66 Getting over it
とある日の夜、とんかつさくらの二階座敷にて、ライテスとエリックが食事をしに来ていた。ここ最近ライテスは営業終了後ではなく、きちんと金を落としに飲み食いしに来るようになっていた。さくらは初めのうちは代金を断っていたが、一人の客として扱うことをライテスは望んだ。それは、さくらがしっかりとサービスをしなければならないというだけでなく、金を支払うことの意味をライテスが学ぼうとしていたからでもあった。人間、いくつになっても勉強なのだと、しみじみ思うライテスであった。
この日は久しぶりに、さくらが二階座敷でライテスたちの相手ができるくらいの余裕があり、さくらは座敷の縁に座って、ライテスたちと朗らかに談笑していた。
「うほほ、なんという美味さじゃこれは」
「本当ですか?喜んでもらえてよかったです」
「本当じゃよ。さらに飲み過ぎてしまうわい」
ただでさえ上戸なライテスだが、この口当たりの良い新しいカクテルに、思わず声を上げてしまうほどだった。
「ワインとエールをミックスするなんて、普通は考えつきませんね」
軽く一杯だけ、と言ってライテスに付き合うエリックも、この目新しいカクテル酒に目を見張り、グラスを見つめながら唸るほどにこの一杯を堪能していた。
「なんでもいいから混ぜちゃえー!って感じで作ってみるものなんですよ」
さくらはぐるぐると回す手つきをしながら、楽しそうな笑顔を振りまきつつ、ライテスとエリックにカクテルを作るコツを説いていた。しかし、
「…………」
ライテスは俯き、さくらがそんな笑顔を向けるたびに、どこか影を落とすような表情を見せるのだった。
「あれれ?ライテス様?いかがなさいましたか?」
さくらはその表情に気づき、顔を覗き込むようにして心配した。
「さくらさん……申し訳なかったのう」
「な、なにがですか?どうかお顔をあげてください」
「なんだかお主に無理をさせてしまって……あんなことになるとは思いもしなかったんじゃ」
ライテスは先日の樽の件、爆発の解析の際に魔道教育長ロベルトの『詰問』によって、さくらが心を痛めているのではないかと案じていたのだ。
「ああ……そのことですね。いえ、私も協力すると言っておきながら中途半端になってしまって、気にしていたところです。こちらこそ申し訳ございません」
「よろしいですか?」
エリックがそんな二人の間に入り、珍しく話に割って入った。
「私の主観で発言することをお許しください」
そう前置きをして、エリックは語り出した。ライテスは俯いたまま、さくらはエリックの真っ直ぐな表情を見つめた。
「正直に申し上げますと、これ以上、酒樽について深追いはしないほうが良いと思います。詳しいことはまた場を改めてさくらさんにご説明いたしますが、間違いなく教育長の研究は行き過ぎだと感じました。このままでは酒樽を良いものに昇華するという本来の目的から外れ、全く別の用途へと行き着きかねません。それはきっと、さくらさんもお察しの通りかと思います。私としては、この研究はここで止め、酒樽が美味しくなるという製造過程が確立できた、ということで終わりにしてよいのではないかと考えております。失礼いたしました」
エリックはそう締めくくると目を閉じ、敬礼の所作をした。そして半歩下がるように、正座しているその場から静かに身を引いた。
「エリックの言うとおりじゃ。この研究はあれ以上進めてはならん。それはもう、ワシとしても望んでおらぬことじゃ」
ライテスはどこか遠くを見るような目をした。まるで過去の残像を見ているかのように、これまで自分がしてきたことの幻をそこに重ねているようだった。
「ライテス様、エリックさん」
さくらは二人の言葉を噛み締め、ゆっくりと口を開く。
「私も元研究者でした。ですので、初めのバレットさんのお酒を美味しくする方法に目がくらむ気持ちも、ロベルトさんの追求心もよく理解できます。製造する人や研究者って、仮説を立てたらどうしても実験したくなる生き物なんですよ」
ライテスはその言葉にハッと顔を上げ、さくらの瞳を見つめた。エリックも口を半開きにし、眉をひそめてさくらを見た。さくらは目を細め、そんな二人を交互に見つめる。そしてほんの少し、過去を睨むように眉間に力を入れ、空を眺めた。そばで聞いていたフリーゼの手も止まっている。
