよ」


 馬車の先頭からエリックが皆にそう告げると、目の前にはどこまでも続くような地平線が見える、大きく開けた大地が広がっていた。


「ついたか〜!Lケーブパーク農園!」


 ジェイムズがそう言うと、馬車と操舵室を繋ぐ窓から、カゴに乗っていた面々が顔を出した。およそ三十分ほどの馬車の旅であった。


 ここ『Lケーブパーク農園』はベイ・ピースの南東部に位置し、主に農業を営む農家が集まるひとつの町のような土地であった。有り余るほどの広さを持ち、文字通り計り知れない面積を誇る。さくらがいつも世話になっているグランデ・マルシェ内の、ミーシャの家が営む青果店にも多数の品が送られ、主に小麦や米、そして大豆などが大量に生産されている。しかし、あまりに広大であるがゆえに一部区域は荒れ果てており、せっかくの土がもったいないという理由から、王政が『その土地を開墾した者には、ほぼ永久的に私財とすることを認める』という法案を成立させた。その話を聞いたさくらは早速名乗りを上げ、こうして皆を引き連れてやって来たというわけだった。


「わぁ!本当に広いですねぇ!」

「うむ!これはやりがいがありそうだ!」


 さくらとフリーゼは目の前に広がる土地を前に、気分が高揚しっぱなしの様子だった。


「にゃ……もうついたのかにゃ……?」

「ちゅる……きなこ様、とても良い天気でございます。おはようございます」


 ようやく起きたきなこは、フリーゼに早速クワを渡され、ねじり鉢巻を巻くのだった。


「よぉし!早速やっかぁ!」


 ジェイムズの掛け声とともに、皆は「おー!」と歓声を上げ、まずは草刈りをする手筈を整えた。


「ジェイ!負けんぞ!」

「姫様!あっしは男の子でやすから!」


 フリーゼとジェイムズは顔を睨み合わせてそう言うと、競い合うようにザクザクと雑草を刈る。その後ろからスコップやねじり鎌を手に、エリックと大工連中が追いかけていった。


「す、すごいね」

「にゃ、にゃんだかあっという間に草がなくなっていくにゃ……」


 さくらときなこは、その圧倒的な作業量の前に思わず腕をだらんと下げていた。


「さくら様、わたくしたちは土をつくりませんか?」

「そうですね!負けないように私たちも頑張りましょう!」


 メイドのノアにそう言われ、我に返ったさくらは腕まくりをして、ふんと鼻息を荒げた。


 さくらときなこ、そしてメイドのノアとユイはクワを使い、サクサクと畑を耕していく。あらかじめ決められていた区画は、面積にしておよそ街の班ひとつ分、一町、1ha、10000㎡、約3000坪である。これだけの広さであれば丸半日はかかり、この日のランチタイムは休業になるだろうと考えていたさくらだったが、その心配は杞憂に終わりそうであった。


「嬢ちゃん、終わったぜ……フゥフゥ」

「さくらちゃん、どうだ、終わったぞ。ジェイは、息も、絶え絶え、だがな」

「そうおっしゃる姫様も……肩が……上がってますぜ」


 意地の張り合いもそこそこに、さくらは礼を言い、次は耕す作業を頼んだ。


「私たちは、できあがった土にタネと苗を植えていきましょう!」


 さくらはそう言うと、植え付け担当の者たちに用意していたものを配り、それを土に植えていった。


「さくらさん、これはいかがいたしましょうか?」


 ユイは苗の扱いに慣れておらず、取り扱いに苦慮していた。


「土ごと手のひらに包んで、そのままふわっと埋めてください。あまりパンパンと押し固めないようにするのがコツです!」


 次第に慣れてきて、メイド二人も苗の扱いに手慣れていった。きなこはタネを入れたカゴを手に持ち、パラパラと撒いていた。


「できたぁ!」

「やったぁ!」


 時刻は午前七時。あっという間に作業は終了し、皆は歓声を上げてハイタッチを交わした。




「みなさん。食事の準備ができていますので、手を洗ってきてくださいね」


 さくらは途中で作業から離れ、ひとり食事の準備を進めており、ちょうど終わる頃に味噌汁が出来上がるようにしていたのだった。


「ひー腹減ったぁ」


 大工連中はそう言い、ジェイムズたちは「俺たちの腹のすき方は尋常じゃないぞ」とさくらに軽く圧をかけていたが、さくらはそれを見越していた。


「ごはんの大きな釜、まるごと一つ持ってきていますから!」


 さくらはそう言うと、ボンとその大きな炊飯鍋を叩いた。それはいつもの営業でも使っている鍋で、およそ五十人分は賄えるほどの大きさであった。


「全部食っていいのか?」

「ええ、全部食べちゃってください!」

「やったぜ!」


 大工たちは歓喜した。おかずに至っては、最近バレットに頼んで完成した『保温器具』である。揚げ物を温かいまま保てるもので、とんかつならおよそ三十枚ほどを揚げたての状態で保存できる。ご飯におかず、そしてその場で作った味噌汁は、早朝からの作業で疲れた体を癒すには十分なものだった。


「ところでさくらさん」


 大きなござを敷き、円になって地面に座りながら楽しく食事をしている最中、メイドのノアが声を上げた。


「これらの作物は、一体なにができるのでしょうか?」


「大体のものはグランデ・マルシェでも手に入らないものです。唐辛子とか、ハーブとかスパイスとか。あとは根菜ですね。エシャレットとか、のびるとか」


「聞いたことのないものばかりですわ。楽しみですわね」


 ノアとユイはそう言い、今日の働きがどのような成果になるのか、小さな未来に期待を寄せていた。




「嬢ちゃんよ」


 ほんの少し風向きが変わり、朝の慌ただしさが落ち着き始めた空気の中、昇ったばかりの初夏の日差しを浴びながら食事を続けていたその時、ジェイムズは先ほどまでの元気な顔とは違い、少し影を落とした表情でさくらに声をかけた。


「俺っちとしては今まで通り、嬢ちゃんたちと付き合っていきたいと思っている」


 さくらは、そのぶっきらぼうな言い方を、少しの間噛み砕くように受け止めた。その言葉の中には多くの想いが込められているのだと感じた。これまでの楽しかった日々、改装や看板を任せてくれたこと、折に触れて頼ってくれた嬉しさ、そして例の樽の研究があの出来事に繋がってしまったことへの詫び。さまざまな思いが詰まった、不器用な一言だった。


 そしてさくらは、きっと勇気を出してタイミングを見計らい、彼なりに気を遣って口にしたのだろうその言葉と表情に向けて、ゆっくりと言葉を返した。


「ジェイムズさん、私も今まで通りでお願いしたいと思っています。ライテス様とエリックさんと、ちゃんといろいろ話をしました。もうあの研究には関わらないこともお伝えしましたし、バレットさんも納得してくれました。ジェイムズさんにきちんと伝えていなかったのは、すみません。でも、これからもまだまだやりたいことがありますので、そのたびにお願いしたいと思っています。よろしいですか?」


 さくらはそう言って、ジェイムズの顔を見上げた。


「お……おうよ!あったりめえじゃねえか!店のことは俺っちに任せとけってんだ!」


 ジェイムズの複雑そうな表情は瞬時に消え、ガハハと笑って膝を叩いた。ずっと胸につかえていたものが、ようやくすっと抜けたようで、ジェイムズは持っていた麦茶の入ったコップを豪快に一気飲みするのだった。


 そのあと、さくらは冷たい麦茶を注ぎ直し、昇りきった太陽を浴びながら、穏やかな風を感じつつ、ほっと一息ついて(そら)を眺めるのだった。

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