「私のしていたことは、とても褒められたものではなかったんですけど、こうして料理ができることや、人の役に立てるものを作りたいって思う気持ちは、その時の反動なんだと思っています。正直、あの樽が爆発したことは衝撃でしたけど、どこかで仕方ないなって思ってしまう自分がいるのも事実です」
少し抽象的な物言いに、エリックとライテスはまだうまく飲み込めていなかったが、さくらの話は続きそうだったので、ひとまず最後まで聞こうとする二人だった。
「私としては、このまま終わりにしたいです。みんなで集まった日、最後に私がトボトボ帰ろうとした時に、バレットさんが声をかけてくれなかったら……もしかしたら私、このまま消えてしまいたいとも思っていたかもしれません」
その言葉に、さすがにライテスとフリーゼ、エリックまでもが身を乗り出しかけたが、さくらはその動きを制するように手を前に出した。
「あはは、あくまで仮の話ですよ?もしかしたら、です。ごめんなさい。たとえ私が魔法に興味を持ったとしても、それを料理以外で使おうとは思いません。樽が美味しくなったり、味噌が早くできたり、そんな小さな魔法がもしあるのなら、それはそれで素敵な事ですし、すごくいいと思います。でも仮になくなったとしても構わないとも思っています。だって、もともと料理って『科学』なんですよ?魔法みたいなものです。数式や物理化学で説明できますし、それがあるから美味しくなるんです。魔法に頼らなくても、時間をかければいくらでも再現できるんです。私も実験してみたいことはたくさんあるんですけど、もうこのままでいいかなって思っています」
さくらはそう言うと、言いたいことはこれで終わりだと示すように、そっと息をついた。
「わかりました、さくらさん。私のほうからロベルトさんには伝えておきます。いささか見過ごしてそのまま突っ走っていた部分もありますし、このあたりが区切りでしょう。さくらさん、本当にご迷惑をおかけしました」
エリックはそう言って深々と頭を下げた。その姿に、さくらは思わず手のひらをぶんぶんと振った。
「いえいえ!私だって興味津々なところはありましたから!ロベルトさんには、あまりきつく言わないであげてくださいね」
さくらがそう言うと、エリックは目を閉じ、小さくうなずいて了承の意を示した。
「さくらさん、これからもここを頼むぞい?ワシの目が明るいうちは店を繁盛させて、ワシに美味い揚げ物を食わせておくれ」
先ほどのさくらの言葉がよほど気になっているのか、ライテスは少し目を潤ませながら、さくらにそう願うのだった。
「申し訳ございません。軽々しい発言でした。本当に感謝しているんですよ。こんなに幸せなことはありません。私、お店を持つのが夢でしたから。本当に、ありがとうございます」
さくらはそう言うとライテスの手を両手で包み、お辞儀をした。ライテスはその手にさらに両手を重ね、すりすりとしながら、さくらの体温を確かめるようだった。
「さくらちゃーん。一階が大変なのです〜」
「は〜い!今行くね〜!それではライテス様、エリックさん、ごゆっくりなさってください」
さくらはそう言って、リゼロッテが叫ぶほどの慌ただしい一階へと戻り、また客たちに笑顔を振り撒きに行くのだった。
「よかったのう。これで安心して酒が飲めるというものじゃ」
「ライテス様、ずっとお気になさっておられました。私もほっとしております」
ライテスとエリックは、まるで憑き物が落ちたかのような表情で、改めて盃を交わした。
(『元』研究者…………)
その頃、同じ座敷の反対側のスペースでは、二つの家族が宴会を開いていた。
「そう言えばアオ、カナタ。『魔導機関』とやらの進み具合はどうだ」
「はい父さん、俺らがやってる研究のことですよね」
「今日、ちょうど基礎設計がまとまったところでした」
「ほう。ここで話すには少し具合が悪いな。帰ってから聞かせてもらおうか」
「わかりました」
「はい、せっかくですし明日にしませんか?『トリックス』についてもお話ししたいので、ミーシャちゃんも呼んでおきます」
「あと父さん、最近入部したティガー・アレクセルという男子もなかなか優秀でして、さらに発展が見込めるかと」
「うむ」
こうして今日も、とんかつさくらの夜は賑やかに、そして穏やかに更けていくのだった。




